[トップページ][319 靖国神社問題]

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        昭和天皇の靖国御親拝はなぜ中断されたのか?
       〜 靖國のみやしろのことにうれひはふかし 〜
                                                   伊勢雅臣
■転送歓迎■ No.1169 ■ H18.08.07 ■ 8,420 部 ■■■■■■■

     富田メモによって、「昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感を
    示され、これが天皇御親拝が中断された」由の説が広められて
    いるが、当時の経過を辿って、検証してみよう。

    ・昭和20年11月〜 戦後の御親拝始まる。
      この時の臨時大招魂祭を初回として、併せて8回靖国神社に
      参拝なされている。

    ・昭和50年8月15日
      三木首相が靖国神社参拝に当たって、初めて「一私人の参拝」
      と公言し、それ以後、首相の参拝にあたって、私人か公人か
      が問題となる。(この年の5月に稲葉法務大臣が自主憲法制
      定国民大会に出席した事に対し野党が追及したのだが、三木
      内閣は「私人として出席」という答弁で逃げた。靖国参拝に
      おいても、「私人としての参拝」としたのは、三木首相の靖
      国向けパフォーマンスだった。)

    ・   同年11月21日
       昭和天皇の最後のご親拝。
      
       この前日の参院内閣において、社会党は、首相の私人参拝
      表明を受けて、昭和天皇の靖国神社参拝が私的参拝なのかど
      うかを問題とした。政府は「天皇の私的行為」と逃げたが、
      社会党は「天皇の場合は、私的な行為を通じてでも国政に影
      響を及ぼすようなことがあってはならない」と追求した。

       御親拝当日も、境内でキリスト教団体など約80名が「戦
      争責任をごまかすな」「靖国反対」などの垂れ幕を出そうと
      して警備陣ともみ合った。

       これを最後に、御親拝は中断された。しかし、以降も、毎
      年春秋の例大祭には天皇の代理として、勅使が参向し、各皇
      族も参拝している。昭和天皇のお気持ちは、御親拝継続であっ
      た事は容易に推測される。

    ・昭和53年10月
      「A級戦犯」の合祀が行われる。(報道は翌54年4月だが、
      太平正芳首相は従前通り参拝)

    ・昭和60年8月
       中曽根首相が「公式参拝」

    ・昭和61年8月
       中国の反対論に折れて、中曽根首相が参拝を中止。

     こうして時系列で見れば、昭和50年以降の昭和天皇の御親
    拝中断は、53年のA級戦犯合祀の数年前であり、また中国の
    靖国反対は合祀の8年も後である。
      
     A級戦犯合祀は、社会党にしろ、中国にしろ、とってつけた
    理由に過ぎない。昭和50年以前からの一貫した靖国攻撃の中
    の一戦術なのである。

     昭和61年8月15日、昭和天皇は以下の御製を詠まれた。

        この年のこの日にもまた靖國のみやしろのことにうれひは
        ふかし 

     社会党の攻撃で御親拝を中断させられ、今また、首相の参拝
    までもが、中国の反対でできなくなった事に、「うれひはふか
    し」と言われているのである。昭和天皇のお気持ちを云々する
    なら、まずはこの御製からお偲び申し上げるべきだ。 

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