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2008年、神行(4)   2008.10.10
 最初から読みたい方はこちらをどうぞ
 龍城神社での祈りを終えて前のベンチで起こったこと・・・
 これは私の想像や人智を超えたものでした。
 それを文章でどう綴ったら良いのか・・・

 やはり言語で綴るには限界があります。それを承知で読んで頂ければありがたいと思います。

 ベンチの前でメッセージが降りてきた時も、私の頭(脳裏)は殆ど麻酔がかかったような状態でしたが、それでも自分はありました。ただこうした時は目を瞑っていても、開いていても同じビジョン、景色が見えています。

“城の上空から天守閣に向かって杭を打ち込めと・・・・・そんなことが私にできるのでしょうか?”
 そう呟いているときに、途轍もない大きな龍神がくねりながらこちらに近づいてきました。
「わぁ〜わぁ〜〜すごい!龍神さんが今こちらに近づいて来ている・・・わぁ〜!すごい鱗が・・・金色に光って・・・動いてる・・・」
 見えている鱗の大きさは、ひとつが両手に収まらないほどのものでした。
 それが金色にキラキラと光っているのです。しかも膨大な量の鱗が動いているのですから、そのビジョンの凄さは、ただわぁーーわぁーーと叫ぶしかなかったのです。

 しばらくして落ち着きを取り戻し、その龍神さまに言葉をかけました。
 その全文は省くとして、概略はこうです。

{今、私がこの巨大な鉄槌を受け取ったことを、喜んでおられるのでしょうか?
 あなたも天守閣から巨大な鉄槌を地底まで打て・・・と。そうおっしゃるのですか?

 解りました。これから天守閣に上って見ます。
 あなたがお力をお貸しくださるのですね。これは私一人に出来ることではありません。
 あなたのお力をお借りして、共にこの鉄槌を大地に打ち付けることにしましょう。}

 ・・・・でもなんという綺麗な大龍神・・・
 ウワァーー全てが金色に変わられました。
 金色の大龍神。
 うわぁ、すごい!
 今、お顔を見せてくださった!
 (注、それから光・・・光と・・・と何度も叫んでおられたようです。録音から)

 この時私は全てが金色に輝く世界に入れられているようでした。

 どれだけの時が経ったのか解りませんでした。
「行こうか!」と言ってベンチから立ち上がり歩き出しましたが、隣に座り録音をしていた19さんは大泣きしていて、立ち上がれない状態だったようです。
 それはそうですよね!
 同じ場所で同じようなエネルギーを受けていたのですから、正常でいられるわけもありません。周りにいた二人から介護状態で天守閣まで上ったそうですが、私は後で聞くまで、19さんがそんな状態であったことは知りませんでした。

 今度という今度は私も覚悟していましたからね・・・
 ベンチを立ち上がりながら呟いたそうです。
「この世界にまた戻ってこれるかな!?」と。

 天守閣に上ると四方が開いていて、“ここは風の通る素晴らしく気持ちの良いところだな!”
 と漠然と感じていました。
 他にも見物の人々がいましたが殆ど気なりませんでした。すぐに丑寅の方向を向いて私が座ろうと思っていました。
 すると右手の人差し指が突然、Kちゃんを指して「私の前に座って・・・」と言ったのでした。
 そう言いながら“まだ私ではないのだな!”と思っていたのです。
「はい!・・・」
 自然とKちゃんが私の前に座り、私がその後ろに立ちました。廻りを皆が取り囲んでいるようです。

「これで良いのですね・・・私が預かった杭をあなたに放り上げますよ! 受け取って下さい・・・」
 そう言いながら上を見上げると、上空にあの龍神さんが顔を下に向けて下さっています。

 見れば私の胸の前に杭が浮いていました。
 もうこうなれば、成す事を成すだけです。私の全てを全開にしました。
 胸の前にある杭を龍神さんに向かって投げ上げました。すると杭がドンドン伸びていくではありませんか。龍神さんの手の中を通って、さらに上に上にとあがっていく・・・・・

 すると「この杭を投げ落とすぞ・・・」
 思念が響いてきました。
 お願いします・・・と言いながらチョッと困惑していたことを思い出します。
 私の前にKちゃんが座っていることが気になっていたのでしょう。
 しかし、こうした時それが何の懸念材料でないことも解ってはいたのでしたが・・・

 杭は勢いよく投げ落とされた・・・のでしょう。
 そこからは今度、私がどんどん上空にあがっていったのです。
 始めは地上に地図のようなものが見えてきました。前日泊まった蒲郡のような地形も見えています。
「えっ、これって地図!?」
 さらにあがっていきます。城の天守閣のようなものから光の柱が立ち上っているのが見えてきました。
 それと同時に地底に突き進んでいく光の柱も見えています。

“あぁ、杭とは光の柱だったのだ!”そう思いながら同時にその両方を見ていたのです。
 さらに上空に登っていっているようです。
 下に見える景色がどんどん変わってきていましたから。

 その上では龍神さんが舞っているようです。
 それも何体もの龍神さんが舞っているのが見えています。
 そして私は地球の一部を見下ろしていました。

 “これでよろしかったのですか!”
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 どれ程の時が経ったのか、気がつくとその場に座っていました。
 一番先に言葉が出たのは、やはり「Kちゃん大丈夫!?」でした。

 すると「身体が重いです。ドンドン身体が下に沈んでいくので、何かが出そうになって・・・
 死ぬってこんな感じかなって・・・・」
 思わず私はKちゃんの身体を撫で擦っていましたね。
「大変だったね!ほんとにご苦労様」
「皆も大変でしたね。ありがとう。これで終わったようですね」

 この日からしばらくは、気持ちは淡々としていましたが、身体はそうはいきません。
 細胞は振動していますし、凄まじいエネルギーが身体一杯に満ちているようでした。
 (多分、身体の不調の人が側に来れば、側にいるだけで快調になってしまうでしょう。)

 そしてそれから見る夢見も、このことに関してのことが多かったのです。
 その日のことがある程度、腑に落ちてきたのもこの夢見によってだったのかもしれません。
 なぜなら現実の時間と、上にあがった別次元の時間があまりにも懸け離れているようだったので、なかなか腑に落ちないことがありました。
 それもやっと理解できるようになるまで、かなりの現実の時間を要したという事です。
 少しややこしい感がありますが・・・

 ま、起きてきたことだけを追っても仕方ありませんね。
 何故こうしたことが起こるのか!?
 今と言う時は、ひとつの時代の大きな変革の時であることだけは確かなことです。
 それも様々な次元の会い交わる(境目のない)時代になってきていることは、今までもお話してきました。
 あの世とこの世・・・別次元(宇宙)の関与・・・それを補佐する龍神界

 ゲートが開いたのですよ。幾重もの別次元とのゲートが・・・
 それをこの身で何度も体験したからこそ、言えることがあります。

 あなた方が進化しなければなりません。
 このゲートを自在に行き来できる為の進化をしなければならないのです。
 頭で考えないで下さい。このメッセージも頭で理解しょうとしても解らないのでは・・・
 しかし魂は知っています。魂が理解しているのです。

 どれだけの人々がこのゲートを潜り抜けられるのか・・・私はとても楽しみです。

 お・わ・り

 常に心が平安であることを・・・生きとし生けるものの幸せを祈ります。
合掌   刑部恵都子
2008年、神行(3)   2008.10.5
 祇園さんに心を残しながら、次に向かったのは琵琶湖の南側にある、天孫神社という名の神社でした。その神社に近づくにつれ、心地よいエネルギーが吹いてくるように感じられました。この神社の神氣が、この一帯を覆っていたのでしょう。
 昔はこうした神社が所々にありましたが、今は殆どありませんね。そうそう三保神社も10年前はこうした神氣を放っていましたが、今は見る影もありませんでした。

 その天孫神社の御祭神は彦火火出見命・大名牟遅命・国常立命・帯中津日子命の四柱の神さまです。
 車を置いて神社の鳥居の前に立つと、その神社はゴミ一つなく掃き清められていました。
 その前方の神楽殿のさらにその先の拝殿に正式な装束を着た神官が、朗々と大払い祝詞を上げている声の響きが辺りを圧巻しています。
 その後ろ姿、立ち居振る舞いは美しかったですね。
 じつはこれが当たり前のことなのでしょうが、久々に感動しました。

