[トップページ][311 皇室の祈り(平成)]

■■■■■■■■■ JOG Wing ■ 国際派日本人の情報ファイル■

            一人ひとりの国民を記憶される両陛下

                                                   伊勢雅臣
■転送歓迎■ No.1458 ■ H20.06.30 ■ 9,614 部 ■■■■■■■

     天皇皇后両陛下は毎日のように多くの国民や外国からの賓客
    とお会いになるが、どのような御姿勢で人びととお会いになっ
    ているか、を窺わせるエピソードがある。

     平成9(1997)年、ブラジルをご訪問されたときの事である。
    当時の式部官長・渡辺充氏とご旅行の打ち合わせをされていた
    時、陛下は約20年前の昭和53(1978)年にブラジルをご訪問
    された時のことについてこう言われた。

         サンパウロの郊外にある日系の農家を訪ねることになっ
        ていたが、日程の都合で行かれなくなって非常に気の毒な
        ことをした。その人はまだ存命だろうか。

         確かその人はタナベさんという名前で、鶏を飼っている
        人だった。

     渡辺氏が驚いて、一所懸命に当時の記録を探してみたが、ご
    訪問されなかった所の記録まではなかなか出てこない。結局、
    サンパウロの総領事館でいろいろ調べて貰った結果、確かにタ
    ナベさんという養鶏家を訪ねられることになっていたことが分
    かった。残念ながら、タナベ夫妻はもう亡くなっていたが、そ
    のお子さんがおられるということで、両陛下はサンパウロでお
    会いになった。

     皇后陛下についても、次のようなエピソードがある。平成6
    (1994)年に両陛下は硫黄島を訪問されたが、その前に、大阪の
    ある大きな製薬会社の社長が、別件で赤坂御所に招かれて「自
    分の兄は硫黄島で戦死しました」と話していた。

     5年後の平成11(1999)年、オーストリア国大統領主催のレ
    セプションで、両陛下が東京のホテルに行かれた時、その社長
    も招かれていて、皇后陛下に挨拶をしようとした。

     皇后陛下に「私は大阪の、、、」と申し上げたら、皇后陛下
    は顔をじっとご覧になって「あっ、あの硫黄島の」と仰った。
    社長の感激はひとしおのものであった、という。

     一人一人の国民の安寧を気遣われているからこそ、このよう
    な記憶をお持ちなのであろう。

■リンク■
a. JOG(427) 皇室という「お仕事」
   〜 紀宮さまの語る両陛下の歩み 
   「物心ついた頃から、いわゆる両親が共働きの生活の中にあり、、、」

■参考■
1. 渡辺充「陛下のお側にお仕えして」、『祖国と青年』H20.4
    

© 平成18年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.