ナチュラルヒーリング研究会 会報『光臨』 第4号
1994年7月1日 発行
金剛峯寺で見たもの 〜1994年 5月28・29・30日〜

1994年5月28日から30日にかけて、刑部は岐阜のMさんと松本のCさんと3人で、高野山・金剛峯寺に行ってきました。
 前号で、4月にナチュラルヒーリング研究会で天河に行った時、刑部に「早く金剛峯寺にいらっしゃい」というメッセージが響いたということをお伝えしましたが、実はこのメッセージはこの時が初めてではありませんでした。
 その2ケ月程前の2月20日、刑部は美内すずえさん(漫画「アマテラス」の作者)とYさんの3人で天河に行かれました。そして、天河では13年ぶりという夜中の神事を受けました。能舞台で柿坂神酒之祐宮司の大祓祝詞(おおばらいのりと)を聞いていた時のことです。
 二つの階段のうえにそれぞれ仏像のビジョンがあらわれ、同時に刑部の頭に「金剛峯寺」という言葉が激しく響き渡ったのです。左側の仏像には六本の手があり、右側は剣を持った不動明王のようでした。
 後で柿坂宮司にお伺いしたところ「左は八臂弁財天、右は弥山に祭られている不動明王ではないか」とのことでした。では、「金剛峯寺」というのは何だったのでしょう?

 そして4月、再び天河に行くと「早く金剛峯寺にいらっしゃい」という声が降りたのでした。
 そうまで言われて、行かない訳にもいきません。そして、今回の高野山行きになった訳です。
 さて29日、金剛峯寺の奥の院で3人でお祈りをしていた時のことです。刑部の手が急に何か強い力に引っぱられて、祭壇の方につっこんでいきそうになりました。MさんとCさんは、必死に刑部の体を引き戻しました。そして、暫くして、今度は刑部の目の前に大きな大きな仏様があらわれました。しかも、そのビジョンは動いているのです。炎を背負い、三つの目があり、そして六本の手!
第4号の1  それだけではありません。もう一体、別の仏像が現れ、刑部の口から「クジャク、クジャク、クジャク」という言葉がとめどもなく溢れだしてきたのです。
 クジャク、クジャク、クジャク、クジャク‥‥。
 これらの現象について、お坊さんに伺ったところ、刑部の見た六本の手の仏像は「愛染明王」であり、クジャクという言葉とともに現れた仏像は「孔雀明王」ではないか、ということです。
 しかも、金剛峯寺では、左側に愛染明王、右側に不動明王を祀ってあったのです。つまり、刑部が天河の能舞台で見たビジョンは、八臂弁財天ではなく、愛染明王。不動明王も金剛峯寺に祀られている神仏の姿だったのです。これで「金剛峯寺へ行きなさい」という言葉の謎が解けました。
 そして今回、孔雀明王が新たに加わりました。

 では、これら一連のビジョンの意味するところは何なのでしょう。
 愛染明王は「愛」を司る仏様です。不動明王は「力」。そして孔雀明王は、孔雀が毒蛇を食べるところから、「毒を制し、また災害から救う」仏様だと言われています。
 刑部は、この時期ずっと「究極の愛とは何か?」ということを思い続けていたということです。前号の「光臨」に「木星と彗星の衝突について祈ろう」という話があったと思います。刑部がこの大規模な自然現象に対して、何とかそれを変えることができないかと思っていた時「天体の動きを変えようというのは無礼だ。すべては愛の力。この世は愛に満ちなければいけない。神も愛。光も愛。すべてが愛の中に生きなければならない」とというメッセージが聞こえてきたということです。
第4号の2  では、愛の力とは何でしょう。それは、とても簡単には言葉であらわせるものではありません。その答えを刑部が真に求めた時、何かが指し示されたのです。
「ひとつの大きな流れの中、何かを伝えられるべくして、そこに導かれていったのです。それが必要だったから、そういったことを学ぶ必要があったから」と刑部は語ります。