 後ろで祝詞を聞かせていただいて、終わったところでその宮司さんにこの神社に来た訳をお話しましたところ、神楽殿の上での祈りを許していただきました。

 前の神社とは大違い・・・
 清清しいエネルギーの中で、ゆっくりと神なるお方と向き合うことが出来たこと本当に感謝でした。
 そしてこの神社の御祭神の彦火火出見命さまは・・・火の神であり、この神は地震、火山の噴火等も司る神・・・
 国常立命さまは宇宙神・・・と私が思っている神さまです。
 私の祈りには常々欠かせない神々でした。

 祇園さんではゆっくり祈る場所がなく、慌しい中の祈りでしたが、ここでは心から祈ることが出来ました。

 この頃から、皆の顔が輝いてきたようです。
 その後は京都まで戻り、今宮神社、上賀茂、下賀茂神社と足を延ばし祈り歩いてきました。
 今宮神社は元々、都に流行り病が蔓延したときこの神社の神に祈って、その流行り病が治まったということで、元々の疫の神(スサノー神)を祀ったという事を聞きました。
 つまりここのご祭神もまたスサノーの命さまだったのです。
 嬉しかったですね。先程お姿はお見せいたいただきましたが、お言葉は頂けなかったので・・・

 この神社では、参道で千年もの長い間あぶり餅屋をしている女将が神社に頼んでくれて、拝殿で祈ることを許して頂いていたので、スサノ−の命の御前でゆっくり祈ることが出来ました。

 京都にはこうした古い良き時代を感じる物や建物が本当にたくさんあるのですね。
 この神社もまたその一つでしたが、困ったことに来るたびに、祈るたびに、神さまの祭り方を間違えているのではと感じてしまうのです。
 何故なら主祭神は後に出雲から勧請した大国主の命なのです。
 僭越なことながらチョッとその辺が引っかかってしまいます。
 それはまた別な機会にお話をするとして・・・

 その次に行った神社は上賀茂神社です。
 ところでこの上賀茂神社ってとても不思議な神社なのですね。
 今まで3回ほどここに来させていただきましたが、不思議なことにこの神社で私は祈ることが出来なくなってしまうのです。

 この神社では参道と鳥居・・・そして拝殿と神殿が渦巻きのような配置になっています。そして拝殿での祈りは神殿に届かないようになっている。つまり拝殿の先に神殿がないのです。
 ですから、私はこの神社で祈ることが出来なくなってしまうのです。

 穿った見方をすれば、庶民には祈ってもらわない方が良いと考えているのでは・・・
 こんな風にも推測してしまうのですが。
 そもそもこの神社は天皇家の守護を本気でなさっている神社のようです。
 勿論下賀茂神社も一対なのでしょうが・・・
 なにか秘密めいたものを感じる神社ですね。

 この時はこの神社の上空だけが周りの空とは違うような・・・(まるでそこだけ空の絵を貼り付けているような・・・動いていないのですよ!)でも身体は螺旋状に回ってしまうような感覚が生じました。
 いずれにしても私にとって、奇妙な神社には違いありません。
 この日、東京組みは集中豪雨(ゲリラ豪雨)の中、帰京しました。

 ここから、最終章に入ってしまいましょう。
 今、掲示板に書き込まれている神行のことです。
 やっと何がどう起こっていったのかの整理がついてきました。
 鳳来寺山の神行を終わった時点で考えれば、次は岡崎に行くのが順当なのでしょうが、今回は何故か初めから岡崎が最後だと決めていました。
 というより、決められていたのかも知れません。

 岐阜教室を終えて、岡崎の前日は蒲郡というところで一泊しました。
 大きな温泉旅館の一番奥の部屋にオノコ(男性)が、その手前の部屋に私たち女性が・・・泊まることになりました。

 岐阜教室を終えてすぐに大雨の中車で移動しましたし、温泉にも入って、少々疲れをおぼえていた私は、かなり早めに寝入ったようでした。すると夜中の3時頃何かの気配にフト目が覚め、不思議な感覚が生じてきたので床の上に起きてしばらく座っていました。
 すると見事な鎧・兜を身につけたお方が遠くに見えてきました。
「どなた様ですか?」
 声をかけたところ、無言のままです。
「私の出来ることがありましたら、させて頂きます。どうぞお導きください」
 そう申し上げますと静かに消えていきました。

 翌朝、娘にこの話をすると「あぁ、それは本多平八郎ではないのかな。家康の側近で凄く強い武将として有名よ・・・で、この辺りの武将だし・・・」と答えが帰ってきました。

「本多平八郎・・・そうなの。それは知らなかったけど・・・嫌な気はしなかったので、言葉をかけたのだけど・・・何もおっしゃらなかった・・・」
 こうした時、瞬時にその霊体の良し悪しは判るものです。
 このお方はエネルギーが清清しいというか、神氣に近いものがあったのです。

 早めに温泉で身を清め、朝食をとってこの宿に駆けつけた者も加わり、岡崎城を目差して出発しました。
 そのあと何が起こるかも知る由もなく・・・・・

 岡崎城は12年前と違う入り口から、入ったように思います。景色に見覚えがありませんでした。
 しかし家康公の像は相変わらず堂々と立っていました。
 真向かうと跳ね飛ばされそうなエネルギーがかえって来ます。氣功師としては嬉しいのなんのって・・・しばらく遊んでしまいました。
 龍城神社に行く途中に、鎧・兜に見を包んだ武将の像が立っていました。その兜には立派な鹿の角のようなものが付いています。
「明け方お越しいただいたお方さまですね。本多平八郎さまですか! 兜に付いているのは鹿の角ですね! 貴方も間違いなく神のお使いとしてこの世にこられたのですね・・・」
「どこか清めよ!と云われるのでしたら、誘導をお願い致します」
 するとその途端すごいエネルギーが噴き上げてきました。これも嬉しいことの一つでした。

 そこを辞して神社への道に入りますと、ふいに“巨大な杭を打て・・・”“大地に打て”と脳裏に響いてくるものがあります。
 こうした時、常に起こる麻酔にかかったような状態がまた起きてきました。
 それを(言葉と状態)側にいるものに伝えながら、歩みを続けます。

 龍城神社に着いて、拝殿での祈りは半ば強引にお願いしたようですね。(後で知ったのですが・・・)
 拝殿の中に入れていただいて、床に座り額ずき祈りを始めました。
 大払い祝詞が終わり、言葉を述べている最中に、左の方から船のようなものが動いてくるの見えました。
 オールというより丸い団扇のような形のものがいっせいに開いたり、閉じたりしています。両側で二十ぐらいでしたか・・・中には巫女さんのような方々が乗っていて、この団扇状のものを動かしているように感じました。

 その船は、後ろに巨大な杭のようなものを曳いています。それが私の前をゆっくり通り過ぎていく・・・その杭のカタチには意味があったのでしょうが・・・暗くてあまり見えませんでした。
 祈り終わってもしばらくは、右の方に曳かれて行くその杭を見つめていました。
「この杭で何かをせよ、と仰せなのですね」とこの神社のご祭神にそう申し上げるしか他はありません。

 少しの間だけ、ということで拝殿に入れていただいたようなので、外に移動することにしました。静かに今起きていることを整理したくて、神社のすぐ前にあるベンチに腰を下ろしたのです。
 同行の人たちにこの船のビジョンのことを話している最中に「あっ、これからは多分私ではなくなると思うので・・・」と言った直後、メッセージが降りてきたようです。
 その概要はこんなものでしょうか・・・

{龍体日本・・・この龍体日本の背骨に人間と同じように巨大な七つのポイントがあって、その巨大なポイントが日本を護っている。天海も云ったように我らもまた永い間そのポイントを護り続けてきた。
 しかしそのポイントの殆どが、愚かな人々の所為で力を失ってきている。
 ・・・・・(中略)・・・・・
(どうも話しながら日本地図を手でなぞっている仕草をしていたようだ。)

 この岡崎城は龍体の云わば仙骨に当るところ、今そなたに巨大な杭を与えた。その杭を以ってこの重要なポイントに打ち込め・・・
 それが打ち込まれなければこの日本本体、国土そのものが大難を受けるであろう。
 これを見事に大地に打ち込め・・・
 これが今回のそなたのお役目なのだ・・・と。}

 私的なこともありかなり省略しましたが、こんなことがメッセージとして降りてきました。

「何処に?どこにこの杭を打てば良いのでしょうか!?」
 その指摘がありません。座っている場所は龍城神社の前のベンチです。
 しばらくジットして前方を見るともなく見ていますと、神社の斜め後方にある城の天守閣が光って見えてきました。
「この城の上空から天守閣に向かって先ほどの杭を打ち込めとおっしゃるのですか!?」

