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■■ Japan On the Globe(506)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

            国柄探訪: 花のお江戸の繁盛しぐさ
    
                       江戸っ子たちは粋なしぐさで、思いやり
                      に満ちた共同体を築いていた。
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■1.「ちょっとした思いやり」にあふれた江戸社会■

     ある中学生がこんな作文を書いている。[1,p17]

         その日小雨の降る中、僕は父と一緒に狭い道を歩いてい
        た。すると向こうから来た人がすれ違う時、僕たちが通り
        やすいように傘を横に傾けてくれたのである。その人にお
        礼を言った後、父は、江戸しぐさがまだ残っているんだね
        と嬉しそうにつぶやいた。僕はこの「江戸しぐさ」という
        ことばに興味を覚え、家に着くまでに父に教えて貰うこと
        にした。

         傘を横に傾けて相手に雨の滴がかからないように気を配
        る「傘かしげ」、狭い道ですれ違う時に右肩を引いてぶつ
        からないようにする「肩引き」など、「江戸しぐさ」には
        いろいろなことばがある。要するに、お互いが気持ちよく
        過ごすためのちょっとした思いやりのある行動が江戸しぐ
        さと呼ばれるものだろう。

         僕の住む町、墨田区にはまだその精神が生きている。例
        えば、家の玄関先や通りを掃く時、両隣の分もきれいに掃
        いたり、体の不自由な人がいれば荷物を家まで持っていっ
        てあげたりというように。ただ残念なことに、これらの行
        動をとっているのはお年寄りの方だけになりつつあるとい
        う気がする----

     こんな「ちょっとした思いやり」にあふれた社会なら、人々
    はどんなに気持ちよく過ごせるだろう。花のお江戸はそういう
    都会だった。

■2.世界最大の都市■

     江戸は西南に鈴ヶ森、東北に飛鳥の森と、二大森林地帯に挟
    まれ、運河や堀をめぐらした緑と水の美しい町であった。最盛
    期には人口100万人に達し、60万人のロンドン、70万人
    のパリを凌ぐ世界最大の都市であった。

     100万人の内訳は武士と町人が半々だったが、武士は参勤
    交代で入れ替わる。町人50万人が江戸の定住人口だった。そ
    の大部分は、小売商、食べ物屋、風呂屋、大工などの商売人だっ
    た。諸国から人が集まる大都市の中で、毎日、多くの見知らぬ
    人々と行き交い、商売をする。そういう中で、いかに互いに気
    持ちよく生きていくか、という智慧が発達した。

     幕府には江戸町奉行はいるが、江戸の施政には直接手を下さ
    ず、江戸町人の総代表として3人の町年寄りが自治を行ってい
    た。町衆は町内の治安を守るために、自身番の制度を置き、防
    犯や防火に努めていた。こうした自治と自由の精神が、江戸町
    民の生き方を支えていた。
    
■3.「束の間付き合い」と「世辞」■

     江戸では毎日、多くの見知らぬ人と行き交う。そこに「束の
    間付き合い」というしぐさが発達した。たとえば船着き場で渡
    し船を待っていたら、もう一人、客がやって来た。先客は和や
    かに軽く会釈をし、「こぶし腰浮かせ」と言って、こぶしをつ
    いて腰を浮かせて席をつめて、新来の客が座れるようにする。

     現代では、電車の中で立っている人がいるのに、2人分くら
    いのスペースをとってゆったりと座っている人がいる。そんな
    所に「すみません」と声をかけて座っても、無言のまま、席も
    詰めない無神経な人が少なくない。そんな殺伐とした光景とは
    大違いの和やかな付き合いが江戸にはあった。

     会話が始まっても、差し障りのない天気の話題などを選んで、
    職業や名前、年齢などを聞いたりしないのが決まりだった。
    「束の間付き合い」を楽しみつつも、お互いのプライバシーを
    尊重して、気持ちよく過ごそうという考えである。

     江戸仕草の研究家・越川禮子氏は、こんな体験を紹介してい
    る。[1,p19]

         小春日和のある日、JRのプラットホームに、つつまし
        い感じのお母さんと4歳くらいの男の子がいました。男の
        子はヤクルトを飲んでいて、「おいちい、おいちい」と言っ
        ています。

         その言い方が可愛らしかったので、私から「おいしい?」
        と声をかけました。男の子は笑顔で頷きます。お母さんが
        男の子に「こんにちは?」と促しました。すると男の子は
        「こんにちは」と挨拶し、それから空をぐるりと見渡して
        いるのです。何をしているのかしら、と不思議に思ってい
        ると、空から私に目を転じてこう言いました。

        「きょうは、いいおてんきですね」

         驚きました。これは立派な江戸しぐさです。

    「こんにちは」などの挨拶の後に、「今日はよいお天気ですね」
    とか「寒くなってきましたね」などと「世辞」をいうのが、江
    戸しぐさである。「世辞」とは今で言う「お世辞」ではなく、
    人付き合いを円滑にする応対の言葉であった。
    
