若草山焼き

  • 若草山焼き行事は、古都奈良の新年を飾る炎の祭典として、親しまれています。冬の夜空を美しく彩る打ち上げ花火の後、山肌に点火された火が約33ヘクタールの全山に回り、古都の夜空に山全体が浮かび上がる情景はまさに壮観といえます。
    午後6時の花火を合図に松明の火が枯れ野に注がれるとなだらかな山肌は火の海となり、炎が空を赤く染める。
    由来は、東大寺と興福寺・春日大社の境界を定めるためと伝えられています。 
     
         


2003年の若草山焼きの様子(近景)はこちらから(スライド)
2002年の若草山焼きの様子(遠景)はこちらから(スライド)


  • 祝日三連休化(ハッピーマンデー)を目的としました、平成10年10月の「国民の祝日に関する法律」の改正により、平成12年から「成人の日」と「体育の日」がそれぞれ1月と10月の第2月曜日となりました。
  • かつて1月15日に行っていました若草山焼き行事は、平成12年より、「成人の日(1月第2月曜日)」の前日、三連休の中日に実施されます。


【山焼きを楽しむワンポイント】


  • 若草山は、奈良のランドマークとして知られているとおり、奈良市域だけではなく、西は大阪と奈良の県境を構成する生駒山地から、南は万葉集の時代から親しまれている大和三山のそびえる橿原一帯からも見ることができます。
  • これらの地域から山焼きを楽しむこともできますが、やはり勇壮な炎の迫力と打ち上げ花火の美しさを満喫するには奈良公園一帯 を訪れていただくのが一番です。
  • ただ行事当日は公園一帯で交通規制 が行われますので、公共交通機関をご利用しての来園をお勧めします。
  • 若草山のある奈良公園一帯は、平成10年12月に世界遺産に登録された東大寺、興福寺、春日大社、春日山原始林、元興寺などが短時間に散策 できる地域ですので、午前中は世界遺産巡りをし、午後からは若草山麓で和太鼓演奏や若草粥を楽しんでいただき、夜は山焼きを間近で見て、いにしえの歴史に思いをはせてみてはいかがでしょうか。
  • もちろん奈良の鹿もみなさんのご来園を待っています。


【山焼の起源は?】

  • さて、若草山焼きの起源の一説として一般に信じられているのは春日大社、興福寺、東大寺の領地争いが元だといわれています。
  • 現在、奈良公園の中を流れている吉城川を境として、南側が春日大社、興福寺、北側が東大寺の領地であり、その上流が水谷川でこの川は春日山と若草山の谷間をつくっています。
  • 若草山の南西の麓に東大寺の造った石荒神があり、二重目の谷間には春日大社の石地蔵、さらに三重目頂上にある鶯塚には東大寺の建てた石碑があり、両社寺の境界が若草山一帯では相当複雑であったことを物語っています。
  • この双方の境界の問題が表面化した宝暦10年(1760年)、奈良奉行が境界争いを5万日預かると仲裁し、関係者立ち会いで山を焼いたのが起源といわれています。
  • 別の一説には、山に潜む猪を追い払うためであるとか、あるいは害虫を焼き払うためとか、更には春の芽生えを良くするための原始的な野焼きの遺風を伝えたものとかの説もあるようです。
  • いずれにしても勝手気ままに焼くと、付近堂塔伽藍に延焼するおそれもあるので毎年日を決めて焼くことになったと思われます。


【山焼の必要性】
  • また、現在の若草山の管理面からみた山焼きの必要性として、まずに火災予防 があります。
  • 若草山は、例年春の開山(3月21日)から一般に開放しています。その際に萱・ススキ・芝が一年を越えて残っている状態であると、利用者の失火などにより火事を起こすおそれが強くなります。
  • またその際の火の拡散も速くなり、背後にひかえる春日山原始林への延焼等の大規模な火災につながる可能性も高くなります。火災を未然に防ぐために、冬の間に草地を焼き払うことが必要ということです。
  • 次に萱・ススキ・芝の育成と景観の保全があります。冬に山を焼くことは、古い萱・ススキ・芝を焼き払うことにより、新しい芽の成長を促す効果があります。
  • 若草山の草地を構成する萱・ススキ・芝は冬に焼き払われることにより、春に新しく芽生え夏に青々と繁茂するという季節にあった変化を見せます。
  • 奈良のランドマークである若草山が、四季折々の変化を見せることが奈良に暮らす人々の生活に根ざした景観の保全であると考えます。


この記事は、奈良県及び奈良市のウェブサイトを参考につくらせていただきました。

 

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