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■■ Japan On the Globe(421)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

          国柄探訪: 皇室と国民のプロジェクトX
                       〜 正倉院宝物復元
                   皇室は今も昔も庶民たちの精神の生み出した
                  文化伝統の保護者である。
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■1.「夏の日に音たて桑を食(は)みゐし蚕(こ)ら」■

         蚕食(さんしょく)という言葉がありますが、本当に蚕
        (かいこ)は桑を与えると葉の端からいっせいに食べ始め
        ます。そのとき小雨を思わせる音がするのですが、皇后さ
        まはその音がお好きで、蚕に耳を近づけては聞き入ってお
        られます。[1,p28]

     こう語るのは、皇居内の紅葉山御養蚕所主任の佐藤好祐(よ
    しすけ)氏。ここでは毎年5月初旬の「御養蚕始(ごようさん
    はじめ)の儀」から、7月初旬の「御養蚕納の儀」に至るまで、
    約2ヶ月の間に蚕を飼い育てて繭(まゆ)をとる作業が行われる。

     この間、皇后さまは多忙な公務の間を縫って、何度も御養蚕
    所に足を運ばれ、実際の作業を佐藤主任などと一緒にされる。
    平成15年には23回のお出ましというから、二、三日に1度
    の割合である。

        夏の日に音たて桑を食(は)みゐし蚕(こ)ら繭ごもり季
        節しずかに移る (皇后様お歌、昭和41年)

        葉かげなる天蚕(てんさん)はふかく眠りゐて櫟(くぬぎ)
        のこずゑ風渡りゆく (同、平成4年)

     こうして得られた真っ白な繭は、製糸場に送られて生糸にさ
    れ、純白の絹布に織り立てられる。絹布は宮中の儀式や祭祀に
    用いられるほか、愛子様の産着にも使われた。さらに染色して
    婦人服地とされ、外国の賓客への贈り物にも用いられる。

     天皇は稲作をされ、皇后は養蚕をされる。神代の頃からのこ
    のような伝統を今も守っている皇室は世界にも例がないだろう。
    その皇后のお手になる絹の服地は、まさに日本の伝統文化の象
    徴である。

■2.代々の皇后に受け継がれてきた「皇后御親蚕」■

         皇后さまは、ご養蚕が「皇后御親蚕」として代々の皇后
        陛下に受け継がれてきたということを、とても大切にお考
        えになっているのです。[1,p61]

     と、佐藤主任は語る。皇室と養蚕のゆかりは古く、その始ま
    りは明らかではないが、『日本書紀』に雄略天皇(第21代、
    西暦470年頃)と皇后が養蚕に関心を持たれたという記述が
    見られ、『万葉集』にも孝謙天皇(第46代、718〜770)が養
    蚕豊作を願う行事を行われた歌を大伴家持が詠んでいる。

     その後、宮中の御養蚕は幾度かの中断を経つつも、受け継が
    れて、明治以降は「皇后御親蚕」という形で代々の皇后に継承
    されている。

     皇后さまは平成2(1986)年に御養蚕を引き継がれてから、毎
    年この作業を楽しみとされている。

         約2ヶ月にわたる紅葉山での養蚕も、私の生活の中で大
        切な部分を占めています。毎年、主任や助手の人たちに助
        けてもらいながら、一つひとつの仕事に楽しく携わってい
        ます。[1,p26]

     御養蚕には、ときに秋篠宮家の眞子内親王、佳子内親王も伴
    われるそうである。

         養蚕のときに、回転まぶしの枠から、繭をはずす繭掻き
        の作業なども、二人していつまでも飽きずにしており、仕
        事の中には遊びの要素もあるのかもしれません。敬宮が大
        きくなり、三人して遊んだり、小さな手伝い仕事ができる
        ようになると、また、楽しみがふえることと思います。
        [1,p32]

■3.「小石丸を育ててみましょう」■

     御養蚕所で飼育されている蚕には、日中交配種と欧中交配種
    とならんで、日本産種の「小石丸」がある。良質の糸を出すの
    で、江戸時代から明治半ばまで一般の養蚕家で広く飼育されて
    いた。しかし、繭が小さく、とれる生糸の量が少ないことから、
    次第に日中交配種や欧中交配種などの新品種にとって替わられ、
    現在では一般の養蚕農家では飼育されていない。

     御養蚕所でも小石丸の飼育中止が検討されたが、皇后様の

         日本の純粋種と聞いており、繭の形が愛らしく糸が繊細
        でとても美しい。もうしばらく古いものを残しておきたい
        ので、小石丸を育ててみましょう

    とのお言葉によって、日本でただ一カ所、皇居の中でのみ小石
    丸の飼育が続けられていたのだった。

     平成5年、奈良の宮内庁正倉院事務所から、侍従職に宝物の
    染織品の復元にあたり、小石丸が奈良時代に用いられていた種
    類にもっとも近いので、「御養蚕所の小石丸を使わせていただ
    けないか」という、問い合わせがあった。

