富士山からレインボー(虹の架け橋)   2009.09.14
――富士山――神島――伊勢朝熊山――伊雑の宮――
 1994年の夢見(霊夢)・・・今でも克明に憶えています。

 1994年12月12日と15日の朝方火の神様が名乗りを挙げ、次々と光臨される夢を見ました。
 特に15日の朝方には
 火産霊の神様
 荒神様
 ホオリの命様が

「秋葉神社」という声と共に降り立ってきました。
 その日の朝方、これはとても重要なことだから、なんとしても書き留めねばと思って、開かない目を開け、這うようにしてその辺にあった封筒にこの文字を書き留めたのです。その朝起きて封筒を見るとこんな事が書かれていたのです。
 ウ−ケーヒー   ウケヒ   うけひ   

 ひ
 日
 火      の結び
 霊―――――――――たる者
 ヒ

 しかし書かれているその文字を見ても、何がなんだか解りません。
 まずウケヒという言葉が解らないので当時図書館の司書をしていた知人に電話をして、その言葉の意味を調べてもらいました。
 ウケヒ、とは神の誓約。

 知人からすぐ返事がかえってきたその内容に戸惑いを覚えながら、その他のことも調べました。

 秋葉神社を神社図鑑で調べて見て、仰天しました。
 秋葉神社の御祭神こそが火産霊の神さまであったのです。そして驚いたことにその神社の大祭が12月15日だったのです。
 大祭の日に火の神々が名乗りを挙げて私の夢の中に光臨する・・・
 なぜ!?  いったい何故!?
 頭の中は???で一杯。
 火の神様達は何を仰せになりたいのか?
 なんとしても、それを知らなければなりません。先ずはその頃身軽だった何人かの人を誘って秋葉神社に走っていきました。

 秋葉神社―――火産霊の神―――火伏せの神。
 秋葉神社は思ったとおり火事や地震を鎮める為の神社でした。火産霊の神はイザナミの大神が最後に産んだ火の神様です。

 夢に光臨された神は全てが火の神々でした。と言うことは巨大地震が起こるとしか考えられず、秋葉神社でしばらく額ずいて祈り続けていました。

 そしてそれから2週間後に三陸はるか沖地震が起き、その又二週間ほど後の1995年1月17日の阪神大震災と続いていったのです。
 17日早朝、テレビで崩壊し炎に焼き尽くされる神戸の映像を見ながら、泣きましたね。声を上げて泣きじゃくりました。

「何も出来ない!?  なんの力もない私にいったい何をさせたくて夢に降りてこられたのですか!?」「ならばこうした災難を回避できる力を与えてください!」と。
 そう叫んでいました。
 今この文章を書いているだけで当時のことを鮮明に思い出しますし、胸が苦しくなります。

 こうした出来事の全てを書いていますと話が先に進めませんね。
 先に進めます。

 朝方、封筒に書いた、ひ、日、火、霊、ヒの結び・・・・
 このことが今回の富士山の頂上に虹の欠片が現れ、それが神島を通って、志摩半島の伊勢神宮・に延びていった現象に繋がると私は信じているのです。

『太陽神・日の大神・天照皇大神』・・・と『富士山・火の大神・此花咲くや姫が』海に浮かぶ孤島、神島の上空で虹によって結ばれた。
 これがウケヒの世界です。神と神の誓約。

 昨今太陽(日)は今不思議な静穏化の中で今太陽系宇宙に・・・地球に大きな影響を与え続けています。
 また世界中の国々で広大な山林が山火事で消滅していますし、大きな地震が多発しています。つまり火の神々が活発に動いているということです。

 そんな時代に突入した地球上の人類は自ら望んで霊性の結びを行なわれなければならないと思うのです。でなければ人類は崩壊していってしまうでしょう。
 霊の結び・・・・霊たるもの。

 解りやすく云えば、人々の覚醒が起きれば、自らの魂魄と神なる存在との霊性の結びがおこるのでしょう。
 神と人とのウケヒ・・・

 そのことを『ひの結び』と仰せなのだと思っています。

 神島で日の大神と火の大神とのウケヒが成されたことで、いよいよ『ひの結び』が起きてくるのだと思います。この虹の架け橋という現象は私にとって待ちに待った合図であるのです。

 私の場合は長い年月をかけて、しかし途切れることのない、間違いのない現象を見せながら、どなたか様が大いなる計らいを示唆してこられたのです。その計らいを知ることは私にとって喜びであり、安堵でもあります。

