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■■ Japan On the Globe(579)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

             国柄探訪: 日本文明のエネルギー
    
                    人類史に巨大な足跡を残してきた日本文明
                   の活力、創造力はどこから来たのか?
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■1.世界最古の土器■

     世界最古の土器は、日本で見つかっている。最新の発見では
    1万6500年前のものだという。それに次ぐのが揚子江中流
    域で見つかった約1万4千年前のものである。

     世界の四大文明、すなわちメソポタミア、エジプト、インド、
    シナのいずれの文明においても、土器は捧げ物、食べ物を盛り
    付けるために使われたのだが、日本の土器は煮炊きのために使
    われていた。時期においても、用途においても、日本の土器は
    他文明よりも、はるかに進んでいたようだ。

     20世紀最大の先史学者と呼ばれるゴードン・チャイルドは、
    土器の発明を「化学的変化を応用した人類最初の大事件」と見
    なしている。粘土を焼いて、水に溶けない土器になるという化
    学的変化を「人類最初の大事件」としたのだが、土器を煮炊き
    に用いる、とは、その特性を最大限に活用した工夫であった。

     さらに粘土は可塑性を持ち、それを焼くことで、自由な造形
    や模様づけが可能である。撚糸(よりいと)を土器表面に回転
    させて縄目模様をつけた縄文土器、燃え上がる炎の形状を模し
    た火炎土器など、芸術性の豊かな土器を、われわれの先祖は生
    み出した。

     後のモノづくり大国・日本の遺伝子は、はるか先史時代から
    発揮されていたようだ。

■2.世界最古の漆器■

     漆(うるし)の技術も先史時代から、日本で花開いていた。
    従来は、揚子江流域の河姆渡(かぼと)遺跡で発見された7千
    年前の漆工品が最古のものとされていたが、北海道の垣ノ島B
    遺跡から出土した赤色漆が9千年前の物だと判明した。

     上述の土器でも出てきたが、長江(揚子江)文明は漢民族の
    黄河文明よりも早く開けたもので、その末裔は現在の中国南方
    の少数民族であり、さらにその一部は台湾から日本に渡ってき
    たという説がある。いずれにしても黄河文明とは関係がなさそ
    うだ。[a]

     約5500年前から1500年間、縄文時代前期から中葉にかけて栄
    えた青森県の巨大集落跡、三内丸山遺跡では、直径が30セン
    チほどもある見事な漆塗りの皿も出土して、専門家を驚かせた。
    現代にひけをとらない漆の技術がすでに存在していたのだ。[b]

     江戸時代には、オランダが長崎で大量の漆器や磁器を買い付
    け、ヨーロッパに持ち込むようになった。18世紀のヨーロッ
    パでは、日本の漆器が一大ブームとなり、漆器が「ジャパン」
    と呼ばれるようになった。日本の漆器は値段が高いために、ヨ
    ーロッパで模造品が作られたが、その質においては本物に到底
    及ばなかった。[c]

■3.「高天原にとどくほど」■
    
     我々の先祖は、土器や漆器というような工芸品ばかりでなく、
    巨大な建造物についても、世界史に大きな足跡を残している。

     前述の三内丸山遺跡では、約100棟もの堀立柱建物が整然
    と配置されているが、それらは直径2メートル、深さ2メート
    ルの巨大な柱穴に、クリの巨木を立てたもので、柱の高さは
    10メートル以上と推定されている。最大の建物は長さが32
    メートル、床面積が100坪もある。[b]

     縄文時代の日本人は毛皮を着て洞穴に住み、狩りをして生活
    していたというイメージは、すでに過去のものとなっている。

     その巨大建造技術がさらに蓄積されて作られたのが、出雲大
    社であろう。現在の出雲大社本殿は高さ24メートルで、延享
    元(1744)年に造営されたものだが、平安時代に建てられた本殿
    は高さ約48メートルであり、さらにそれ以前は約96メート
    ルもあった、と宮司である千家(せんげ)家に代々伝わる『金
    輪造営図』に記されている。