■4.「正倉院染織品復元10か年計画」■

     正倉院は、天平勝宝8(756)年、聖武天皇のご冥福を祈って、
    光明皇太后が、書跡、服飾品、楽器、調度品、刀剣その他天皇
    ご遺愛の品を中心に六百数十点を東大寺に献納されたのが、起
    源である。その後も東大寺での儀式に用いられた品々なども加
    えられ、現在、整理が完了しているものだけで9千点近くが納
    められている。

     大陸から伝えられたものも少なくないが、日本で製作された
    ものも多く、奈良朝の生活文化がうかがえる。

     明治になってから、宝物の復元が盛んになった。宝物の修理
    を行うにしても、見ただけでは構造や技法が分からないので、
    「ためし」と呼ばれる模造品が作られるようになった。

     昭和47(1972)年からは、材質や技法を調査研究して、宝物
    に限りなく近い材料を入手し、当時の技法に従った復元が行わ
    れるようになった。その一環として平成6(1994)年から米田雄
    介・元正倉院事務所長の企画・立案で「正倉院染織品復元10
    か年計画」が始まり、絹織物の復元が試みられた。

■5.小石丸は御養蚕所にしかない■

     復元を依頼されたのは、京都の川島織物。天保14(1843)年
    の創業以来、150年以上も日本の伝統的な織物を製作してき
    た老舗である。川島織物では、古代織物研究家の高野(こうや)
    昌司さんを中心に、糸、文様、染色、製織など各部門から合計
    7人のエキスパートが集まって、宝物復元チームが作られた。

     まずは試し織りをしてみたが、宝物と同じ織り密度にしてい
    るにもかかわらず、実物とはどうも風合いが違う。宝物の方が
    ふわっとしていて軽い。糸を細くして、織り密度を低くしても、
    やはりうまくいかない。

     川島織物のチームは、さすがに専門家だけに、古代の糸に近
    い雰囲気を持ったものと言えば小石丸であり、それは今、御養
    蚕所にしかない、という事を知っていた。

     これはやはり皇后陛下に御願いするしかない、と、米田元所
    長が皇后陛下のお世話をされている女官長にお話しされた所、
    数日後、侍従職から「天皇・皇后両陛下が、たいへん御興味を
    持たれている」という電話があった。

     しかし、復元には生繭で40キログラムほどの量が必要であ
    り、御養蚕所では毎年6〜7キログラムしか作られていなかっ
    た。皇后陛下はすぐに増産の許可を出された。

     翌年、小石丸の増産が始まった。蚕の餌である桑の葉も6倍、
    多い時には一日400キロもの葉を摘まなければならない。助
    手も増員し、蚕棚などの設備も整えなければならない。養蚕所
    は大変な苦労をしながら、増産にとりかかった。

■6.「私たちも精一杯いい糸を作ろう」■

     平成15(2003)年6月4日、皇居から群馬県の碓氷(うすい)
    にある製糸工場に、約4万2千粒もの小石丸の繭が届けられた。
    日本で4カ所しか残っていない製糸工場の一つである。

     通常の製糸では、繭を高温で乾燥させるが、それでは小石丸
    の糸が持っている光沢、しなやかさが失われてしまう。そこで
    生きた蛹(さなぎ)の入った「生繭」の状態で製糸することに
    なった。

     しかし、大量の繭を6月の暑さの中を群馬県まで運んだら、
    蒸れて中の蛹が死んだり、あるいは蛹が押しつぶされて、繭が
    汚れてしまう。そこで繭が圧迫されないように特別の運搬箱を
    作り、保冷車で運んだ。

     繭から糸を取り出すのは、3人のベテラン女性の手作業であ
    る。小石丸の糸は、髪の毛の50分の一ほどの細さで切れやす
    い。一般繭では一人が一日で120錘の糸が引けるが、小石丸
    の場合は1錘を引くのがやっとだった。この道28年という稲
    川房子さんはこう語った。

         御養蚕所では、通常の何十倍もの手をかけて蚕を育てて
        いらっしゃるとお聞きしています。ですから、私たちも精
        一杯いい糸を作ろうと心がけてきました。小石丸は糸が細
        いぶんキメが細やかでしなやか。ですから扱いには苦労し
        ますが、できあがった美しい糸を見ると、その苦労もどこ
        かに吹き飛んでしまうのです。[1,p89]

     ちなみに、群馬県は古代から機織りの盛んな地域で、古くは
    2、3世紀の紡錘車(糸を紡ぐ時に使う弾(はず)み車)が出
    土するという。稲川さんの苦労は、2千年ほどの間、先人達が
    経験してきた苦労であったろう。

■7.「皇居の東御苑に日本茜が自生している」■

     こうして作られた純白の生糸を、次に緑、白茶、黄、赤、紫、
    赤茶などの色に染める。以前行われた分析調査で、赤は日本茜
    (あかね)という天然の植物を染料に使っていることが分かっ
    ていた。

