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■■ Japan On the Globe(484)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

              国柄探訪: 美しい国だった日本
    
                     「方々の国で出会った旅行者は、みな感激
                       した面持ちで日本について語ってくれた」
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■1.「彼らはみな感激した面持ちで日本について語ってくれた」■

     ドイツの考古学者ハインリッヒ・シュリーマンは、1871(明
    治4)年にギリシャ神話上のトロイアの遺跡の発掘に成功して、
    世界的に有名になるが、その6年前、1865(慶応元)年に日本を
    訪れている。

         日本で最初の、小さな岩ばかりの島が見える地点に到達
        した。私は心躍る思いでこの島に挨拶した。これまで方々
        の国でいろいろな旅行者に出会ったが、彼らはみな感激し
        た面持ちで日本について語ってくれた。私はかねてから、
        この国を訪れたいという思いに身を焦がしていたのである。
        [1,p101]

     シュリーマンの期待は裏切られなかった。入国の際、税関で
    荷物を解くのが面倒なので、金を渡して免除して貰おうとした
    ら、断られた。「日本男児たるもの、心づけにつられて義務を
    ないがしろにするのは尊厳にもとる、というのである」と、そ
    の役人の高潔さをシュリーマンは讃えた。

     また、当時は過激志士が外国人を襲う危険があったので、警
    護の武士がついてくれたが、「役人たちが欲得づくでこのげん
    なりするまでの警備に励んでいるのではないことは承知してい
    る。だからなおさらのこと、その精勤ぶりに驚かされるのだ。
    彼らに対する最大の侮辱は、たとえ感謝の気持ちからでも、現
    金を贈ることであり、また彼らのほうも現金を受け取るくらい
    なら『切腹』を選ぶのである」と感心する。
    
■2.「英国夫人が一人旅をしても絶対大丈夫だろう」■

     シュリーマンからやや遅れて明治11(1878)年に来日したイ
    ギリスの女性旅行家イザベラ・バード[a]。女性の身でありな
    がら、アメリカ、カナダ、ハワイ、日本、マレー半島、チベッ
    ト、ペルシャ、朝鮮、中国、モロッコと、通算30年に渡って
    世界中を旅した。その体験をまとめて『日本奥地紀行』『ロッ
    キー山脈踏破行』『朝鮮奥地紀行』『中国奥地紀行』などの著
    作を残している。

     これだけ広く世界を旅して、詳細な旅行記を残しているとい
    う点で、当時の日本を客観的に語って貰うには、好適な旅行者
    である。

     バード女史から東北・北海道への旅行計画を聞いた英国代理
    領事は、その時、「英国夫人が一人旅をしても絶対大丈夫だろ
    う」と太鼓判を押している。それは正しかった。

         奥地や北海道を1200マイルにわたって旅をしたが、
        まったく安全で、しかも心配もなかった。世界中で日本ほ
        ど、婦人が危険にも不作法な目にもあわず、まったく安全
        に旅行できる国はないと私は信じている。[1,p187]

         ヨーロッパの多くの国や、わがイギリスでも地方によっ
        ては、外国の服装をした女性の一人旅は、実際の危害を受
        けるまではいかなくとも、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、
        お金をゆすりとられるのであるが、ここでは私は、一度も
        失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとら
        れた例もない。群集にとり囲まれても、失礼なことをされ
        ることはない。[1,p188]

■3.「それは美しいものであった」■

     バード女史は、実際の旅での見聞をこんな風に語っている。

         私達は三等車で旅行した。「平民」のふるまいをぜひ見
        てみたかったからである。客車の仕切りは肩の高さしかな
        くて、たちまち最も貧しい日本人で一杯になった。

         三時間の旅であったが、他人や私達に対する人びとの礼
        儀正しい態度、そしてすべてのふるまいに私はただただ感
        心するばかりだった。それは美しいものであった。とても
        礼儀正しくてしかも親切。イギリスの大きな港町で多分目
        にするふるまいと較べて何という違いだろう。

         さらに日本人は、アメリカ人と同様、自分やまわりの人
        への気配りから清潔で見苦しくない服装で旅行している。
        老人や盲人に対する日本人の気配りもこの旅で見聞した。
        私達の最も良いマナーも日本人のマナーの気品、親切さに
        は及ばない。[1,p184]

