メッセージ(その5) 2000.12.8
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あわただしいですね! 師走であることを実感しています。 皆様はいかがお過ごしでしょうか。
ここのところ中途半端なメッセージを掲載することにためらいがあり、心を研ぎ澄ましておりました。
そこへある方から間違いのない情報が入りました。
それは富士山の地底で地震が多発し始めて、防災関係者に招集がかかったと云うことです。
メッセージ4に書いた、まさかねー! が動き始めたのです。ですからその情報はわたしにとっては意外なことではなく、さもあらん!的な感慨でした。
これまでのメッセージにも書きましたように、今日本の地底で起きていることは、人智では計り知れないことなのだと思うからです。
これからは1994年に出版した「ジパング黄金の太陽」に詳しく書いたような
……富士山の噴火についてのもっとも最近の記録は「1707年の宝永の大噴火」ですとか、その約2ヶ月まえに日本史上最大級の宝永地震が発生したというような………様々な情報が巷にでてくるでしょう。
しかしわたしはそんな情報をここに書き連ねるつもりはありません。
今わたしのこころを捉えているのは、2001年という新たなる世紀の始まりに行うべき”祭り”に向けての思いなのです。
前にも書きましたように、地底がどう動くかは大いなる方たちに委ねて、わたしたちが今なにをなすか! ということに心を集めていきませんか。
古代より、火の山は人々にはじける喜びをもたらした。と、阿蘇の火のかんさんは仰せられました。
そして、縄文の民の魂を持つ私たちには、まだまだ成さねばならないことがあるはずです。
そう思うと心からの喜びがこみ上げてくるのです。
今の日本に生まれて良かった。
今の日本に生まれたからこそ出来ることがある。
日本は古来より八百万の神々が護っている国。太陽神「天照大神」を奉る国。山の神がいる。海の神がいる。大地を護る神がいる。云々……。
超自然の神々に護られた龍体たる日本。
こんな事書くと誤解されるかな?神という解釈はそれぞれでとても難しいですものね。
わたしにとっては神仏一体なのです。
そしてわたしは本気でこう呼びかけようと思っているんですよ。
祭り、祀り、奉りをいたしませんか!
2001年は祭りの年。すべてを喜びにかえる年。
火の山は弾ける喜びをもたらす。破壊こそ再生。古代人々は火山とともに喜びの中に生きてきた。
これだけの数の火山が噴火の兆候を見せるなんて!いまだかつてなかったことでしょう。ならば火の山とともに…… 喜びの中で生きていきましょう。
初春を迎えたら祭りを呼びかけていきます。
新たなる年が喜びに満ちる年であることを祈って。
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合掌 刑部恵都子 |
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メッセージ(その4) 2000.9.23
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ホーム・ページのトーク・スクエアーに書きましたように、4回目のメッセージは突然消えてしまって、しばらく間があいてしまいました。
しかしそれはそれで良かったのですね。
今日、浅間山の火山性微震のニュースが伝わってきました。有珠山、三宅島、磐梯山、浅間山、と続けば次は富士山……? まさかねー!
本当にまさか! と思いたいですね。
しかし少し前まで、次ぎは浅間が動くと言ってたことなので……困ってしまいました。
ホントに、日本の地底で今、なにが起こっているのでしょう。
日本中の誰もが想像も出来ないシナリオが、着々と進行しているのでしょうか。
心配と言う言葉を超えて、なにか深いところでそんな想いが突き上げてくるのです。
2000年という年は天と地、そしてその中に生かされる全ての生命をも浄化していくのでしょうか。
三宅島を見つめていると様々なことを感じます。
島民の方々の不安に追い打ちをかけるようで心苦しいのですが、このまま沈静化していくとは残念ながら思えない。
これからが本番……大きな大変化が起きるように思えて仕方がないのです。
しかしそれは三宅島に限ったことではありません。
これだけの火山が動き出したと言うことは、本州の大地もまた大きな変革の時を迎えたのかも知れません。
話は変わりますが、星野さんという漫画家の書いた「ヤマタイカ」という漫画を読んだことがありますか。
面白いですよ。ぜひ読んでみてください。