 何としてもこの刻、一気に人類の覚醒が起こって欲しい。そして開いたゲートから自らの魂の故郷に戻って行って欲しい。

「人類の覚醒」・・・そして「ひの結び」このテーマこそが私に課せられたお役であり、上のお方様方の「人類の魂の救済」なのだと、思っています。
 そろそろ急ぎましょう。故郷の星におられる貴方の同魂のご家族が、首を長くして待っておられると思いますよ。

 詳しいことは前著「ジパング・黄金の太陽」を読んで下されば、更に理解していただけると思いますが、古本で見つかるかどうか?
 先日、アマゾンで買いました。とメールで知らせてくださった方もおられました。

 生きとし生けるものの平安と覚醒を祈って・・・
合掌   刑部恵都子
富士山と神島の辺りから志摩半島に虹がかかった
8月23日富士山の真上に「虹のかけら」が出現。
その後大きな輪を描き伊勢の国までつながった。
(2005-8-25伊勢志摩経済新聞より)
東・南海地震について・・・   2009.08.24
 思ったとおり今回の東海地震は収束しつつある様で、ひとまず安心ですね。

 ところで私は今まで地震を含め他の災害等の予知をしたいと思ったことは一度もありません。本当です。

 若い頃は、空を見ていて、雲の様子や、大気の乱れなどを感じ、なんとなく地震が起きることを五感で感じることは多々ありました。しかしそれは人間の持っている五感・六感(本能)の範囲で感じていたように思っています。

 何度も話しますが、私がほんとの意味で変化をしたのは娘を産んでからのことでした。

 今思えばそれはお産によって根のチャクラが開いたからでしょう。根のチャクラが開くことによって、中途半端に開きかかっていた全てのチャクラが一気に開いた。ということなのだと思っています。
 更に言えば全てのチャクラが開くことによって、クンダリーニが上昇し、ある程度開いていた脳内にある松果体も開いてきたのでしょう。まだ全てだとは思っていませんが・・・

 こうして順々に私の覚醒が起こってきたのはこの頃からです。

 この地球に人として生まれた後に起こる覚醒と、生まれ持った別次元の記憶とはまったく別な話です。

 娘達を産んで30年近く年月が経ってはじめて「人類の覚醒」という私の掲げてきたテーマの深遠な意味が解ってきたのです。ちょっと遅いかな!?

 宇宙の真理・真実を追いかければこれだけの長い時間が必要なのでしょう。最近つくづくとそう感じています。

 話がなかなか本題に入りませんね。本題に戻します。

 津波を併発する東・南海巨大地震のことは、私の著書『聖書の暗号とホピ預言の超シンクロにシティ』をお読みいただければと思いますが、更に2008年10月10に掲載した「太陽の道」神行顛末記1・2・3・4をもう一度お読みいただけば更にご理解いただけると思います。

 今、前回規模(M8・4)の東・南海地震が起きれば色々な意味で日本は倒壊してしまうでしょう。建物の倒壊も想像を絶するほどでしょうし、この地震によって東名高速道路他各地の道路が分断されるでしょう。

 また新幹線もそうした被害が起きるかしれませんし、物流も動かなくなる。つまり経済活動も成り立たなくなるということです。

 浜岡原発が亀裂を起こし放射能漏れを引き起こす可能性も大ですし、その被害は計り知れないものがあります。

 このように日本そのものが壊滅するような大災害が起こることを知っている上のお方様方が、なぜか日本の壊滅を防ぐ為に、長い時間をかけて、嘗て魂の同魂の末席にいた私に命じて、大難を回避する為の祈りをさせたのです。

 それが著書に書いた真実の話です。

 そしてその1996年から12年ほど経った昨年(2008年)今回は龍体日本の要の地岡崎に巨大な杭(じつは光の柱)を打たせたのです。

 頭で考えては到底信じられないような話でしょうが、このことは全て真実です。
 しばらくの間は、信じる、信じないの、このギャップが埋められることはないのかもしれません。

 しかし皆さんの覚醒が見事成就された時に、きっと私のこうした話の全てが理解できるのではとも思っています。
 今はそれを静かに待つしかありませんね。

 この神行での出来事を以って私は今、あまり東・南海地震を心配していません。

 勿論プレートは動き続けています。そのプレートのせめぎ合いで、海底や大陸の大地が揺れ動くことは至極当たり前の自然の現象です。
 言い方を変えれば地震とは地球の生命活動のひとつです。

