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■■ Japan On the Globe(500)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

 Common Sense: あなたは自分の言葉で日本を語れますか?(上)
    
                    海外で暮らすには、心の中で自分を支えて
                   くれる母国が必要だ。
■転送歓迎■ H19.06.10 ■ 34,196 Copies ■ 2,516,635 Views■

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     お陰様で、弊誌は今号で500号に到達しました。平成9年
    9月の創刊以来、もうすぐ10年となりますが、これだけ続け
    てこられたのも、読者の皆様方からの励ましのお陰です。

     先日5月10日には、講演会を開催いたしましたが、多くの
    読者の皆様と直接お会いして、改めて勇気づけられました。今
    号と次号は、その講演をまとめ直したものです。次の目標であ
    る1000号に向けての第一歩としたいと思います。(伊勢雅臣)
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■1.インターナショナル・ハウスにて■

     私がアメリカに留学したのは、昭和55(1980)年夏のことで
    した。サンフランシスコ近郊のカリフォルニア大学バークレー
    本校の経営学大学院に入学しました。

     最初の一年目はインターナショナル・ハウスという500人
    ほども収容できる大きな留学生用の寮に入りました。中央にド
    ームが聳え、左右に翼を広げた形で5階建ての宿舎が広がる修
    道院のような壮麗な建物です。寮生は半分がアメリカ人で、残
    り半分が世界中から集まった留学生です。留学生たちをアメリ
    カ人学生と一緒に住まわせて、互いに理解し合う機会を提供し
    ようという趣旨でした。

     留学生のためにこれだけの壮麗な建物を建てるというアメリ
    カの豊かさ、そして半分はアメリカ人学生を入れてしっかり交
    流させようという見識に、到着したばかりの私は「これは敵わ
    ないな」とやや気押しされた印象を持ったものです。

     留学生としては、ヨーロッパからはドイツやフランス、南米
    からはブラジルやコロンビア、そしてアジアからは台湾、韓国、
    中華人民共和国、タイ、インドネシア、そしてわが日本など、
    実に多くの国々からやってきていました。

     食事は、これまた修道院のように天上の高いホールで、長テ
    ーブルがいくつも並んだ食堂でとります。席は自由ですが、み
    な同じバークレーの学生ですから、見知らぬ同士でも、すぐに
    「どこから来たか」「専攻は何か」などと話が始まり、いつの
    まにか知り合いがたくさんできます。

■2.「どこから来たの?」■
  
     海外に行って、他国の人々と語り合った日本人は誰でも経験
    することですが、やはり会話は「どこから来たの?」で始まり
    ます。標準的な答えはもちろん「日本から」です。
    
    「俺は地球市民だ」とか「日本など関係ない」などと肩肘張っ
    た日本人が「北東アジアから来た」などと答えたら、よほどの
    変人だと思われて、相手は早々に席を立ってしまうでしょう。

    「日本」と聞いたら、相手は自分の知っている範囲で、日本に
    関する話題を探そうとします。マサチューセッツから来た女子
    学生は、「日本のカレンダーを見たら、雪に覆われた高い山や
    まの美しい景色だったけど、日本てそういう国なの」などと聞
    いてきました。外国人に対して、その母国のことを話題にする
    場合に、このようにまずは良い面から切り出すのが、教養と礼
    節ある態度です。

     某近隣諸国出身者の中には、相手が日本人と知ると、いきな
    り「私の国を植民地にした」などと食ってかかる人もいるそう
    ですが、私が大学で出会ったその国からの留学生たちは、礼節
    を知る人々ばかりで、そのような子供じみた態度をとる人はい
    ませんでした。

■3.「自分は日本についてよく知らない」■

     いずれにせよ、会話は「日本」を軸として始まるわけで、こ
    こで私たちは日本とはどんな国か、という事を語らなければな
    らなくなります。しかし、そういう状況になると、日本につい
    て、何をどう話したらよいのか、当惑してしまいます。

