第6回アラブ大賞典
第16回クイーンカップ(重賞)
第13回スプリンターズ賞(重賞)
この年について(番外編)
アラブ大賞典
ヨシノキングの年であった平成5年が終わり、新たな希望に燃えて、平成6年は、スタートした。例によって、高崎→アラブと続く、大賞典の連闘だ。アラブのレースは、ひまわり特別以来だ(オープンに限る)。
ただ、顔ぶれは、相変わらずのメンバー。それでも、たまにしかこない僕は良いのだが。その中でも、やはり注目は、ヨウメイスター。ひまわり特別から冴えないレースが続いており、ここで復活を期する。対するのも、ツキノキング。すっかり、当地アラブの主役となり、なんと、4連勝の勢いでここに挑む。後は、明け5歳になる、フジノケンザンと、ウルトラパワー。フジノは、北関東アラブチャンピオンを制し、前走もツキノキングの2着。追い込み炸裂するか。ウルトラは言わずもがな、ひまわり特別で2強を破っている、驚異のスピード馬。その中でも、僕は本命ツキノ、対抗ヨウメイ、3番手ウルトラ。何と、馬券も的中して、さい先のよい年となった。
1着ツキノキング、2着ヨウメイスター。ヨウメイスターは、細く長いトンネルに入ったかのような感じで、そこに一抹の寂しさを覚えた。 PAGETOP
クイーンカップ
このレースは、言葉は悪いが、たまたま見に行ったらやっていた、としか言えないぐらい、印象にない。この年の4歳馬は、3歳優駿を見なかったこともあり、あまり馴染みがない。ちなみに、ビクトリーシーザー世代なので、グランドツアラーもいて、けっこう面白い世代であった。
さて、クイーンカップ。この日、1レースから、馬券の方は調子よく、このレースでも、結構自信はあった。狙い目は、前走特別戦に出ていた、トドロキアサヒ、フジロータリーの2頭に、追い込みのクリスタルヤワタ。穴目のクリスタルヤワタが、見事に勝利。しかし、2着に、クライトマドカ。馬券は外れ、収支の方も、トントンになってしまった。クリスタルヤワタは、金沢経由で中央入り。結構人気にはなったが、大成しなかった。 PAGETOP
スプリンターズ賞
このレースには、ダービーテイオーが出走していた。この馬も、かなり底を見せてしまい、とても大物とは言えない成績に甘んじていた。ただ、この馬が強さを見せていたのを知っており、なおかつ、あのヨシノキングとともに、平成5年を盛り上げたと言うこともあり、馬券はこの馬から買った。ほかの馬に注目すべき馬はおらず、強いて言えば、平成4年の高崎大賞典の1番人気馬、コーランボーイがいたぐらいか。
いやー、期待に応えたのは、ダービーテイオー。ダービーに次いで、2度目の重賞制覇。2着は、どこかで聞いたことのあった、インターエリモ。相も変わらず、いまいちすっきりしないレースだ。本当に、これでは、思い入れもあったものではない。これは、正直な気持ちだ。高崎競馬への関心も薄れたのも、このころだったか。以来、平成6年、高崎競馬場に足を運ぶことはなかった。 PAGETOP
この年について(番外編)
この年は、ヨシノキングに注目していた。その割には、開設記念を見に行ってないのが悔やまれるが。しかし、交流レース最高峰、大井の帝王賞を観戦した。残念ながら、資料をなくしてしまい、詳しいことにはふれないが、ヨシノキングも人気となっていたはずだ。なにせ、開設記念を、2秒以上の大差で圧勝。茂呂騎手の、ピースサインも有名となった、あのレースだ。中央勢も、初ダートのフジヤマケンザンが1番人気になるぐらいのメンバーだ。ついに、全国制覇への道をあゆもうとしていたのである。
しかし、現実は、非情であった。結果は、10着だったと思う。ただ、この1戦が全てとは、思いたくなかった。パドックでは、いれこみがきつく、ナイターも影響しただろう。フジヤマケンザンさえ、全くなにしに来たのかわからないぐらいの最下位惨敗。確かに、力不足は否めない。しかし、まだチャンスはあるだろう。次の機会にも、期待しよう。
そう心に誓ったものの、その後のヨシノキングは、地元で走った後、笠松を経て、中央へ移籍。もはや、語り尽くせぬほどの流浪を経て、現在に至っているのだ。そう、まだ走っているのだ。しかし、高崎を離れた後は、ただの1度も、地元凱旋はなかったはず。僕は、本当にやるせない気持ちであった。気力が萎えたのも、ヨシノキング移籍がかなり大きかった。ライバル、ステートジョージも、中央へ。この馬の場合は、オーナーブリーダーだったので既成路線だったのかもしれない。
しかし、地元では移籍馬ばかり、強い馬は、ほかへ移籍。これでは、ファンもつかないのでは。競馬の、経済的側面を考えれば、より高い賞金を目指すのは当然である。ただ、それのみを追求すれば、ファンの気持ちをつかむのは難しい。高崎競馬自体の、存亡に関わってくる。今の惨状を見れば、いかにヒーローが育たないかが、よくわかる。
ただ、各関係者の涙ぐましい努力は、十分承知しているつもりだ。飽くなき中央への挑戦は、途切れることがない。これは、決してほかの公営競馬では見られない姿勢だ。特に、栃木が交流に消極的なだけに、この挑戦は立派の一言。そうして僕は、高崎に戻ったのだ。
話は変わるが、観戦記中、「あの」と、括弧付きで呼んでいたダンディテシオが中央で活躍したのが、この年からであった。函館で900万レースで勝って以来、この馬の活躍は、めざましかった。連闘でオープンに挑み、ものすごい追い込みを見せた。このレースで、この馬の追い込み脚質が、中央でこそ生かされると確信、以後の活躍が楽しみとなった。移籍について批判したそばで矛盾してはいるが、移籍して成功すれば、僕も素直に喜びたい。ただ、ヨシノキングの場合、必ずしもそういう気持ちには成れなかった。南部杯で2着に入ったときも、東京記念を逃げ切ったときも、当然嬉しかった。ただ、これが高崎所属であったら・・・そう思うのも、率直な気持ちである。
とまれ、気持ちが高崎に戻ったのは間違いなく、以後、平成7年へと続けさせていただく。 PAGETOP