秋野学園物語 ファーストインパクト
「ねぇ、この人のスリーサイズって何で書いてないんだろー?」
わたしの最初の一言はそれだった。
入学式が終わり、生徒会のお姉さま達の紹介も終わって、教室に戻ってき
て、先ほどもらったお姉さま達の紹介のチラシを見て後ろの席の人に聞いて
みたのだ。
「あ、ほんとだー」
彼女もそう言った。まだ名前も知らない人だったけど。
「どうしてなんだろうね?」
「う〜ん、書いてある方が変って感じがするけど、みんな書いてあるのに、
この人だけ書いてないのは気になるわね…」
「でしょ? 何か書けない理由でもあるのかしら?」
スタイルとか気にしてるのかな?
よく見ると、この「風姉妹」のところだけ、他の姉妹と比べて枠が小さい。
これがさらにわたしの気をひいた。
そのとき話した彼女、久喜綾とわたし、岸美空はこれがきっかけで仲良く
なった。
二人でああでもないこうでもないと話しているうちに、この紹介を書いた
ところに聞いてみようということになった。
それを書いたのは、新聞部だった。わたしと綾さん(この学校では、苗字
ではなく名前の方で呼ぶのが慣例らしく、わたしたちもそれに従った)は、
早速新聞部に向かった。
新聞部の部室はガランとして静かで、部屋の一番奥に一人座って新聞(普
通の新聞)を広げて読んでいる以外は誰もいなかった。机の上には「部長:
島田早月」と書かれた紙が置いてある。
わたしたちが入ってきたのに気づかないようで黙々と新聞を読んでいる。
綾さんが「ほらっ」と言って、わたしの腕をつついた。わたしは綾さんに
押されるようにしてその机の前まで行った。
「あの…」
わたしがそういうと、彼女は気づいた様子で、新聞から顔を出した。
「なあに? いまはみんな出払ってるわよ。 あ、入部希望者?」
そういうと新聞をしまった。
「いえ、違います。これのことについて聞きたいんですけど…」
わたしは、新聞部の部長…島田早月(しまださつき)さんに生徒会紹介の
チラシを渡した。
「ああ、これね」と言って、早月さんはしばらくそれを眺めた。
「で…これの何が聞きたいの?」
「『風姉妹』の所です…」
「ふーん… あ、座ったら?」
わたしたちは、言われるままその辺の椅子を机の前まで引き寄せて座った。
「『風姉妹』の何を聞きたいの?」
「あの…なんでここの所だけ、枠が小さいのかとか…」
緊張してあとになるほど、声が小さくなってしまっていった…。
「そのことか…『風姉妹』はね…ちょっと書けないことがあるのよ。だから、
仕方なく枠を小さくするしかなかったの」
「新聞部って、結構スクープとかを追ってるって聞いたんですけど…そうい
うのは書かないんですか?」
そういったのは綾さんだった。
「スクープ? いつもの新聞には書くけど、これはそういうのじゃないから。
でも、いろいろ秘密は握ってるわよ」
「それは、どんな秘密ですか?」
綾さんが少し熱くなって訊いた。
「たとえばね…、この妹の方の静風のぞみさん、実はこの学園の生徒じゃな
いのよ」
「えっ?そうなんですか?」
わたしは驚いた。生徒会にの役員なのに、この学園の生徒ではない。そん
なことがあって良いのだろうか?あれ?でも…
そんなわたしの顔色を見たのか、早月さんは言った。
「入学式の時の生徒会紹介の時には居たわよ。生徒会のイベントの時には一
日居るみたい。普段は自分の学校が終わってからこっちに来て、少し居てか
ら姉妹で一緒に帰ってるそうよ」
「仲がいいんですね」
「そう、あのふたりは仲がいいのよ。たぶん、この学園で一番。だからこそ、
華の館に居られるのよ」
早月さんはここで一呼吸おいた。
「でも、この話は、一部の一般生徒でも知ってる。これよりもっとすごい秘
密があるんだけど、これは公開できないわね。これを公開するとあのふたり
は、この学園に居られなくなるから。私はあのふたりが好きだから、陥れる
ようなことはしたくないの」
「ありがとうございました」
わたしたちは新聞部の部室から退出した。
綾さんのこういうところ、初めて見た。そのことを口にすると。
「ああ、わたし、中学のとき、新聞部だったから」
なるほど。こういうことには慣れてるんだ。
新聞部を出たあと、今度は華の館に行こうと言うことになった。言い出し
たのはもちろん綾さん。どうやらエンジンが掛かってしまったようだった。
学園の外れに庭園がある。庭園といっても、花壇だけではなくて、ちょっ
とした林になっているところもある。その奥に華の館はあった。
「ここが華の館か」
「入ってみようか」
そう言ってみたものの…何故か躊躇して入り口のドアに触れられない。こ
こが特別な場所に思えたから。
そんな感じでいると「何をしているの?」と不意に後ろから声を掛けられ
た。振り返ってみると。そこには生徒会紹介の時と、そのチラシで見ていた
風様こと秋野舞子さまが立っていた。
「何か御用?」
「あの…風様ですよね?」
綾さんが毅然として訊いた。さすがだ。わたしはあたふたしてしまってい
たけど。
「静風のぞみさまにお会いしたいのですけど」
「のぞみに? まだ来てないと思うのだけど…。 ちょっと待ってね」
舞子さまは華の館に入っていったが、しばらくして戻ってきた。
「のぞみは今いないけど、来ると思うから…中で待ってたら?」
「え?いいんですか? じゃ、お言葉に甘えて」
わたしたちは舞子さまに連れられて応接間に案内された。お茶まで出して
もらったりして。舞子さまは何故か妙にニコニコしていた。
舞子さまが部屋を出ていってすぐ綾さんが言った。
「ねぇねぇ、いまの舞子さまの表情、『おばあちゃんみたいな笑顔』じゃな
かった?」
「おばあちゃんみたいな? …そんなこと言うの失礼じゃない?」
「いやいや、そうじゃなくってさ、わたしたちはのぞみさまに会いに来たの」
「うん」
「舞子さまから見れば、妹であるのぞみさまに会いに来た新入生なの。
もしかしたら、あこがれて妹になりにきたと思ってるかもしれない。そう
するとわたしたちは『孫』みたいに見えるのよ」
「なるほど」
でも、それって、姉妹というより親子では?まぁいいか。
しばらくして、外のドアが開く音がして、階段を登る音が聞こえ、再びド
アの開く音…これは二階の音だ。
誰かが来たみたい。少しして、また階段を降りる音が聞こえ…そして応接
室のドアが開いた。
入ってきたその人は舞子さまと同じように髪が長くきれいな人だった。背
は普通かな。
「どうも、おまたせしました〜!」
入ってきて、まず最初に静風のぞみさまはそう言った。
わたしたちは座っていたソファーから立ち上がって挨拶した。
「は、初めまして、わたし、岸美空といいます」
「初めまして、久喜綾といいます」
「初めまして、静風のぞみです。 どうぞ座って」
わたしたちは再びソファーに腰掛けた。
なんだか、商談に来た営業のサラリーマンみたいだと思った。
「えーと、わたしに何の御用?」
「実はですね…」
話のうまい綾さんがうまくまとめて話してくれた。といっても、それほど
ながい話ではなかったけど。のぞみさまはときどき頷きながら聞いていた。
「…で、早い話が、わたしの秘密を知りたいということ?」
「はいそうです」
「わたしが言うと思う?」
「そうですね…でも、ちょっと会ってみたいと思ってました…ね?」
とわたしに振った。わたしは「うん」と答えた。
それを聞いたのぞみさまはなんとなく微笑んだようにみえた。
「そうか〜
わたしを見てどう思った?」
「意外に普通かな…と」
「普通?」
「もっと秘密じみてるのかと」
(笑)
「で、そちらの彼女…えーと、なんだっけ、岸さんだっけ、あなたはどう思
ったの?」
「えっ、そうですね…まだ会ったばかりなので、良く分からないのですけど、
初めて見たとき、なんというか、ふわっとした感じに見えました」
「ふわっと?」
「はい」
「あ、わたしもそんなふうに思ったかな… あと、それとはちょっと違うか
もしれないけど、楽しんでるなって感じも」
「ふーん、なるほどねえ」
まるで他人事のように言った。
「たぶん、お姉さまの影響だと思う。わたしはお姉さまの望むようになった
つもりだから」
「のぞみさまは、お姉さまが好きなんですね」
「えへへっ」
今のこの人があるのは、たぶん、お姉さまの舞子さまのおかげだろう。お
姉さまに出会ったことでこの人の人生は変わった。わたしはそんなお姉さま
に出会えることが出来るだろうか?…漠然とそう思った。
「舞子さまとはどのようにして出会ったのですか?」
ふとそんなことを聞いてみたくなった。のぞみさまは一瞬黙る。でもすぐ
「そうねぇ…」といいつつ話してくれた。
「それも秘密事項のひとつなんだけどね。うちの学校で…あ、わたしがこの
学校の生徒じゃないことは知ってるよね…そこでやってたイベントに舞子さ
まが来て、そこで偶然に会って見初められた。そんなところかな」
コンコン
ノックの音がした。「はい」といってのぞみさまは席を立ってドアの所に
行き、ドアを少し開けた。そこにいたのは舞子さま。
「のぞみ…そろそろ」
「あ、もうそんな時間ですか…わかりました」
「というわけで、ごめんね」
「いえ、お会いできて良かったです」
「ありがとうございました」
のぞみさまは華の館の出口まで送ってくれた。わたしたちは再度お礼を言
って、館を出た。
「いいひとだったよね」
そう言ったのと同時に綾さんが「ちょっと」と言って、わたしを館の入り
口からは見えない茂みの中に引っ張っていった。
「どうしたの?」
「もうちょっと、つき合ってくれる?」
「え?なに?」
「のぞみさまの秘密を知りたいのよ…お願い」
綾さんは手を合わせてまるで拝むように言った。
「う、うん、わかった…」
あまりの頼み込みように思わず頷いてしまった。でも、人の秘密を探るな
んてことしてもいいのかな…。心の中でそう思ったけど、口には出さなかっ
た。言ったとしても聞かなかっただろうし…。
それにしても、綾さんの好奇心の強さはすごいと思った。秘密と聞いて、
新聞部の魂が目覚めたのだろうか?