3年前の夏、九州の阿蘇山に…呼ばれたというと語弊がありますが、脳裏に「あそ、あそ」と響いてきたことがありました。
「 あそ? 九州の阿蘇山の事かな? まさか阿蘇にこい!なんて云われるんじゃないでしょうね」
そのまさかが現実とつながったのは、その日のうちでした。
その日、家に帰ったところ娘に「これお母さんに必要だと思って……?買ってきた」と積まれた漫画がこの「ヤマタイカ」でした。
いやな?予感を感じつつ、その本をパッと開くとそのページの一面に、阿蘇山の一帯の地図が描かれていたのです。
そんな前段階があって行った九州で、この漫画「ヤマタイカ」を案の定、身で読まされました。
その旅以来、この本の一大テーマ「大いなる祭り」がわたしの人生のそれからの指針にもなりました。
阿蘇で知らされたのは”喜びの中の再生”ということでした。
このことは、当時出版するはずだった2冊目の本の原稿にも書きましたが、今読みかえしても”うーん、ホントにそうね”と納得できることの一つです。
その時阿蘇で名乗られた”火のかんさん”からのメッセージをここに掲載してみます。
今、人々はあまりにも陰の気に冒され陽の気がたりん。
この世は陰陽によって成り立っている。
陽の気は祭り,祀り。祭りの真の意味を解せよ。
大地から、火山から、陽の気を吸い込め。
弾けるほどの喜びを感ぜよ。生きることに喜びがたらん。
奪い合ってはならん……互いに捧げあえ。
見よ! ここは火の山だ。だが地底には水がある。湖がある。
火あるところには水がある。
陰だけを捉えてはならん。陽だけを捉えてはならん。
水もまた陽なり……火もまた陰なり。逆もまた真なり。
地球はバランスを失ってきている。
人々のこころもバランスを失ってきている。
この惑星は火の惑星であり、水の惑星でもある。
日本は日の本であり、火の元でもある。また四方を海にかこまれた水の国でもある。
世界一バランスのとれた聖なる国である。
しかしその国に生きる人々のバランスが狂ってきている。
それでは人々の身を滅ぼす。国を滅ぼす。
火の山は弾ける喜びをもたらす。
古代、人々は火山を神と敬い、喜びとともに生きてきた。
破壊こそ再生である。ならば破壊もまた大いなる喜びであろう。
……… (中略))
起きること全てを喜びとなせ。
神と共に喜ぶのが祭りよ。神と共に楽しむのが神楽ぞ。
すべてが弥栄ぞ歓喜ぞ……と教えてあろうが……。
いかがでしょうか。何か響くことがありましたらご意見ご感想をお寄せ下さい。
すべての人々が平安な心で過ごされますことを祈って……
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合掌 刑部恵都子 |
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メッセージ(その3) 2000.7.23
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先日(20日)千葉の兄の家からの帰途、高速の渋滞を避けるため亀戸あたりにさしかかった時、ふと、浅草の観音様のことが頭に浮かびました。
「ここから浅草の浅草寺は近いの?」と娘に聞きますと「ここを降りたら行けるわよ」と申します。
そこで急遽高速を降り浅草寺に向かい、観世音菩薩に関東の守護を心からお願いしました。
浅草寺にお参りするのは久しぶりでした。
1996年、夢で見た地震と津波の回避を願い、大勢の方たちとともに祈り歩いた時、浅草寺にも随分お参りに来たものです。
「聖書の暗号」という本の中に「1996年日本は地震を延期した」「かれらは地震を延期した」と書かれていることを知ったのは、それからかなり経ってからです。
だからといってわたしたちが祈ったことで、地震が回避されたなどと大それた事は思ってもいません。誤解のないように。
その日帰宅後、観音様にお参りしたことで心は喜んでいたのですが 、身体が何故かザワザワして、なかなか寝付かれませんでした。
やっと寝付いたと思ったら、久しぶりに鮮明な夢を見て目覚めました。
ここのところ地震に関する夢見がぜんぜんなかったので、「あー、やっと夢にでてきたな」とは思ったのですが、その暗示が難しく考え込んでいたとき、家がガタガタ揺れました。
その間(目覚めてから)5分とはかからなかったと思います。
すぐ階下の居間に降り、テレビをつけると速報で水戸が震度5と報じられているではありませんか。
「水戸!」思わず声がでました。
1997年3月3日 「ジパング黄金の太陽」という本を出しましたが、今その本の世界に舞い戻ってしまったような気がします。
発刊が決まっていた2冊目の本を出さなかったことを、ある意味では後悔してしまいました。
