恐竜   2002.7.29
 暑いですねぇ……今年は冷夏ではないのですかね。
 しかし夏は暑いがいい、冬は寒いがいい。与えられた環境に身を委ね、愚痴を言わずに過ごしましょう。
 昨日今日と久しぶりに家にいてのんびりしています。ありがたいことです。
 ところで新聞でここのところ、恐竜の特集をしていますが、その記事を読んでいるうちにとても不思議な気持ちになりました。

“恐竜は絶滅していない!”
“恐竜の一部は鳥になっていまも生き延びている……”
 そこまで読んできて突然思考も感覚もストップしました。
 そしてそのままある光景のなかにスリップしていきました。

 それは15年ほど前の出来事です。
 当時の湯川れい子さんのご主人が主催する12時間セミナーに、れい子さんに誘われて参加したことがありました。
 そのセミナーのために当時世界的に話題になっていた「シャーリイ・マクレーン」の書いた本(アウト・オン・ア・リム)の登場人物で有名なチャネラー、ケビン・ライヤソンと、エドガー・ケイシーのお孫さんなどが来日して講師をしていました。

 セミナーが始まり、少しずつその中にとけ込んでいって慣れた頃
「二人ひと組みになり対面してお互いのすべてを見つめ合ってください」と云われ、わたしとれい子さんが組んで、対面瞑想のようなことを始めました。
 おもえば対面瞑想のようなことをしたのは、わたしにとって初めての体験でした。
 その随分前から、夢見や不思議な現象は始まっていましたが、瞑想の時にビジョンを見るという体験はおそらくこの時が初めてと言っていいのではないでしょうか。

 ところがまぁ! 見えるわ、見えるわ……まるで映画かテレビを見ているように不思議な映像が見えてきました。
 わたしはその会場にいる全ての人が消えたかのような感覚に陥り、その映像に見入ってしまいました。
 そのビジョンは透明な蒼い湖の前の広い場所に、数千人もの人々が座っている光景から始まりました。
 遠くに山々が見えます。
 人々の着ているものや髪型が、現代のものとはまったく違います。
 自分は、と見ると、白い布を肩から斜めに巻き付けるような衣装を身につけて、大きな壺を左手で持って立っていました。
 壺には水のようなものが入っています。
 わたしは人々を癒すためになにかを呟き、壺の中の水を少しかけながら人々の間を静かに歩んでいるのです。
 それにしても大勢の人です。

 後ろの方で突然ギャー、ギャーという大きな声が響きわたりました。
 そちらの方に視線を移すと、今までに見たこともないような、高く高く鋭角にそそり立つ大きな山があって、その山の周りを飛び交う不思議な鳥のようなものが目に入りました。
 しかし鳥ではありません。
 その得体の知れない者は、身体が動物のようで、それでいて背中に大きな羽根が付いていて、大きな声を上げながら悠々と飛んでいます。
 おもわず「ここは? この山はなんという山?」と呟くと、どこからともなく凛とすんだ声で「オリンポス!」という声が響きわたりました。
「オリンポス?……」
「オリンポスって! ここはギリシャ神話の世界なの?」
 そう思いながらもまた人々の間を行き交います。
 本当に不思議な世界でした。

 そしてある言い方をすると、白日夢の中にスッポリ入り込んでしまったような。
 いえ! それよりもある時代に、テレポテーションかなにかしてしまったかのような感覚でした。
 そしてその光景は見事なほどの鮮やかな色彩に、染まっていました。

 しばらくするとセミナー会場のどよめきが突然耳に入ってきて、ハッと我に返り目をあけました。
 すると目の前にいるれい子さんが、まだ目を瞑ったまま、わたしの顔をのぞき込むようにして、なにかを見続けていました。
 どうもセミナーは、わたしとれい子さんを残して、別なことに進行しているようです。
 しかしれい子さんは瞑想から戻ってはきません。

 しばらくは、なにが自分の身に起きたのか解らないまま、起きたことを思い返しながら、ボーゼンとその場に座り続けておりました。

 どれぐらいたったのか……「おさかべちゃん!」というれい子さんの声が聞こえました。
「凄い凄い! 凄い世界が見えてきてね。おさかべちゃんって、ずっとヒーラーだったのね! 蒼い大きな湖のそばに大勢の人がいてね! ギリシャの人が着る白い布のようなもの纏っていてね。……それから高い山が……」
 えぇーっ…… まさに驚きの連続です!
 興奮しながら話すれい子さんの見たビジョンはほぼわたしと同じでした。
 もー、ビックリ! です。
 それからしばらくセミナーはそっちのけで、お互いに見たビジョンのことを話し合ったことが、つい昨日のように想い出されました。
 れい子さんと共有した別のビジョンはそこに置いておくとして、あの時見た羽根の生えた怪獣のようなもの……それが恐竜の生き残り……としたら……