■4.対等の付き合いが原則■

    「束の間付き合い」や初対面の人に対して、名前や職業、年齢
    などを聞かないのを「三脱の教え」という。それは都会的に他
    人と距離を置く、という意味ではない。

    「人間はすべて仏の化身」と考え、身分や職業、年齢に関わら
    ず、互いに対等の付き合いをすることが原則だからだ。そうい
    う外的なものよりも、人間としての品格の方が江戸社会では大
    切にされた。だから、自分が大店の旦那で、相手が小僧風情だ
    からといって、偉ぶって威張った口をきいたり、自分をひけら
    かすような自慢をするのは、下品なこととされた。小僧風情の
    相手が「おはようございます」と挨拶すれば、旦那も「おはよ
    うございます」と対等に応えるのが、江戸しぐさだった。

     相手の身分によって態度を変えるのは、はしたない振る舞い
    だった。初対面の時に対等な口をきいた後で相手が身分の高
    い人だったと分かって「そんなに偉い人とは知らず、失礼しま
    した」などというのは、禁句である。それでは偉くない人には
    失礼にしてもいいということになってしまう。

     そして相手と会うのも、今生でこれっきりかもしれない、と
    いう「一期一会」の気持ちで、人と接する。相手との生涯に一
    度の、しかも一瞬のつきあいを、いかに美しいものにするか、
    そこから「束の間付き合い」というマナーが発達した。
    
■5.往来しぐさ■

     花のお江戸は路上で行き交う人も多い。その往来を気持ちよ
    くするために、様々な江戸しぐさが生まれた。道路は「江戸城
    に続く廊下」と考えられ、ゴミを捨てたり、唾を吐いたりする
    のは、とんでもない行為とされた。歩きながらタバコを吸うこ
    ともなかった。混んだ道を早く走ることは危険なので「韋駄天
    しぐさ」と言って禁じられた。韋駄天とは、仏教での足の速い
    守護神である。

     横に並んで話しながら歩く「とうせんぼしぐさ」や、往来の
    中で「仁王立ち」して、他人の邪魔をするのは御法度。「七三
    の道」と言って、自分は道路の片側3分を歩く。こうすれば、
    急ぎの人も、また怪我人を戸板に載せて運ぶ(今の救急車と同
    じ)際も、追い抜いていける。

     冒頭の作文で紹介されたように、狭い路地を歩いていて、向
    こうから人が来た場合には、互いに体を斜めにしてすれ違う
    「肩引き」をする。雨の日には「傘かしげ」で、しずくが相手
    にかからないようにする。

     こうしたすれ違いの際には、互いに目でちょっと挨拶し合う
    「会釈のまなざし」で、心が和む。雑踏の中で人に足を踏まれ
    た場合、踏んだ方は当然謝るが、踏まれた方も「こちらこそ、
    うっかりいたしまして」と「うかつあやまり」をする。

     すれ違いの際にも、「袖擦り合うも他生の縁」という気持ち
    からの思いやりによって、心和む付き合いができるのである。
    
■6.粋(いき)な江戸っ子■

     江戸っ子は「粋(いき)」の良さを尊んだ。船着き場で人が
    来たら「こぶし腰浮かせ」で席を詰め、「お暑うございます」
    などと世辞を言う。そんなしぐさがさりげなく出来るのが、粋
    な江戸っ子である。

     粋の反対が「野暮」だ。往来で他人の迷惑を考えずに「とう
    せんぼしぐさ」や「仁王立ち」するのは野暮な人間のすること
    である。

    「粋(いき)」は「息」でもある。二人以上の間では「息が合
    う」のが大切だ。狭い道では互いにすっと「肩引き」してすれ
    違い、軽く「会釈のまなざし」をする。そんな息のあったすれ
    違いは、なんとも粋である。

     さらに「粋」は「生き」「活き」「意気」にも通ずる。「い
    きが良い」というのは、威勢のよい江戸っ子への賛辞だが、不
    機嫌や体調不良などを表に見せて他人を不愉快にするのは「野
    暮」の骨頂。年をとっても「耳順(60代)のしぐさ」と言っ
    て「己は気息奄々(きそくえんえん)、息絶え絶えのありさま
    でも他人を勇気づけよ」「若衆(若者)を笑わせるよう心掛け
    よ」と、やせ我慢でも元気はつらつ、かつユーモアを忘れずに
    生き生きと振る舞うのが、意気のいい江戸っ子ぶりであった。

     こうして日常生活のマナーが、美的な感性にまで高められた
    のが「粋な」江戸しぐさであった。
    
■7.自治と自由の場■

     自治都市として、町民たちが寄り合い、何が問題か、どうす
    れば良いかを議論する場が「講」であった。今で言う町内会の
    ようなものだろう。また、この場で、手とり、足取り、口移し
    で江戸しぐさを教えた。「講」は江戸を支える話し合いの場で
    あり、教育の場であった。

