ナチュラルヒーリング研究会 会報『光臨』 第2号 |
1994年1月23日 発行 |
今年はやえぞ!かんきぞ! 〜1月3日天河にて〜 「これは神事ぞ」 去年の11月、突然に頭に響いた低い声。瞬間に刑部は1994年の1月2日に天河に入ることを決めました。 ときは1994年1月3日。ところは天河神社。 1月2日に天河入りした刑部は3日の早朝、神業をする天河の柿坂宮司の祝詞を聞きながら、能舞台に座っていました。きりっとした冷気のなかに響きわたる祝詞と太鼓、笛、鈴の音。踊りだしたくなるような心地よさを感じながら結跏趺坐(ケッカフザ)で座っている刑部。 太鼓が響き、笛の音が舞い、鈴の音が降り注ぐなか、柿坂宮司の祝詞が高く天に昇って行きます。 あー、踊りたいー。 刑部のなかから沸き上がってくる喜びの気持ちが、自然と体を動かしはじめました。 と、刑部の目の前にどーっと白龍が姿を現わしたのです! 白龍が刑部の頭上を舞うように泳ぐように動いているのです。そして、その白龍の背中には三人の巫女さんが乗り、ゆっくりとした白龍の動きに合わせて、手に持った扇を右へ左へ振っています。 頭上を舞う白龍と三人の巫女さんの姿を見つめる刑部の頭に声が響きました。 やえぞー、かんきぞー。やえぞー、かんきぞー。弥栄ぞー、歓喜ぞー。弥栄ぞー、歓喜ぞー。 うれしい〜!と刑部が思うのと同時に、今度は赤と金の衣装をまとい金の髪飾りをつけたお姫さまが! 今までの透き通るような白の映像に、赤と金がばっと現れたのです。その美しいこと。 お姫さまは赤と金の衣装の裾をなびかせて、すぅーと刑部の目の前に来、やがて、美しく喜びにあふれるビジョンを残し、ゆっくりと消えて行きました。 そして次の日。 刑部は次の目的地、皇太神宮へと入るのですが……。 その日の朝見た夢が―― というところで話は次の機会に。 ちょっとだけ言ってしまうと刑部が夢に見たピラミッドと、そっくりの山(写真左)が皇太神宮にあったのです…。 やえのやは八。天が開いていくこと。次の段階へと大きく大きく展開していく。また、大和のや、天の安河のや。かんきは、歓びと喜びです。今年はよろこびの年になります。変化は悲しいことではなく、むしろよろこびです。今まで苦しみととらえていたことをよろこびととらえ、魂の時代に入っていくのです。それはまさに、歓びと喜び。 と刑部は言っています。 |
神の化身・サイババに会う 〜後編〜
サイババの住むプッタパルティには、照りつける暑い日差しの中、より近いところでサイババに会いたい、できれば個人謁見によばれたいという大勢の人たちが集まっています。(並ぶ場所の順番は抽選で決まります)そんな中で刑部は突然よばれ、VIP席に案内されてしまいました。自己紹介したわけでも、誰かの紹介があったわけでもないのに。 そして、その場所で刑部の見たものは、インドに根強く残るカースト制度でした。 どうしてもサイババに会いたい。そして話したい。深いワケを抱えたようなアメリカ人が中に入れてくれと必死に訴えています。けれど、どうしても受け付けてもらえません。そのアメリカ人も、外で待っている人も、VIP席には入れてもらえないのです。 ところが、後からそこにやってきたのは、インドの貴族の人たちでした。 サイババ、あなたがいるところでさえも、カースト制度があるとは!神はサイババをとおしてこんな形で私を試すのか。それなら私はもうサイババに会いません。刑部は強くそう思いました。 厚く、重い雲が刑部の心を占めたままインドでの時間が過ぎてゆき、何日目かの朝。 刑部の泊まっているホテルの窓に一羽の烏が飛んできました。食物を探しに来たのか、それとも日本からの旅行者を見物に来たのか。烏がいるな、くらいに刑部は思っていました。ところが烏は窓に止まったまま飛び去る気配がありません。そんな烏の様子を見て、刑部は声を掛けました。 