 その地球の大地の上にカビのように蔓延し、傲慢に生息する私たち人類をなぜ地球や宇宙の方々が許してくださっているのか・・・ある意味そのことの方が私には解りかねますね。

 それで大地に頭を擦りつけて、詫びているのでしょうが・・・

 今地震の予知をするつもりはありませんが、日本のことだけを言えば太平洋側の地殻変動が激しくなっていることは確かなようです。

 地震に限らず、様々なマイナスの事象に負けない自分作りが今とても重要な時です。

 どうかそれぞれの覚醒を急いでください。それを私はジット見つめながら待っています。

 生きとし生けるものの平安と幸せを心から祈って・・・・
合掌   刑部恵都子
神がかりと憑依現象   2009.06.22
 この題材をしっかり書くと、一冊の本にすることが出来るでしょう。しかし少々(?)ハショッテ書かねば、なかなか掲載できないので、そのことは堪忍してください。

 今なぜこの題材なのか、といえば、しばらく前からあまりにも憑依されている人々が多いことを案じていたからです。

 私は職業柄、講演を行なったり本を出版すると、大勢の方々から様々なお便りを頂戴します。
 その殆どがその方々に起きている不可思議な現象について詳しく書かれているものでした。
 そして「自分こそが正神からメッセージを送られている特別な者なのだ」という断定した文章が書かれているものもけっこうありました。

 私から見るとまさしく憑依現象ですが、憑依されているご本人さんは、自分は「神がかり」だと信じて疑わないのです。

「神がかり」と憑依現象は全然違います。
「神がかり」とは高位の神?(名前はどうでも言いのですが)が人類に何かを示唆するために前々から用意していた身魂を通して、人々に様々な方法で語りかけてくるのです。
 霊格の高い約束された身魂に神がかって・・・

 憑依とは死して肉体を失った者たちが、人の肉体を乗っ取ってでも、自分の果たせなかった思い・・・欲望を満たしたいと思っているのです。
 中にはかなりこの世で修行した修行者や、神官、坊さんたちがまことしやかに素晴らしい言葉を並べ立ててくるので、真理を知らないもの達は自分に掛かってきたものが「本物の神だ!」と取り違えてしまうのでしょう。

 本当の「神がかりの人」は私が思うに今現在殆どいませんね。

 私の知る限り「神がかりの人」とは、寛政10年(1798年)に生まれた中山みきさんのような人なのだと思います。
 勿論その時代には優れた神がかりの方々が多々出てきていましたが・・・

 しかし、中山みきさんの没後の天理教なる宗教法人とはまったく別なこととして話しています。
 私はみきさんは宗教の教祖になろうとしたことは一度もないだろうと思っています。

 昭和53年に芹沢光冶良さんが書いた、『教祖様』ふしぎな婦(おんな)の一生・・・
 という本を読むと自然に頭が下がります。
 婚家の地主としての財も何もかも全てを自ら貧しい人々に分け与え続け、宗教的な弾圧にも耐え神の意思を人々に伝え続けた・・・
 神に選ばれ神の定めた厳しい道を、ただ信じてひたすら歩き続けた気高い人。

 誰にもできることではありません。

 この100年来、日本での本当の「神がかり」といわれた人は、神に乞われて、無我夢中で成してきたことが、後に人々に教祖として崇められてしまったという方々でしょう。

 数えても数十人しかいないと思いますよ。
 宗教のはしり、天理・・・金光・・・黒住・・・大本と続いて岡本天明の神がかり(日月紳示)
 その中で私がこの方は!と思う人はやはり先程書いた「中山みきさん」ですね。

 まぁ、宗教家のことをあまり知らない所為もあるでしょうが・・・
 弾圧を受けて解体した大本教から後に分派した宗教家を、私はあまり良しとしてはいません。

 それまでの宗教の教義の寄せ集めに近い教義で信者獲得のみを目差しているように感じて・・・・・

 もはや霊格の高い「神がかりの人」は殆どいなくなり、予言どおり憑依された人々で巷は溢れ返っている。

 これを末世というのでしょうか!

