6月17日(日)アーサー・ビナード氏の講演(立命館大学)を聴いて
 2007.6.2  現地実行委員会 加藤(奈良)  6月17日(日)、立命館大学文学部創立80周年記念シンポジウムが開かれ、アーサー・ビナード氏が 記念講演に来られるということで、他の実行委員の先生方と一緒に、大会の講演の打ち合わせも兼ねて、 出席しました。  ビナード氏については、朝日新聞上での鶴見俊輔氏との対談、高校生への詩の和訳の授業、「小説現代」 誌上での井上ひさし氏との対談の記事を読んでいたぐらいでしたが、詩人であり、アメリカ人なので、英語と 日本語の違い、言葉の大切さなどが学べるのではないかと思い、大変楽しみにしておりました。 講演を聴き、私は自分の願いが叶い、深い感銘を受けました。この人の話は多くの人に聴いて欲しいと いう気持ちになりました。  第一は、氏の日本語の豊かさです。講演を聴きながら、自分には使えないかもしれないと思う語を ノートしていたのですが、ポンポン出てくるので驚嘆したのです。例えば、「わたり歩く」、 「かなぐり捨てる」、「思考が染まる」、「たゆたう小船」、等々です。23歳で来日されてから、 17年になられるそうですが、みごとの日本語だと思いました。  第二は、日本語と英語の言葉の特徴を学べたことです。日本人は「寒い」と「冷たい」を使い分けている、 英語にはcoldしかない、「寒い」は前進で感じる場合に使い、「冷たい」は身体の一部で感じるときに使う。 なるほどと感心しました。東京の薬研坂(やげんざか)の英訳をしようとすると、坂がU字形に なっているために、坂はslopesと複数形で表現せざるを得ない、という話も興味深いものでした。 単数・複数を明確にしようとする文化とその点にはそれほどにいつもはこだわらない日本文化との 違いがよく分かりました。  第三点は、ユーモアの感覚です。これは、自分の耳で確かめてください。 最後は、政治を見る目の確かさです。言葉と現実のズレの面白さに触れ、 日本のラムネニハレモネードの代りに 苺味のするようなものもあるが、ビンの窪みとビー玉の形でラムネという呼称で売られている。それはまるで、 ミサイルは攻撃するものなのに、「ミサイル防衛構想」などという名称でごまかして予算を通そうと するようなこととよく似ている、という話もありました。  講演後、すっかりビナードファンになった私は、図書館で『日本語ぽこりぽこり』(小学館) という氏のエッセイ集を見つけました。そして、「蝉たちの沈黙」という、芭蕉の 「閑さや 岩にしみいる 蝉の声」の英訳の話にまたまた感銘を受けてしまったのです。 氏の話にどんどん触れていくと、言葉の奥深さとその大切さ、英語と文化の違いはもちろん、 言葉の本質を「コミュニケーション能力の育成」のみに矮小化することの危うさ、今日の政治の危うさ、 が見えてきます。 私は、大会当日の講演「夏の線引き」をとても楽しみにしておりますが、 ぜひ多くの先生方に氏の講演を聴いていただきたいものとおもっています。