     一つの語り口は、歴史を通じて、こんな国だと語ることです。
    たとえば、

         日本の建国ははるか太古のことで正確には分かりません
        が、8世紀に書かれた歴史書(古事記、日本書紀のこと)
        では、紀元前660年とされています。その時に第一代天
        皇が即位し、現在の天皇は第125代で、世界最古の王室
        です。

     などと語れば、相手の興味をそそるでしょうが、こういう
    「皇国史観」は学校では教えてくれません。

     我々が学校で習ったのは「1868年に明治維新が起こった」
    というような「客観的」な知識ですが、これだけでは会話にな
    りません。明治維新を語るなら、その前の江戸時代がどんな時
    代で、その後の近代化がどう進んだか、という大きな流れを語
    らなければ、そもそも「話にならない」のです。
    
     ここで、多くの日本人は、はたと「自分は日本について、よ
    く知らない」ということに気がつきます。海外でこういう経験
    をして、もう少し日本のことを知りたいと思い、インターネッ
    トを検索していたら、この「国際派日本人養成講座」に出会っ
    た、という読者が多いのです。

■4.故郷は自分の一部■
    
     しかし、自分の国の事を語る、というのは、単なる知的会話
    だけの問題ではありません。アメリカ人たちは自国に対する自
    信と誇りと愛情に充ち満ちています。それが彼らの人生を支え
    る大きな柱の一つとなっています。そういうアメリカ人に囲ま
    れて生活していると、自分にも自分を支えてくれる祖国が必要
    だということをひしひしと感じます。

     この点を実感することは、日本の中で、特に国を意識しない
    でも毎日を過ごしていける日本人には難しいのですが、たとえ
    ば山形県あたりから東京に就職で出てきた青年を想像してみれ
    ば、多少は理解できるでしょう。東京の人間は、東京が日本の
    中心だと威張っている。山形県のことなど、東京の人間はほと
    んど知らないし、関心もない。そういう中で、その青年がなん
    となく自分が無視されている、という寂しい思いをすることは
    想像できるでしょう。

    「故郷のことなど私には関係ない。私個人としてしっかり働い
    て、周囲から認めて貰えればいいのだ」と青年は割り切ってし
    まうかもしれません。しかし、自分が生まれ育った故郷には、
    今も父母や親戚や友人たちが暮らしていて、その人々との思い
    出があちこちに残っている。そうした思い出を自分には関係な
    い、と割り切ってしまっては、自分の体の一部を断ち切ってし
    まうのと同じような気になるでしょう。

     そういう意味で、故郷とは自分の一部なのです。母国も同じ
    です。
    
■5.「日本はすごいな」■

     私が留学していた1980年代は、日本の家電製品や自動車が米
    国市場に一大旋風を巻き起こしていた時期で、私の出会ったア
    メリカ人たちもよくこの事を話題にしました。

     一般大衆の中には「ホンダを買ったけどグレートな車だ」な
    どと、手放しで褒めてくれる人がいました。ただ大学教授など
    のインテリ層はそう単純ではなく、「自動車はアメリカ人が発
    明したのに、日本人の方が良い車を作れると認めることは苦痛
    だった」などと、正直に語ってくれた先生もいました。

     学校でのマーケティングの授業でも、「品質の良い物を高く
    売る戦略と、良くないものを安く売る戦略がある」と先生が言っ
    たら、一人の学生が「いや、良い物を安く売る戦略もあります
    よ。メイド・イン・ジャパンのように」などと大まじめに発言
    して、思わず苦笑してしまいました。

     ある授業では、何度も日本製品や日本的経営の優秀さが論じ
    られたので、インドネシアからの留学生が「授業でも、ジャパ
    ン、ジャパン、ジャパンだ。日本はすごいな」などと羨ましがっ
    ていました。

     確かに他国からの留学生にとってみれば、これほど持ち上げ
    られる日本を母国とする日本人留学生は羨ましい限りだったで
    しょう。私自身、それは確かに嬉しいことではありました。

