トラの物語


村岡町Wフルウルトラマラソン(
88K)の物語です。

1999年9月26日朝5時30分 
ハチ北高原中腹の暗い中250名がスタート。
少し走ると登りになり(5Kで)ハチ北スキーに着きました。スキー場から一気に国道9号線まで下り(10K地点)一服するひまも無くまた、中腹まで登り、またまた9号線まで一気に下り、ここまで約20Kでした。

この頃からヒザが少しおかしくなりだしました。
ここから初めて平坦な道になり 少し余裕が出ました。9号線沿いに村岡町の街の中を往復、町あげての大会なので各家からの応援の人で、走るより挨拶するのに疲れました。

9号線を渡り蘇武ヶ岳(1,000m)に挑戦です。きつい坂で最初から歩きです。3合目からジャリ道で石がゴロゴロ、ヒザも相当痛みがきていましたし歩いてばかりでタイムは伸びないし、ひょっとしたら半分も(44K)無理では?? 不安が脳裏に-----我慢して(歩いて)展望台に着きました(38K地点)エイド(給水所)で、ヒザに水や氷で治療しながらのマラソンは、滑稽で、どうしてこうまでして走るのか? 答えは本人も分かりません。

山道で少しでも平坦なところは、時間を稼ぐためビッコ引きながらのランニングです和歌山(田辺市)から参加のランナーと途中一緒になり、44K過ぎると気持ちが楽になる)と励ましていただきました。展望台で北を見ると平野に白と銀の大きな建物がありました。何と8月29日に走った神鍋山の但馬ドーム(神鍋マラソン大会)ではないですか言葉にならない感動が沸いてきました。すごいところを走っているんだなと。
44K過ぎから、先頭を走っていた数人に出会うことが出来追いついたことで、逆に元気がでました。やっと、45K地点(蘇武岳下り中腹)残り半分。

ほとんど歩きなので、両ヒザの負担も軽く痛みも少しは慣れてきましたし、せっかくここまで来たのだからガンバッテみようと思うと 50K地点に到着。
残り
38Kになるとすごく気持ちに余裕がでました。
フルマラソンより距離が少ない!! この頃から、少しでも前に行かなければ---使命感のようなかんじです。完走するには、5Kまたは10Kを何分で走ったらいいのか、頭の中で時間計算59Kで第一チェックポイント(制限10時間)9時間でクリア(順位203位)レストエイド---ソーメンが美味い、おにぎりもウーロン茶もうまい。10分休憩しました。

和歌山の九鬼さんが(時間が無いので
先に行きます後で追いついでください。) 先に行ってしまいました一気にソーメン3杯流し込み、いそいで後を------但馬大仏(通常800円)無料で大仏さんの周りを2回参拝の人達が応援してくれるのですが、今日は参拝する元気もありません。
9号線の旧春来峠を、また歩いたり歩いたり、たまに走ったり、下りがヒザに負担がかかり(痛い!)思わず口走ってしまいます。

74K第二チェックポイント(11時間30分)11時間18分あぶない!どうにかクリア残り14K。あと2時間しかも最後の峠もきついらしい?。ここから5Kは、平坦な道だったのでK6分前後で余裕の走り?4Kほど行くと赤いパンツのランナー(かけっこクラブの強靭な足のメンバー)に出会いました。思わず(何でここに居るんや!)と言ってしまいました。聞くと、前半飛ばし過ぎて50Kで足に来てしまった様です。

 登りに入ると多くのランナーに出会うことが出来、気持ちがすごく楽になりました。景色は見えず(暗くて)気温は下がってくるし----しかし、大勢のスタッフの励ましに助けられました。 前方にゴールの灯かりが見えてきたときは、安堵と感激が一度にこみ上げてきました。ゴール手前50mで(ゼッケンNO94 トラさんが来ます)アナウンスしているのが聞こえてきます。大勢の応援の中 一気にゴール!多くのランナーに迎えていただき、握手、握手タイム13時間13分(164位)11制限残り17分。

よかった よかった。初めてのウルトラマラソン完走です。
 マラソンはストーリーのないドラマです。何が起きるか、何が起きても不思議でない同じ苦しみを味わうと心と心が通じているような感じになりました。今回は、和歌山の九鬼さんに出会わなければ、完走は無理だったと思います。 来年はみんなでドラマを作りにいきましょう。ビール最高に美味しかったです。