日が暮れかけていた。季節は春といっても、朝や夕方はまだまだ寒い。わ
たしたちは、ときどき寒風に震えながらも、舞子さまとのぞみさまを待った。
三十分くらい経って、あたりが薄暗くなりかけたころ、ふたりは一緒に出て
きた。
「ほんとに仲がいいのね〜。いくわよ」
「うん」
わたしたちはふたりから気づかないように後を追っていく。
ふたりは、正門の方に向かっていった。この時間になるとさすがに人通り
は少ない。
門を出たところに、黒塗りの車が止まっていた。ふたりはそれに乗り込む。
「しまった! あれに乗られたら終わりだ!」
そういった綾さん、いきなり走り出す。
「まってー!」
わたしは慌てて追いかけた。門についたときは、車が出ていく所だった。
これじゃ後を追えないよね。これで終わりかな?と思ったら、綾さん、近
くに止まっていたタクシーに声を掛けてる。
「どうしたのお嬢さん?」
「あそこの車を追って欲しいの」
「何かあったの?」
「それは聞かないで…」
目をウルウルさせてる…。演技がうまいなぁ…。
「美空さん、行くよ」
気がついたら、もうタクシーに乗っていた。わたしも慌てて乗る。
「あの車を追いかけていけばいいんだね?」
そういうと運転手は車を発車させた。
「ねぇ、タクシーなんて使って大丈夫なの?」
「大丈夫、つき合わせちゃってゴメンね。お金はわたしが払うから」
車はとなり町の高台の方に向かっていく、ここは確か高級住宅地が多いと
ころだ。舞子さまの家に行くのだろうか?
車の中、わたしたちはそれ以降無言だった。運転手も何も言わない。ずっ
と沈黙が続いた。
ふたりが乗った車はある豪邸の中に入っていった。綾さんは車を門から離
れたところで停車させる。
「ここで、ちょっと待っててください。 美空さん、行くよ」
わたしたちはタクシーを降りて、門の方に歩いていった。
表札には『秋野』とあった。あれ?舞子さまの苗字って「秋風」じゃなか
ったっけ?
「美空さん、これはちょっとした発見かも」
「え?なにが?」
「ここの表札『秋野』ってあるでしょ。うちの学園の名前と同じよ」
「それってどういうこと?」
「舞子さまは、うちの学園の理事長か何かの娘か孫ってこと」
「えぇー!?もぐっ…」
叫んだところを口を押さえられた。
「大きな声出さないの。でも、これで納得がいったわ。帰りましょ」
わたしたちはその場所を離れ、先ほど待たせておいたタクシーで駅まで戻っ
た。タクシーのお金は綾さんが全部払ってくれた。
「ごめんね。こんな時間までつき合わせちゃって」
「べつにあやまらなくてもいいよ。わたしもちょっと楽しかったし」
それは正直な気持ちだった。何かを追求することの快感をちょっと感じて
いたから。
「そう。それなら良かった。…また明日学校でね」
「うん、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
綾さんとは電車の方向が違うのでここで別れた。家に帰ったらお母さんに
こっぴどく叱られてしまった。
次の日からは普通に過ぎていった。わたしも綾さんものぞみさまのことは、
あれで満足していたので、話題にのぼることはなかった。少なくとも、わた
しはそう考えていた。でも、綾さんは授業が終わったらすぐに居なくなって
いたことが度々あった。もしかしたら、のぞみさまの秘密を探っていたのだ
ろうか?
それから何日か後のこと、その日は図書館で調べ物をしていたのでちょっ
と遅くなってしまっていた。遅い時間だったので小走りに駆けていたら、門
のあたりに来たとき、のぞみさまを見かけた。舞子さまと一緒かと思ったら
今日はひとりだった。それに今日は車はいない。舞子さまと一緒じゃないか
ら?
わたしはちょっと気になった。それで、のぞみさまのあとをついていくこ
とにした。
のぞみさまは駅の方へ向かっていた。この道はいつもわたしが通る道だか
ら、行く方向は同じ。堂々としていればいいのだけど、なんとなくこそこそ
してしまった。
駅についたのぞみさまは当然のように切符を買い、改札を通ってホームへ
降りていく、乗る電車はわたしの帰りの方向と同じだった。ホームについて
少し経った後、電車がやってきた。わたしは見つからないように隣の車両に
乗った。そして見失わないように注意する。
幸いにも人はそれほど多くなく、見失わずに済んだ。逆に見つかる可能性
があったけど、のぞみさまはずっと窓の外を眺めていたので気付かれなかっ
た。
何駅か先のT駅でのぞみさまは電車を降りた。そして今度は駅から発車す
るバスに乗る。今度は隣の車両というわけにはいかないので、のぞみさまと
は距離をとって乗る。このバスも、あまり人は多くなかった。やはり、のぞ
みさまは窓の外を眺めていた。
バスは華やかな街を離れていき、その景色は少しばかり落ち着いた郊外を
思わせる風景に変わっていった。
やがて、道が徐々に登りになっていく、登りといっても、このあたりは住
宅がかなりあった。そのなかのひとつの停留所にのぞみさまは降り立った。
そこで降りたのはのぞみさまとわたしの二人だけだったけど、降りたのぞ
みさまはそのままスタスタと歩いて行ってしまったため、気付かれることは
なかった。わたしがバスを降り立ったときは、すでに脇道に入ろうとしてい
るところだった。わたしは急いで追い掛けた。
ここに来るまでには日は落ち、あたりは暗くなっていた。薄暗い道がまっ
すぐ続く。その道をのぞみさま、離れてわたしが歩いていく。
道の両側は普通の住宅が建ち並んでいる。ときおり家からこぼれる明かり
や、街灯が道を照らしていたけど、あたりの暗さは変わらなかった。
突然、わたしは後ろから押され…いや、突き飛ばされた。
「!」
そして、思いっきり倒れてしまう。
「いったぁ…」
立ち上がろうとしたとき、逃げていく影が見えた。
「あれ?」
よく見てみると鞄がない!盗まれた?