「日月神示」の岡本天明さんと言えば若い人たちにも知られていますが、奥様の三典さんとは20年程前に不思議なご縁が繋がり、当時の渋谷桜丘の事務所に何度もお泊めしたこともありました。
 後に知ったことですが、天明さん一家が空襲で家を焼かれたとき、私の遠縁(叔母の婚家先の叔父に当る)小田秀人(神人)の家にかなり長い間滞在していたことが判りました。
 その小田秀人は知る人ぞ知る、神霊研究のオーソリティでその交流の広さは瞠目するものがあります。

 先の芹沢光冶良氏は京大哲学科の上級生で、晩年まで親しかったようですし、大本教の三代教主補の日出麿氏は小田秀人大叔父の神霊科学研究の後援者(パトロン)だったようです。

 縁は異なもの・・・ですね。
 この辺りのことは随分前に「日本心霊科学協会」での講演で話したこともあります。
 が、話題が多すぎてここに書き切れません。
つづく
生きとし生けるもの全ての平安を心から祈って・・・・
合掌   刑部恵都子
運命と宿命・・・そして天命   2009.06.06
 急にこのことを書くきっかけは、アチラコチラから悲痛な声が響いてきたことによるものです。まだまだ近未来が明るくなるとは云い切れない昨今、人々が今後どう生きぬいていくかの指針として、書き綴ることに致しました。

 掲示板にも書きましたが、宿命とは・・・・運命とは・・・
 宿命とはこの世に命宿す母胎を自ら(指導する方と共に)決めて、その母胎に命が宿った時からはじまります。

 父となり母となる人を選び、その子となりその性が受け継がれ、名前が付けられる。
 その家族の先祖の宿命も受け継ぐことになるかもしれません。その時点で宿命は変える事は出来ません。長ずる(成長)につれてそれぞれの人の運が運ばれてくる。
 生きるうえで様々な事象が巻き起こってくる。
 そうした事象をどう捉え、どう乗り越え、学び尽くすか!?
 この学びによって吹く風が変るが如く、四方の神々の手によって、様々な運気が運ばれてくる。

 仏教に描かれる、四天王(持国天・・・毘沙門天・・・多聞天・・・増長天)は天界から四方を漏れなく見張っている。
 また古来より四方を神獣が護っている。四応四神・・・四神相応ともいいますが。どの年にどの方位を選ぶかによっても運の勢いが変っていきます。
 かくの如く、天は一人一人の生き様、学びを見つめ、運を運んでいるのです。
 であるならば、生き様次第で運命は変えられると云うことです。

 昔ある先達は「運は人の自ら開くものだといい、人の一生は生まれてから死ぬまで悉く運であり、好ましく運ばれるのを幸運といい、その嫌うべく方向に運ばれるのを不運という」とおっしゃっていました。

 私自身のことを話せば、私は浮き沈みの激しい両親の元で、金銭的に富むことと、貧しさの間で翻弄されて育ちました。ある時は当時としては珍しい程の豪邸で生活し、貧しては都落ちして3軒長屋に住むという生活・・・子供心にも、自分自身がなんとかシッカリしなければと歯を食いしばって生きてきました。しかしそれは今生、私の魂の学びの為にとても必要なことだったのだと思います。
 その上、たった一人の兄が幼い頃から腎臓病と言う病に冒され、長い長い命との戦いをし続ける姿を見るにつけ、人の人生の運不運ということにとても疑問を持って生きていました。
 当時の私から見たら不運を背負っている兄を守る為に私は、私の出来る最大のことに眼を向けるようになりました。
 兄はその頃の私のたった一人の同士だったのです。
 ですから私はどうしても兄に生きていて貰いたかった!
 そして10代後半から私の人生は極端に変りました。良いも悪いも様々な風(運)が運ばれてきたのでしょう。兄の為に良かれと思う全てのことをやりましたね。しかし今でも思うことですが、私は子供の頃から自分のことにあまり執着(生死を含め)することはなかったように思います。自分が死ぬことは上(もといた世界)に戻れることと、薄々知っていたからでしょう。
 ですから日々兄の病気のこと、両親の仕事のことを心配し続けて生きていたように思います。
 そういえば子供の頃に母からよく言われていました。「貴女は私の母じゃない!」と。可笑しいですよね。私から見れば母の方が私の子供のように感じていましたね。