「お前は、サイババの使いか?」 「カァー」 「サイババの使いであるなら、私の話をサイババに伝えてくれるか?」 「カァー」 それならと、話し始めた刑部の言葉を微動だにせずに聞き入る烏。滔々と流れでる波動。言葉は言霊となって、刑部の思いを乗せて行きます。 どれほどの時間が経ったのか、刑部が全ての話を終えると、パタパタという羽音を残して烏は飛び立って行きました。 そして、その日のダルシャン。 いつものように最前列のVIPの座る席に案内され祈り始める刑部。 オレンジ色のローブをまとったサイババが現れ、人々に祝福を与えながら歩いてきます。少しずつ、少しずつ、刑部の方へ。 そして、サイババはそのまま刑部の前を通り過ぎ、扉の向こうへ消えて行きます。 と、そのとき、 えっ? 両手を合わせて祈っていたはずの刑部の手が何かを握っているのです。 私は何も持っていなかったはず…。けれど、この確かな感触は?これはいったい何? 「何かを握っている!」 刑部は何かを握りしめているその手を振り上げて叫んでいました。ブルブルと震える左手です。 「先生!」 男性の列に連なって座っていた、同行者の人が刑部の異変に気付き、すぐに外へでるようにと刑部を促してきました。(ここは男女が別々に分けられて座らなければならないのです) 慌てて外にでた刑部は震えの止まらない左手をそっと開いてみました。 そこにはなんと、きっちりと新聞紙に包まれた、指輪二つとペンダントヘッド四つがあったのです。 こうして刑部のインドへの旅は終わり、持ってかえってきた指輪やペンダントヘッドは、人々の心の病や体の病を癒してくれています。 田村氏(エイトスター・ダイヤモンドの主宰。湯川れい子さんの元夫)は、目の前でサイババが取り出して与えてくれる方法以外で指輪やペンダントヘッドなどをもらった人は、たぶん刑部が初めてではないかと思う。と言ってらっしゃるそうです。 また、矢山氏(外科医。気の研究・実践者)は、これらの指輪やペンダントヘッドのパワーは物凄いとおっしゃっているそうです。 |
清里の夜にエネルギーが降った 〜後編〜 エネルギーが降った夜から一夜明けた11月7日。ペンション「マリオネット」を後にした私たちは、おみやげ屋「清里カントリーくらぶ」でコーヒーブレイクをすることにしました。 他の人たちがおみやげを物色しているとき、私と刑部だけがテラスに残りました。 「あの雲、消してみようか」 刑部がイタズラを思いついたような顔で言いました。 「あんまりこういうこと、やっちゃいけないんだけど」秋の清里らしい清々しい青空に漂う白い雲のひとつに向かって、刑部が両手を差し延べ、「シュー」と口でエネルギーを送るような音を発しました。 そのとき浮かんでいた中では、比較的大きな雲だったのですが、次第にその輪郭が頼りなげになっていき、そして一分程で、すっかり姿を消してしまったのです。 刑部はイタズラに成功した子どものようにニッコリ笑って踵を返し、おみやげ屋さんに入っていきました。 買い物を終えて、テラスでコーヒータイムとなりました。刑部を含めて七人のメンバーが、柔らかな日差しの下で、くつろいだおしゃべりに興じました。 その最中です。 「ほらほら、あそこ。雲が緑色になってきた」 刑部が指差した方を見ると、太陽の下のあたりの雲が、確かに薄いグリーンに染まっています。現象そのものは、「雲を作っている結晶体が太陽光を分解した」ということになるのですが、不思議なのはその現れ方です。 太陽の周辺に緑の雲がどんどん広がっていくのです。そのうち、一部の雲はピンクに変わっていきました。 さながら緑とピンクを幾重にも重ね合わせたパステル画のようです。私たちはしばらく、雲の色彩パフォーマンスに見とれていました。 ところが、またまた刑部がピックリするようなことを言ったのです。 