引ったくりは前方ののぞみさまの方へ逃げていく。
「のぞみさまーっ!」
思わず叫んでいた。
のぞみさまはその声で振り向いた。それで状況を把握したらしい。わたし
の方からはあんまりよく見えなかったけど、自分の持っていた鞄を引ったく
りに投げつけた。
「ぐっ」
引ったくりはなんとも表現しづらい声をあげた。そして持っていたわたし
の鞄を落とす。のぞみさまと一瞬対峙したかと思うと、すぐに逃げ出した。
のぞみさまは、落ちていた鞄を拾うとわたしのところに来た。
「大丈夫?」
「あ、はい…」
「こんなところを一人で歩いていると危ないよ?」
「はあ…」
自分だって一人で歩いていたじゃない…と言おうと思ったけど口には出さ
なかった。
「あれ…あなたは…? 岸美空さん…だよね?」
「あ…、はい、そうです…」
「どうしてこんなところに?」
「それは、その…ごめんなさいっ 実は…」
わたしは黙っていることができず、のぞみさまのあとをつけていたことを
告白した。のぞみさまはそれを聞いても、怒らなかった。それどころか
「やっぱりね…」
とちょっと笑って言ったのだった。
「気づいてたんですか?」
「うん、わかったよ。はじめは単に同じ方向なだけかとも思ったけど、同じ
バスに乗ってきたからさすがにね。…ところで、これからどうするの?」
「え?」
「わたしをつけてきたのなら…もう意味がないでしょ。どうせなら、うちへ
来る?」
「う〜ん…どうしようかな…」
「ここから帰るの?夜道は危ないよ?またさっきの様な目に遭うかもよ?」
「わかりました…。それじゃ、お言葉に甘えて…」
「じゃ、決まりね」
そう言うとのぞみさまは、わたしの手を取った。
「あっ」
その瞬間、わたしの体に電撃が走った…ような気がした。同時に胸が高鳴っ
た。なんだろうこのドキドキは…。ちょっと理解できない感情だった。
わたしたちは手をつないだまま歩いていき…そうして、舞子さまのお屋敷
に到着した。
屋敷ではメイドさんが迎えてくれた。
「ただいま」
「お帰りなさい。のぞみさん。あら?お客さん?」
「うん…なんというか…ちょっとした知り合いの岸美空さん。美空さん、こ
ちらは、見てのとおりメイドの碧(みどり)さん」
「はじめまして、美空さん。わたしはここのメイドで主に舞子さまとのぞみ
さんのお世話をしている碧と申します」
「こちらこそはじめまして…岸美空です」
「さあどうぞ入って…」
わたしは客間に通された。
「ジュースでいいよね」
そう言って、のぞみさまはジュースを持ってきてくれた。
「もうちょっと待っててね。舞子さまが戻ったら、その車で送ってあげるか
ら」
「はい…すいません」
「それまで、ちょっと話をしてようか…。良かったらでいいんだけど…わた
しのあとをつけてきた理由、教えてくれる?」
「いつも舞子さまと一緒にいるのに、今日に限ってひとりなのでちょっと気
になって、それで」
「…なるほどね。そういえば、あなたともうひとりが来てから、ときどき誰
かわたしのことを見張ってるみたいだったけど…」
きっと綾さんだ。わたしの知らないところでまだ探っていたんだ。
「わたしはそんなことは…」
「うん、あなたではなかった。もうひとりのコだったと思う。…でも、まぁ
いいか」
「ごめんなさい。あとをつけるなんてことをしてしまって…
「いいよ、あなたはそういうことをやるような人には見えないから…」
そのとき、ドアをノックする音が聞こえ、碧さんが入ってきた。
「どうやら、舞子さまが戻ってきたみたい。行きましょう」
わたしたちは、玄関に行き、舞子さまを出迎えた。
「舞子さま、お帰りなさい」
「ただいま…そちらの方は…?」
入ってきた舞子さまはわたしに気づいた。
「この前、華の館に訪ねてきた岸美空さんです」
「あ、あのときの。美空さん、ごきげんよう」
「あ、はい。ごきげんよう…です」
「それでですね…」
のぞみさまが、わたしのことを舞子さまに説明してくれた。舞子さまはそ
れを聞き、車で送ってくれる事を了解してくれた。
わたしは近くの駅まででいいと言ったのだけど、またさっきみたいに襲わ
れるかもしれないから危ないということで、わたしの家近くまで送ってくれ
た。のぞみさまも同行してくれていた。
「ありがとうございました」
「これからは気をつけてね」
「はい」
そう言葉を交わして別れた。
その二日後、わたしは一昨日のお礼をするため華の館を訪れていた。
来たときは、この前と同じように舞子さまが居て、のぞみさまはまだだっ
た。とりあえず、お母さんから渡された菓子折りを舞子さまに差し出した。
これは、一昨日の出来事をお母さんに話したら、きちんとお礼をしなくては
…ということで、昨日のうちに買ってきてくれたものだった。お母さんは、
豪邸に住むお嬢様になにをもっていけば喜ばれるかいろいろ考えて結局お菓
子になったと言っていた。そのおかげでわたしは華の館を訪ねることになっ
たんだけど。
「ありがとう」
舞子さまは快く受け取ってくれた。
「のぞみはまだだからちょっと待っててね」
そして、この前と同じように紅茶を入れてくれた。前も思ったけど、ほん
とに美味しい紅茶だった。のぞみさまはいつもこんなに美味しい紅茶を飲ん
でいるのだろうか?そんなことを考えていると。
「ほんとは私のなんかより、のぞみのほうがうまいのだけれど…」
なんて、言っていた。のぞみさまのほうがうまいんだ…。
そうこうしているうちに、そののぞみさまがやってきた。
「遅くなりました〜」
大きな声が館に響いた。のぞみさまは元気だ。舞子さまが応接室にいるの
に気付くと、こちらの方にやってくる。
「ごきげんよう」
わたしはのぞみさまが入ってくると同時に挨拶した。その瞬間のぞみさま
とわたしは目があったのだけど、でも、すぐに目をそらされてしまった。
(え?)
それには気付かず、舞子さまは言った。
「のぞみ、美空さんのお母さまから、これを頂いたわ。あなたからもお礼を
言って」
「美空さん、ありがとう」
「いいえ、お礼を言うのはわたしの方です。このまえはありがとうございま
した」
「美空さん、これ、ここで開けてもいい?」
「はい、いいです」
「これを私たちだけで食べるのはもったいないわね…。そうだ。ふふ。ふた
りとも手伝って!」
舞子さまはそのお菓子の箱を二階の中心の部屋にもっていった。そこには
生徒会の華の方々が何人たむろしていた。
「のぞみ、お茶を」
「はい」
舞子さまの指示はてきぱきとしていた。それに従うのぞみさまも完璧だっ
た。わたしの出る幕はほとんどなかったといってもいい。わたしができたの
は、いれたお茶をいくつか運ぶことだけだった。
「美空さんも一緒に居てね」
舞子さまにそう言われたのでわたしもそこに残っていた。
そこにいた人数分(わたしも入れて)のお茶が出され、全員が着席したの
を見届けると、舞子さまが言った。
「そこにいます岸美空さんに、お菓子を頂きましたので、お茶の時間にいた
しましょう。ついでに、みなさんが集まってちょうどいいので会議もしたい
と思います」
え?わたしのような部外者がいるのにいいの?と、思ったのだけど、会議
は始まってしまった。
会議といっても、お菓子を食べながらなので重苦しいものはない、雑談も
はずんだりするし、そんな中でもいろいろ決まっていった。
そして、あろうことか、わたしにも仕事が割り振られてしまった。
「あの…わたし部外者なんですけど…」
「ごめん、諦めて。今人手が少なくて困ってるの。ここに居たのも何かの縁
ってことで」
「はあ…」
なんだかわからない理由で舞子さまに押し切られてしまった。
会議が終わって帰るとき、のぞみさまは「もし、イヤだったらやらなくて
もいいよ」と言ってくれた。でも、「大丈夫です」とわたしは言い切った。
「そう、それじゃあ、また明日」
「ごきげんよう」
それからわたしは、華の館に毎日通った。毎日放課後になると華の館に行
き、割り振られた仕事をする。もちろん、のぞみさまや舞子さまと毎日顔を
あわせた。そんなことをしているうちに、しだいにわたしも華の館の住人に
なったような気がしていた。
華の館に通うようになってから数日後、休み時間、わたしはいつものよう
に綾さんと話していた。綾さんとの話の中で、話題がのぞみさまの話になる。
綾さんは突然、こんなことをきいてきた。
「のぞみさまのことどう思う?」
「どうって?」
「妹になりたいとか思う?」
「ああ、その話か…」
このクラスでも最近、お姉さまができたという人がちらほら出てきた。そ
んなわけで、一日に一度くらいは、あこがれの上級生の話を聞くようになっ
ていた。綾さんの話もそのうちのひとつだと思っていた。
「う〜ん、よくわかんない」
「のぞみさまのこと好きじゃないの?」
「好き…だけど、妹になるって考えはあんまり…」
「そんなこと言っちゃって」と綾さんはそこで言葉を切る。次に出てきた言
葉は思いがけないものだった。
「毎日会っているんでしょ?」
「え?」
華の館に通っていることは誰にも言っていなかった。隠していたわけじゃ
ないけど、特に言う必要もなかったし。なのになんで知ってるんだろう?