     96メートルというのは事実かどうか分からないが、48メ
    ートルの方は物証がある。出雲大社の境内3カ所から巨大な柱
    が発見されているのである。それぞれの柱は、直径1.35メ
    ートルの杉材3本を金輪で締めて一組にしたもので、さしわた
    し約3メートルもあった。

     これらの柱は、『金輪造営図』で記されている図とよく一致
    しており、また科学分析の結果、宝治(1248)年に造営された本
    殿跡の可能性が高いとされている。

     神話によれば、大国主神(おおくにぬしのかみ)が天津神
    (あまつかみ)に国譲りをした時に、天津神が大国主神の住居
    を造り、「高天原にとどくほど千木(ちぎ、屋根の上で交叉さ
    せた2本の木)を高く聳(そび)えさせる」と約束したという。
    大国主神を祀る出雲族との平和的統一を実現しようという狙い
    があったのだろう。

     大国主神を祀ることを命ぜられたのが、天照大神の第二子
    ・天穂日命(あめのほひのみこと)だが、現宮司の千家尊祐氏
    はその84代の子孫にあたる。ちなみに第一子の天忍穂耳尊
    (あめのおしほみみのみこと)の子孫が現在の皇室である。
    
■4.世界最大の陵墓■

     木造建築技術とともに、日本全国に数万基あるといわれる古
    墳は、古代の土木建築技術の蓄積を物語っている。その最大の
    ものが、大阪府堺市にある仁徳天皇陵である。

     全長が486メートル、高さ34メートル、取り囲む二重の
    濠を含めた総面積は34万5480平米である。秦の始皇帝陵
    墓の底面積11万5600平米の3倍、エジプト最大のクフ王
    の大ピラミッドの底面積5万2900平米の6倍以上である。

     大林組の試算によれば、土を盛り上げるために10トンのダ
    ンプカーで25万台分の土が運ばれたという。1日3千人ほど
    の労働力で15年8か月もかかったであろうと推定されている。

     この古墳の埋葬者とされる仁徳天皇は第16代天皇で、記紀
    によれば西暦400年前後に崩御された。その記述では、仁徳
    天皇は次のように語られたという。

         そもそも天が君(天皇)を立てるのは、まったく百姓の
        ためなのである。従って君は百姓をもって本とする。それ
        だから、昔の聖王は、一人でも飢えこごえる者があれば、
        反省して自らの身を攻めたのである。[1,p33]

     人家のかまどから炊煙が立ち上っていないことに気づいて租
    税を免除し、その間は倹約のために宮殿の屋根の茅さえ葺き替
    えなかった、という有名な逸話も伝わっている。

     さらに日本書紀によれば、天皇は河内平野の水害を防ぎ、開
    発を行うため、難波の堀江の開削と茨田堤(大阪府寝屋川市付
    近)の築造を行った。これが日本最初の大規模土木事業だった
    とされる。その他にもいくつかの土木事業を行われた。 [2]

     こうした仁徳天皇の善政は、当時の国民の心を掴んだ。天皇
    の宮室造営の命が下った時に、こう書かれている。

         百姓は、みずから進んで、老人を扶(たす)け、幼児を
        携えて、材料を運び、簣(き、もっこ)を背負って、昼夜
        を問わずに、力を尽くして競いつくった。[1,p36]

     全国に数万もあるという古墳は、それ自体が日本民族の先祖
    崇拝の証であろう。そして皇室こそ、民族の宗家であった。天
    皇陵とされる古墳だけでも80近くあるという。古代の国民は、
    肉親の情を持って、歴代天皇をお祀りするために、古墳を作り
    続けてきたのであろう。

     秦の始皇帝は中国を統一して初めての皇帝となったのだが、
    巨大陵墓などの大土木工事によって民衆の反乱を招き、わずか
    一代で滅んでしまったのとは、まことに対照的である。