■6.真のお国自慢とは■

     しかし、その反面、経済ばかりが持ち上げられても、単純に
    満足は出来ない、という気もしていました。それは自動車にし
    ろ家電製品にしろ、もともとは欧米文明の所産です。彼らの作っ
    た土俵に割り込んで、彼らの技術に多少の工夫を加えて、部分
    的に良い成績を上げた、という事に過ぎないのです。

     たとえて言えば、仙台の中心部には「小東京」と呼ばれるほ
    ど高層ビルが建ち並んだ一帯がありますが、東京の人間から
    「仙台はすごいね。東京みたいだ」と褒められたようなもので
    す。それで素直に喜べるでしょうか?

     それよりも「東北大学のあたりは仰ぎ見るようなメタセコイ
    アの巨木が立ち並んでいて、まさに杜の都だね」などと言って
    貰った方が、はるかに嬉しいのではないでしょうか。

     自動車生産とか国民総生産のように共通尺度で優劣を競うよ
    うなお国自慢では、互いの国に対する理解を深めるような会話
    は成り立ちませんし、また、自分自身にとっても虚栄心を満足
    させるだけの事で、深いところで自分を支える自信とか誇りに
    はつながりません。

     そうではなく、固有の歴史や文化、国柄など、自分の先祖が
    営々と築いてきたものに関する愛着の籠もったお国自慢でなけ
    れば、我々を心の底で支えてくれるものにはならないようです。

■7.日本の歴史と文化について学んだ経験■

     私が日本の歴史や文化に関する知識をあまり持ってなかった
    ら、日本は経済大国だ、というような虚栄心で自分を支えてい
    たかも知れません。その場合、90年代のバブルで日米の勢い
    が逆転した時には、そんな虚栄心も失って、自信喪失に陥って
    いたでしょう。

     しかし、幸い、私には秘かに自分を支えてくれるお国自慢が
    ありました。それは学生時代に、社団法人「国民文化研究会」
    という教育団体の主催する学生青年合宿教室で、日本の歴史と
    文化について学んだ経験です。この団体は、昭和30年代に高
    校や大学の先生方が中心となって戦後の教育荒廃を憂えて設立
    した団体で、毎年夏に大学生や若手社会人を集めて合宿セミナ
    ーを行っていました。高名な文芸評論家の小林秀雄、村松剛と
    いった方々も、趣旨に賛同して、よく講義をされていました。

     この合宿教室で、受験用知識としての歴史ではない、まさに
    我々が自分の故郷を懐かしく思い出すような姿勢で、日本の歴
    史と文化について学んだのです。そこで知った戦後の昭和天皇
    の全国ご巡幸のお話に心惹かれ、それを自分なりに文章にして
    みました。

■8.日本の歴史と文化について学んだ経験■

     その内容を、まとめなおしたのが、弊誌136号「136 復興へ
    の3万3千キロ」[a]です。

     昭和天皇は終戦直後の混乱の中で、「全国を隈無く歩いて、
    国民を慰め、励まし、また復興のために立ちがらせる為の勇気
    を与へることが自分の責任と思ふ」とのお考えのもと、昭和
    21年から約8年半、総日数165日をかけて、沖縄以外の全
    都道府県、お立ち寄り箇所1411カ所、行程3万3千キロを回ら
    れたのです。

     占領軍の間では「ヒロヒトが40歳を過ぎた猫背の小男とい
    うことを日本人に知らしめてやる必要がある。神さまじゃなく
    て人間だ、ということをね」などという声も出て、このご巡幸
    を許可しました。イタリアのエマヌエレ国王は国民から追放さ
    れており、日本の皇室の運命も風前の灯火のように考えられて
    いたとしても不思議はありません。

■9.私の秘かなお国自慢■

     しかし、その結果は、占領軍の予想に反したものでした。昭
    和天皇と国民の間には、次のような心の交流がなされていたの
    です。[a]