「うわさになってるわよ」
「…うわさ?」
「妹候補じゃないかってね」
「うそ!」
「うそじゃないよ」
「わたし、そんな気ないのに!」
「ほんとに?」
「うん…」
「じゃあ、そういうことにしておくか…」
綾さんは最後に含みがあるようなことを言った。わたしは何か気になった。
「綾さん、なにか隠してるでしょ?」
「いや、なにも…」
そう言って綾さんはそのことに関して何も答えてくれななかった。
わたしも、綾さんが口が堅いのは知っていたから、それ以上は聞かなかっ
た。そうして、その時間は終わった。
わたしのことがうわさになっているということだったけど、そのうわさは
わたしのところには一切届かなかった。本人の前でははばかって語られない
のか、それとも、あれは綾さんの冗談だったのか。
いずれにしても、その時には分からなかったのだけど…。
それはその日の放課後に明らかになったらしい。わたしはすぐに華の館に
行ったので気付かなかったけど。帰りは帰りで、校内には人が少なくなって
いたから、まさかそんなことになっていたなんて。
翌日の朝、いつものように登校すると校門で綾さんが待ち構えていた。そ
して、わたしを見つけると駆け寄ってきた。
「おはよう」と言おうとしたら、わたしの手を取り、校門を入ったところの
茂みに連れていく。
「ちょっと!どうしたのよ!」
わたしは抗議した。
「ごめん、とりあえず謝っておく。…でも、これくらいじゃ足りないかも…」
「どうしたの?なにかあったの?」
「大変なのよ!まさかこんなことになるなんて…」
「ねえ、なにがあったの?」
「落ち着いて聞いて!」
って、さっきから落ち着いてないのは、綾さんの方じゃない…。そう思った
けど、口には出さなかった。
「昨日、これが出たんだけどね…」
そう言って出してきたのは昨日発行された新聞部が月一で出している新聞
『四季通信』。
「これが…」
と、言い終えるまえにその見出しが目に飛び込んできた。
『風姉妹に新しい妹誕生か?』
「何これ…」
それは風姉妹のスクープ記事だった。
「読んでみればわかるけど、そこに書かれているのは、美空さん、あなたの
ことよ」
そう言われて、詳しく読んでみる。
そこには、『1年2組 岸美空さん』と、はっきりとわたしの名前があり、
新聞部を訪れたこと、毎日華の館に通っていること、そして、妹になるのは
秒読み間近と書いてあった。こんなことが記事になるなんて、さすが華の館
の住人に関しては関心の高さがうかがえる。
でも、わたしはのぞみさまの妹になるなんて考えてないし…。
「これがどうしたの?」
「わからないの?」
「うん…」
勝手に人の名前を出されたのはちょっとイヤだったけど、別に悪口書かれ
てるわけじゃないからいいと思った。
「この記事でね…教室、大変なことになってるのよ。今居ったら、無事じゃ
すまないと思うよ」
「そうなの?」
「ええ、だから朝のホームルームが始まるまで隠れてて」
そういうわけで、朝のホームルームまで隠れてることにしたのだけど、そ
の場所は…華の館だった。いちおう出入りしているということで、鍵をもら
っていたし、隠れるのにはちょうど良かったから。
「ねぇ、ほんとに妹にならないの?」
「うん、今のところそのつもりはないよ…」
どうも、のぞみさまの妹になるってことがピンときてなかったし…。
そろそろホームルームという頃になってわたしたちは動き出した。ほんと
にぎりぎりに動き出したので、教室までダッシュで行かなければならなかっ
た。
教室に着いた頃、ちょうどチャイムが鳴った。みんなの視線が一気にわた
したちに集中する。そんな視線を受けながら、わたしは自分の席についた。
担任の先生が来るまではまだちょっと時間があったけど、この学園ではチ
ャイムが鳴ってから先生が来るまでの間に席を立つことははしたないことと
されていたから、その間にわたしにあのことを訊くようなことをする人はい
なかった。でも、教室内は少しざわついていた。わたしのことがかなり気に
なるようだ。
そのうち、担任の先生がやってきて、いつものようにホームルームが始ま
り、いつものように終わった。先生が教室を出て行っても、席を立つ者はな
かった。そして一限目の先生がきて授業が始まり…何事もなかったように授
業は終わった。でも、いつもと同じなのはそこまでだった。
先生が教室を出た途端、みんなたがが外れたようにわたしのところに押し
かけてきた。
「ねぇ、美空さん、毎日、華の館に通ってるって本当?」
「のぞみさまの妹になるの?」
「のぞみさまと出会ったいきさつは?」
予想してたことだけど、いろいろ訊かれた。いっぺんに訊かれたので、答
えるのに困ってしまう。
「はいはい〜美空さんが困っているから、一人づつにしてね〜」
そんなところを見兼ねてか、綾さんは仕切り始めた。結構手慣れてるみた
い。綾さんって仕切りがうまい…。
綾さんの仲介で、わたしはクラスみんなの質問に答えていった。のぞみさ
まに会った経緯から華の館に通うまでの話をかなり端折って(あとを付けて、
ひったくりに遭ったことは話せないから、舞子さまに目を付けられてという
ことにした。まぁこれでも嘘ではないし)話した。妹になるかどうかのこと
は「いまはどうなるかわからない」とだけ答えた。
これでクラスでの騒ぎは収まったようだった。わたしのまわりにできてい
た輪は散っていき、何人かはわたしの手を握り「応援する」と言って立ち去
る人も居た。概ね、このクラスでは好意的なようだった。
「恨むひとが居なくてよかったね」
と言ったのは綾さん。わたしもそう思った。また、綾さんはこうも言った。
「このクラスでは居なかったけど、他のクラスではどうだか、わからないわ
よ」
とりあえず、嵐の第一段は去った。二限目以降に第二段があるのは確かだ
った。
そして二限目の休み時間、一限目の休み時間には気付かなかったけど(教
室で取り巻きにされてたからね)、廊下には、わたしを見ようと、多くの生
徒が詰め掛けていた。
う〜む、我ながら客寄せパンダ(古い言い方だけど)だなぁ。
わたしを覗きに来る人は多かったけど、それほど不安には思わなかった。
クラスのみんなが予想以上に協力的で、わたしを見えないように隠してくれ
たり、トイレに行くときはガードしてくれたから。
そんなこんなで一日が過ぎていき…放課後。
さすがに、ここまでガードしてもらうわけにはいかない…華の館に行かな
ければならなかったし。でも、幸い写真が出てたわけではなかったから、何
人かで一緒に教室を出て、しばらくして解散した。
わたしのあとについてくる人は居なくて、この作戦は見事に成功した。
でも…華の館に近付いたとき、歓声のようなざわざわっとした声が聞こえ
た。もっと近付くと、いつもはひっそりしているはずの華の館の前に数人た
むろしているのが見えた。
「うわ、どうしよう…」
このまま入って行けば、わたしが話題の人だとわかってしまう。
どうしたらいいか悩んでいると、後から肩をたたかれた。振り向くと、舞
子さまだった。
「こっちへいらしっしゃい」
舞子さまに連れられて茂みのなかの脇道にはいっていく。大きくまわると
華の館の裏手に出た。こんなところに裏口があったなんて。
「ここからなら、誰にも見られずに入れるわ」
こうしてなんとか華の館に入ることができたのだった。二階の窓から覗く
と、まばらではあるけど結構いるのがわかった。館の住人が現われると次々
に歓声が起こった。そのたびにわたしは「ごめんなさい」と謝った。
でも、のぞみさまが来たらこれくらいじゃすまないだろう…と思ってると
「きょうはのぞみ、こないわよ」と舞子さま。
騒ぎが大きくなるからと来るのをやめさせたらしい。
「それに、のぞみにはそろそろ覚悟してもらわなくてはね」
なんだろう?覚悟って
「それにあなたもね」
「え、わたしもですか?」
「そうよ」
「それって…」
聞かなくてもわかっていた。でも、わたしとのぞみさまのこと、そんなふ
うに思っていたなんて。
「そうだ!今日、うちに来てみる?」
なんて、舞子さまは言った。はしゃいでいる感じがした。もしかして、面
白がってる?