その本を発行していたら、今その中身を随時説明する事もなかったな……と思うからです。
しかし今更何を云っても始まりませんね。
氣を取り直して書きましょう。
初め八戸(はちのへ)に地震が起きた。これは戸が開いたということ。
つぎに淡路島は天と地の路。
それが開いてそして神戸……神の戸が開いたのが二つ目。
では三つ目は?……当時、三つ目の戸を水戸と思う人たちがいて、水戸の大洗海岸で禊ぎの祀りを行った程です。
では今日三つ目の戸が開いたの……? 三つ目の戸…水戸とは水の戸。
神津島が揺れ続けているときに水の戸が開く。
これは……
突然話は飛びますが、聞くところによると8月20日神奈川県茅ヶ崎海岸で、サザンオールスターズが大イベントを開き、その中でTSUNAMI(津波)という歌を歌うそうです。
聖書の暗号での8月21日は、20日の日没から21日の日没までをいうそうですから偶然とは云え驚きですよね。
皮肉にもこうしたイベントが用意されている。
これはわたしたちに突きつけられた、どなたか様の警告なのでしょうか。
もしも警告なら、まだまだ改善される可能性があると云うことですよね。
ならばわたしはこの事を、どなたか様たちから送られてきた警告と受け取りましょう。
ようはわたしたちがこの事をどう受け取り、なにを成すかということでしょう。
今更あわてふためいてもはじまりません。
冷静に対処しましょう。
預言ははずす為にあるものだと思います。
人として恥ずかしくない生き方ができているか? 自らを見つめ直しませんか。
そして祈ってください。
いたいけな幼子達のために。身体を動かすこともままならない人たちのために。
生きとし生けるものすべてのために。
つねに平安な心であることを祈って…
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合掌 刑部恵都子 |
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メッセージ(その2) 2000.7.11
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ずっと地震や火山の活動に意識をむけながら、現実の忙しさをこなしています。
神津島が大きく揺れています。
ずいぶん前に神津島のことは、パワースペースという雑誌の連載に書きました。
それは、1994年12月28日、八戸に震度6の地震が起こり、翌年1月17日、淡路島を震源とする地震によって神戸が大震災に見舞われた。
つまり「八」は開く、そして「戸」八戸の地震は戸が開いたということ。
淡路島のアは天をあらわし、ワは地をあらわす。天と地の路。
天と地の路が開かれ、鳴門(戸)の渦がまいて戸が叩かれ、神の戸神戸が開いた。
こんなことを書きました。
その後神津島のことを書いています。
神の津…神の海とでも解釈すればいいのでしょうか?
そういえば相模湾のうえに神奈川県があり、それも神という字が付いていましたね。
三宅島の火山が動き、神津島が地震に見舞われているその時、その海域に台風が押し寄せました。
まさしくそれは「ひふみ」です。火、風、水。
また今日の新聞に(磐梯山)に火山性微震起きると報道されています。
しかしそうはいってもじつは、これから日本列島がどう動くかということが……今のわたしにとって一番の関心事です。
日蓮大聖人は幕府が「いつ蒙古が襲ってくるのか」と問うと「よも今年はそうらわじ……(こないことはないでしょう)」とお答えになったそうですが、この地震のことに関して問われたらわたしもそう答えるでしょう。つまり今年地震を回避する事は難しいということです。
しかし地震と一言でいっても震度2、3から7、8まで様々ですし、それによっておこる災害には極端な差があります。
このたびの地震、三宅島や神津島も含めてまだ終わりそうには思えません。
しかしその規模と、時間帯による被害を免れることは、もしかしたら可能なことかもしれません。
それはやはり祈り…かな。
でもね! とも思うのですよ。
1996年、地震の起こる日時を夢で見て、祈り歩いてたどり着いた竜頭山で、どなたか様に云われたのは
「まいた種は刈り取らねばならぬ」
「種を蒔いたのはおまえたちではないか」
ということでした。
あれから3年8ヶ月経ちました。
あの時竜頭山の霧のなかでわたしは絶叫しましたっけ。
「まってください! もう少し時間をください。必ず人々は気付き始めます。何がいちばん大事なのかを…」
しかしみんな気づき始めたのかな? この世でなにがいちばん大事なのかを……ほんとに何かが変わったのかな。
わたしを含めなにが変わったというのだろう…
あの時のどなたか様に、再び祈る資格があるのだろうか?