 更に言えば私は、ある時期の・・・(子供の頃の)記憶がまったくと言っていい程ありません。未だにその時期どう生きていたのか判らないのです。
 そして人とはまるで違う価値観で生きていたように思います。
 人と違う感度、感覚・・・(私は幼い頃から別な世界、別な次元を憶えていましたから・・・)
 ですからこの世的なものに対する欲や執着はあろう筈もなかったのでしょうね。
 まぁ私を題材にすると、こうした特殊なことも話さなくてはならなくなりますので、なるべく、普通のことを題材にしますが、ひとついえることは、この世に人として生まれ育った私も様々な苦難を乗り越えたからこそ、ご褒美つき(私の感じるご褒美は皆さんと違うかもしれませんが)の今があるということです。(これは掲示板にも書きましたが・・・)

 さて、周りの人様の境遇を見てみると、誰の眼から見ても幸せイッパイと見える子供時代を送った人で、そのまま幸せでいられる人は殆どと言っていい程いませんね。そういう人は当然、「自分は特別だ!」とばかりに奢り高ぶって、自分が不幸になるわけなどないと、他人のことを思いやる欠片もない人に育っていくのでしょう。ある時から突然風向きが変るように、大風のような逆風に襲いかかられる人をよく見かけます。

 しかし、これもありがたい学びのひとつなのです。常に同じ境涯の人生を送る人など地球に生まれる意味をなしません。
 平々凡々の世の中に生まれるよりも、激動の世に生まれる方が学びも多いのかもしれませんね。
 今生この世に生まれてきた方々は、それを知ったうえで、自ら手を上げこの世に生をなしたのだと思いますよ。
 億千万の宇宙の中で、この地球の生など一滴の雫の様・・・
 この際、全ての執着を削ぎ落とし、ただ真の心の平安を求めてみたら如何でしょうか。
 すると自然に宇宙の営みと一体となり、上なるお方様と繋がっていくのでは・・・
つづく
生きとし生けるもの全ての平安を心から祈って・・・・
合掌   刑部恵都子
世界に広まる新型インフルエンザ   2009.05.02
 慌しい動きですね。

 世界が・・・日本がこの新型インフルに翻弄され、不謹慎な言い方をすれば、今まで見ることもなかった連続テレビドラマを見ているような感があります。
 一日ニュースを見ることが出来ないと、あっという間に別なる展開が起こっている。
 国民は常にテレビに釘付け状態。

 全て初めてのことばかりで国も大臣も慌てふためいて、もはや疲労の色がクッキリ!

 これからが長丁場なのに、大丈夫かと、ちょっと心配ですね。
 でもさすがに大陸のように国境がなく、四方を海に囲まれた島国・日本・・
 そうしたありがたい利点を生かして、未だ感染者が出ていないのは嬉しいことですね。

 しかしそれも時間の問題でしょう。
 ただ前にも書きましたように、この春に起こった新型インフルエンザに対しては、私はあまり心配はしていません。

 ところで前のメッセージに書いた、お伝え出来なかったビジョンで見えてきたことは、アメリカのオバマ大統領の姿でした。
 後の報道によって知りましたが、オバマ大統領は4月の時点にメキシコを訪問していたのですね。

 であるならば、何者かが人為的にメキシコにウイルスをばら撒いたとなると、メキシコが標的ではなく、オバマさんが標的だったのでしょうか!?
 オバマさんは大統領就任100日経ったそうで、相変わらず幅広い国民の支持を受けているようです。
 しかし反面オバマ潰しを真剣に考える存在たちがいることも周知の事実です。
 今回のビジョンではどなたかと毅然として歩いているオバマさんの姿が見えていたのですが、この時期何故オバマさんのビジョンを見るのか判りませんでした。まさかメキシコを訪問しているとは知りませんでしたので。
 ですからオバマさんの動向を確かめたかったのです。
 こうした情勢の中で、もしオバマさん暗殺を企む存在がいるのであるならば、何とか阻止したいですね。と言っても私には祈ることしか出来ませんが・・・

 良かったら皆様にも、オバマさんを護る為の祈りをして頂ければありがたいですね。

 話を変えます。
 日本の新型インフルエンザ蔓延の心配はやはり今年の秋以降だと考えています。
 勿論、ゴールデン・ウイークで海外に出た方々の帰国ラッシュ時には何人かの感染者が出るとは思いますが、だからと言ってそれほど恐れることはないと思っています。

 要は秋以降に弱毒性ウイルスが強毒性ウイルスに変化して蔓延するとしたらそれは脅威でしょう。
 ある意味地獄を見ることになるかもしれませんね。

「不死の道」神行で此花咲くや姫さまは、「これからこの世界は激しく変動していく」と仰せられました。「それを止めることは誰にも出来ぬ」とも。
 その通りなのだと思います。
 新型インフルエンザは人の体を高熱で冒す、いわば火性の病気なのです。
 火山の噴火・・・高温による山火事・・・そして熱病・・・その様々な現象のどれに見舞われても、生死の執着をすることなく自らを燃やして、再生を果たすことが必要な時だと仰せなのかもしれませんね。