     ものを紛失した時に、馬子は一里も戻って探してくれ、バー
    ド女史が骨折り賃として何銭かあげようとしたが、「旅の終わ
    りまで無事届けるのが当然の責任だ」と言って、どうしてもお
    金を受け取らなかった。

    「どこでも警察は人々に対して非常に親切である」し、かなら
    ず助力してくれるので、「困ったときはいつも警官に頼む」。

     こうした日本人の振る舞いに触れて、バード女史はこう述べ
    ている。

         この国民と比較しても常に英国民が劣らぬように
        ----残念ながら実際にはそうではない!----

■4.「日本人にすべてを教える気でいたのであるが」■

     バード女史と同時期、明治10(1877)年から13(1880)年ま
    で東京大学で生物学を教えたエドワード・S・モースの談を聞
    いてみよう。東京で大森貝塚を発見した事で知られている人物
    である。

         外国人は日本に数ヶ月いた上で、徐々に次のようなこと
        に気がつき始める。即ち彼は、日本人にすべてを教える気
        でいたのであるが、驚くべきことには、また残念ながら、
        自分の国で人道の名に於いて道徳的教訓の重荷になってい
        る善悪や品性を、日本人は生まれながらにして持っている
        らしいことである。

         衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべて
        の自然物に対する愛、あっさりしていて魅力に富む芸術、
        挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり・・・
        これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人
        々も持っている特質である。[1,p36]

     机の上に小銭を置いたままにしても召使いは一切手を触れな
    い。街中の店では、時折店主が店を開けっ放しにして出ていく
    ので、モースは逆に盗みに入られないかと心配するほどだった。
    「盗み」などの犯罪が皆無であることに驚嘆し、「人々が正直
    である国にいることは実に気持ちがよい」。

     モースの母国アメリカでは、盗難防止のために、戸外の寒暖
    計はねじくぎで壁に留められ、噴水のひしゃくは鎖で結びつけ
    られていた。

         正直、節倹、丁寧、清潔、その他わが国に於いて「キリ
        スト教的」とも呼ばれる道徳のすべてに関しては、一冊の
        本を書くことも出来るくらいである。[1,p39]

■5.「礼儀という点で、日本人にまさるものはない」■

     さらに時代を遡ってみよう。元禄3(1690)年に来日してオラ
    ンダ商館付の医師として、約2年間、長崎の出島に滞在したド
    イツ人・エンゲルベルト・ケンペル。オランダ商館長に随行し
    て、二回、江戸に上り、将軍にも拝謁している。日本の動植物、
    風俗、地理、歴史、宗教などに関心を示し、帰国後、ロンドン
    で出版した「日本誌」はフランス語、ドイツ語にも訳され、ゲ
    ーテやモンテスキューなども愛読したと言われている。

     江戸への道すがら、ケンペルはこんな感想をもらしている。

         旅館の主人らの礼儀正しい応対から、日本人の礼儀正し
        さが推定される。旅行中、突然の訪問の折りにわれわれが
        気がついたのであるが、世界中のいかなる国民でも、礼儀
        という点で、日本人にまさるものはない。

         のみならず彼らの行状は、身分の低い百姓から最も身分
        の高い大名に至るまで大へん礼儀正しいので、われわれは
        国全体を礼儀作法を教える高等学校と呼んでもよかろう。
        [1,p178]

     当時の日本は、キリスト教国の侵略から国を守るために、オ
    ランダと中国以外の国とは貿易を禁止していた。ケンペルはこ
    の「鎖国」政策に賛成している。当時の日本は自給自足ができ
    ており、外国から物資を輸入する必要はなかった。そして、国
    内は戦争もなく、生活水準が非常に高かった、という理由から
    である。

■6.「貧しいことを不名誉と思っていません」■

     江戸幕府が鎖国政策を採った理由は、キリスト教宣教師を尖
    兵とするスペインやポルトガルの侵略から身を守るためであっ
    た[b]が、戦国時代に来日して、初めてキリスト教を伝えた宣
    教師フランシスコ・ザビエルは、純粋に布教を目的としていた
    ようだ。