         因通寺の参道には、遺族や引き揚げ者も大勢つめかけて
        いた。昭和天皇は最前列に座っていた老婆に声をかけられ
        た。「どなたが戦死をされたのか」

        「息子でございます。たった一人の息子でございました」
        声を詰まらせながら返事をする老婆に「どこで戦死をされ
        たの?」
        
        「ビルマでございます。激しい戦いだったそうですが、息
        子は最後に天皇陛下万歳と言って戦死をしたそうです。
        ・・・天皇陛下様、息子の命はあなた様に差し上げており
        ます。息子の命のためにも、天皇陛下さま、長生きをして
        ください」
        
         老婆は泣き伏してしまった。じっと耳を傾けていた天皇
        は、流れる涙をそのままに、老婆を見つめられていた。

         引き揚げ者の一行の前では、昭和天皇は、深々と頭を下
        げた。「長い間遠い外国でいろいろ苦労して大変だったで
        あろう」とお言葉をかけられた。一人の引き揚げ者がにじ
        り寄って言った。

             天皇陛下さまを怨んだこともありました。しかし苦
            しんでいるのは私だけではなかったのでした。天皇陛
            下さまも苦しんでいらっしゃることが今わかりました。
            今日からは決して世の中を呪いません。人を恨みませ
            ん。天皇陛下さまと一緒に私も頑張ります。
            
     わが国は戦後の焼け跡の中から奇跡的な経済復興を遂げ、世
    界有数の経済大国と発展していったのですが、「天皇陛下さま
    と一緒に私も頑張ります」という多くの国民の気持ちが、その
    原動力になったのだと、私は信じています。

     この文章を書いた事で、経済大国になったという結果よりも、
    その原動力として、天皇を中心に国民が心を通わせる美しい国
    柄を持った国である、というのが、私のお国自慢になっていま
    した。

     心中にこうした秘かな自信を抱いていましたので、自国への
    誇りと愛情たっぷりのアメリカ人に対しても、私は余裕と共感
    を持って接することができたのです。
                                        (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(136) 復興への3万3千キロ
    「石のひとつでも投げられりゃあいいんだ」占領軍の声をよ
   そに、昭和天皇は民衆の中に入っていかれた。

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■「あなたは自分の言葉で日本を語れますか?(上)」
  に寄せられたおたより

                                               秀明さんより
     私はこのタイ王国に在住して20年近くなります。既にニュ
    ースなどでご覧なられたと思いますが、昨年国王在位60周年
    での記念行事は各国の報道でも紹介されて、国民の国王敬愛の
    様子がうかがえたと思います。今年はその国王が80歳になら
    れ、12月5日に向けてタイ国民は毎週月曜日(国王の誕生曜
    日)に、あの「黄色いシャツ」を自らの意思で仕事に着ていき
    ます。

     昨年の60周年記念行事に集まった人たちからは国王が遠く
    に見えるだけで、涙を流していた人も居ました。

     今回の昭和天皇の戦後直後にされた行動へのエピソードを拝
    読して、なんだかタイ国王とダブってそのお姿が浮かびました。

     私は国粋主義者でも宗教関係者でもありませんが、私の少な
    い在外国経験で得た友人達の話にはアジア人や欧米人に限らず
    必ず宗教の話も出てきますし、自分の信じる足るものの話もで
    てきました。

     しかし私は、日本には一般論として純粋に宗教を語れる空間
    がないように思えますし、国を愛すると言う言葉すら、公の場
    所ではいえないような雰囲気が非常にあるような感じをもって
    います。これも日本に居るときには感じなかったことですが宗
    教でなくとも、流行文化、工業製品などの優れたものが日本と
    言う国の代名詞になるとしてもそれ自身が我々日本人の代名詞
    になるとしたらあまりにも寂しいことだと言う気もします。

     タイの国王を敬愛するタイ国民のように、などとは言いませ
    んが、なんだか物凄くタイ国民がうらやましく、またこの国王
    を愛する気持ちを永遠に持ちつづけてもらいたいと国王が80
    歳になられる今年痛切に思った次第です。