 その答えの一端は、刑部から「祈りの呼び掛け」という形で会員の皆さんにも示されました。
 それは「念力で天体の軌道を修正しよう」ということではありません。愛の波動に包まれた時、自然に災害が回避されるということ。それは、例えば癌患者が感謝と愛の心に満ちた時、自然治癒力によって癌細胞が消えていく様子に似ています。
 あるいはこういう言い方もできるかも知れません。天変地異や災害が、もし何かの警告だとしたら、私たちの多くが、正しい想念、愛に満ちた思いを持つことで、その警告が必要とされなくなるかも知れないのです。自分のためにではなく、人類のため、地球のため、災害を防ぐために祈ることとは、そういうことなのではないでしょうか。

金剛峯寺〔こんごうぶじ〕
天台宗の比叡山と並び称される密教の聖域、真言宗・高野山の総本山。
816年、弘法大師空海が開基。和歌山県の北東、八葉蓮華の峰々に囲まれた高野山には125の寺院(53の宿坊)があるが、その中心の「壇上伽藍」と呼ばれる地域のさらに奥の「本中院谷」に位置する。現在の金剛峯寺は16世紀末に建造された青厳寺と興山寺を合併したものを指す。


明るい『日月神示』−入門編−  岡本三典さんが「ア●の巻」を新解釈

 日月神示(ひつきしんじ)――。
 それは、昭和19年から16年間に渡って、画家であり神道研究家でもあった岡本天明氏を媒介として、自動書記によって示された神示で、「一二三」(ひふみ)とも呼ばれています。
 その内容は、日本はもとより、地球上の全人類に対する警告と救済の途を示すものです。しかも、現実界だけではなく、神界、幽界を含む「三千世界」の全仕組みを組みかえる神のシナリオだと言われています。
 しかし、神示の全文は漢数字と記号とカナで記されており、解読が非常に困難で、なおかつ八種類の読み方ができるということです。
 今回、この日月神示第16巻「ア●の○キ」を新たに解読したのは、故天明氏の奥様の岡本三典(みのり)さん。刑部は、5月の28日に名古屋の天明展で三典さんにお会いになり、日月神示の新しい解釈法と、ここ数年間、刑部の中に響いてきている「言霊」(高次元からのメッセージ)の世界との深い繋がりを感じたそうです。そして、是非もっと詳しいお話をお聞きしたいということになり、6月22日、高井戸地域区民センターで、ナチュラルヒーリング研究会の主催による、三典さんの講演会が実現しました。
 三典さんは、日月神示の全巻を天明氏の存命中何度も読まれたということですが、天明氏自身の解読による第16巻については、読むと頭が痛くなり、間違いではないかという指摘を繰り返していたということです。
 天明氏は昭和38年に66歳で亡くなられましたが、三典さんが日月神示の解読に取り組みだしたのは、その5年後。O先生という方の協力を得て、20年以上の歳月をかけて「字の極意」に到達し、「命はこうなっているという平らな言い方」ができることに気がつき、それが自分の仕事であることを自覚されたそうです。
 さて、三典さんの解釈によると、ヒフミ(一二三)のヒは、陽・日・秘の三つ字が当てはめられます。陽は陽性、日は太陽ですが、問題は最後の「秘」。これは二つに分解すると「必ず示される」ということになります。
 次にフですがこれは、負・父(母)・普の三文字。
「天の親はあまねく責任を負っている」という意味です。
 そして、ミは実。実は「ヒもフもミも同じ意味だった」ということで、この宇宙の直接の親を示します。
 一(ヒ)と二(フ)と三(ミ)をたせば 六(ム)。
 これは無であり、務(つとめ)です。
 さらに、アルファベットの順番でいくと、ヒはH(8)とI(9)で17。
フはF(6)とU(21)で27。ミはM(13)とI(9)で22。これをたすと、17+27+22で66。これは云々と読め、云は運ぶという意味があります。
 そして、ムはM(13)とU(21)ですから、たして34。これを先程の合計の66にさらに加えると、66+34で100になります。百は一と白、一は絶対をあらわす神の数、これを白(もう)す、ということです。
 問題の第16巻ですが、「ア●」に「荒れ」という字を当てはめるのは間違い。1〜15巻は表で、16巻からが裏。表は男で裏は女。16巻からは、裏付けの時代、女の時代に入ったということです。
 大まかな内容は「神は数として、文字として出現している。今までは、具象の神を拝んでいたが、それは相対次元の神様。本当の元の神様は抽象的存在で、文字として出現する。文字に悪い意味を持つものは一つもない。神の道、真の道、一二三の道を歩めば、必ず素晴らしい世界が実現する。それは、喜びごとを開く道であり、世に光輝く道。そして、その道は決して遠くない」というものです。
 今まで、日月神示と言うと、人類破滅とか、天変地異だとか、やたら暗い面ばかり強調されて来た感がありますが、三典さんの解読はあくまで明るいもの。
 もともと八通り読み方があると言われている日月神示ですから、今まで新しい解釈が出現しなかったのが不思議なくらいです。そして、「予言」が事実だとしたら、その読み方ひとつで私達の未来も変えていけるものなのかもしれません。