 お隣の韓国でも感染者が出たようですから、先ずはゴールデン・ウイーク明けの数週間に注目し、今まで出来なかった、自宅の納戸の整理でもしながら、ノンビリと過そうと思っています。

 また何か感じたらメッセージに載せたいと思っています。

 生きとし生けるもの全ての平安を祈りながら・・・・・
合掌   刑部恵都子
新型インフルエンザ発生について   2009.04.26
 4月25日に報道されたメキシコの新型インフルエンザは3月中旬頃から発生し、ジワジワと広がっていったようですね。
 死者が増え始めて慌ててWHOに報告したのでしょう。
 今朝の発表では、死者81人、感染者1300人とのこと。

 1日で死者が21人増え、感染者が300人ほど増えたことになります。しかしこれはメキシコでの発表だけで、アメリカ・カリフォルニア州は別です。
 WHOでもこの新型インフルが今は世界的なパンデミックになるかどうかはまだ決められないようですね。

 しかしWHOは世界的疫病オペレーションセンターを開始させたようです。
 これは今日まで開示されている情報です。
 私はこの情報を得てからずっと自らの感覚を研ぎ澄ませていました。すると何かが腑に落ちない・・・何かが引っかかり続けるのです。
 これは超自然が起こしたものではないのではないか!
 これがフト脳裏に浮かびました。

 もしかしたら人工的に作られた何かを人為的に起こしたものかもしれない!?と。
 そうなのだ!やはりこれは自然災害ではないのではないか!?

 こうした感覚が時間と共に湧き上がってきました。そうした思考が起こると、あるビジョンが見えてきました。今回は思考が先でビジョンは後でした。
 ビジョンで見たことは今回この文章には載せないことにします・・・あることを確かめたらまた載せることにしますね。

 アメリカ・ミシシッピ州を襲った台風もそうでしたし、(台風を人工的に大きくし、思うとおりの場所に襲い掛からす)インドネシアに起きた巨大地震もまた同じ存在達の企みの一つでしょう。悲惨とも思えることをある意味事も無げに行なってきている存在が、鳥インフルと豚インフルを合体させ、人から人に感染させる未知のウイルスを作った・・・のでしょう!?
 ある時期、中国で一時流行したサーズはその為の実験。
 その時はカナダの優秀な医師の犠牲的献身によって、未然に感染拡大を防ぐことが出来たのは幸いでした。

 しかし今回は!?
 人から人への感染ということは、空気感染ということなので、水際でどこまで食い止められるかに掛かってくるでしょう。
 しかし欲望のおも向くまま・・・人の迷惑顧みず、全てが他人事という人々の多くなってきた昨今、どこまで対応できるのか?心もとないことですね。

 また今回のウイルスがどこまで強毒性なのかまだわかりませんが、これに失敗すれば次は当然のように更に強毒性のウイルスが作られる可能性があります。
 発展途上国の人々や、貧困の人々・・・また異教徒達をこの地球から抹殺したいと思っている、信じられないような存在がいることを知らなければなりませんね。

 地球温暖化説は、ある意味彼らの破壊の為の都合の良い道具になっているように感じているのは私だけでしょうか!?

 こうした激変の世の中を生きるうえでとても大事なことは、自分の本体に繋がり、全ての真実を見通す眼を持ち、上のお方様の加護に委ねて生きることなのではないでしょうか。

 この件に付いては上からの情報が来次第また書くことにします。

 生きとし生きるものの平安を心から祈って・・・
合掌   刑部恵都子
PDFとワードでも読めます。ご希望の形式をダウンロードしてください。
PDF形式   ワード形式
『不死の道』神行顛末記   2009.04.13
 11月29日「不死の道」神行開始

 まずは神行の行程を記します。
 車で新幹線富士駅に向かい、駅で岐阜組二人を拾って、富士宮浅間神社に向かう。
 神社では結婚式が行われていて、晴天の中を幸せそうなお嫁さんが静々と歩いていた。神行の始めの神社で、こうしたのどかで平和な光景を見ることが出来たことが嬉しかった。