     講ではメンバーが円をなして座る。これが「講座」である。
    その際に尻に敷くのが「座布団」。そこで「講師」が「講義」
    をする。そのための建物が「講堂」であった。

     講は原則として、月に2回開かれた。その日は商売はお休み
    である。準備は明け六つ(午前6時)から、茶碗を熱湯で四半
    刻(約30分)ほど、煮沸消毒する事から始まる。風邪などが
    流行らないようにするための用心である。子ども達は、そこで
    茶碗の洗い方、畳の掃き方、廊下の雑巾がけなどを、見よう見
    まねで習い覚える。

     講では、武士の悪口であろうと、役人の批判であろうと、何
    でも自由に言えた。それが江戸っ子の批判精神を育てた。

     また、男は先に着いても、玄関で履き物を脱ぐときに、1、
    2列分開けた。後からくる女性のためである。男は足を広げて
    跨げるが、女性はそれができないからだ。江戸時代の初期は男
    の出稼ぎが多く、女性が少なかったので、大切にされた。

■8.「世辞が言えたら一人前」■

     子どもたちの教育は主として寺子屋で行われた。親は商売人
    のため、子供を教える時間がない。そこでお金を出し合って、
    寺子屋の師匠に子供たちを預けた。お金の不自由な家の子は、
    師匠が面倒を見た。子供のない人も、子供が立派に育つことは
    江戸のためになることと、いくばくかのお金を出したという。

     必要最低限の読み、書き、算盤をマスターした後、子供たち
    は、9歳までには「さようでございます」「お暑うございます」
    などの大人言葉を学ぶのが必須だった。「世辞が言えたら一人
    前」とされた。

     入門してきた子供たちに、師匠はこんなふうに語ったという。

         私たちが生まれ、育ち、住まわせて貰っているこの大江
        戸は、日本一、世界一の町です。何が一番かというと、しっ
        かりした「講」があるということです。

         講は、人と人とが手を取り合って、住み良い暮らしを考
        えるおおもとです。講がしっかりしていれば、人間は安心
        して住むことができます。

         また、講はおつき合いの場です。人間がおつき合いして
        いる世の中を「世間」といいます。だから、講は世間とい
        うことができるでしょう。

         皆さんもこの寺子屋で、人と人とがしっかりと手を取り
        合ったおつき合いができる人間となるよう勉強してくださ
        い。そして、日本一のお江戸で、人の心がわかる商人を目
        指してください。

     講や寺子屋、広くは江戸全体で目指していたのは、金儲けや
    立身出世ではなく、「人の心がわかる」人間であり、そのよう
    な人々が「しっかりと手を取り合ったおつき合い」をしている
    「世間」だった。そうした社会なればこそ、「花のお江戸」と
    いうほどに経済も繁盛したのだろう。江戸しぐさは、繁盛しぐ
    さとして、全国の商人に広がっていった。
    
■9.「なぜ僕らにこの美しいしぐさを教えなかったのですか」■

     埼玉県の教育委員会で江戸しぐさのビデオを作成したことが
    あった。それを観た中学2年生の男子生徒が感想文に「なぜ大
    人たちは僕らにこの美しいしぐさを教えなかったのですか」と
    書いた、という。

     東京都台東区の忍岡中学校では、平成16年から道徳の時間
    に「傘かしげ」や「肩引き」を取り入れた寸劇を先生たちが披
    露するなど、江戸しぐさを教えてきた。その劇は生徒たちの喝
    采を浴びているそうだ。

     同校では「あいさつ運動」も実施している。上級生から下級
    生に「おはよう」と積極的に声をかけると、下級生も真似して
    挨拶するようになる。「挨拶するとやっぱ気持ちがいい!」
    地域の住民からも「道を広がって歩く子が減った」「挨拶する
    子が増えた」という声が聞こえるようになった。

     江戸しぐさは企業の社員研修でも取り入れられている。ディ
    ズニーランドでは、社内に「江戸しぐさ研究会」を設置して、
    数百人がセミナーを受講した。「こんなすばらしいものが日本
    にあったなんて知らなかった」「これさえきちんと身につけて
    いれば、自分に自信がもてる」「ここに来られたお客様に、私
    たちのしていることをお持ち帰りいただければ最高」などとい
    う感想が寄せられている。

     美しい国への道は、ご先祖様がすでに示されているのである。
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(030) 江戸日本はボランティア教育大国
    ボランティアのお師匠さんたちの貢献で、世界でも群を抜く
   教育水準を実現した。 

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
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1. 越川禮子、林田明大『「江戸しぐさ」完全理解
   ―「思いやり」に、こんにちは』★★★、三五館、H18

2. 越川禮子『江戸の繁盛しぐさ』★★★、日本経済新聞社、H18


     

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