 ※注)●にはうずまき模様の字が入ります。
☆         ☆         ☆
 昨年の8月、三典さんは不思議な体験をしました。広島市で天明氏の遺作展を開催していた時のこと、会場近くの元安川のたもとに落ちていたという折り鶴がひとつ、三典さんの手元に届けられました。
 三典さんが、その折り鶴を広げてみると、それはチラシの紙を切って作られたもので、「倉敷市玉島」と文字が印刷されていたのです。実は、この倉敷市玉島というのは天明氏の生まれた所。折り紙は「神がおりる」に通じ、古神道の御霊静めの行法が民間に伝承されたものです。
 三典さんは「夫が鶴になって見守っていてくれた」と感じ、日月神示の新しい解釈も認められたと確信したということです。
 
刑部と日月神示

第4号の3  三年程前、刑部が少林寺拳法のI先生らと一緒に「氣の研究会」をやっていた頃のお話です。ある日I先生が「こんなものがあるよ」と持って来たのが日月神示。ところが、実は刑部もちょうどその頃日月神示を読んでいたのです。
 「これは、奇遇ですね」ということになり、早速I先生と刑部、KさんとI先生のお弟子さんの四人で千葉県成田市の麻賀多(まかた)神社へ出掛けました。この麻賀多神社の境内末社である天之日津久(あめのひつく)神社こそ、かの岡本天明が感応し、神示の自動書記をはじめた所なのです。
 四人が神社の境内にたどりつくと、ひとりの男の人が走り寄ってきました。話を聞くと京都から来たお医者さんだということですが、体が自然に引き寄せられてしまったのだそうです。
 さて、いざ参拝をしようと日月神社の前に立つと、刑部の体はどーんと、後ろの方へ撥ね飛ばされてしまいました。立ちあがって、また神社に近づくと、やっぱりどーんと。それを何回も何回も繰り返しました。KさんやI先生に体を抑えてもらい、やがてその波動がおさまると、今度は雲のような赤いエネルギー体のようなものが、日月神社から道を這うようにこちらに向かってくるのです。
「来た、来た、来た、来た」
 と、京都のお医者さんは興奮して叫び出したほどでした。そのお医者さんはしばらくして、地元で「教祖」になったということです。
 そして、もう一つ刑部をひきつけたのは、境内にある御神木である杉の木から発せられる光とエネルギーの強さだということです。
 それから何回も刑部は日月神社に行くようになり、ナチュラルヒーリング研究会でも二年程前、ツアーを組んで行ったこともあります。
 また刑部は、日月神示の全文を何回も読んで、その「世界」が納得できる間違いのないものだと確信しているというところです。
 