     ザビエルは、日本人アンジロウとインドのゴアで出会った。
    アンジロウは8ヶ月のうちにポルトガル語の読み書きも会話も
    完全にマスターし、「知識に飢えていて、真理のことなどすば
    やく学びます」。他の日本人もアンジロウと同様であるとした
    ら、布教は成功するに違いない。ザビエルは「日本へ行く夢を
    あきらめることはどうしてもできません」と思うようになった。

     ザビエルは1549年にアンジロウとともに日本に到着した。そ
    して日本での布教の成功を確信した。「日本の国民が、この地
    域にいるほかのどの国民より、明らかに優秀だからです」。ザ
    ビエルは日本人をこう評している。

         この国の人々は今までに発見された国民のなかで最高で
        あり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだで
        は見つけられないでしょう。

         彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。
        驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を
        重んじます。大部分の人は貧しいのですが、武士も、そう
        でない人びとも、貧しいことを不名誉と思っていません。
        [1,26]

■7.「性質直にして雅風あり」■

     ザビエルから、さらに遡って、西暦636年頃に成立したとさ
    れている「隋書倭国伝」には次のような一節がある。日本では
    聖徳太子が亡くなられた直後の時代にあたる。

         人すこぶる恬静(てんせい)にして、争訟まれに、盗賊
        すくなし。・・・性質直にして雅風あり。[1,p80]
        
        (人はすこぶる物静かにして、争い事は少なく、盗賊も少
        ない。・・・人々の性質は素直で雅やかである。

     同様の記述は、西暦280〜290年に書かれたとされる「魏志倭
    人伝」にも見られる。

         婦人淫せず、妬忌(とき)せず。
        盗窃(とうせつ)せず、諍訟(そうしょう)少なし[1,p74]

        (婦人の貞操観念は堅く、ねたんだりしない。
         盗みをする者はいない、訴え事も少ない)

     戦乱の絶える間が無く、騙し騙されが日常であったシナ大陸
    から見れば、犯罪や争いの少ない、純朴な人々の住む日本は別
    天地のように見えたであろう。

    「美しい国、日本」とは安倍首相の政権構想の中心であるが、
    それが「国民が美しい心根を持っている国」という意味では、
    日本は有史以来「美しい国」として、外国人から賛美されてき
    たのである。
    
■8.「この幸福な情景がいまや終りを迎えようとしており」■

     しかし、今に至って改めて「美しい国、日本」を掲げなけれ
    ばならないのは、現代の我々が、過去の先人達の美しい心根を
    忘れてしまったという認識からであろう。

     この事態は、幕末から明治初期にかけて日本にやってきた西
    洋人たちによって、すでに予見されていた。幕末において、ア
    メリカ公使館通訳として活躍したオランダ人・ヘンリー・ヒュ
    ースケンは、こう語っている。

         いま私がいとしさを覚えはじめている国よ、この進歩は
        ほんとうに進歩なのか? この文明はほんとうにあなたの
        ための文明なのか?

         この国の人々の質朴な習俗とともに、その飾り気のなさ
        を私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたるところ
        に満ちている子供たちの愉しい笑い声を聞き、どこにも悲
        惨なものを見いだすことができなかった私には、おお、神
        よ、この幸福な情景がいまや終りを迎えようとしており、
        西洋の人々が彼らの重大な悪徳を持ち込もうとしているよ
        うに思われてならないのである。[1,p268]

■9.「美しい国」を復活させる道■

     日本に帰化して小泉八雲と名乗ったラフカディオ・ハーンも
    日本人の美しい心根について数々の著書で賛美しつつ[c,d]、
    同時にこんな警告を発している。

         日本の場合は危険がある。古くからの質素で健全な、自
        然で節度ある誠実な生活様式を捨て去る危険性である。質
        素さを保つ限りは日本は強いだろう。

         しかし贅沢な思考を取り入れたら、弱くなっていくと考
        える。

     ハーンは明治時代の欧米文明導入から生ずる危機を予言した
    が、その後の共産主義思想の侵入や、敗戦後の占領軍による
    過去の断罪と社会改造、さらには経済大国化やグローバル化に
    より、「古くからの質素で健全な、自然で節度ある誠実な生活
    様式を捨て去る危険性」はますます現実となりつつある。それ
    は抵抗する術もない、歴史の必然なのだろうか?

