Re: ◆ 雑談(その1) ( No.21 )
日時: 2019/09/20 01:38
名前: ikuto

REDCHHEKSさん

パティオへのお誘い、ありがとうございます。
インターネットの世界に足を踏み入れたちょうどその頃に、REDCHHEKSさんの作品に出会いました。「国営娼館」や「ポーの水車小屋」などの作品に妄想を膨らませておりました。
はい。当時は、かなり“お世話”になりました。(笑)


さて、先にお詫びをしておかないといけません。
「お尻叩き」によってもたらされる羞恥について、私は、否定的な意見を持っているからです。
これ以降の内容について、REDCHHEKSさんは、笑って受け入れていただけるかと勝手ながら思っています。
ですが、人によっては、特にイラストなり文章なりの創作を行っている方の中には、創り出しもしないで偉そうに否定にかかる私の言葉に、大層立腹される方もいらっしゃるだろう……そう感じたので、「カドが立ちそう」と表現しました。
期待をさせてしまい、申し訳ありません。

そして、謝罪しておきながらも、持論を述べさせていただきます。ご容赦ください。


「羞恥」は、「蔑み」と隣り合わせにある、と私は考えています。蔑み、侮蔑することは、その対象の人格・尊厳を踏みにじる行為です。私はそれを嫌います。
最近は、質の高いスパンキング作品(イラストなり小説なり)が一昔前よりも多く出回るようになりましたが、もしその作品の中に「罰を受けている者を嘲笑するような描写」があれば、すぐに萎えてしまいます。ましてや、写メにとってネットに拡散――なんて描写などは、「虫酸が走る」という表現がふさわしいです。それぐらい嫌っています。もちろん、レイプモノなんかは最低の部類です。スパンキングが台無しです。……それでも、海外に出回っている1〜2分程度のトレーラーくらいなら、つい一度は観てしまうのが悲しいサガなのですが。

閑話休題。
確かに、「お仕置き」、ディシプリンに「羞恥」の一面があることを認めます。「見せしめ」として衆人環視の中での「お尻ぺんぺん」は大層効果があることでしょう。
ただし、この「見せしめ」というところが重要です。なぜなら、見る者には「明日は我が身」という「恐れ」の感情が入ってくるからです。恐れの感情は、叩かれている者への「同情」を誘います。同情は、一種の共感とも言えます。
お気づきかと思います。共感が生まれると、相手を「同等の人格とみなす」ようになります。もちろん、「同情は、相手を一つ下に見下ろす感情だ」という考えもあります。それでも、蔑みや侮蔑のように、能動的に尊厳を傷つける感情とは、私は考えていません。

重ねて述べますが、「明日は我が身」という「恐れ」、そこから派生するであろう同情は、傍観者を被罰者に向けて結びつけようとする、言い換えれば、連帯しようとする思考、いえ「志向」につながっていると考えられないでしょうか。

もう一つ、環視する人々の中には、「大人」もいることでしょう。彼女等あるいは彼等は、「昔は知り合い(もしくは自分)も、こんな風にお仕置きされていたっけ」と過去を振り返りながら、「頑張って罰を受け切るんだぞ」とエールでも送るかのように、生温かい眼差しを哀れな受刑者に向けていることでしょう。

おそらく、私の言いたいことをご理解いただけたかと思います。
「羞恥罰」は、ある種の「温かさ」とセットになっていないと、「美味しくいただけない」。というのが、私の嗜好なのです。

夜な夜な妄想をしていますが(マテ)、「衆人環視のお仕置き」を妄想したことが一度もないなぁ、ということに今更ながら気づきました。


言葉足らずなところがあるのですが、かなり遅くなっていますので、今回はこの辺でいったん締めにさせて頂きます。


ご期待された内容から、相当外れてしまったかと思います。重ねてお詫び申し上げます。

状況次第じゃないですかね ( No.22 )
日時: 2019/09/20 10:39
名前: REDCHEEKS

ikutoさん

例えばSMプレイで、豚だの犬だのと罵られて喜ぶ男がいますよね。
ボクはそういうのはダメで、あくまでも "人間として" "悪い子" としてオシオキされたいです。
その辺、ちゃんと打ち合わせして、尻叩いてもらったことあります。
最後に「お尻真っ赤、恥ずかしいね」と言われたけど、別に平気でしたね。

1.羞恥が蔑みにつながるか
2.蔑みは冷たいか

というと、一概には言えませんね。

まず、1.羞恥が蔑みにつながるか、についてですが、例えば厳しい先生や鬼コーチがいる場合、人のことを蔑んでいるヒマはありません。
明日は我が身ですからね、むしろ叱られ恥をかくというのは、神聖な儀式と化すんじゃないですか?
まあそれが逆に問題と言えば問題なんですが...

次に、2.蔑みは冷たいか、についてですが、例えば1人だけ出来の悪い兄弟がいて、親に尻叩かれている。
それを他の兄弟が笑って見ているというスパ絵があったとして、それは冷たいか?

これに関しては、戸塚宏が桜チャンネルで「いじめは子供を成長させるための本能である」と発言していたのを思い出します。
木に登れない子が1人いて、それを周りが「やーいやーい」と馬鹿にすることで、何クソと頑張って登れるようになるわけです。
もちろんイジメにもいろいろありますから、それでもってイジメを正当化する事にはならないし、その辺は桜チャンネルの他の出演者も指摘していましたが...

私は上記スパ絵は、むしろほほえましく感じますね。

要は、人間の尊厳をどう捉えるかでしょうね、一切の体罰を否定する考えもあれば、それなりに悪い事したときはお尻叩き程度なら良いんじゃないのという考えもあります。

P.S.
ikutoさんは、羞恥系は苦手のようですが、逆に「国営娼館」や「ポーの水車小屋」あるいは「貞操帯ディシプリン1号」はOKなんでしょうか?
「かなり“お世話”になりました。」って事は、これで何度もオナ放いたって事でしょうか?
ikutoさんとは違って、羞恥系はOKだけど、逆にこういった射精スパは許せないという人もいるようで、人それぞれですね。