返事を言う前に舞子さまのなかでは決まってしまったらしい。わたしもむ
げに断るわけにはいかなかったので、舞子さまの家にお邪魔することになっ
た。
舞子さまの屋敷では、のぞみさまが待っていた。
「記事はもう読んだわね」
「はい」
「それでどうなの?」
「それは、美空さんを妹にするかどうかってことですか?」
「そう」
こころなしか、のぞみさまの顔がこわばっているような気がした。
「美空さんを妹にする気は…ないです」
のぞみさまははっきりとそう言った。
「そう…ではあなたはどうなの?」
舞子さまは今度はわたしに向けて言った。
「わたしも…のぞみさまの妹になることは考えてないです」
わたしも同じように答える。
「そう…そうなると、この話は終わってしまうのだけど」
舞子さまは一息ついた。
「私はね。あなたたちに姉妹になってもらいたいと思ってるの。今度の騒ぎ
が起きたからじゃなくてね。ねぇ、考えてみない?」
「たとえお姉さまの頼みでも、美空さんを妹にするつもりはありません」
「どうして?」
「わたしには妹をつくる資格がありませんから…」
「もし妹をつくらなければ姉妹関係を解消すると言っても?」
「はい」
「意志は堅そうね…まぁ、わからないでもないけど…でも、ひとりで思い込
むの良くないと思うの、それがあなたの悪いところ。確かに美空さんを妹に
するには秘密を打ち明けなければならない。でも、打ち明ければ嫌われるか
もしれない…だったら、はじめから妹にしなければいい…そういうことなん
だろうけど」
のぞみさまの秘密ってなんだろう?どうやらそれが鍵となっているようだ
けと。
「わかっているじゃないですか…そういうことでわたしはこれで失礼します
…」
のぞみさまは席を立ち、出口に歩き始める。その背中に向けて舞子さまは
言った。
「好きなのね、ほんとうは」
のぞみさまはそれには答えず部屋を出ていった。
「さて、こんどはあなたの番ね」
舞子さまはわたしの方を向いた。
「いままでのやりとりは見てた通りだけど…あなたはどうなの?やっぱり妹
になるのは嫌?」
「嫌ではないです…考えていないだけで」
「じゃあ、まだ脈はあるってことね。あなたは出会った頃のあの子によく似
てる…似たもの同士でいい姉妹になれると思うわ」
「似たもの同士ですか…」
いままで考えたこともなかったけど。
「あの子は『妹をつくる資格はない』と言っていたけど、それは違う。確か
にあの子は『姉』にはなれないかもしれないけど『妹』はつくることができ
ると思うの。…そういうわけでね。あなたにはのぞみの妹になってもらいた
いのだけど…前向きに考えてみて」
「はい…」
その日はそれでおいとました。
家に帰ったわたしは考えてみた。妹になると宣言するのはたやすい。でも、
問題は二人の気持ち。たとえ、わたしが希望してものぞみさまが受け入れな
ければ、わたしたちは姉妹になることはできない。そして、いまの時点では、
わたし自身も妹になろうとは思っていない。でも、舞子さまは、わたしにの
ぞみさまの妹になって欲しいという。どうしたらいいのだろうか?
次の日も、無用な騒ぎを起こさないため、のぞみさまは生徒会の仕事をお
休みし、その分の仕事は舞子さまとわたしで分けあった。その様子は、もし
かすると、わたしがのぞみさまの妹になるための準備段階に入ったと見られ
たかもしれない。
「のぞみ、お茶お願い… あ、そうか」
「わたしがいれてきます」
こんなやりとりが何回かあったりした。
華の館の前に詰め掛けていた人たちは日が経つにつれて減っていった。同
じようにわたしのクラスを覗く人も減っていき、廊下に出るときみんなにガ
ードされることもなくなった。華の館の前もあれだけ人がいたのが嘘のよう
にひっそりといつものように静かになった。
ようやく騒動が収まったということで、のぞみさまはあの日から一週間ぶ
りに華の館に戻った。
「おかえりなさい」
わたしは心からそう言った。そして思わず抱きついていた。
「ただいま」
のぞみさまも喜んでいて、わたしが抱きついてもそのままにしていた。
のぞみさまが戻ったお祝いのお茶会が開かれた。話題の中心はわたしたち
二人のことだったが、のぞみさまもわたしもそれについては黙っていた。
お茶会のあと、それぞれ生徒会の仕事にとりかかったけど、わたしものぞ
みさまも何度となくミスをした。
なんでだろう?
「意識しすぎね」
舞子さまはひとことぽつりと洩らした。それをきいて、少し気を引き締め
て慎重にやってみようとしたのだけど、でもやはりミスをする。
「二人ともちょっとは落ち着きなさい」
しまいには怒られてしまう。うーん、どうしちゃったんだろう。
そんなに意識してただろうか?
それでその日は多くのミスを残した。でも、それはその日だけではなく、
次の日も同じように多くのミスをしてしまった。
堪り兼ねてか、舞子さまは途中でわたしたち二人を別の部屋に呼んだ。
「いい加減にしなさい。ミス多すぎよ」
「すいません」
わたしたちは、ただあやまるしかなかった。
「しょうがないわね…。あなたたち、そんなに気になるなら、今度の休みに
これに行ってきなさい」
舞子さまが差し出したのは、M遊園地の入場券だった。
「二人で楽しんでくれば気分も晴れるわよ」
「二人でですか?」
「そう、二人で」
わたしたちは互いに顔を見合わした。
「のぞみさまがいいと言うなら…」
「美空さんがいいと言うなら…」
二人同時に言った。
これを聞いた舞子さまは、
「じゃ、決定ね」
と言って笑い、部屋を出ていった。わたしたちも笑い合った。
そして、その休みの日。わたしたちは学園の最寄り駅であるK駅で待ち合
わせた。のぞみさまは集合時間まえに来ていた。
「遅れてすいませんっ」
「いや、まだ大丈夫だよ。時間になってないから…」
「あ、そうでしたね」
見た目、長く待っていたそうな気がしたので、ついついあやまってしまっ
た。
「のぞみさまの制服以外の姿、初めて見ました」
「そうね…いつも、制服を着ているところでしか、会ってなかったからね…。
ほんとうは、これお姉さまの服なんだけどね…思い切って着てみたけど、ち
ょっと恥ずかしいかな…あんまり見ないでね」
「全然、恥ずかしくないですよ。すごく似合ってます。自信持ってください」
「そうかなぁ…」
「はい!」
自信なさそうにしてるのが何となく可愛いと思った。
「それじゃ、行こうか」
「はい」
その遊園地は人気がかなりあり、行列が途切れない遊園地だった。そのた
め最近、待たなくても入場できたり、アトラクションに乗れるプレミアムチ
ケットが毎日数量限定で発売され、これを手に入れるために行列ができたり
した。舞子さまがくれたのはそんなチケットだった。さすが抜かりがないと
いうところか。
遊園地に着いてまず最初に行ったのは、ジェットコースター。わたしは遊
園地に来たらまずこれと思っていたのでなかば強引に誘ってしまった。でも、
のぞみさまは反対しなかったので、そのまま乗ることになった。
このジェットコースターはオーソドックスなものだけど、意外とあなどれ
ないものだった。途中見晴らしがいいのもちょっとしたポイントだったりす
る。
ジェットコースターから降りたわたしたちはへろへろになっていた。
「わたし、ジェットコースターってあんまり得意じゃなかったけど、でもよ
かった…」
そんなふうにのぞみさまは喜んで(?)くれた。
「わたしはまずジェットコースターから乗るようにしてるんですよ。そうし
ないとあとで疲れて乗る気が無くなっちゃうから…」
少しずつテンションを上げて、最高潮で思いっきり乗る方法もあるけど、
わたしの場合は最初にテンションをあげて、そこから少しずつ穏やかにして
いく感じだった。
「次はちょっと穏やかにしましょう」
完全にわたしが主導権を握った感じで、次のアトラクションもわたしが決
めた。次は海賊船に乗った。釣り下げられている海賊船がブランコのように
揺れる乗り物だった。
これはたしかにジェットコースターに比べればはるかに穏やかな乗り物だ
った。でも振子の最高位は結構高いので、そのときに絶叫するひとはいた。
「どうでした?」
「これもよかった」
「次、いきましょう」
こうして、わたしがナビゲーターになる形でいろいろなものに乗っていっ
た。のぞみさまは乗るたびに喜んでくれた。なので、ちょっとうんちくを加
えてみる。
「美空さんって、いろいろ詳しいんだね」
「それほどでもないですよ。詳しい人はもっと詳しいです。わたしなんか、
ときどき来てただけです」
「わたしはあんまりこういうところに来てなかったからなぁ…」
それからのぞみさまは想いに耽ってしまった。
あ、言っちゃいけないことを言っちゃったかしら…。そんなふうに思って
いると。
「ありがとう、美空さん。もっといろいろ教えてよ」
「美空って呼んでください」
そのとき、なぜそう言ったのかは良く分からなかった。自然の流れだった。
「わかった。美空」
「じゃ、次はこれに行きましょう」
そのとき、わたしたちのこころは決まったのだと思う、それからわたした
ちは普通になれた。
やがて日は西に傾き、楽しいひとときも終わりに近づいていた。最後の締
めにいままで残していた観覧車に乗った。
「今日はどうでした?」
まだ一日は終わりじゃないけど、ちょっと聞いてみた。
「これだけ楽しいとは思ってなかったよ」
のぞみさまは笑顔で言った。
わたしものぞみさまの今までに見たことのない一面を見られて楽しかった。
ゴンドラはゆっくりと上っていく、見えてくる景色が広がっていく。
「いい眺めだね」
「はい」
夕日の光が街を赤く染めていた。そして、互いの顔も赤く染まっていた。
「あ、ちょっとごめん」
のぞみさまはそういって立ち上がると…
(え?)