                                           タマセイさんより
     No.500号における内容から、以前イギリスに駐在した経験し
    た時に感じたことを共感をもって述べたいと存じます。私は、
    1993年11月から1998年3月までの4年4ヶ月、ロンドンに日本
    の企業の駐在員として赴任しておりました。私は、赴任時(39
    歳)に、27年の剣道経験と六段の認定を受けておりました。
    かの地でも剣道の稽古も続けておりました。

     そこで、学んだことは、少なくとも、英語が流暢というだけ
    では真の国際人とは言えない、ということでした。ちゃんと自
    国の文化を伝えられることは最低必要条件なのではないか、と。

     と申しますのも、私が剣道の稽古をしている道場に、英国人
    で、日本の刀剣収集家がおられました。その人の前で、私は、
    日本刀に関して、何ひとつ会話が成立しなかったのです。あま
    りにも日本刀に関する私の知識不足からでした。

     また、ある時、仕事の取引先のイギリス人と食事をした時で
    す。その方は、日本の伝統文化にたいへん造詣が深く、日本の
    伝統芸能である「能」と「歌舞伎」について話題にされたので
    す。これも、恥ずかしながら、私にその知識が無かったもので
    すから、ほとんど会話になりませんでした。

     以上、ふたつのことから、私は、日本人として、日本の伝統
    文化に関する知識不足を思い知らされたのでした。

     異国語での会話は、お互いに「聞く意思」があればある程度
    は成り立つと思っています。大事なのは、話す「内容」です。

     最近は、インターネットの流行などもあり、小学校低学年か
    ら、英語を教えることを良しとする風潮がありますが、私は、
    そんなことよりも、国語と日本史(国史)をしっかりと教え、
    先の大戦での日本軍の行為も、事実をきちんと教えていくこと
    こそ、かつての日本人としての品格を取り戻す、唯一の方策で
    あるような気がしてなりません。


                                              nobbyさんより
     私は昭和33年生まれの49歳男性、銀行に勤める市井のサ
    ラリーマンの一人です。今週の配信メールを拝読し、思い出の
    一書を久々に手に取りました。鈴木正男著「昭和天皇の御巡幸」
    (展転社刊)です。

     本好きは父譲りですので、小さいときから無数の本に親しん
    でまいりましたが、じつはこの本ほど、一枚ページをめくるた
    びに涙が溢れ、読み通すのに難渋した?本は、後にも先にもご
    ざいません。

     特に伊勢様が引用なさった因通寺は、私の住まい(福岡県小
    郡市)から車で10分程度ですので、かつてのよすがを偲ぼうと、
    拝観にお邪魔したこともございます。

     作家児島襄氏が、取材のためかつて東京裁判の裁判長を務め
    たウィリアム・ウェッブを訪ね、先帝陛下について問うたとこ
    ろ、彼は「神だ。あれほどの試練をうけてもなお帝位を守り続
    けられるのは、神であるとしか思えない」と語ったといいます。

     皇室と日本国民とを結ぶ紐帯の強靭さは、「王冠は敗戦を生
    き延びられない」という彼ら西洋人の常識・歴史観・想像力を
    遥かに超越するものであったと、問わず語りに吐露した言葉で
    すね。本書を読んで以来、皇室を守ることは日本を守ること、
    日本を守ることは皇室を守ること、と信ずるようになりました。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     それぞれに自分の中の「日本」を語っていただいたお便りで
    した。 
■おたより

                                                 武藤さんより
     日本を離れ約一年半、心の中にはいつも故郷の風景がありま
    す。「国際派日本人養成講座」に出会いましたのは海外に来て
    からのことですが、いつも自国のことをじっくり見つめられる
    貴重な機会をいただいております。どうもありがとうございま
    す。
 
    「自国の歴史を知らないのはまさに自分の一部を知らないこと
    に他ならない」とある読者の方が仰っていますが、私もこの言
    葉に共感を覚えます。外国で生活し、自国への想いの根源を探っ
    ているうちに、その歴史や成り立ちへの関心というよりは、む
    しろそれらを知り自ら語ることができなければというある責任
    感のようなものを感じるようになりました。