あるとしたら、なんと云って祈ろう……なんといって祈れば許していただけるのか。
「自業自得よ! 」とまで云われた。
人というのは変われないのかな?
それならば、未来永劫同じところを経巡らなければならない。輪廻として。でもそれはわたしにとってはとても辛いこと。
……もう一度だけみんなで祈ってみましょうか。
人間ごころでもういちど、大難を小難に、小難を無難に、どうぞお願いいたします。と。
気象庁や地震予知連は正式に発表はしませんが、データーとしてはいつ関東に地震が起きてもおかしくないということです。
今度の三宅島の火山活動に際しての東京都の対応はほんとに素早かった。
ありがたいことです。それは東京都が地震に対しての確実な情報を掴んでいるということでしょう。
知らないのはいつも庶民だけなのでしょうね。
しかしギリギリでもいいからその時がきたら、警戒宣言ぐらいは発令して欲しいと願っているのですが……
とりあえず気になっていることを書きました。
常に平安なこころでいられることを祈って…
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合掌 刑部恵都子 |
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メッセージ(その1) 2000.6.27
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ここのところ、現実の社会、この世的なことに力を入れ続けておりました。といっても遊んでいたわけではありませんが……
有珠山が噴火して、中途半端な状態です。それを見て、今年はいくつかの火山が動くだろうと思っていました。また、聖書に暗号として秘められていた、関東を襲うであろう巨大地震のことも、常に頭の片隅にありましたが、人間って、目の前に迫っている事項を片付けることに、しばし心を配ってしまうものですね。
ところが昨日(6月26日)、急にやらなければならない事が意識の中に流入してきて、それをこのホームページの広場に載せていました。その後、自宅に帰って食事中に、事務局からの電話で、三宅島の火山活動の報道のことを知らされたのです。
その数時間前、事務所でホームぺ−ジの広場に載せた文章はこうです。
「……それよりも今年あちらこちらで起きている地震や火山の活動が少し心配です。これからその原稿を書いて緊急メッセージに入れようと思っています。興味のある方はそちらを見てください……」
聖書の暗号は、わたしにとって人ごとではありません。出すはずだった2冊目の本の原稿は、そのことで埋まっていますが、今更そんなこと言っても始まりませんね。
月刊ムーやインターネットのなかで、聖書の暗号のことが様々に取りざたされているらしいことは、人からの情報で聞いていますが、わたしはわたしなりの捉え方をしています。
今、有珠山と三宅山一帯の火山活動に注目をしながら、一番いい形で地殻変動が起こることを祈っています。
それにしても、この2000年という年は面白い年です。全てが集約しながら、様々なことが起こってきています。それは世界や、日本という国だけでなく、一人ひとり、つまり個にも起こっているのです。
すぐお隣に目を向ければ、南北朝鮮が動き出しましたし、台湾や中国、更には小さな国等もどんどん変わってきています。
IT革命といって世界中が目の色を変えて競争しあう。
またヒトゲノムが解読されたという、わたしにとってはとても恐ろしいようなことも発表されました。
数千年の歴史から見て、今のこの速度…この100年の間に何が起こってこうなっているのでしょう。
わたしはそれが不思議でなりません。
その中で人の心、人が生きるということの本質が置き去りにされている。
生きる喜びや夢を持てない若者たちが無残に滅びていく。
人が生きる! ということはいったいなんなのでしょう。
こうした世の中の波動が、天に充満し地に染み込んで、地球という大地が動き出すのではないでしょうか。
ですから聖書に暗号として秘められなくても、この関東に巨大地震が起きたとしても、世相を見れば至極当たり前のことなのかもしれません。
ようはその時ひとり一人がどう学びとるかということでしょう。
しかし今回それが回避されるか否かは別として、そこから起こる災難を大難にするか小難にするかは、人間の選択に係ってくるのだと思うのです。
地球という星のなかに燃えさかるマグマ。それが自然の動きのなかで吹き上げることはあたりまえのことですが、その上に生活の場を定めた人々にとって、それはとても辛いことなのですよね。
地球がどう動くか! ということは地球やそれを見守る存在にお任せして、自らがなにを成すかというところで、祈りが出来ればいいのではないのでしょうか。
勿論、人間心で大難を小難に小難を無難にと祈ることはお許しいただいて……。
また感じることがあればお伝えしたい思います。
常に平安な心であること祈って……
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合掌 刑部恵都子 |
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