 わたしほんとうに見ちゃいました。

 愉しい! ほんとに楽しい・・・・・人生ってなにが起こるかわからない。
 新聞を読んでいて、こんなこと思いだして喜んでいるのは久しぶりのことです。

 これからが夏本番です……どうかお身体ご自愛くださいますように。
刑部恵都子
人がこの世にいきるということ   2002.5.31
わたくしごとでごめんなさい。
 兄が亡くなりました。5月26日の早朝、その日は満月でした。
 亡くなった兄の遺体を我が家に安置した数時間後、東京の空に大きな二重の虹が架かりました。しばらくして叩き付けるような雨が降り、カミナリが鳴り響きました。
 しばらくカミナリの音を聞きながら「かみなりか!」と呟いてふと「神なり……か」と思いました。ぼんやりとした思考が少し鮮明になってきました。
「和彦さん! 先ほど珍しいほど大きな虹が架かっていましたよ、虹は祝福というけれど、今日架かった虹は二重の虹で、まるであなたを祝福してくれているかのように思えてうれしかった……良かったね。」そう語りかけたその後に、もの凄い雨とともにかみなりが鳴り響いてすべてを浄化してくれたのでした。

 兄(和彦)は享年60歳、その人生は病気との闘いの連続でした。
 幼い頃からわたしはそんな兄を見つめ続けていた様な気がします。随分前のことですがこんな歌が流行りました。さだまさしの無縁坂という歌です。
……   運がいいとか悪いとか人は時々口にすにるけど、
      そういう事って確かにあると貴方を見ててそう思う、
      忍ぶ不忍無縁坂かみしめるような、ささやかな僕の母の人生   ……

 たしかこんな歌詞の歌だったと思います。この歌を聴いて不覚にも涙を流したことを覚えています。
 複雑な想いでした。
 同じ親から生まれて、幼い頃から病気ばかりして苦しんでいる兄と、いちおう健康で好きなことが出来る妹、それだけでも幸と不幸に別れるではありませんか。
 なにがこの違いを生むのだろうか……人が生きるということはなんなのか……
 運、不運とは何故生じるのか? 幸、不幸とは?
 人がこの世に生きる意味とは……?
 兄の人生を通して、わたしは次から次ぎへとこうした疑問につきあたりました。
 その意味では兄はわたしにとって大きな存在だったと云えます。

 兄は禅を修得することで解脱の道を目指していたように思います。
 後年の兄は、病身でままならない肉体をだまし騙しつかいながら、しかしこころは羽根のように軽く、いつも自由自在な人生をおくっていました。
 その姿は誰よりも屈託無く明るかった……そして大勢の人たちに囲まれて生きていました。
 わたしの目からも全てを超越して見えました。
 過酷な人生を、見事生ききっただけではなく、大勢の人々に愛され尊敬された兄。
「木村さんはわたしの師匠でした」と人をして言わしめた兄、すっげぇやつだった、と喝采をおくりたい! 正直そう思います。

 後年、在家出家として臨済禅から贈られたお名が成禅……木村成禅
 長野からわざわざ出て来られて、通夜、葬儀でお経を上げてくださった曹洞宗、瑞松寺の若き茅野和尚が贈ってくださった戒名が月照成禅居士。
 兄の人生に関わってくださった全ての方々に心から感謝申し上げます。
 ありがとうございました。
 さいごに兄貴! あなたの妹に生まれてほんとによかった。ありがとう!
刑部恵都子