■5.美しき最古の木造建築、法隆寺五重塔■

     再び、木像建築の分野に戻るが、現存する木造建築として世
    界最古のものが法隆寺である。その五重塔は高さ32メートル
    余、総重量は1200トン。心柱は直径2.5メートルで、樹
    齢2千年以上の檜(ひのき)材を用いている。

     通説によれば、推古天皇9(601)年、聖徳太子が法隆寺を建
    立された。『日本書紀』には670年に焼失したという記事があ
    ることから、その後に再建されたという説もあるが、五重塔の
    心柱は年輪年代測定によって591年のものと判明している。い
    ずれにせよ、これだけの建物が600年頃に建てられたという事
    実は動かない。

     その後、1400年間、記録に残っているだけでも40回以
    上の地震が畿内にあったが、倒壊せずに残っている。マグニチュ
    ード7.2の直下型地震に襲われても、塔は蛇のような動きを
    して衝撃を分散して、倒壊しないという、高度に合理的な構造
    設計がなされている。[d]

     また、法隆寺のデザインの秀逸さについて、国際美術史学会
    副会長の田中英道・東北大学名誉教授は、こう評価している。

         右手に雄大な金堂を配し、左手に高秀な塔を置き、さら
        にそれを取り囲む回廊が、見事な統一性をつくり出してい
        る。左右に並ぶ独特な配置による、金堂、五重塔の黄金分
        割による比例美は、中国・朝鮮にも存在しない。[1,p49]

     この寺院の中で、1400年後の現在も修行僧たちが勉学を続け、
    四季折々の行事を続けている事も、その美しさに花を添えてい
    る。
        
■6.ブロンズ像の傑作、奈良の大仏■

     世界最古の木造建築・法隆寺と比肩するのは、現存する中で
    世界最大級の木造建築である東大寺大仏殿である。正面の幅
    58メートル、奥行き51メートル、高さ実に57メートルに
    達する。

     この中に鎮座まします奈良の大仏は、これまた世界最大のブ
    ロンズ像とされている。創建は天平勝宝4(752)年。当時の大
    きさは高さ16メートル、重量250トンと計算されている。

     大仏は二度の大火に遭い、創建当時の姿は唯一焼け残った大
    仏蓮弁の線刻から窺い知ることができるとされているが、それ
    を見ると、現在の大仏と同様に、顔、首、肩にかけての豊かな
    肉付き、前方に掌を向けた右手の一本一本の指の関節にいたる
    までの自然な動き、ゆるやかな衣服のひだ、などがリアルに表
    現されている。

     大仏建立の中心となった仏師は、国中連公麻呂(くになかの
    むらじきみまろ)であり、前述の田中英道教授は公麻呂をミケ
    ランジェロ、古代ギリシャのパルテノン神殿の建築と彫刻を残
    したフェイディアスとともに、世界三大巨匠としている。単に
    最大のブロンズ像というだけでなく、芸術的にも人類史に残る
    ものである。[e]
    
     大仏建立を発願された聖武天皇は、次のような詔を出してい
    る。

        ・・・三宝(仏法僧)の威光と霊力に頼って、天地共に安
        泰になり、よろずの代までの幸せを願う事業を行って、生
        きとし生けるものがことごとく栄えることを望むものであ
        る。・・・ただ徒に人々を苦労させることがあっては、こ
        の仕事の神聖な意義を感じることができなくなり、あるい
        はそしり(悪くいうこと)を生じて、かえって罪に陥るこ
        とを恐れる。・・・国・郡の役人はこの造仏のために、人
        民の暮らしを侵し、乱したり、無理に物資を取りたてたり
        することがあってはならぬ。[1,p75]