そのまま顔を、わたしに近付けてきた。
(え?え?)
わたしはのぞみさまの瞳をみつめていた。のぞみさまも同じように見つめ
ている。わたしは思わず目を閉じてしまった。そして、心臓が高鳴る。唇は
次に来るであろう感触を待っていた。
ところが…
少しして、のぞみさまの手がわたしの前髪あたりを払うように撫でた。
「はい、もういいよ」
「?」
わたしが不思議そうにしていると
「ゴミがついていたから…」
「はぁ…」
ちょっとがっかりした…ってなに考えてるんだわたしは!そんなことある
わけないのに。
「ありがとうございます…」
いちおうお礼は言う。そのあとはちょっと恥ずかしくなって、のぞみさま
の顔をまともに見れなくなってしまった。
そうこうしているうちに、ゴンドラは一番下まで下りてしまい、楽しい遊
園地のひとときは終わった。あとは帰るだけ、ちょっと淋しくなった。
「手をつないでいいですか?」
遊園地から出たとき、ちょっときいてみた。
「あ、うん、いいよ」
のぞみさまは軽くOKしてくれたので、遊園地から駅までの間、わたしたち
は手をつないで歩いた。
帰りの電車に乗り込むと、もう一日は終わってしまったような気がした。
明日からはいつもと同じ日々が始まる。それを考えるとまた淋しくなってし
まった。
途中の駅で電車を乗り換えようとしたときになんだか騒がしい感じがした。
ホームに行ってみると、まるでラッシュ時のように多くの人がいる。
そのとき、駅の放送が流れた。
『〇〇方面の電車は人身事故のため到着が遅れております…』
「人身事故ですって、どうします?」
「いちおう動いてるみたいだから、待ってみよう」
少しして、電車がホームに入ってくる。その電車はほぼ満員状態だった。
この電車には乗れないだろうなと思っていると、この駅が乗り換え駅のた
めか、かなりの人が降り、車内に空きができた。でも逆に乗る人も多かった
ので、また満員状態になってしまった。わたしたちはその電車になんとか乗
り込む。
「きついかもしれないけど、しょうがないよね」
のぞみさまはぽつりと言った。
電車に乗って何駅か過ぎた頃から、ある感触を感じていた。
はじめは、それはたまたまあたっているだけだと思っていた。でも、やっ
ぱり…痴漢??
そう考えると確かにそんな感じだ。動きがおかしい。いや、冷静に考えて
る場合じゃないよ!
こんなとき、どうしたらいいのかな。やっぱり「やめてください」って、
言ったほうがいいのかな…。
でも…
そのとき、ある新聞記事を思い出した。それは痴漢されたと訴えた人が
逆恨みされ殺されてしまったという記事だった。
どうしよう。走る満員電車の中では逃げることもできないし。
そんなことを考えているうちに、痴漢はわたしが全然抵抗しないので図に
乗ってきた。
わたしはのぞみさまに助けを求めた。
「のぞみさま、のぞみさま…」
小声で言って、同時に腕をつついた。のぞみさまはすぐに気づいてくれた。
「どうしたの?」
のぞみさまも小声で…ほかの人に聞かれないように答える。
わたしは「痴漢」という言葉を出すのがイヤだったので、口パクで「チ・
カ・ン」と伝えた。のぞみさまはそれだけでも気づいてくれたようだった。
「もうちょっとガマンして」
その途端、電車が減速し始めた。ちょうどいいタイミングだったみたいだ。
電車のドアが開くとすぐにホームに出た。降りる瞬間振り向いて痴漢の顔を
チラと見る。意外に普通の人だった…。
今の電車を見送って次の電車に乗るかと思ったら、そのままこの電車に乗
り込む。一瞬、のぞみさまの考えを疑ったが、次の電車がいつ来るかわから
なかったし、さっきとは位置が変わっていたので、大丈夫だと思い安心した。
でも…電車が動き出した瞬間に発見してしまった。のぞみさまの後ろにあの
男が居ることを…。そのことを言うと、のぞみさまは一言「大丈夫」とだけ
言った。
しばらくして、のぞみさまの顔が一瞬引きつったように見えた。あの男の
痴漢行為が始まったらしい。無表情ではいるけど、懸命にこらえているのが
わかった。その様子を見ていたら、さっきまでわたしがされていたことを思
い出して…まるでいま自分がされているように感じてしまった。
わたしはのぞみさまに抱きついていた。そうすることで、のぞみさまを癒
したいと思った。
「ちょっとアンタやめなさいよ!」
突然、声が響きわたった。顔を上げると、隣にいた女の人が、痴漢の手を
ねじあげている。
「そんなことしてて、恥ずかしいとおもわないの?」
「このやろう! グッ…イタタ、すいません…」
そのあと痴漢は平謝りだった。
「どんなにあやまっても、あたしは許さないからね。アンタのようなのは、
許したらまたやるだろうから。それからアンタも(と、のぞみさまに向かっ
て)されるがままにされちゃダメよ」
「はい…」
ほっとした様子で、のぞみさまは答えた。
痴漢はそのあとも、腕をその女の人につかまれたままだった。
駅に着くと彼女は、痴漢をつかんだまま、駅員に事情を話した。そして、
わたしたちもいっしょに駅員に連れられて駅員室へ。駅員室では少し事情聴
取を受けたあと、わたしたちは解放された。
そのあと乗った電車の中で、ふたりはあまり話さなかった。いままでもそ
れほど話をする方ではなかったけど、この電車では特に口数が少なかった。
やがて何駅か過ぎ、のぞみさまが降りるT駅が近くなってきた。
「いよいよお別れだね。今日は楽しかったよ」
のぞみは別れの言葉を口にしたが美空は答えなかった。
そして、電車はT駅に着き扉が開いた。
「それじゃ、さよなら…」
のぞみはそう言うと、扉からホームに出た。振り返って美空を確認しよう
としたら、美空は電車のなかにいなかった。いつのまにかのぞみの隣にいた。
「美空…」
「行かないでください…」
「どうしたの…」
「のぞみさま、行かないでください。別れたくありません…」
それはこの帰りの行程中ずっと思っていたことだった。はじめはほんのち
ょっと思っていただけだったけど少しずつ大きくなってきて、痴漢騒ぎでそ
れどころではなくなったときもあったけど、終わってから再び心のなかに涌
いてきて、いまはっきりと「のぞみさまと別れたくない」と言えるほどにな
っていた。
「のぞみさま…今夜はいっしょにいてください…」
わたしはそれしか言うことができなかった。いつのまにか涙が出ていて、
のぞみさまの表情は見られなかった。
しばらくして
「いいよ」
とのぞみさまは言った。
それを聞いたら、わたしのこころは、こういうの芝居がかってて変かもし
れないけど、天にも昇る気持ちになった。
「でもわたしは帰るよ、わたしの家に。それでもいいなら」
「はいっ、いいですっ!」
他人が見たら変に思うような喜び様で答えたのだった。
ふたりは、バスを使うルートでのぞみの家、秋野家の屋敷に帰った。途中、
美空はずっと、のぞみのそばを離れようとしなかった。そんな美空を見ての
ぞみは苦笑した。
「のぞみさん、おかえりなさい」
「ただいま」
「あ、これは…美空さんもいっしょに」
「今日、泊まっていくって…いい?」
「はい、舞子さまから言付けされてます。大丈夫です」
「舞子さまから?」
「はい、もしかしから美空さんも来るかもしれないから、そのときは美空さ
んをお泊めするようにと」
「そうかぁ…じゃあ、夕食も大丈夫?」
「はい」
夕食はのぞみさまと二人だけだった。家が大きいわりには食事は普通だっ
たような気がしたけど、何を食べたのか覚えてなかった。ただただのぞみさ
まといるのが幸せだった。だから味なんかも覚えてなかった。
食事の後、わたしはのぞみさまの部屋を見てみたいと思った。それはここ
まで来たからには当然の思い付きだった。そのことを話すとのぞみさまは嫌
がった。確かに自分の部屋は人にあまり見られたくないものなのかもしれな
い。わたしも、他人になら確かに嫌がると思う。でも、のぞみさまになら自
分の部屋を見せてもいいと思うようになっていた。
しばらく、その話をしていたら、碧さんが不意に口を挟んだ。
「見せてあげたら?困るものなんてないでしょ?」
のぞみさまはそれを聞いてちょっと困ったような顔をして、わたしとちょ
っと離れて、碧さんと内緒話を始めた。
いったい何を話してるんだろう?