     ハーンとの交流が深く、万葉集などの詩歌を研究して、東京
    大学で日本語学教授にもなったイギリス人のバジル・ホール・
    テェンバレンは、こう述べている。

         過去にしっかりと根をはっている国民のみが、将来にお
        いて花を咲かせ、果実を結ぶことを期待できるのである。
        [1,p193]

     我々の先祖が大切にしてきたものを共感を持って受け継ぎ、
    それを現代文明の中で新しい形として生かしていく。これが
    「美しい国」を復活させる道であろう。
                                            (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(130) 上杉鷹山 〜ケネディ大統領が尊敬した政治家〜
    自助、互助、扶助の「三助」の方針が、物質的にも精神的 に
   も美しく豊かな共同体を作り出した 
b. JOG(154) キリシタン宣教師の野望
    キリシタン宣教師達は、日本やシナをスペインの植民地とす
   ることを、神への奉仕と考えた
c. JOG(050) 稲むらの火
    村民を津波から救った義挙 
d. JOG(171) 「まがたま」の象徴するもの
    ヒスイやメノウなどに穴をあけて糸でつなげた「まがたま」
   に秘められた宗教的・政治的理想とは 

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 波田野毅『世界の偉人たちが贈る 日本賛辞の至言33撰』★★★ 
   ごま書房、H17

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「美しい国だった日本」に寄せられたおたより

                                                 Yutakaさんより
     最近の日本人の品格の低下を思うと、過去の外国人のコメン
    トはいささか面映い思いがします。現在でも諸外国に比べて日
    本人の品格は良い線を行っていると言えるかも知れませんが、
    社会全体として品下がってきていることは否定できないと思い
    ます。

     いちいち事例を挙げるまでも無く、最近多発している不祥事
    の根っこには法律で明確に禁じられていないことは何をしても
    良いとか、人に知られなければ何をやっても良いと言う考え 
    があるのではないでしょうか。

     本来品格とは人目があろうがなかろうが常に自らの行為を慎
    むと言うのが根本であり、人に恥じるような行為をしないのは
    もとより、自らに恥じないように言 動に気をつけるのが品性
    のある人だと考えます。

     このような考え方は決して自然に身につくものではなく、幼
    少期からの家庭や学校で の教育の積み重ねが必要だと思いま
    す。その意味で現在の個性重視と称して子供にやりたいよ う
    にやらせるような教育では品性下劣な人間が増える一方ではな
    いでしょうか。子供を自由にさせれば個性的で健全な人間にな
    ると言う、現在の教育界で主流となっている思想は何ら証明さ
    れたものではなく単なる一部思想家の思い込みにしか過ぎませ
    ん。いい加減個性尊重などと言うお題目 はやめて厳しい教育
    を復活させるべきと考えます。

                                       「やまんど」さんより
     貧なれど、貪ならず。

     私は信州の田舎で、おそらく世間的には「負け組」とされる
    収入しかない人間です。我が家には、一昨年亡くなった父が残
    したわずかながらの田畑があり、それらは売って儲からず、捨
    て置けば雑草が生えるなどで近所から苦情が出るような場所で
    した。

     とはいえ、父並みに仕事をすれば、そこからは近所でも褒め
    られる米や野菜が採れます。採れますがしかし、兼業農家なの
    で会社での残業はできなかったりという具合で、年収は300万
    以下(父の場合)。

     さて、私はそうした様々に反発してきまして、田畑も売っぱ
    らって良いとも思っていました。。。が・・・

     小さな田畑ですので、田植えや稲刈りなどの大きな行事とい
    うか作業には、親戚や近所の人が寄り合います。これはお互い
    様です。そのお互い様の文化があるおかげで、我が家では外出
    するときに鍵をかけたことがない。

     話を「権利」から始めると喧嘩になりますが、お互い様から
    始めると、時には小さな不平を持つことがあっても、これを普
    通とすれば、実のところみんな幸せ。

     奪い合いあえば、足らず  分け合えば余る

     誰の言葉なのかは知りませんが、このための心が世界に広ま
    ると嬉しいなと思います。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     地方で人々の純朴さに触れると、まだまだ「美しい日本」は
    残っている、今のうちに何とかしなければ、と思います。
 

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