     大仏は国民の安寧を願う聖武天皇の大御心の産物なのである。

■7.現存する世界最古の博物館■

     天平勝宝8(756)年、聖武天皇が崩御されたのだが、光明皇
    后の嘆きは深く、天皇の遺品を東大寺に献ぜられた。その品々
    は約1万点にも及び、それぞれに由緒、来歴、造作、形式など
    を正確に記載した『国家珍宝帳』が作成された。

     その内容は仏具、武具、文房具、楽器、遊戯具、調度、食器
    類、装束、文書類など、美術品のみならず文化人類学や民俗学
    的資料に及んでいる。また唐代の遺品も数多くふくまれ、さら
    に遠く中近東・ギリシャ・ローマにつながるものも少なくない。

     このようなコレクションは世界でもほとんど例がないために、
    正倉院の宝物は、世界中の人々から驚異の眼差しで称賛され、
    人類の宝とまで呼ばれている。

     宝物の保存状態も、時代の最先端をいっていた。まず建物が
    檜材を井桁状に積み重ねた「校倉(あぜくら)造り」で、空気
    の吸入、排出の作用があり、湿度が調整される。檜材の放つ芳
    香が、室内の空気を清浄にし、殺菌の効果を持っている。さら
    に宝物は杉の唐櫃(からびつ)に入っており、湿度は70パー
    セントに保たれ、空気に触れることも少なかった。日本の古代
    からの木造建築の技術が活用されたのであろう。

     貴重な文化財を国家が管理・保存し、展示するという「博物
    館」の概念は、16世紀フィレンツェのウッフィチ美術館、
    18世紀中葉の大英博物館、同世紀末のルーブル美術館などを
    通じて確立されたものだが、この意味で正倉院は現存する世界
    最古の博物館と言って良い。

■8.日本文明のエネルギーの源泉■

     以上の日本文明の足跡を見れば、世界最古とか世界一がかく
    も多いことに驚かされる。これ以外にも、[1]には我が国が世
    界一を誇る文物が多数、紹介されている。国土としては小さな
    国なのに、このような文明の活力、創造力はどこから湧いてき
    たのだろう。

     本稿で紹介した項目を通して見ると、以下の2点が言えるよ
    うに思う。

    ・我が国は古代から豊かな自然環境の中で、国内が早くから皇
      室を中心に平和にまとまり、そこで蓄積された富と技術を用
      いて先進的な文明を育んできた。その中には、皇室自身が主
      導的な役割を果たしたものも多い。

    ・皇室がひたすらに国民の安寧を祈り、それを受けて国民の間
      にも国家公共のために尽くそうという公共心が充溢していた。
      それが、利己的な国民には及びもつかないような文明の産物
      を生み出した。

     こう考えれば、「万世一系」の皇室こそが日本文明のエネル
    ギーを生み出した源泉である、と言えるのではないか。
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(304) 日本のルーツ? 長江文明
    漢民族の黄河文明より千年以上も前に栄えていた長江文明こ
   そ、日本人のルーツかも知れない。
b. JOG(134) 共生と循環の縄文文化
    約5500年前から1500年間栄えた青森県の巨大集落跡、三内丸
   山遺跡の発掘は、原日本人のイメージに衝撃を与えた
c. JOG(307) 伝統技術が未来を開く 
    数千年に渡って蓄えられてきた日本の伝統技術が、最先端の
   現代技術に生かされ、明日を開きつつある。
d. JOG(041) 地球を救う自然観
    日本古来からの自然観をベースとし、自然との共生を実現す
   る新しい科学技術を世界に積極的に提案し、提供していくこと
   が、日本のこれからの世界史的使命であるかもしれない。
e. JOG(272) 天平のミケランジェロ 〜 「国民の芸術」を読む
    東大寺大仏などの傑作を続々と生みだした国中連公麻呂は、
   世界三大巨匠の一人。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
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1. 田中英道編『日本史の中の世界一』★★★、育鵬社、H21.1
2. ウィキペディア(Wikipedia)「仁徳天皇」H20.12.18

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