「そんなことが私に出来るとでも・・・・おっしゃるのでしょうか?」
 そんな言葉を投げかけたような・・・
 そこから殆ど、私であって私でない世界へ移行していったのかもしれません。
つづきを読む
2008年、神行(2)   2008.9.29
 私が神行などと生意気な言葉を使っている「祈り歩き・・・」は、私の意志で始めたことではありません。
 別な世界からの示唆・・・にのって身も心も委ねて行なっているので、神行と言っているだけなのです。
 この行は人間心や人間の身体だけで出来ることではありません。

 私がこうしたことに身も心もお使いいただくまでには、それなりの時(この世の時間)がかかりました。
 しかしアチラ側は常におっしゃいます。
「全ては自分が選んだのだ・・・」と。

 今回の「太陽の道」の祈り歩きでは、そのことを(人間だけでは出来ないことを)再認識させられました。

 先ずは先回のつづきの、緯度35度の行程をさかのぼって、記していきたいと思いますが、その前に、先回のメッセージの終わりに書いた、鳳来山の東照宮で頂いたありがたいお言葉というのを先に載せることにしますね。
 この言葉を頂いて同行の何人かの者達が、涙したと言っていましたので・・・

{・・・・・私の祈りの後しばし間があく・・・・・
 よう来られた!
 あなたから見れば12年。しかしこちらから見れば一瞬・・・今・・・一瞬である。12年と言う年月にこだわってはならず、しかし、人々の心の荒廃いちじるしく進んでいる。
 このままでは日本どころか、地球全体の世界が持たない。
 しかし地球は大丈夫である。地球は変化するのみなのだ。
 地球の心配をすることはない。常に大きな変化、激変をものともせずこの星は生き続けてきたのである。
 そこに、この学び舎に生きるそなた達人類が、そなたの言うように目覚めなければならないのだ。
 今、この時も・・・そなたの言う12年前も、それ以外の時も、常にあなたに力を注いでいる。
 決して我らと魂が離れることはない。大きな大きなひとつの中の貴女もひとつであるのだから。
 別なる魂の大きなひとつは、人類の行く末をあきらめてもいようが、我らの大きな魂の輪?は、いまだ人類を見放してはいないのだ。
 それが故にあなたはそこにいるのだから・・・それがあなたの力となることを・・・・???
 しかし人類を信じすぎてもならん。

 あなたの言うように人類とは人になりきっていない類(たぐい)のようなものです。
 人となった人々は、更なる高次の次元に旅立っていっている。
 見守っている・・・我らは見守っている・・・}

(東照宮でのメッセージを録音したもの・・・を、そのまま掲載します)

 2回目の神行は、始めに亀岡にある出雲大神宮という神社に参拝しました。
 この神社は団体さんがバスで来ているほどの賑やかな神社でした。

 しかしその神社の中に入るとその氣の悪さは生半なものでなく、ウ〜〜ンここで祈るのか!? と困惑していましたが、一応「拝殿に入ってお祈りをさせていただけますか?」と19さんが社務所に聞きに行きました。
 すると社務所の外にいた神官の一人が、お守りなどが置いてある台にヨッカカリながら、その辺の若者以上に行儀の悪い態度、口の利き方で、応対していた様でした。
 その最後の言葉が「どこで祈っても同じだよ・・・」とのこと。

「まぁ、それはそれで確かなことなのですが!」・・・
 19さんはその態度にあきれ返って戻ってきました。「あれが神官たる者の態度か?」
 そんなこともあって、この神社で祈る気をなくして戻りかけたところ、社務所の中にいる女性がこちらに向かって何か話したいような様子を見せました。
 そこでその女性のところに歩み寄ると「この神社の裏に元々のご神体の大岩がありますので、そちらに行かれては・・・」と言ってくれました。

 神官の無礼な対応を見ていて、気を効かせてくれたのでしょう。
 それに、ここの元のエネルギー(ご神霊)がお呼びになって下さったのかもしれません。

 ゆっくりと裏に回って行きますと、そこには見事な大岩が鎮座されています。
 どうも、ここに私たちを誘導するために色々なことが起こったようですね。

 小粒な雨が少し降っていましたが、その大岩の御前に塩やお酒を奉納して、その前に座りました。するとこの前の神社(出雲大神宮)で祭られている神々とはどうも違うように感じました。
「クナトの大神ですか!?」
 すると、突然勢いよく一陣の風(突風)が舞いました。
「よう来た!」そして「そう、怒るな!」と、まるで笑っているかのようです。

 その言葉に嬉しくなり、幾つかの祝詞を唱えさせていただきましたところ、突然太陽が顔を出しました。
 すると大岩が振動しているではありませんか・・・!
“歓んでくださっている!” そう思いましたね。

 するとその波動に更なる二陣目の風が巻き起こり、目の前に枝が舞い降りてきました。
 ありがたい・・・みな大喜びです。
「神社の前で祈らなくて本当に良かった」そこにいた者たちは、そう感じたことでしょう。

 ある時、形骸化されたところに近寄るな! と云われたことがありましたが、つくづくそれを感じた出来事でした。

 その後は、その周辺にある神社に行って祈りましたが、祈ると雨が止んで、太陽が顔を出して下さいました。

 午後になって亀岡周辺の祈りを終え、比叡山に向かいました。
 そして比叡山の下にある日吉東照宮で、面白いエネルギーに囲まれてしばらく座っていましたが、日の暮れる前に比叡山延暦寺に行こうと思い立ち、長いケーブルカーに乗り「根本中堂」に駆け込みました。
 素晴らしいところですね。この根本中堂は・・・・・
 私始めて行きました。
 もっと早く(時間)来ればよかったと後悔したほどでした。
 なんせ、閉める時間寸前に駆け込んだのですから・・・・・

 でも、私が法華経を上げている姿に、お坊さん達は何も云わずに、ゆっくりと祈る時間を下さいました。
 本当にありがたかったですね。感謝、感謝でした。

 ありがたいと云えば、この日は一日中、自然神のお一方「雨の神さま」に守られました。
 祈っているときは激しい雨が降るのに、祈り終わって外に出るとすぐに止む・・・・そんな連続でした。
 これもありがたいことでした。

 この日は京都で一泊することになっていました。
 夕食には、京都で有名な千年続くあぶり餅屋の女将(お弟子の一人)が合流し、楽しいひと時を過ごしました。
 束の間の心の洗濯とでも言いましょうか・・・こういう時間も大切なものだと思います。

 翌朝、宿のすぐ傍にある祇園さん(祇園神社)に向かいました。
 この神社は牛頭天皇(スサノー神)のおいでになる神社で、私は昔からこの神社がとても好きで、京都に来ると必ずここに参拝していました。
 もうどれ程の回数、ここに来ているのか忘れるほどです。
 しかし今まで祇園さんで、特別なことが起こったことは一度もありませんでした。

 ところが今回参拝中に驚く様なことが起きたのです。参拝客が鈴を賑やかに鳴らすので、後ろの方で祈っていたのですが、目の前に見えてきたのです。(目は瞑っている・・・)
 神殿の方から拝殿に向かって、正式な装束を身につけた天皇のようなお姿の神さまが・・・お出ましになってきたのです。

 本当に驚きましたし、珍しく興奮してしまいました。しかしここではゆっくり静かに祈ることは叶いません。そうした場所がないのです。
 残念ながら、そこでお言葉をいただくことは出来ませんでした。

 この祇園さんもまた北緯35度の線上にあります。
つづきを読む
久し振りに長い夢を見ていました   2008.9.19
 その夢の中で何度も頷いていたように思いました。
 そのきっかけは直近の「千夜一夜トーク」に参加された方の質問からでした。

{過去に何度も人類は滅びたという、ホピによると今度の人類は4回目とか・・・・・その4回目の人類もまた終末を迎えるという。そんなどうしようもない人類が、何故またこの地球上に生まれてきたのですか。刑部さんは地球上での学びの為にだと・・・いうが、何度も滅びに向かう覚醒も出来ない愚かな人類にそんな必要や、資格があるのだろうか?}