その日の虹

朝日新聞 天声人語より

見事な虹だった。26日の日曜日夕、東京の方にくっきりと見えた。南端から大きな弧を描く虹の全容を見るのは久しぶりだ。いや、あんなに立派な虹を見たのは初めてかもしれない。しかも二重の虹だった。副虹といわれる虹が外側にうっすらと見えた(中略)▼昔から虹を見て人間はいろいろ物語を紡いできた。北欧神話のように、虹と天と地とを結ぶ通路と見る神話が多い。神々が行き来する道である。先祖が虹を渡って降りてくるという北米先住民の信仰もあるそうだ▼神がノアとかわした約束を表現するというのは旧約聖書だ。もう大洪水を起こして滅亡させたりはしない。そのことを忘れていないしるしが虹だ、と。(中略)その26日の状態は27日も続いた。ひょっとして、と窓の外をたびたび眺めたが、虹は2日続けては現れなかった。
正しい食とヒーリング   2002.4.4
病気とは間違ったバランスの生命現象から起きるものであり、病気には必ず因果関係(原因と結果)があります。
今までは正しい食をとり、良い呼吸をしさえすれば病気を引き起こさない!といわれてきましたが、最近は外部要因としての生活環境に、病気を引き起こしかねないものが多々出てきています。
例えばオゾン層の破壊、空気の汚れ、水の汚れ、ダイオキシン等の化学薬品…放射能もれ等、また酸化物質のとりすぎ……

基本的に云えば氣、血、水、のよどみを取り除けば健康を維持できるのでは……
{気のよどみ(経絡のつまり)、心の詰まり(極端なストレス)等}と血{詰まり(血栓)、よどみ}と水(水毒のよどみ)

3000年前の「黄帝内経」の中の言葉にこんなものがあります。
「病を得て薬を求むるは渇して井戸を掘るに似たり、聖人は巳病を治さず未病を治す」
まさしくその通りで未病のうちに養生し己病にしないことが一番肝要なことなのです。

わたしの兄は子供の頃、腎臓を病んで以来いまだにその病魔から逃れられません。
しかし兄には、命つまり寿命があるのでしょう。いまだに透析をしながら命長らえています。それをみるにつけ、病気と寿命はまったく違うことを教えられました。
その兄がいつも言うことは、「病気にまでいかない手前で治せよ! 病気になってしまったら本当に辛いぞ。人は病気になって初めて私の云っていることが解るんだろうが、それではおそいぞ」
まことに説得力のある言葉です。

ここでどうしても皆様に覚えていただきたいことを書きますね。昔の人たちの知恵というか超自然の成り立ちの恩恵というか……

陰陽五行の身体、臓腑配当および季節
青色 芽ぶき山菜 酸っぱいは 肝臓 怒り
赤色 人参 苦いは 心臓 不安
  黄色 カボチャ 甘いは 胃腸(膵臓)   眠気
白色 大根、カブ 辛いは 肺臓 悲しみ
黒色 里芋、ゴボウ しょっからい(塩分) 腎臓 恐怖

説明するまでもないでしょうが、冬に根の物(根菜類)をしっかり食べていないと、春は肝臓が亢進しやすく眼がしょぼしょぼしイライラと疲れやすい。そんな頃、山に芽吹いてくる山菜を食すると、その苦みが来たるべく暑い夏を越える心臓が傷まないように養うのです。
大地はこのように、人々の身体が痛まないように自然の食べものを与えてくれるのです。
地球上で四季を持っている数少ない国日本は、こうした恵みを与えられているにもかかわらず、こうした知識を子孫に伝えていくことが出来ていませんね。
ようは超自然の循環に身を委ねるべきだ……ということでしょう。

中国に医食同源という言葉があります。読んで字の如し。
ある日の新聞記事から抜粋。
{食卓に並んだ一皿、レンコンの甘酢締めから話がはずむ。
最近のぼせて仕方がない……というと「それならこのレンコンを食べるとのぼせが取れます。レンコンは体の火を取るから」
「それに苦瓜は涼の食べ物だから、これものぼせにはいいよ」という具合に。}

基本的にいえば、夏の野菜は身体を冷やし、冬の野菜は身体を温める。また地の上の食物は身体を冷やし、地の中の食物(根のもの)は身体を温めるのです。

動物であろうと植物であろうと、それを食としていただくことは、その命のもつ精を感謝していただくことですよね。
ところが現代の人々は食べることに感謝するどころか、食い散らかしてその大半を捨ててしまうと云います。そんなことを続けていれば、必ずそのことを後悔しなければならない時がくるでしょう。

身土不二とは……生まれたところ(土地)で春夏秋冬採れたものを食べることを云いますが、生まれてから死ぬまで同じ土地に暮らすことがなかなか難しい昨今、折々に暮らす土地の野菜を食べることで補うしかないでしょうね。
刑部恵都子
おしし様   2002.1.1
 ふと気が付くともう師走ですねぇー あっという間に刻がたってしまいます。……と書いてしばらく書けないうちに、とうとう年を越えてしまいました。