     日本茜は外国産種に比べて根が細いため、糸を染めるにはか
    なりの量が必要だが、現在、日本では大きな群生はない。外国
    産種の茜なら手に入りやすいのだが、あくまで宝物に忠実にあ
    りたかった。川島織物や正倉院事務所の庭では以前から栽培し
    ていたが、染織品を復元するのにはとても足りない。

     米田・元所長が両陛下に拝謁する機会があった時に「実は日
    本茜がなかなか手に入りません」とつい申し上げた。すると、
    すぐに侍従職を通じて「皇居の東御苑に日本茜が自生している」
    という連絡があった。

     しかし、その量も雑草に混じってポツポツと生えている程度
    でとても足りない。そこで天皇の御発案で、日本茜の株を集め、
    皇居内で3年ほどかけて、栽培することになった。平成15年
    11月に収穫された日本茜の根、1キログラムが一週間の陰干
    しの後に、正倉院事務所に届けられた。

     川島織物では、この日本茜の根を三度ほど煮出して、きれい
    な赤色の煮出し汁を作り、これに生糸を染めては乾かすという
    作業を十数回繰り返す。汁の温度を徐々に上げていきながら、
    見本糸と色合いを比べつつ近づけていく。

     こうして小石丸の純白の生糸は、気品ある古代の色に染め上
    げられた。

■8.織るスピードは一日8時間かけてせいぜい10センチ■

     最後の工程が織りである。復元する「紫地(むらさきじ)鳳
    形(ほうおうがた)錦御軾(にしきのおんしょく)」の錦の織
    りが始まったのは、平成15年12月であった。48年間織り
    一筋の白井正久さんが織機に向かう。3800本の経(たて)糸に
    緯(よこ)糸を通していく。

         普通、経糸には多少なりとも撚りがかかっているもので
        す。ところが、正倉院の染織品の場合、糸に撚りがまった
        くかかっていないのと、糸の断面が扁平なため、杼(ひ、
        緯糸を巻いた管を装着して、経糸の間に緯糸を通すために
        両端の尖った舟形の道具)を通したり、綜絖(そうこう、
        経糸を一本づつ上下に動かす道具)が上下する際の摩擦で、
        経糸がすぐに毛羽立ってしまうんです。

         そしてそれは毛ダマになり、放っておくとそこからブツッ
        と切れる。経糸というのはピンと張っているので、切れる
        と糸がはねてどこかに行ってしまいます。ですから、毛ダ
        マを見つけたら糸が切れる前にそれを取って、糸を継いで
        おかなければならない。

         単純な作業ですが、毛ダマがすぐにできるので手間がか
        かり、織るスピードは一日8時間かけてせいぜい10セン
        チぐらいでした。[1,p123]

     こういう苦労を4ヶ月ほどして、平成16年3月、8メート
    ル16センチの織物が見事に仕上がった。糸に撚りがかかって
    いないので、ふっくらとした仕上がりである。

■9.庶民の作った宝物■

     米田・元所長は言う。

         復元模造を通じて、奈良時代の文化や技術は非常に高度
        なものだということがわかりましたが、と同時に、庶民の
        生活がわずかながら理解できた気がします。

         正倉院の宝物は「皇室ゆかりのものだから貴重である」
        というだけではありません。たとえば鏡一つ、箱一つにし
        ても、それを誰が作ったのかといえば庶民です。つまり、
        正倉院宝物の中には、国外から伝わったものもありますが、
        国産のものも少なくありません。そのような国産のものを
        見ると、わが国の8世紀の社会そのもの、8世紀に生きた
        人々の精神そのものといえるのではないかと思うのです。
        [1,p160]

     川島織物の復元チームの一員、森克己さんは、こう語る。

         正倉院宝物が1200年、1300年の時間を経ているように、
        われわれの復元模造品も1200年後には宝物になっている。
        この10年間、われわれを支えていたのは、この思いだっ
        たように思います。[1,p182]

     8世紀日本の宝物を、当時の材料と技術をそのままに復元し
    た21世紀日本の庶民達。皇室は今も昔もそのような庶民たち
    の精神の生み出した文化伝統の保護者なのである。
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(012) 仁 皇室の伝統的精神
b. JOG(377) 伊勢神宮を支えた千数百年
    千数百年にわたって伊勢神宮が20年ごとに建て替えされて
   きた理由は? 

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1.『皇室』編集部『皇后陛下古希記念 皇后さまの御親蚕
    ―皇后さまが育てられた蚕が正倉院宝物をよみがえらせた』★★★
    扶桑社、H16
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「皇室と国民のプロジェクトX」に寄せられたおたより

                                             popuriさんより
     昨年 皇后さまの御親蚕 京都の展示会にて拝見させて頂き
    ました。感動しました。

    伊勢雅臣: 一人ひとりの努力が我が国の文化と伝統を護って
    いきます。

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