 その質問に対してその時私は、私を超えた言葉を発していたような・・・(つまり私が話したのではなかった?)
 すると2日くらい経った朝方、長い長い夢を見ていた。
 それは、この質問のテーマをもっとシッカリと捉えて話をせよ・・・ということのようだった。
 その夢に出てこられたのが、今はこの世にはおられない二人の神人たちだったのです。
 そのお二方は昭和30年前後から(霊的な世界)で活躍しておられました。
 お二方の霊性、霊格はずば抜けたものがあったのでしょう。

 そのお一人は僧籍を持ちながら、後に神官の資格を持ち、皇居や伊勢神宮の神殿を清めるお役を務めていた数少ないお一人であったと聞いています。

 その方との出会いは、そちらサイドの一方的な連絡でおこなわれました。その方のおっしゃることには「探し出しましたよ!?」とのこと・・・
 どして・・・? 何故・・・? 何のため・・・? 始めは訝しく思いましたが、時と共にそれは自然に解ってきました。
 まぁ、言ってみれば順番なのでしょう。

 そのお方も昨年、神上がりされましたので、もうお会いすることは無くなりましたが・・・お会いするといつも淡々とされていて、何の変哲もないようなことで、実はとても深いことを教えていただいたこと懐かしく思い出されます。
 私はその方のことを奉行先生とお呼びしていました。

 もうお一人は南龍さんと言う方です。
 奉行先生を通して南龍さんのことを知りました。
 この方の書いたものや話していることはトンデモナク飛んでいるので、一般の人々にはまったく理解できなかったでしょうが、当時の宗教の教祖様や神理を研究していた大学の教授たちは一目置いていたようでしたね。
 晩年こうした教授や、ある道を究めた方々と「座談会」をされていて、その一部始終を記したものを載せている雑誌は、今読んでも感心するほど素晴らしいものです。
 というか、今これだけ神仏のことを語れる人々は殆どいないかもしれません。

 南龍さんはご自分では行者とおっしゃっていたようですし、かなりの行をされていたようですね。「世界の人々が安心して暮らせる社会を作りたい」と、常々おっしゃっていたようです。しかし今生なさっていたことは誰もが信じられないことでしたね。
 私がこの方のことを知った時には、もうこの世にはおられませんでした。

 お二方とも生涯を神仏と、宇宙と繋がるために命を掛けていたようです。
 当時はこうした方々がチラホラおられましたよね。他にもそうした方を知っています。

 今はいませんね・・・
 何故なら本物の精神論(霊性)より、物質社会にドップリ犯されている人々でこの世は埋まってしまいましたからね。魂魄や霊格の向上等、考えてもいないのでは・・・・

 いたとしても僅かな霊能を、知名度を上げたりお金に換えたりと・・・自我の欲を満たすために使っている・・・悲しいかな!そんな人ばかりになってしまっている。

 ところで質問をしてくださった忍さん・・・、神なるものの大いなる計らいなら「もっと愛があっても良いのでは・・・・」とおっしゃいましたが。
 本当にそう思っていますか!?
 今の人類に神ならもっと愛を・・・!?と。

 私ね、時々怒りが湧くのですよ・・・今の人類の愚かさに・・・
 自分を含めてですけれどね・・・
 もう少し自我を抑えて霊性の向上につとめれば、もう少し世の中が良くなるのに、
 何故・・・何故・・・って。
 平たく言えば、もう少し他人の心を解ってあげたり、他人に優しくしてあげたら・・・それだけでも良いのにと・・・

 えらそうでしょ!
 自分でも偉そうに! って思いますよ。
 でも腹が立ってしまうのです。
 テレビ、新聞を見ると最近、暗澹たる思いになってしまうのですよ。
「もうダメかな!?」・・・・・って。

 でもね・・・そう思いながら、昨今でも祈り歩きでアチラこちらに行くと、大地にひれ伏して泣きながら「もう少し・・・もう少しだけ人類に時を下さい・・・人類はきっと目覚めてきます。だから許して・・・!許してください」などと絶叫してしまうのですよ。
 私も愚かですね!

 仏陀やイエスが出てしばらくの間は(千年ほど)霊性の高い人々がたくさん解脱して(神上がって)行ったと私は思っています。つまり死して、衣を脱ぎ捨てて直接星に転生して行ったのでしょう。
 当時かなりの数の人々が神仏を求めていたようですし、霊性の修行をなさっていたのだと思います。
 この数百年が物質文明とやらのあおりで、人々の霊性が下落してきたように思いますが。
 そして更にこの百年が・・・ある意味最後の賭け・・・のような世界が現象しているような・・・・・

 私の言っている、新人類のことは別次元のことだと私は思っています。
 ですから、新人類と旧人類のことは切り離して考えていただけませんか。話が広がりすぎるので・・・

 新聞の紙面を見ると、どの世界を見ても堕落の一途を辿っているとしか思えないことが載っていますよね。
 こうした世界からそろそろ一歩外れていきませんか?

 まだ他にイキイキと生きる道はあると思うのですが・・・

 夢に出て来たこのお二人もまた、この現象界であるお役を果たして、死してあの世に行くことも無く、直接別次元(星)への転生を果たしたお方なのです。
 他にも何人もの人々が今生で、自らの次元上昇(進化?)を果たして、高みに登っていかれました。
「新・千夜一夜」での質問に、明確な返事をして差し上げる時期に来ているというのが、このお二人のご意見でした。

 今オザナリになっている人間の霊性、霊格の話と、どれだけの聖なる存在が今人類を見守っているか・・・この話もせよ・・・とのこと。
 こうした問答がこのところの夢身で続いていたのでした。
つづく
2008年、神行(1)   2008.8.15
 最近とても不思議に思っていることがあります。
 日本に起きている地震のことです。
 これはおかしいなと思い出したのは、7月7日、富士山五合目の小富士の神行からでした。
 掲示板に書き込んだように、小富士は常のような感覚の場所ではなく、まるで異次元にでも来てしまったかのような感じでした。

 その頃からです。おかしなことが起き始めたのは・・・
 7月7日の神行の後、15日頃から富士五湖に地震が起き始めました。
 21:37分をかわきりに6、7連発ほどこの地域に起こったようです。

 富士五湖と聞いて、最初は「へぇ〜〜これは!」と思って見つめていましたが、しばらくして収束に向かったようでしたので、あまり気にかけない様にしていました。
 その後、8月2日から本格的に、三保の松原から北緯35度「太陽の道」周辺を祈り歩き始めました。
 翌日は浜名湖の北側にある細江神社に行き、祈らせていただきました。この神社はこの日から参加した方が、宿舎まで来る道すがらに見つけてくれた神社でした。

{明応7年の大地震によって、浜名湖は外海とつながり、その時の大海嘯により新居の角遅比古神社は流没、しかし御神璽は奇跡的にこの気賀の地に着御された。里人は牛頭天王社としてこの地に祀る・・・・}
 大海嘯・・・つまり大津波に遇いながらも神璽が流れ着いた地であると・・・
 二日目の神行の初めとしてはありがたい神社に誘導されました。そして御祭神は牛頭天王・・・つまりスサノオの命です。
 このところ久し振りに、そのエネルギー、感覚を受けているところでしたので余計に嬉しい神社でした。(多分前にも来た覚えがある)

 すると、8月5日、浜名湖付近にM4.3の地震が起きたのです。
 この頃から「えっ!ホント!ほんとに浜名湖に地震?」という不思議な感覚が生じてきました。行くところ、行くところの地に小さな地震が起きる!?
“これって何?”