 その後村山浅間神社へ・・・
 この神社は十数年前に、初めこうした神社があることすら知らず、行くつもりもなかった時に、何故か不思議なエネルギーに誘導され車を走らせ、気がつくとこの神社の前にいたことがあった。
 またある時は別な場所に行くつもりが霧にまかれて気がつくとこの神社の前に着いてしまっていたこともあった。
 この浅間神社は神仏一体の「富士浅間根本宮」と言い、古来より山岳修行も行なわれていたようだ。
 境内には大きなご神体の巨木が何本もあり、そのエネルギーの強いこと・・・素晴らしいこと、いつ行ってもとても嬉しくなってしまう神社だった。またこの神社の拝殿に額ずけば、ご祭神の此花咲くや姫さまからメッセージを頂くこともしばしばだった。

 今回は初めからこの神社に祈りに来させて頂くつもりでいたので、静かに心から祈ることが出来た。

 しかし今回そこでいただいたお言葉が、あまりにも思いがけないお言葉だったので、歓びよりも戸惑いの方が強かったのは否めなかった。そしてそれはその後ずっと続いていった。

 その顛末は・・・・・
 拝殿の前に額づき・・・
「日の国・霊の国・火の国。霊を持つ者たちを護り導いてください。・・・・・・・」
 いつもの様に、祈りの言葉が静かに口をついて終わるや否やすぐに、此花咲くや姫さまのお言葉が響いてきた。

『産屋(*1)を焼いた・・・と・・・燃やした・・・と。
 我は火の神・・・火の大神
 我が産屋を焼いたことをとくと解釈せよ。
 我の御子もまた火の神・・・日の神・・・
「日と火・・・!?」
 その通り、我は火の大神。

 我が産みし御子なるは、別なる次元から生まれし者たち・・・・
 我もまたこの次元におるものではない。

 宇宙は開いていく・・・
 先般そなたに見せたように宇宙の扉(ゲート)は開いていく。

 扉が開くことによって、良きもの、悪しきもの生じる。

 全てのものをその扉(ゲート)から招き入れることは出来ぬ。

 人の生死の執着は無用なことと理解しながら、未だ得心できぬそなたの苦しみ・・・
 そろそろそこを超えねばならぬ。

 扉が開くこと、戸が開くことを真に望むなら、その全てを受け入れねばならぬ。
 全てのことになんの執着もいらぬ。

 この世界は激しく変動していく。
 それを止めることは誰にも出来ぬ。

 そしてそれはまた、新しきものを生み出す元となる。
 我が産屋を焼いたことをもっと理解せねばならぬ。

 我は火の大神なるもの・・・
 富士(不死)の山は数度の噴火をして、火を吐いてこの姿となった。

 元々こうした姿の山ではない。
 火を吐く・・・このこともまたとても必要なこと・・・
 世界の山々が火を吐き出している・・・
 そろそろ日本の山々も動き出すであろう。
 それをまた歓びとせねばならない。
 一人一人が火を吐き出さなければならない・・・
 自らを燃やして、蘇えらねばならぬ。
 それがそなたへの答えである』

 お言葉を聞いていてある意味成る程と思いました。
 そして此花咲くや姫様が産屋を燃やしたことの真の意味を考え続けてもいました。
 神話では「天孫・邇邇祇の尊に、産まれて来る御子が尊(天津神)の子かどうかを疑われて、身の潔白を証明するために産屋を焼いた中で御子を産む」ということになっています。

 しかし神々の中で不倫でもないでしょうし、ならば何を疑われたのか!?
 果たしてそれが問題なのだろうか?

 また・イザナギ・イザナミの大神の神話は火の御子(カグヅチの神)をお産みになった際に、イザナミの女神がホトを焼かれて黄泉の国へお行きになられた。
 イザナミの女神も、此花咲くや姫も火の御子をお産みになっておられる。

 この辺りまで書いて手が止まってしまった。

 イマイチなにかがピンと来ない・・・胸(腑)に落ちない・・・・それが続いて数ヶ月が経ってしまいました。

 しかし昨夜やっと腑に落ちる思考が響いてきました。
“そうだったのか!・・・・ありがたい・・・・” 飛び起きてノートに響いてきたことを書き続けていました。

 富士山は古来「不死山」と呼ばれていた。此花咲くや姫にとって「不死山」は産屋だったのですね。
 爆発(火を吐き出しながら)を繰り返しながら、今の雄々しい姿を再生してきた。生み出してきた。