     移民の国カナダでは、祖国を離れ移り住んできたという人々
    と多く出会います。先日フィンランドから移住されたご年配の
    女性にお会いしたのですが、その方のお宅にはフィンランドの
    伝統や生活様式などを大切にされているご配慮が伺われました。
    貴誌で拝読しましたグスタフ・マンネルヘイム氏のことをお話
    しましたら、氏の偉業を熱心に語ってくださいまして、「こち
    らへ来てからますます自国のことを知るようになりました」と
    仰っていました。またお話を伺い、日本の神道とフィンランド
    の神話や古代信仰にどこか共に通じるものも感じられました。
    彼女は以前、日本についての研究をなされたことがあるそうで、
    その時に執筆された論文の最後には次のように記されていまし
    た。

        “In closing, I would like to quote Peter F. Drucker
        who wrote in Harper’s Magazine in March 1963.
        (Condensed in Reader’s Digest June 1963).  There is
        much that the West can do to help Japan make the
        decisions that are right both for her and for the
        free world. First, we must recognize Japan’s
        importance to the West. Perhaps because post war
        Japan has not been a ‘problem’ our policy-makers
        have not paid her much attention. We have seen Japan
        primarily in the light of our own strategy--as a
        permanent American military base and potential ally.
        We tend to forget that Japan is also a great power,
        an ancient culture and prime symbol of economic
        development to hundreds of millions of non-Europeans.
        Her roots of culture and history, art and religion,
        literature and language are not European but Asian.
        We can prevent stupidity and racial prejudice from
        pushing Japan, against the own economic
        self-interest, away from the free world. The west
        has never before had to accept a non-European
        culture and country as an equal, let alone as a
        leader. We pay lip service to such equality--but
        Japan waits to find out whether we really mean it.”

     この引用文から、彼女の相手を尊重し思いやる気持ちが伝わっ
    てきます。相手を理解することは、まず自分の足元を見つめる
    ところから始まるのではと感じています。

                                                 夢さんより
     天皇皇后両陛下の欧州歴訪には、ご高齢であるのにもかかわ
    らず日本の為に欧州との関係を良くする為に歴訪された天皇皇
    后陛下には、日本国民として本当に頭の下がる思いと、有り難
    さ、感謝の気持ちでいっぱいです。

     日本の事だけでなく、相手国の事もよくお考えになって行動
    される両陛下。そんなにも素晴らしい方が我が国の天皇陛下で
    あられる事に、私は日本人として大変誇りに思います。

     私は、小学生のときの担任の先生が日教組だったために日の
    丸、君が代はいけないものだと教えられてきました。その後、
    世界史から日本史へも興味が湧き色々な本を読むようになり、
    真実の日本、明治期から戦後にかけての日本を知るにつけ、ど
    んどん私は、自分の国、日本を好きになる事ができました。ま
    た、天皇陛下が日本におられる事にも誇りを持てるようになり
    まました。

     こちらの「Japan on the Globe-国際派日本人養成講座」を
    知りましたのは、今高校1年生になる息子が中学3年生の時に
    教えてくれました。息子は、日本史が好きで教科書には書いて
    いない、真実の日本を知る為に、やはり色々な方の描かれた本
    を読んだり、インターネットで調べていて、こちらを知ったよ
    うです。

     戦後の日教組がらみの教育を受けた者からしますと、こういっ
    た真の日本の姿を教えてくださる事は、大変嬉しく有り難いで
    す。これからも、様々なまだまだ知らない日本、日本人の事を
    教えてください。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     武藤さんのような御姿勢で暮らす海外在留邦人の方々が多い
    ので、国際的にも日本への好感と信頼が高まっているのでしょ
    う。また夢さんのご子息のような子供達が増えれば、幸福で立
    派な国になっていくでしょう。 

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