 しかしそれはそれとして、心を静めて前回の「太陽の道」の神行は、京都以西には行っていないことが氣になっていましたので、地図を見つめていました。すると京都の西に亀岡というところがあり、妙に目に付き始めました。
「亀岡・・・あぁ、やはりここか!・・・でも遠いな・・・」と思いましたが、この場所は今回外せないと思い、それを周りに話しました。
「何時頃行くのですか?」との問いかけに「う〜〜ん、この暑い最中何時が良いのだろうね」と考え込んでいました。私の体力的なこともありますし・・・

 すると、唐突に私の口から・・・「もしかするとこの亀岡辺りにまた地震が起きたりしてね!?」という言葉が飛び出しました。そして次第にそれは確信に変わっていきました。

 翌日8月6日、6時26分
 緯度34.9  東経135.4
 この亀岡に地震が起きてしまいました。M3.8でした。

 確信があったとはいえ、あまりの速さに実はギョッとしました。
 そこで上のお方さまに向かって
「チョッと待ってください・・・何をなさりたいのですか? 被害がないとはいえ、それはあまりの事です!? 合図としてもあまりです・・・」と。
 しかしそこまで言って「えっ、合図!?・・・これは合図なのですか?」
 思わずそう呟いてしまいました。

 そういえば、東京教室でワークの一環としての瞑想中に、御前崎という字が見えた直後、御前崎近くで地震が起きてちょっと驚いたことがありました。
 そうか!あれも合図と言えば合図だったのかも知れない。
 だからと言う訳ではありませんが、2日の日は御前崎の先端で神行を締めくくりました。

 もしかしたら、日本の祈り歩きのポイント、ポイントを示唆して下さっているのかもしれない・・・
 確かなポイントを収めていくための示唆・・・
 もしそうであるならば、ありがたいことです。

 しかし12年前と今とでは全てが様変わりしています。
 まして今は地球規模での災害に襲われているのです。
 そして、災害の規模、頻度が激化してきています。

 しかしこの12年という歳月は、私をも少しは成長させてくれました。12年前は殆ど何も解らず行動していましたが、少しはこの太陽系宇宙のことも、神なる存在のことも理解出来てきました。
 また魂の成長著しい者たちも僅かではありますが出てきています。ありがたいことに私一人の孤独な神行では無くなってきてもいます。
 上のお方様に助けていただきながら、何とかこのお詫びの為の神行、やり遂げねばなりません。
 その後、鳳来山まで車を走らせました。
 鳳来山には、東照宮があります。その上には峰の薬師があります。日本の三大薬師如来で有名なところです。

 先ずは東照宮まで歩きます。歩きながらつくづく感じた事は、なんと地場、波動、エネルギーの良い処なのか!という事でした。
 東京や地方都市にはない優しい氣に満ちています。人が生きる上でありがたい波動・・・
 そろそろこうした自然のエネルギーの多い処でなければ、人間生きられなくなるのだろうな・・・と感じた事でした。
 東照宮・・・それは徳川家康と天海僧正が当時、関東の恒久平和を願うために創り上げた結界です。それが北緯35度「太陽の道」のことです。
 詳しい事は、本を読んでいただければと思いますが、今は関東を越え、日本全体の為に結界を張り巡らさねばなりません。
 きっと別なる次元で、更なるお力を注いで下さっているのでしょう。
 そう思いながら、心からのお詫びと祈りをさせて頂いたのですが、そこでありがたいメッセージを頂いたのでした。
つづきを読む
最近感じること   2008.6.9
 6月、梅雨に入りましたね。

 梅雨に入る前から関東は、梅雨っぽい鬱陶しい日々が続いていました。
 4月は、観測史上最多の雨量があったようです。
 ところが米処の岩手では水不足であるような・・・

 掲示板等で訳のわからないことを書いてきましたが、今回はこのメッセージ欄に書けることだけ書いてみようと思います。
 話の会などではお話してきましたが、今の世界は特殊な世界に移行していると私は思っています。

 150年ほどかけた、ある意味実験の世界(監視される世界)・・・・
 ある者には、それまでは地球上になかった高度な科学を脳に植えつける・・・
 ある者には、地球的ではない智恵を植えつける・・・
 記憶を改竄された人類・・・

 日本を例にとって見ると、120年ほど前の明治時代に、やっと町に電燈が灯った位の文明でした。
 それからの文明の進化のもの凄さ・・・

「たかだか100年ほどでこの文明の急速な進化を、おかしいとは思わぬか??」
 10数年程前に、上のお方様から響いたこの言葉の意味が、この10年来イヤと言うほど押し寄せてきていたのです。

 改竄された脳を持つ科学者たちの手によって、科学が急速に進化することで、人類は瞬く間に超兵器(原爆を含めて)を作り出し、とうとう他の惑星にまで手を出し始めた。
 兵器や科学はますます進化し続け、留まることを知らない。
 しかもその殆どが人類を滅ぼすためのもの・・・・・

 明治、大正に生きていた人々が、現代の世界をみたら別世界(SFの世界)と思うかもしれませんね。
 しかしそれとても、もしかしたら大きな計らいの世界の一部なのかもしれない。
 こうした叡智を得た人類がそれをどう使いこなすか?

 上のお方様たちはそれをジット見つめている。
 ホピのマルチィン長老はそのことを「UFOピープルは遥か以前から、人類を監視しているのだ!」と云っておられました。
 監視付きの人類・・・
 限定された時間の中での実験・・・
 今この刻に起きる全ての事象を見て、そのことが更に実感されてくる・・・

 話を少し変えますが、「よく巷で言われている「アセンション」は起こりません・・・」と大阪講演でお話したら、聞きに来て下さっていた男性が「アセンションなんてありませんと言ったのは刑部さんだけですよ! 勇気あるなぁ・・・」って言われてしまいました。

 思わず噴出してしまいましたね。

「アセンション」と言う言葉が日本に入って来たのは、アメリカのチャネラー達からだと思っていましたら、最初に言ったのは自分だ!とエハンさんの本に書いてありました。
 真偽の程は解りませんが、私にはまったく理解出来ないことのひとつです。

 アセンション・・・2012年人類滅亡説・・・・
 2012年滅亡説の大元であるマヤ暦・・・・・ところが最近来日したマヤの神官によると、マヤ暦は今まで云われていたことと計算方法が違うのだとか。そのことは浅川先生もある会で話しておられましたね。
 つまり「2012年滅亡説はない!」とマヤの神官が伝えに来てくれた。
 ありがたいことですね。
 日本では近年この説が加熱していましたものね。
 私の本のタイトルの下にも「2013年:地球はどうなっているか?」と書かれています。
 表紙は編集長の采配で、私は口出し出来なかったのですが・・・それにしても・・・

「アセンション」も「2012年滅亡説」も、二酸化炭素――だけを悪にした「地球温暖化現象説」も全て陰謀でしょう。
 地球温暖化に人類の蒔いた種がないとは言いません。二酸化炭素も一つの要因であることは間違いありません。
 しかし果たしてそれだけで、ここまで地球があっけなく崩壊の一途をたどるのでしょうか?
 私には信じられません。
 じつは他にも要因があるのです。いえ他の要因のほうが多いのです。
 しかし全てを地球温暖化(一番の悪玉、二酸化炭素)の所為にしたい存在がいるのです。信じられないでしょうが、温暖化は人類淘汰の最大のチャンスなのです。だからこそその事実を知っているアメリカは議定書に加わろうとはしない・・・

 太陽の異様な変化もそのひとつだと私は思っています。太陽系宇宙の大変革・・・
 その事実を隠したいある一派「イル○○ティ」の謀略・・・

 その謀略をも視野に入れた(取り込んだ?)上のお方様たちの大きな計らい。
 それが今この世界に起こっている真実だと私は思っています。

 最近、掲示板に書き込んだ修羅の世界、謀略の世界への戦い・・・
 どこぞの地底で大きな実験が行なわれている・・・
 地底からの波動の変化が災害を引き起こし、人の精神を崩壊させる。
 この実験が続くことによって地球自体が更なる変化を起こしかねない!?

 6月に入って様々な存在からのメッセージが押し寄せてきました。
 そのお1人がスサノーと名乗られました。
 懐かしいお名前です。
 一時、私はこう名乗る存在からの指導を受けていたように思っています。

 ですから10数年前にタイムスリップしたかのように感じられました。
 戸惑いながらも嬉しかったのですが・・・
 さて、どうした戦いをしなければならないのか!?