〜東洋医学の豆知識〜

▼東洋医学では陰陽五行説に基づいて、季節ごとに体の氣をつけた方がよい部分を説明しています ▼今回は「夏」ですが、臓器は「心臓」身体では「舌」に要注意ということです ▼さらに、色は「赤」味覚は「苦味」方位は「南」を象徴しているといいます ▼これはどういうことかと言うと、心臓が悪くなると、顔色は赤くなり、舌がもつれて、ものがしゃべれなくなるということです ▼方位が南というのは、氣学にも通じるのですが、東西南北がそれぞれ季節を象徴しています ▼また、万物を構成する基本要素は、木・火・土・金・水の五つだとされていますが、このうち、夏は火を顕しています ▼このように昔から伝えられてきた知恵は、西洋医学では解明されていませんが、経験測として、正しさがある程度証明されています
 
誌上セミナー 刑部の“氣功のツボ”

《スワイショウ》

 スワイショウは氣功体をつくるための基本的な功法です。一般的に氣功というと氣を巡らしたり、練ったりするのを想像する人が多いのですが、そうした練功に入る前に、氣の通りやすい体に整えるための功法もあります。その一つがスワイショウです。
 人間の体には常に正常な形に戻ろうとする力が働いています。しかしコリがあったり、リキんでいたりするとその働きは弱まってしまいます。手首や足首を痛めたとき、わたしたちはとっさにブルブル震わせて痛みを取ります。つまり脱力した状態で振動を与えると体が正しい状態に戻ることを無意識のうちに知っているのです。スワイショウはこれと同じことを全身で効果的に行うことができるメソッドです。
 スワイショウには、振り子運動をする縦スワイショウと、腰を左右にひねる横スワイショウの二つがあります。両方とも行うときのポイントは同じ、1.上半身の力を抜く 2.背骨を軸に百会から丹田、そして会陰を通る線をしっかりと保つ 3.丹田から意識を動かさない、の三つです。
 まず縦スワイショウは、膝の軽い屈伸と腕の前後の振りでリズムを取りながら丹田を上下させます。そうすることによって上半身のむだな力が抜け、丹田に氣が集中した状態、「上虚下実」という言葉で表現される理想的な体の状態をつくります。
 横スワイショウは丹田をまわすことによって氣を丹田に集中させます。この場合も上半身、特に腕には力が全く入っていない状態にします。腕は布の様にただ体に巻き付くだけ。イメージとしては火消しの纏い、もしくはでんでん太鼓をまわしたときの状態を描いてください。
 また、目をつぶってしまう人がいますが、目は開けたまま行ってください。横スワイショウでは途中、上段中段下段と振り方を変えて行います。こうすると中段のときはきちんと丹田に氣が集中していたのに、上段下段と変えたとき氣の乱れを感じる人もいることでしょう。実はこれは、わざと氣が動きやすい状態にして、そうしたときでも丹田に氣を集中し続けるための練習だったのです。
 氣は意識した位置に集中します。ですから目を開けた状態で、意識を丹田に集中させるようにした方が丹田を鍛える効果が高くなります。そして、この練習を続けていくと日常生活の中でも、アクシデントにあっても氣が乱れないようになることができます。
 そのほかにも、腰痛の緩和など肉体面、精神面さまざまな効果が期待できるスワイショウですが、やり方は簡単なうえ、気持ちよく、行っているうちに止まらなくなるので(自発動功)無理なく続けることができます。そして、背骨が整うとともに、回りにある神経の束もしなやかになり大脳からの指令が的確になり「頭脳明晰になる!」という効果もあるのですが……。実はこれについては刑部いわく「私もまだこの効果だけには至っておりません」とのことです。

※記事は掲載当時のものに一部校正を加えています。教室の構成など現在と異なります。

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