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 さて随分時間が経ってしまいましたが、昨年の11月19日未明、しし座流星群がにぎやかに宇宙を彩ってくれました。流星って凄いですよね。星が流れるたびに思わず声が出てしまい、なんとも云えず幸せな気分になってしまう。
 寒さも忘れ、眠気も吹っ飛んで、栃木にあるまーるいドームの屋根の側で見とれてしまいました。
 しし座……し…? しの神行……おしし様といえば―国常立尊、国常立尊といえば地球を生み出した尊い神様、わたしの中ではこう繋がってしまうのですが、皆様にはわかりにくいでしょうね?
 でもあの日から、なにか氣が変わったとは思いませんか?
 そう思いたいですね! そして願わくば、アフガンの戦争の終結をもね!

 2002年の今年は、いったいどんな年なのでしょうか?
 良いことも悪しきことも同時に噴きだしていく年なのかもしれません。
 しかしそれは地球にとってというよりは、人類にとってでしょうから、人類が蒔いた種をまだまだ刈り取らねばならない為の年だと思っています。

 話は変わりますが、岐阜教室は今春10年目を迎えます。教室の創設の日から10年来の氣功のお弟子さんである永井さんとの優華、優曇華(うどんげ)の花の話をしたいと思います。
 彼は1999年のある日、寝起き様に、なにかの気配を感じました。すると
「3000年に一度の優華(うどんげ)の花が咲きます……それは2003年10月17日です。」という声とともに、阿弥陀如来さまのようなお姿が一瞬見えたということでした。
 教室が終わったあと数人の方とその話を聞いていた時、瞬間わたしの意識がどこかに飛んでしまいました。
 はじめは虚空にオーロラを超えるほどの光の渦が見え始め、しばらくすると、その光の渦が花のようなものを形成し始めたのです。
 七色! いえそれ以上の光の渦が作り出す花のようなものの、えもいわれぬ美しさ……その美しさをどう表現したらよいのか、いまだに解りません。が、その時はおもわず「優華の花だ! うどんげの花だ!」と叫んでいたようです。
 意識が戻った後に、その場で見守ってくれていた人たちにそのことを伝えました。
 すると永井さんが「うらやましい! わたしはいまだにその花を見ていないのです、一度でイイからその花を見てみたい」と呟きました。
 その後、永井さんはご自分の会社の名前を「優華」と名付け、それ以来、うどんげの花が咲く日を楽しみにしながら……日々美味しいお菓子づくりに励んでいます。

 その優華(うどんげ)の花のことですが、1999年10月8日、宮津、忌部、引佐という夢を見て、その夢の意味を追い続けたことがありましたが、その時の忌部一族は、竹取物語の作者でもあったのです。
 ご存じでしょうが、竹取物語とは竹から生まれた、それはそれはうつくしい姫が、月に帰るまでの不可思議とも云える宇宙規模の物語です。そしてこの物語が日本最古の物語でもあるのです。
 そしてその主人公のかぐや姫が5人の皇子に出した難問のひとつが、この優華(うどんげ)の花のことなのです。
 竹取物語の中では「蓬莱の枝」と書かれています。
 その枝は金と銀で出来ていて、すばらしい宝石がちりばめられているとか……!
 しかし、……わたしの見た優華の花とはそんなものではなかった! もっともっと…うつくしい!
 いえこれ以上は云いますまい。

 来年、3000年に一度の優華の花が咲くことを、期待と希望をもって待ちましょう。
 3000年に一度の素晴らしい花が咲き、宇宙が開く。そして月に帰ったかぐや姫が姿をあらわす!?
 ということは、月が開いて月から月人がむかえにきてくださる? ということなのかも知れませんものね。
 夢は大きい方がいい! (勝手なことを夢見ています)

 ところでいま、月がうつくしく輝いています。
 その月のまわりに、とても不思議な物体が絶えず動き回っていることをご存じですか!
 この世の雑多の中に身を置くときこそ、空を見上げてみませんか!
 色々なことが見えてきますし、とても楽しいですよ。

 ここのところ暗い世相が続きますが、いつまでも暗いことばかり続きはしないと思います。
 きっと蒔いた種をキッチリ刈り取ったその暁には、新しいよき時代が訪れるのだと思いますがいかがでしょうか。

 生きとし生けるものが幸せであることを祈って!
刑部恵都子


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