 これは次にまた掲載します。なかなかホームページに書くのは難しい・・・
 しかし、伝えなくてはなりませんので・・・
 私の世界は、ある意味おとぎ話か、SFの世界とでも思っていただいた方が良いのかもしれません。
 そう思っていただいた方が気楽に書けるかと・・・。

 梅雨寒以外に地底の変化も起こっていますので、くれぐれもお身体をご自愛ください。

 滅び逝く人々に心からの哀悼の念を捧げます。
合掌   刑部恵都子
エジプト(5)   2008.5.8
 最初から読みたい方はこちらをどうぞ
 一応この5回でエジプト旅行記を一旦閉めたいと思っています。しかしまだまだ上との交信は続いていますので、それはそれで別にお話したいと思います。

 エジプト帰国の日、午後までの時間を利用してオールド・カイロにあるコプト教会に行った私たちは、長い時間引き回されてやっと地下教会に座ることが出来ました。
 先回に述べたように、号泣する私に降りた強烈なイナズマのような光(電磁波?)によって、身体が貫かれました。そしてメッセージとは違った大きなビジョンが見えてきたのです。

 しかしそれを文章で書くことはとても難しい・・・
 どう言葉で描いてみても明確とは云えないでしょう。なにせ映像なのですから・・・
 ただ云える事は、決してハッピーエンド的なものではないということです。
 このところ講演でもお話しているように、厳しい事態が次々と人類に襲い掛かってくるということです。しかしこの世で言うハッピーエンドが素晴らしいものとは限りません。
 何故なら魂の学びのために、この世に生まれてきたのですから・・・

 あまり速くハッピーエンドになってしまっては困るお方様がおられるのでしょう!?
 そして、それこそが皆様の魂に刻み込まれていることではありませんか!
 それを思い出されるしかないのです。

 これは(大いなる)神々の大いなる計り事です。
 50億年ほど前からの計り事です。
 太陽系宇宙もまたその一環として創られたのだと私は思っています。
 最近の講演では、こうした話をしています。

 しかし不特定多数のホームページに、こうした話を掲載することは難しいと思っています。ナンセここは氣功教室のホームページなので・・・

 どうか話を聞きに来て下さい。
 何処の会場でも、真実を伝えるために、私の生まれる前から知っていることを話しています。私はその為にこの世に生を受けた者なのです。

 しかしそれは皆様にとっても同じ事だといえるでしょう。
 それぞれが、ソレゾレの大事な使命を担って生まれてきているのは、確かなことなのです。
 しかしそれは(使命)この世的な善悪では計かり知れないことでもあります。

『善し悪しは、もとの太空(みそら)のうつろ草、宇宙(そら)に帰れば、生(お)ふる種なし』

 これは1998年にある存在(上のお方さま)から頂いた詩(言葉)です。

 この言葉の中に、私の宇宙がありました。そしてある意味、覚醒することが出来たのだろうと思っています。
 1990年頃から、常に誘われてこの世に生きていることの実感を得てきました。

 イエスさまに因(ちな)んで一つ・・・

 長い間イエスを裏切ったと云われてきたユダは、実はイエスの為にああした裏切り行為をしたのだと最近ヤット解ってきましたね。
 つまり裏を演じたのです。
 表裏一体・・・・・

 ユダとは、イエスと同等の魂を持った神(宇宙)なる存在だと思っています。

 エジプトに行くと私は、日本に居る時よりもイエスのエネルギーに触れて、更に覚醒することが出来るようです。
 これからも、少しずつ思い出したことを書いていこうと思っています。

生きとし生けるもの全ての魂魄に祈りを捧げます。
合掌   刑部恵都子
エジプト(4)   2008.4.24
 まずは旅程にそって駆け足で話を進めてみますね。

 最終日早朝にカイロに戻り「帰国までの自由時間にオールドカイロにあるコプト教会に行きましょう」と、皆さんに伝えてありました。
 マリア様が赤子のイエスをヘロデ王から守る為に、隠れ住んだといわれる教会です。
 しかし実はその教会は表向きのことで、本当の教会はその裏の方にある修道院の地下深くに隠された場所にあったのです。

 12年前にエジプトに行った時は、そうしたことは全く知りませんでしたから、パンフレットに書かれている説明書きを見て「へぇ〜イエスさまとマリアさまがエジプトにいたことがあったのね。面白そう・・・。行ってみましょうか・・・」ということになったのでした。

 それがまさか私が迷子になり、隠された地下教会に導かれようとは思いもしないことでした。今思えば私はその4年前の2月2日、イエスと思われる存在に出会っていながら、イエスの軌跡を学ぼうともしなかった愚か者であったのです。

 その時、起きたことはCD(光・響・詩)にしてありますので、詳しくはそれを聞いていただくとして、今回のエジプト旅行でその隠された教会に行くべきかどうか?じつは迷っておりました。 
 未だその地下教会が存在しているかどうかさえ分りませんでしたし、エジプトのガイドさんたちでさえ知らない処のようでした。ガイドさんたちが知っているのは表向きに造られた場所であったのです。

 またその処は招かれなければ、絶対に踏み込むことの出来ない場所なのでしょう。

 しかし旅行中ことある時には「これだけの人たちを伴って再度お訪ねしても良いのでしょうか!?」とイエス、マリアに意識を向け続けていたのでした。
 ですから帰国前の国内線での移動中に、身体の細胞が振動を始めたときは、それまで以上に胸が高鳴ってきたのです。
「また誘って下さるのでしょうか!? お会い出来るのでしょうか?」と。

 エジプトのベテランガイドYさんには、前回に起きたことは殆ど話していませんでしたが、バスがコプト教会に近づくにつれて、私の顔や物腰にただならぬものを感じてくれたのでしょう・・・

「刑部さんが前に行かれたという教会に必ず行きましょう・・・どうも私たちが聞き知っている処とは違うようですが・・・何とか努力してみます」と部下のガイドさんと共に、真剣に場所を探し回ってくれました。
 12年という時間はその周辺も驚くような変化を見せてくれます。

 私の行った修道院が、ギリシャ正教の修道院であったことも、今回行って見て初めて解ったことでした。
 ガイドさんたちがギリシャ正教の神父さんに一生懸命に話をしてくれて、神父さんから地下に入ることは許されたのですが、神父さんも守衛さんからも「地下には今は何もありませんよ。全て移してしまいましたので・・・」という言葉が返って来ました。

 そして地下の入り口が開かれたのですが、守衛さんは私の記憶とは反対の方に案内をしていく・・・
「違う!ちがう!こちらの方ではない!」
 私は必死に叫びました。
 しかし「そちら側には何もありません。まずこちらに来た下さい」と云われてしまいました。
 そんな状態が続き、なかなか記憶にある場所に辿りつけない・・・
 その頃からダンダン私の眼が見えなくなってきました・・・
“ふと、イスラエルに行った時と同じだ・・・”と呟いてもいました。

 守衛さんにアチラこちらに連れ回されて、しかしあの場所に行きつけない・・・

 その場に行くことを拒まれているとは思いませんでしたが、「もうこれ以上、大勢の人を巻き込んではいけないな? あきらめよう!」と感じ始めたとき、
 必死に私の身体を支えてくれていた娘が「大丈夫・・・キット見つかるよ。諦めちゃだめだよ」と言うのです。
 すると逆側を支えてくれていた19さんもまた「必ず見つかります。もう少し頑張って下さい・・・」と力強い言葉で励ましてくれます。

 その言葉を支えに、また最初に入った地下の方に戻っていきました。
 正直言えば、そのとき私の目は殆ど失明状態でしたね。(イエスに関わると必ずこういうことが起きるのです。何故なのか判りませんが??・・・・・)

 眼が見えなくなった私は地下に降りていき、冷たい壁を手探りに右の方に進むと壁が切れたところがありました。その空間を手探りに前に歩みながら「ここです!きっとここがそうです・・・」
 という声が私の口からほとばしりました。
「待ってください!暗闇なので危ないです。電気を点けますから、そこにいて下さい」と大きな声が響いてくる。
 その頃には私は解っていました・・・“やっと来られた! また導いてくださった!”と。
 その時の私は失明状態でしたから、暗闇なんてじつは関係なかったのです。

 部屋に入って、すぐ額ずきました。
 その部屋は、イエスの十字架も何もかも取り払われていましたが、私には全てが見えたような気がします。前と何も変わらない光景が・・・・

「イエスよ! マリアよ。また来ることが出来ました!ありがとうございました」
 それからは涙・涙です。
 見えない眼に光が当たりました。
 薄暗い部屋の中に、次々と光が降りてきます。

 と、突然にそのことが起きました。
 とつぜん、頭頂から身体の中に強い光が侵入してきたのです。
 凄い衝撃でした。
 身体がイナズマに貫かれたような感じでした。
 その時の私はイエス、マリアのエネルギーに満ちて、やっとこの場に来ることが出来たという安堵の真っ只中・・・
 完全無防備の状態でした。

 それから私の口を通して降りたイエス・マリアのメッセージは人類には厳しいものがありますが、それは私の予想外のことではありませんでした。
 それよりも私が驚いたことは、その時見せられたビジョンの方であったのです。
つづく
エジプト(3)   2008.4.14
 ルクソールの二日目はナイル川西岸にある「ラムセス3世葬祭殿」と「ハトシェプスト葬祭殿」また王家の谷にある「ツタンカーメンの王墓」の観光です。
 前回の旅では、何故か私はこの「王家の谷」には一歩も降りられませんでした。バスの後ろで一人打ち伏せたままでおりました。
 ですから今回は「王家の谷」の初観光でした。