何言か話して、そして話がついたのか戻ってきた。
「わかった。わたしの部屋をみせてあげる」
のぞみさまの部屋は離れの家にあった。
「ここです」
碧さんがそのドアの前に立って言った。のぞみさまは恥ずかしそうにそば
に立っている。
わたしはドアを開けた。その部屋はなんというか、のぞみさまにはちょっ
と似合わず、少女趣味的な部屋だった。
「へぇ〜、これがのぞみさまの部屋なんだ〜」
「う、うん、そう。これがわたしの部屋」
でも、なんだかのぞみさまはちょっとうろたえていた。もしかして、ほん
とうはのぞみさまの部屋じゃないのかな?
所在無く立ち尽くしていると、碧さんが部屋の中に入っていって、棚の中
から、1冊のアルバムを取り出した。
「アルバムでも見ます?」
「碧さん…」
なんだか碧さんは楽しそうだった。
そのアルバムには、舞子さまとのぞみさまの写真がいっぱいあった。
「これにはのぞみさんが舞子さまに会われた後からの写真が入っているので
す」
「え?じゃあ、その前のは?」
「その前のは…ありません」
「のぞみさま、どうしてないんですか…?」
さっきから黙っているのぞみさまに訊いてみる。のぞみさまは「それは…」
といってちょっと考えて…続けた。
「それは、前は孤児院にいて、そのときのは持ってきてないから…」
「のぞみさまって孤児院にいたんですか」
初めて聞いた。のぞみさまにそんな過去があったなんて。孤児院に居たと
きののぞみさまってどうだったんだろう? たしか、のぞみさまは舞子さま
と出会って変わったといっていた。舞子さまと出会う前ののぞみさまって…。
でも、それは過去の事。だから訊くのはやめようと思った。わたしは今のの
ぞみさまが好きだから。
「ねぇ、のぞみさま。この写真の話、いっぱい聞かせてください」
わたしは、まるで子供のようにのぞみさまに話をねだった。のぞみさまは、
それを快く受け入れてくれ、話をしてくれた。
碧さんはいつの間にか居なくなっていた。
それからどれくらいたったか話に夢中だったので覚えてなかったけど、碧
さんが再びやってきた。
「お風呂、沸きましたけどどうします?」
「お風呂か…」
「のぞみさま、一緒に入りましょう!」
「えっ!」
のぞみさまの顔が一瞬固まる。わたし、変な事言った?
「ごめん、一緒には入れない」
「どうして…ですか?」
「どうしても…」
「体に傷とかあるからですか?それだったら、わたしは気にしないし、見て
ほしくなければ目を伏せますけど…」
「そういうのとは、またちょっと違うの」
「そうですか…」
わたしはのぞみさまと一緒にお風呂に入りたかったけど、結局あきらめる
事にした。
「それじゃ、どちらが先に?」
「美空、先に入って」
「それじゃ、先に入ります」
わたしは碧さんに案内されて本館の方にあるお風呂にいった。そこは大き
なお風呂だった。まるでちょっとした、ホテルや旅館の大浴場かと思うほど
のもの。でも、一人で入るには広すぎて、ちょっとさみしかった。
「どうして、のぞみさまは一緒に入ってくれないんだろう…」
口に出してもむなしい…。
一人でいてもつまらないので早々に出ることにした。
「早かったね…」
「うん…」
「それじゃ、次わたし行くから」
「いってらっしゃい」
とのぞみさまと一緒にいた碧さんが言った。そのあと、その碧さんも部屋を
出て行く。ドアを閉める前に、謎の一言を残して。
「のぞみさんのあとについて行かないでね」
「え?」
『ついて行かないでね』
ってどういう意味だろう? のぞみさまと一緒にお風呂に入ることを、断ら
れたからって、わたしが無理に押しかけたりすると思っているのだろうか…。
「!」
突然、ある考えが、頭の中を駆け巡った。
もしかしたら、その逆なのかな?「行ってはいけない」のではなく「行っ
てもいいよ」という意味なのかも…。
思い立ったわたしは、もういちど大浴場へ向かった。
脱衣所でのぞみさまが服を脱いでおいてあるのを確認。わたしも服を脱い
で、浴室の方へ行く。
扉を開けて中に入ると、湯船に浸かっているのぞみさまが振り返って気づ
いた。
「え!?」
その瞬間、照明が消えた。
のぞみさまが慌てるのがお湯の音として聞こえる。わたしも光が突然消え
たことで、ちょっと慌てていた。
照明が消えても、まったくの暗闇ではなかった。外からの光が浴室の中に
入ってきて、まわりが薄暗く浮かび上がっていた。
しばらくして、目が慣れてきたので、お湯に入り、のぞみさまに近付いて
いこうとした。すると、のぞみさまは、お湯をバシャバシャさせた。
「ダメ!それ以上近付かないで!」
「いいじゃないですか女同士なんだから…」
わたしは諭すように言った。でも、のぞみさまは警戒していた。
「だめ、お願いだから…」
ちょっとかわいそうになったので、のぞみさまのそばに行くのはあきらめ
る事にした。お湯から上がり、体を洗う。さっきも洗ったけど、さっきはす
ぐ上がりたいばかりに軽く洗ったので、あまりよく洗えてなかった。
「のぞみさまも体洗いませんか?お背中流してあげますよ」
一通り洗いおわったあとのぞみさまに呼び掛けてみた。でも、のぞみさま
は後を向いたまま首を振った。
「ずっとお湯にはいったままだとのぼせちゃいますよ〜」
それでも湯船から出ようとはしなかった。
わたしは再び湯船に浸かって暖まったあと、浴室を出た。
浴衣を着て外で待つ。浴室の照明は、OFFになっていたのをONにしておいた。
これならのぞみさま出てくるかなぁ。
のぞみさまはどうしても裸を見られたくないようだった。隠そうとすると
余計に気になるなぁ。
耳を澄ましていると、浴室から脱衣所に入る扉を開ける音が聞こえた。そ
ろそろかなと思っていると…
ドタン!
何かが倒れたような音が聞こえた。何の音だろうと思い、脱衣所に入って
みると、のぞみさまが倒れていた。
「のぞみさま!どうしたんですか!」
その声で、碧さんがやってきた。
「碧さん、のぞみさまが!」
「大丈夫、落ち着いてください」
そういって、のぞみさまの様子を見る。
「意識はあります…どうやら、これはのぼせたみたいですね。のぞみさんを
部屋まで運びます。手伝ってください」
「はい…」
碧さんとわたしで、のぞみさまを部屋に運び、ベッドに寝かせた。
「体を冷やさなければなりませんね。私は水を持ってきます」
碧さんは部屋を出ていき、わたしはのぞみさまのそばに残った。のぞみさ
まは苦しそうな顔をしている。こうなったのはわたしのせいだ。のぞみさま
は嫌がったのに、わたしが浴室に居座ったから。
「のぞみさま、ごめんなさい」
のぞみさまのために何かできることはないだろうか?
のぞみさまは額に汗を浮かべていた。それを見て思いつく、そうだ汗を拭
こう。まわりを探したけど、汗を拭けそうな物はなかった。カーテンとかシ
ーツは布だけど、それで拭くわけにはいかないし。この部屋にはどうやら無
いようなので、隣の部屋を探してみることにした。
隣の部屋の扉も同じ扉だった。鍵は掛かっていないようだ。扉を開け、中
に入ってみる。
「すいません…」
小声で言ってみるが、返事はない。誰も居なかった。壁の照明のスイッチ
を入れる。明るくなって部屋の様子がわかった。これは男の子の部屋かな?
わたしと同じくらいの男の子の部屋に思えた。それにしてはちょっと片付い
ていて、ちょっと散らかっていた。
のぞみさまの汗を拭くものを探そうとして、ふと机の上の写真に目が止ま
った。
これって何かの集合写真みたいだけど…。無意識に探してしまった。そし
て、目的のものを探しあとのだけど…あれ?
そこにはのぞみさまが写っていたのだけど…その写真では、のぞみさまは
まるきり男の子だった。女の子が男の子の服を着ているのとは違う。ちゃん
と男の子の感じ。
「うそ…?」
でも、うそじゃない、たしか孤児院にいたとっていたからその時の写真だ
と思う。気になって…悪いと思ったけど、その辺を探してみた。かばんの中
から生徒手帳が見つかった。それには…
「秋野学園工業大学付属高校 2年3組 静内望」
とあった。貼ってある写真は確かにのぞみさまだった。
のぞみさまは男だった。もしかしたら双子がいて、そのもう一人の方じゃ
ないかと考えたりもしたけど、そうだとしたら話がうまくできすぎてる。や
はりあれはのぞみさま本人の写真だと思う。
さっきまで感じていた気持ちはなくなっていた。心はなんとなく覚めてい
た。
のぞみさまが男だったところで、たぶんなにもしないだろう。でも、一緒
に居る気にはならなかった。
帰ろうとして、別館から出て本館に向かう途中、碧さんに出会った。
「どうしたんですか?」
「すいません、わたし、帰ります」
碧さんはわたしの様子が変わっていても慌てなかった。すこし、間をおい
て…
「今からですか? わかりました。もう夜遅いですからタクシー呼びますね。
本館の広間で待っててください。すぐ呼びますから」
そうして、碧さんは別館の方へ行った。わたしは言われたとおり、本館の
広間で待った。少しして碧さんが来てタクシーを手配してくれた。
タクシーを待っている間、碧さんは何も聞かなかった。もしかして、気付
いているのだろうか?