 そうなのだ! つまり不死とは再生を顕わす・・・・・新しい命の再生・・・まるで火の鳥・・・不死鳥の如く・・・・

 自らを炎で焼き尽くす朱雀の如く・・・・新たなる命として蘇える。

「不死の道」とは再生の道・・・蘇えりの道のことなのだ。
 太陽もまた古来再生の神と言われてきた。
 西に沈む太陽は翌日必ず東から昇ってくる。それ故太陽神は古来再生の神と尊ばれてきた。
 ということは「太陽の道」もまた再生・・・の道。であったのだ。

 焼いた産屋の中で産み落とした三人の御子は、当然のことながら新しく再生した命を持って宇宙に上っていった神々なのだ。

 かくのごとく、此花咲くや姫は「自らを炎で焼いて蘇えり、再生した新しい命を持った人々を、開いたゲートから宇宙に招きいれる」と仰っていたのだ!

 お言葉をいただいたとき何故瞬時にそれを感じ取れなかったのだろう!
 こうした神行を重ねた私にとって、ある意味、この問いかけは解りやすい筈なのに、私は数ヶ月にわたって解くことができなかった。体調を崩したこととは関係なく、やはり時間調整が必要であったのかも知れない。

 とは言えこの夜、あまりにも不甲斐無い自分が申し訳なく、夜が白むまでただひれ伏して祈ることしかできなかった。

 先へ進みましょう。

 村山浅間を後にして向かったのは富士吉田浅間神社です。

 ここは昔から個人的にもとても好きな神社で、ここに来ると常に霊気というか密度の濃い神氣、エネルギーを感じるのです。
 ここでは今回太陽の光の洗礼をタップリと受けました。
 凄かったですね。この洗礼は・・・
 その光の写真を年賀状にしてお届けしたのはその中の一枚でした。
 まるで「火の鳥」とも見える光の写真も撮れています。
 富士山の鬼門と裏鬼門に位置する浅間神社、それこそが「不死の道」の中心であり、その先に世良田の東照宮・・・日光東照宮と続いています。



 富士山は噴火によって姿が変れども、いつも雄々しく聳え立っています。

 それこそ不死であるのですね。変化をしながら蘇える。

 地球もまた未来永劫の時をかけて変化してきている。
 それが、地球が生きているということなのでしょう。

 富士(不死)山のご祭神・此花咲くや姫が「我、火の大神」と自ら宣言された後、吉田浅間神社で、太陽(日)の洗礼を受けました。その時は左程気にかけなかったのですが、なかには「「火の鳥」とも思える写真も何枚も撮れました。今になってとても腑に落ちることがあります。お言葉を頂いた時、「日と火ですか?」との私の問いかけに頷かれたことを思い出しました。

 太陽神「天照大御神」と「此花咲くや姫」はご同体なのでしょうか。
 前にお聞きしたご連枝ということなのかもしれません!?

 その後、富士吉田浅間神社を後にして世良田に向かって車を走らせました。

 世良田には東照宮があります。そしてその東照宮はまた不死の道の線上でもあります。
 そしてその先には日光東照宮があり、そこまでを「不死の道」と称しているようです。

 1996年に出版した「聖書の暗号とホピ予言の超シンクロニシティ(*2)」に書いた神行の話も今回同様「太陽の道」と『不死の道』の神行の話ですが、内容、結果は全く違うものになりました。
 日光東照宮の後ろに聳える男体山の話はこれからまた変化をしていくでしょうから、次にまわすとして今回はこの辺で終わりたいと思います。

 ただ灼熱の太陽の熱によって、此花咲くや姫様の仰せの通り、世界中で火山の噴火や広大な土地の山火事が起こってきている昨今、人間の知恵がどうこの自然災害に立ち向かえるのか・・・・心して見つめ続けなければならないでしょう。

 そして人間としての再生、蘇えりがどのように行なわれていくのかも見つめ続けなければなりません。

 常に心が平安であることを・・・生きとし生けるものの幸せを祈ります。
合掌   刑部恵都子
【用語解説】
*1 産屋(うぶや):文化用語の基礎知識より
出産のための部屋のこと。出産は不浄なものであるために家屋とは別に小屋を設け、これが終わると燃やす風習が存在した。また産屋に男性が近寄ることも避けられていた。
*2 「聖書の暗号とホピ予言の超シンクロニシティ」徳間書店


Copyright A Society For The Study of Natural Healing since 1997