 どこの王の墓も壁に書かれている絵や文字は、とても素晴らしく心惹かれるものがありますね。
 私と共に前回エジプトに行った方々の中には、「王家の谷」には自分のルーツがあると言われ、それから何回もエジプトに行っている人がいました。
 壁画の絵に心惹かれているのでしょう。

 今回はツタンカーメンのミイラが公開されていました。でもミイラなんて改めて見る必要ないな!とつくづく思いました。

 どなたかが「まさか何千年も経って、自分のミイラ化された肉体がこんなに大勢の人に見られるなんて思ってもみなかったでしょうね!」「私ならイヤ! 絶対にお断り!」
 とおっしゃっているのがとても印象的でした。でもその方はそう言いながらも、シッカリと見ておられましたが・・・

 黄金のマスクを被るツタンカーメンには夢があります。マスクの下の10代で亡くなった顔はどんなお顔なのだろう!
 黄金のマスクと同じようにハンサム(古いか!)・・・今様に云えばイケメンだったのだろうか等々、想像を逞しゅう出来ますよね。
 私には、ミイラを見に群がる人たちの気が知れません。

 父王、アメンヘテプ4世の行なった宗教改革が神官たちの手によって打ち砕かれ、一時、神官たちの言いなりになっていたツタンカーメン・・・
 青年になり、父が命を掛けて成した太陽一神教の深い意味に気付き、父王の後を継ごうと決意したとき、神官たちの手によって殺害されたツタンカーメン・・・・・
 さすがに王を殺害した神官たちは、その祟りを恐れ慌しく狭い墓を造り、何重もの黄金の棺に幾つもの封印をかけたのでしょう。
 日本古代の権力争いの様相とさほど変わりがありませんね。

 アメンヘテプ4世が宗教改革を通して一番成したかったこととは・・・
 神という名を利用して民から賂を取る神官たちの勢力に対抗して、というのが一般的な解釈ですが、形ある神にすがるのではなく、永遠に普遍する神(ただそこにあるだけ)。
 そこにある真理を知ること・・・
 一言で言えばこんなことなのでしょうが・・・それはそれとして、私はもう一つの真実が隠されているのではないかと思っています。
 アメンヘテプ4世は、天から派遣されたもの・・・だと思うのです。ある雛形を演じるために・・・!
 旧約聖書の世界、モーゼもまた神からの使命を果たすものでした。旧約、新約聖書の世界、及び古代にはこうした方々が沢山地球に降りてきています。
 その中のお一人がアメンヘテプ4世(イクナートン)なのだと思っています。

 その日一通り王家の谷を見終わって帰路に着きました。
 今夜がエジプト最後の夜です。
 ホテルでの食事の後、ナイル湖畔のプールサイドに集まって、楽しいひと時を過ごしました。
 明日は早朝からカイロに移動して、オールドカイロにあるコプト教会に行こうとガイドさんとシッカリ打ち合わせをしていました。
 前回はコプト教会に行ったつもりが、皆とハグレテ、私はある修道院の地下に隠された教会に導かれて、イエスとマリアのエネルギーを受けたことは、CDにしてありますが、今回そこに行き着けるかどうか?判りません。

 期待をさせては・・・と思い、地下教会のことは皆さんに伝えてはいませんでした。
 ですからなるべくそのことには触れずに、コプト教会に行くことだけ伝えてありました。
 しかし翌日早朝、カイロに飛び立った時から、私の胸は少し振動を始めていたのです。
つづく
エジプト(2)   2008.4.11
 テル・エル・アマルナのことをもう少し詳しく話します。
 宗教改革王、アクエンアテン(イクナートン)の遷都した都のことです。

 今までの都(テーベ)から遷都してから、次王ツタンカーメンの治世に放棄されるまで僅か15年ほどの都であったようです。

 エジプト中部のナイル川東岸に位置し、都市計画のもと、処女地に建設され、後に異端の都として完全に破壊し尽くされた。しかし遺構の基礎部の保存が逆に良かったようでもある。

 アテン神(太陽神)一神教に改革したこの都には、様々な壁画が残っていました。

 その中で王とその家族がアテン神を信仰している姿の絵が、多く残されています。
 太陽円盤からの光線を一身に浴びているその姿。
 まるで太陽と交信しているかのように・・・・・!?

 またアメンヘテプ4世と王妃ネフェルティティの膝で戯れる子供達の姿も多く描かれています。
 今日(こんにち)にも通じる、とても平和な家族とでも云えるような絵が多い。

 唯一の太陽信仰・・・・
 太陽円盤から様々な光線を受け取る、王と王妃・・・

 なるほど! そうですよね。
 心から納得ができました。

 私は私なりに太陽神と交信してみたい・・・
 今この時に、その為にこのアマルナに来たのだから・・・
 私がこの数十年導かれた存在の言葉に従ってみよう・・・

 それがアマルナ神行でした。
 そして太陽の周りに現われた様々な存在の姿・・・・・

 ありがたかったですね。嬉しかった。これを歓びといわずして何が歓びなのでしょう。

 もともと私は太陽こそが、全ての生命の根源だと思っています。
 太陽こそが生命体・・・・
 そして生命を生み出す根源だと・・・・・


 翌日は早朝に飛行機(エジプト国内線)で移動して、ルクソールに入りました。
 ルクソールのナイル川東岸には、カルナック神殿とルクソール神殿があります。

 19人この日まで、体調を壊す人も一人も出ずにこの地に来ることが出来たのは新米添乗員としてはホッと出来ることでした。

 初めにカルナック神殿へ・・・この神殿はエジプト史上強大な権力を誇ったトトメス3世の造った神殿です。3500年前に造営されたこの都は500年間も栄えたようです。

 そのあとルクソール神殿に行きましたが、この神殿は女神(ムート神)を称える神殿でしたが、コジンマリシテとても清清しく素敵なエネルギーを持つ神殿です。

 前回に行った時も、この神殿がとても気にいったことを覚えておりました。
 その時、フト気がついたのですが、この日は満月でした。そして前回も夜ライトアップしたこの神殿に行った時も満月でした。

 それならまた夜、ライトアップされた神殿に行って祈りを捧げようと思い至ったのです。

 ところで昨日12年前のエジプトの写真をやっとのことで納戸から引っ張り出しました。
 当時のカルナック神殿とルクソール神殿の写真を見ると、違うのはやはり空の色でした。
 ほんとに12年前は綺麗な空だったのですね。
 そして、ライトアップされたルクソール神殿の中央に、美しい満月が懸かっていました。

 しかし今回の写真には、その当時の写真とまるで違う(何かが)大量に映っていたのです。昔の写真と比べて更に実感しましたね。

 満月と、祝詞と舞のエネルギーの中に大量に寄ってくるたまゆら(オーヴ)たち・・・
 まるで行き場のない放浪者のごとくに・・・
 そして満月を撮っていたビデオに写るUFOの数々・・・

 そうですか・・・そうですよね!
 太陽と月そして☆星の大変動・・・
 つまり今回は、太陽系宇宙に大変動が起こっているのでしょう。
 地球だけのことではない!
 それを強く実感している昨今です。

 だからこそ魂を開かなければね・・・
 覚醒して己を「知る」ことを急がなければならないと思うのです。
つづく
エジプト(1)   2008.4.10
 日本に帰国時の私は、帰国直前に起きた出来事によって、意識が飛んで、出たり入ったりという状態が続いておりました。同行の皆さんには随分心配を掛けてしまいましたね。すみませんでした。
 ところでこの旅は笑いの絶えない、とてもよい旅でした。
 おかげ様です。

 また驚くほど様々なことが起こりましたが、全てを冷静に捉えてくださった皆様は、只者ではありませんね・・・
 感謝しています。

 ということで、これから少しずつエジプトでの出来事を話していきたいと思います。

 着いた翌日、ギザの3大ピラミッドの一つ、クフ王のピラミッドの玄室での貸切セミナーを致しました。最近はクフ王のピラミッドに入る入場者も制限されているようで、なかなか2時間の貸切は難しかったようです。本当に嬉しいことでした。