「タクシーが来ましたよ」
碧さんが言った。わたしは座っていた椅子から立ち上がった。
「すいません…突然帰るなんて言ってしまって…」
「人にはそれぞれ事情があると思います。仕方ないですよ」
「のぞみさまのことは…」
「大丈夫です。わたしが責任もって看病しますから」
「それじゃ…お願いします」
わたしがタクシーに乗ると、タクシーはすぐに発車した。碧さんは館の外
に出てきて、見えなくなるまで手を振ってくれていた。
家に帰ったわたしは、家族にただいまも言わず自分の部屋に直行した。そ
して、ベッドに倒れこむ。
わたしの気持ちは混乱していた。のぞみさまは男のコだった。すでに姉妹
になる決意はできていたのに、騙していたなんてひどい。でも…近付いてい
ったのは、わたしのほう。のぞみさまは、関わらないようにしていたのでは
なかったか?それが成り行きでお近付きになって…だから、のぞみさまのほ
うに騙そうという意図はなかったはず。妹を作ることも拒んでいた。自分が
偽りだとわかっていたから…。
考えているうちに、自分の考えが、のぞみさま擁護の方に傾いていた。な
んでだろう?騙されたと思っていたのに。
次の日は日曜日、わたしは一日中そのことを考えていたけど、結論は出な
かった。
月曜日、わたしはいつも通り学校へ行った。
「おはよう」
いつも通りの光景、いつも通りのみんな。いつもと違うのはわたしだけだ
った。そして、いつも通り、綾さんが話し掛けてきた。
「ねぇ、のぞみさまとのデート、どうだった?」
「え?」
なんで、綾さんがそのこと知ってるの?
「なに不思議そうな顔してるの。私の情報網はすごいんだからね…」
いつもながら綾さんには驚かされる。
「で、良かったんでしょ?」
「うん、まあね…」
さすがの綾さんもあのことは知らないらしい。もっとも、知り得るのはわ
たしたちと、あと舞子さまぐらいか。
「なんか、うかない顔ね。なにかあったの?」
「いや、べつに…」
このことは誰にも言いたくなかった。のぞみさまとわたしの問題だから。
それに決着は自分達でつけなければならないとも思っていた。
一日の授業が終わった。みんながそれぞれ思い思いの場所に散っていく。
いつもなら華の館に行くところだけど、今日は行きづらかった。だからといっ
て帰るというわけにも行かなかった。それで、わたしは所在無く自分の席に
座っていた。
「あの…美空さん? 今からお掃除始めるから、ちょっとの間出て行ってく
れる?それとも、手伝ってくれるならべつだけど…」
「あ、ごめんなさい、出て行きます…」
掃除当番に言われて教室を出る。でも、他に行く宛がないので、校内をう
ろうろしていた。
そろそろ掃除が終わった頃だと思って、教室に戻ってみると…。そこには
のぞみさまがいた。
「やあ…」
「のぞみさま…」
「ちょっといいかな…。ここじゃなんだから別の場所で…」
「はい…」
そう言われて連れて来られたのは屋上だった。この時間は誰もいない。
屋上は少し風が吹いていた。のぞみさまの長い髪が風になびく。その姿は
どう見ても女の子だった。
「わたしがなぜ会いに来たかわかるよね?」
「はい…あの…、ごめんなさい…」
「なぜあやまるの?あやまらなきゃならないのはわたしの方なのに…わたし
はきみを騙していたのだから。…きみを傷つけてしまったね。もう、愛想尽
かしたでしょ。だから、もう終わりにしよう」
「え?」
その『もう終わりにしよう』を聞いたとき、わたしの心は一瞬、喪失感に
襲われた。どうしてだろう、のぞみさまに会えば、そうなることはわかって
いたはずなのに…。それなのに、その言葉が心に刺さった。わかっていなが
ら、ショックを受けていた。そして、もうひとつの感情が浮かび上がる。こ
のままで終わりたくない。のぞみさまと別れたくない。
そんなことを考えている間、少し沈黙が続いていた。
「のぞみさま…わたしは終わりにしたくありません」
「え?」
今度はのぞみさまが驚く番だった。
「わたしはあのときからついさっきまで迷っていました。わたしにもお姉さ
まができたと思っていたのに、のぞみさまは男のコだったんですから…。裏
切られたと思いました。でも、さっきの言葉で、そんな思いは吹き飛びまし
た。わたしはのぞみさまが好き、だから、終わりになんかしたくない。男だ
ったとしても女だったとしても、それは変わらない。あなたが好きなんです!」
一陣の風がふたりの間を吹き抜けた。
のぞみさまは黙っていたけど、いまの言葉をかみしているようだった。し
ばらくしてのぞみさまは言った。
「わたしみたいな…男女(おとこおんな)でも…いいの?」
その言葉は精一杯言ったように聞こえた。
「男女だなんて…。のぞみさまは…お姉さまです!わたしの大好きなお姉さ
ま!」
わたしも精一杯の気持ちで答えた。
「ありがとう…」
のぞみさまは笑顔で、でもちょっと泣きそうな感じでもある顔で、答えて
くれた。そして、こう続けた。
「わたしも美空が好き…大好きなわたしの妹!」
わたしたちはふたりひしと抱き合った。
屋上に出る扉の向こう側に二人を見守る姿があった。
舞子は二人が抱き合うのを見届けると、満足そうに階段を降りていった。
(おわり)
あとがき
最後のシーン、妙に芝居掛かっているような気がするのは大目に見てください(笑)
どうも!
これを読んで「こんなの書くんだ〜?」とおもったでしょうか?
それとも、「のぞみらしい」と思ったでしょうか?
どちらと思ったとしてもこれは「そういうはなし」なのです(^_^;)
「マリア様がみてる」本編や同人誌を読んで、書こうと思ったのですが、単純にパロディを書こうとは思わず、オリジナルの世界を作って、そこにいろんな要素を入れてみました。
このお話のなかではあんまり出て居ませんが、これから書く予定の「本編」にはいろいろと出てくる予定です。
実は「本編」は3年位前から書いているのですが、途中まで書いてから行き詰ってやりなおし…ということを繰り返していて、進んでいません。(もっとも、書いておいてほったらかし…という時間の方が多いのですが)
このお話はその「本編」の流れのなかに存在するもので、かなりあとの方の話になります。いってみれば、『マリア様がみてる』でいうところの「チェリーブロッサム」、『グインサーガ』での「七人の魔道士」に相当する話です。(って、わかる人にしかわからないし、しかも微妙に違ってもいるか…汗)
なぜ、本編を差し置いてこういうものを書いたか…それは、先に未来の話を書いておいて、設定を決めてしまおうという意図があります。他に、思いついちゃった(笑)ってのもあるし。これで本編に縛りが加わりますが…逆に書きやすくなるんじゃないかな〜とか思って居たりもします。でも、書いていてつじつまが合わなくなってきたら、こっそりこっちの話を変えてしまおうとも思っていたりもしています(^_^;)
この話を書こうと思ったのが、9月中旬、最初の予定では連休三日間で書き終わるつもりでしたが、それだけでは終わらず、HP更新と日記、掲示板をお休みし、携帯までも動員して、結局終わったのが11月末。ずいぶんと掛かりました。まぁ、最初の三日間で終わらなかったときにこれは長丁場になるな…と予想はしてましたが。でも、なんとか年内には終わってひと安心です。
最後に、このような時期(12月)に書き上がったりすると、同人誌として出すんじゃないかと思われる人も居るかもしれませんが、そういうことはありません。また、何かの賞に応募するなんてこともありません(^_^;)そのような実力はないと思ってます。
(でも、本を出してくれるという奇特な方がいれば別ですが)
自己満足で書いていますので、いまは書く事ができただけで満足です。
公開はHPでひっそりとしていきます。
そういうわけで、ではこの辺で。
静風のぞみ 2003年12月14日
初期構想期間:2003年9月11日〜13日頃
執筆期間:2003年9月14日〜11月30日