「太陽が緑になってるよ、見てごらん!」 見てごらんと言われても、まぶしくて太陽を直視することなんかできません。 「しっかりと目を開いて見れば大丈夫だから」 刑部のアドバイスに、一人一人が思い切ってトライしてみました。 「本当だ。太陽の真ん中が緑になってる」 「まぶしくないね」 「緑の太陽が、だんだん近づいてくるように見える」 みんな興奮しながら口ぐちに自分の目に映る緑の太陽を表現し始めました。 「ね、見えるでしょ。あれが太陽の本当の姿なのよ。本当の太陽は緑なの」 刑部もいくぶん興奮気味です。周囲のテーブルの人たちいったい何事かと、空と私たちの顔を交互に見比べていました。 私は以前、刑部の家で緑の太陽の写真を見せてもらったことがあります。それは三年前、刑部が岐阜の位山(くらいやま)で見たものを、同行したカメラマンが撮影したのです。そこにはハッキリと、山合いに輝く緑の太陽がカラーで写っていました。専門家の話では、トリック撮影ではこうは写らないそうです。 ところが自分の目でそれを確かめる機会を得たこのとき、残念ながらわたしはまぶしさを完全に克服することができませんでした。 目を細めながら見た太陽の中に、緑色の輝きを見たのは事実です。しかし、太陽に限らず強い光体を直視したとき、人間の目はその中央部に緑か黒の点が生じるようにできています。自分の目で見たものが、そういう類のものなのか、それとも本当に太陽の本体なのかは、確認できずじまいでした。 そうは言っても、清里の空に展開された美しい不思議現象は、やはり何か意志あるエネルギーのパフォーマンスだとしか思えません。おそらくそれが、刑部を見守っているものでしょう。 私見ですが、刑部のいう太陽の本体とは、神界次元における太陽の姿ではないでしょうか。すなわち肉眼ではなく、天眼でしかとらえられないものです。 かくして私たちの清里への旅は、緑の太陽の出現という最高のクライマックスで締めくくられたのでした。 東京に戻り、現像したフィルムには、緑の太陽そのものは写っていませんでした。しかし、太陽が発している光は緑に写っているのです。そして緑とピンクに輝く周囲の雲。この美しくも不思議な光景は、写真とともに私の記憶から消えることはないでしょう。 ――おわり |
飛騨位山秘聞 1991年6月3日、飛騨高山の町の小高い丘の上の喫茶店からフト窓の外に目をやると、うしろに光背のような光を放つ山を見ました。土地の人達に「あれはなんという山なの…」と尋ねると「位山といって、古来からピラミッドの山といわれる伝説の霊山です。」と教えられました。 外に出てその山を見ると、やはり不思議な光を放っていたのです。 心がグイグイ引き寄せられていきました。 翌、7月13日台風の為、三度の足止めをされながら安房峠を越えて位山に。9時頃から登り始めて、3時間程で頂上に着きました。途中いろいろな現象が起きたのですが、それは又書く事にして、天の岩戸と書かれた巨石の前で手を合わせた時、突然「アマテラスを奉じなければならん!」という言葉が口をついたのです。そのとたん、「よーわかった!!」という声が脳裏に響きわたって、たれこめる厚い雲が円形に開き始めて、真上に太陽があり、次から次へと光の輪が降臨してくるのです。一緒に登った四人の男性達は知らず知らずの内に上半身裸になって、その光の輪に向かって手を伸ばしていたのです。 降臨する光の輪を見ている内に、その上の太陽が突然緑の太陽に変わっていきました。 緑の太陽、それもエメラルドグリーンの太陽。そして山全体がピラミッド。この日から、私の本格的な霊性の旅が始まりました。 |
刑部恵都子 |
※記事は掲載当時のものに一部校正を加えています。教室の構成など現在と異なります。 |
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