 前回と同じように、蒸し暑くもなく快適な温度の玄室の中で、朗々と祝詞を挙げることが出来たことは、とてもありがたい事でした。

 話は前後しますが、カイロに着いてピラミッド群を回り始めた時、とてもショックを受けました。
 前回に来た時は、紺碧の空の中をピラミッドが聳え立っていたのですが、今回は灰色に煙るスモッグの中にありました。

 エジプトは環境劣化の嵐に晒されていたのです。
 たった12年ほどでこんなに変わってしまったのか!?
 じつはこれがエジプトに着いて最初の驚きでした。
 それからはマスクが離せない必須アイテムになりました。

 その日の夕方からクフ王の玄室の貸切セミナーを行なったのですが、前回とは根本的な違いがありました。

 前回はコプト教会に行く途中で、私は皆とハグレ(行方不明になり)隠された地下教会に導かれ思いがけなくイエス、マリアという存在からのエネルギーを受けた後に、玄室に入ったのですが、今回は初日に玄室に入ることになりました。
 ですから、ある意味胸が躍っていました。まるで始めて玄室に入るかのように・・・・

 玄室では同行のK先生も私と交互に祝詞を唱えてくださって、とても気持ちの良い波動が上に上にと上がっていきます。
 すると打ち合わせどおり電気が落ち、真の闇になりました。

 “あぁ、気持ちがいい・・・素晴らしい波動が満ち満ちてきた”
 と、遠〜いところから音楽が聞こえてくる・・・高い声でどなたかが歌っているような声も響いてくる・・・

 すると突然、なんと地下から巨大な樹が上へ上へと伸びていくではありませんか!?
 ジット額の眼で見つめていますと、それはピラミッドの頂上から天へ天へと伸びていきます。
 まるでジャックと豆の木のような・・・

 えっ!何の樹?と思うと、天にドンドン伸びる巨大な樹から花が咲き出しました。
 それは桜の花でした。

 “えっ、桜?”
 しばし呆然とその光景を見つめていますと、ある思考(メッセージ)が流れ込んできました。

{アナタが感じているように、このピラミッドだけは人間の創ったものではありません。
 他のピラミッドは人間が造った物です。
 桜の樹は「神の降り立つクラ(ヒモロギ)」と常にアナタが言っているように、このピラミッドもまた神(宇宙)と交信する場なのです。今ご覧になっている桜の樹は天まで届いているのです。それをお見せしたのですよ。と}

 吉村教授ごめんなさい・・・
 間違いなくクフ王のピラミッドは宇宙の方々の残した遺跡だったのです。

 エジプトの2日目は、念願のアメンヘテプ4世(イクナートン)の遷都したテル・エル・アマルナに4時間強バスに揺られて行きました。

 この田舎町も素晴らしかったですね。観光化されていないこの町は素朴で、でもナイル川沿岸の肥沃な土地・・・イクナートンが何故この場所を都にと思ったのか・・・?
 大河の畔の宮殿に憩う王と王妃や民達の姿が彷彿されました。

 翌日そこでアテン神(太陽神)を称える為の神行をしたのですが、祝詞の波動に合い往古するように、太陽から黄金の光が降り注いできました。

 神行は午前中の太陽の一番輝く時に行なったので、サモありなんと思っていましたが、帰国して編集したビデオに実は驚くものが写っていました。
 それは祝詞に合い往古するかのように、太陽の周りを高速で移動する、様々な形の巨大なUFOの数々でした。

 それを見てしみじみ思いましたね。
 やはりなぁ〜〜と。

 もう今までとは刻が違う・・・
 宇宙も幽界もこの世の現象界も、大きく大変動を遂げてきている。
 今回の変革は、地球だけの変革ではなかったことを心底感じたのです。
つづく
2008年、遅ればせながら、これからも宜しくお願い致します。
往還   2008.2.11
 2月初めの早朝、叔父が亡くなったと知らせがありました。
 叔父の顔を見たくて、取るものも取りあえず車を走らせていると、携帯が鳴り、車を寄せて電話にでると、かかってきた内容は、
「無事に子供が生まれました!有難う御座いました・・・」というお弟子さんからの弾けるような声・・・
「そう良かった!ほんとに良かったね。オメデトウ!」
 そう言いながら、ふと「叔父もある意味お目出度いのかな!」そう思いました。

 この世に生まれて来るもの・・・・・
 この世の学びを学び終わり、あの世に還るもの・・・
 じつはどちらもお目出度いのだと・・・

 叔父は勉学肌でずっと勉強をし続けてきた人でした。そしてある有名大学の講師とその付属高校の教員を長く続けていました。
 自分の研究していた分野の本も何冊も出していたようですが、なぜか「禅」の小難しい本も出版されていました。

 その叔父一家とはある時期、結構会う機会がありました。元旦になると叔父の家に行き祝い膳を囲んだことが思い出されます。
 それは私の父が亡くなって、その弟である自分が“長老として親戚を束ねなければいかん!”という叔父独特の感覚に、こちらが合わせなければと思ってのことでした・・・

 ま、それはそれとして、私は人間の生死に対して独特な感覚を持っています。
 それは死していく処を知っているからなのか、生まれ出る前の世界を知っているからなのか?
 あまり人の生死を感傷的に捉えることはないのです。

 生まれてきた者には「良くきたね!これから様々な事を学んでいかなければね!」と声をかけるし、死していく者には「ご苦労様でした。人生はどうでしたか。色々と学ぶことが出来ましたか?悔いのない人生でしたか?」などと話しかけます。そこにはあまり感傷はありませんが、しばらくその魂と触れ合えなくなることの寂しさは人並みにあります。
 (私にとっては死して還る人たちは、遠くに引越ししていき、シバラクは会えない人たち・・・)
 という感覚でしょうか・・・

 縁あって親族として関わってきたこと・・・これも必然なのでしょう。
 あちらの世界に緩やかに移行できるように祈りをすることが、私たち残された親族の行なう最善の供養だと思っています。

 ところで・・・2008年
 このところ月日の流れの速いこと・・・あっという間に2月ですね。
 様々な事件が目まぐるしく駆け巡っています。
 そんなご時世に惑わされずに、真の目を見開いて少しでも近未来を見通していければと思っています。

 ジュセリーノではないですが、私は今年の日本はまず地震に気を付けなければなと思っています。
 関東だけでなく、関西各地にも起きる可能性があるでしょう・・・
 それから昨年と同じ、いえそれ以上に、夏は気温上昇、と旱魃ですね。
 世界中が食糧不足と水不足に苦しむことになるのでは・・・?
 日本だけが何時までもこうしたことから免れると思っていたら大間違いです。

 今騒いでいる、中国の農薬汚染餃子の問題・・・
 私はある意味、日本人が反省すべきいいチャンスだと思っています。
 冷凍食品や海外からの輸入食品に頼っている現況を見直さないと、これからの日本は大変なことになっていくでしょう。

 朝のワイドショーなどでも、世界と日本の食料需給率の問題が取り上げられています。日本は39パーセント程の需給率に対してフランスやヨーロッパは80パーセントほどで、アメリカやオーストラリアに至っては120〜130パーセントを上回っていたそうですね。ただしこの数年は旱魃や洪水の為に割り込んできているでしょうが・・・
 日本は年々需給率が減ってきている。
 困ったことです。政策の貧困から来ているのでしょう。

 ですからジワジワと食料の値段が上がってきている。これからはもっと値上がりしていくと考えています。
 ただ少々高くてもまだ買えるうちはいいでしょうが、少ない食料を奪い合うことになったら・・・!?
 そんな懸念すらも沸いてきている昨今です。

 今年後半からは鳥インフルエンザが台頭するのでしょうか? 人から人への新型インフルエンザが蔓延したら本当に恐ろしいことになるのでしょうね。

 それは北京オリンピックが鍵になると感じています。

 しかしその反面、今まで考えられなかったような、素晴らしい研究が実を結び始めるでしょう。科学や宇宙工学、また医学的分野でも、人類のための素晴らしい技術が生まれてくるのだろうと思っています。

 起きてくる災害等を恐れるだけではなく、積極的に事態に備えることも必要なことだと思っています。
 この時代をどう生き抜くか!
 それもある意味楽しんじゃいましょうよ。
 私はこの時代を・・・分かった上でこの世に生まれてきたので、この変革の刻を楽しみながら、今しばらく生きていこうと思っています。

 鎌のように光る月に、生きとし生けるもののために祈りを捧げます・・・・・
合掌   刑部恵都子


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