アセンションと地球人類の覚醒そして進化…  2010.07.19
 7・8年前「アセンション」といえば2012年12月22日人類滅亡説でしたよね。

 マヤのカレンダーがその日で終わっているということで、この日が人類の最後だという説があっという間に広がって「アセンション」という言葉と本が巷に溢れるようになりました。
 私はそれを見聞きしてとても憤慨したことを思い出します。

「なんという無責任なことを言うのだろう」と。

 しかし当時、いわゆる精神世界系の物書きさん達は、殆んど「アセンション」論である意味統一していたように感じます。

 私は当時様々な講演で「アセンションなどあり得ません。」と真っ向からそれを否定していました。
 ある時大阪で行なった講演に来て下さった方から「アセンションを否定するのは、刑部さんぐらいですよ。ほとんどの人は大なり小なりアセンションを肯定しています・・・」と言われました。

 そして「だから今日、刑部さんの話を聞きに来たのですよ。ね!だってそれがほんとだったら人類は何年か先には滅亡するということでしょ。」と隣の人と頷きあっていたことを鮮明に覚えています。

「そうか!私一人か?」
 複雑な心境でしたね。

 何故なら、人々を恐怖に陥れるであろう訳のわからない説が、まことしやかに語られているという状況に、怒りに近い思いがふき上がってきたからです。

 じつはこの世(世界)の真実など、じつはなにも判っていない人たちが、精神世界系とやらを面白おかしく動かしている。そしてそうした世界に惹かれる大半の人たちがその説に踊らされている・・・

 そのことに我慢がならず、私は彼等とまったく違う太陽系宇宙の成り立ち論を話すことにしたのです。

 時が経ち、2012年アセンション説は急速にしぼんでいきました。
 そのひとつは浅川嘉富さんの関係で、マヤの最高会議議長が来日して、2012年説は間違いであると明確に否定したことによるものでしょう。

 もうひとつ云えば、あと2年ほどで人類が滅亡するという根拠に自信がなくなったのでしょう。
 とは言えその方たちは、生まれついての霊能によって、きっと何かとんでもないことが地球上に起こってくるのでは・・・ということだけは判っていたのだと思います。

 だからこそ、アチラこちらから流布されてきた「マヤのカレンダー説」に飛び付いたのだと思います。

 ある時、「アメリカの元副大統領アル・ゴアさんのパーティに参加するために東京に来た!」という、エハン・デラヴィさんに会った時、「日本で最初にアセンション説を広めたのは僕だよ」との得意気な彼の顔を複雑な思いで見ていました。
 真実はどうであれ「へぇ〜そうだったのか?」と、妙な感覚で聞いていました。

 しばらくして、地球温暖化説でノーベル・平和賞を獲ったアル・ゴアさんの地球温暖化説の捏造も、学者さんたちの手で表に出てきましたし、デラヴィの言うアセンション説も否定されてきたことも、偶然ではありません。

 しかしそうは云っても、この太陽系宇宙が激変していることに変わりなく、地球人類が進化をしなければこの大変革に乗り遅れることは間違いありません。

 要は人間そのものが進化しなければならないのです。

「人類の覚醒」・・・・これがある時からの私の「一大テーマ」でした。
 要は人間そのものが覚醒し、進化しなければならないのです。

 それをお伝えするのが私の今生のお役なのです。

 先日、久し振りに浅川さんにお会いした時、このアセンションの話がでて、「刑部さんは前から、先ず人が変化しなければ、アセンションなど起きないと言い続けていたよね。最近そうかもしれないと思っている・・・じつはこの春、この世でアセンションした人?に出会ってね。その人にインタビューした話を本にすることにしたのだけど、その話は凄いよ!」ととても興奮されていました。

 アセンションした人!?
 アセンションという言葉の定義はそれぞれなのでしょうか?どうも浅川さんはアセンションという言葉にこだわっているようですが、浅川さんがおっしゃりたいことは、人間を超えた超人類にとうとう出会った・・・ということのようでした。
 話を聞いていて、ふと昔話題になった「聖なる予言」という本のことが頭をかすめました。

 それはそれとして、人は進化を遂げなければなりません。
 動物も植物も進化し続けているのです。
 また科学も医学も大進歩を遂げています。

 人間だけが進化できない筈はありません。

 いずれ地球の次元上昇があるとしたら、それはまず地球人類の覚醒と進化が起こっての後のことだと私は思っています。

 豪雨による被害者の皆様に心より哀悼の念を捧げます。
合掌   刑部恵都子
刑部夢見録  2010.06.11
こちらは刑部の掲示板への書き込みをひとつにまとめたものに加筆したものです。
長くなりますのでPDFファイルにまとめています。クリックしてご覧ください。

刑部夢見録(こちらをクリックしてください)
ゾロ目の数字に誘われた旅 最終章  2010.03.14

神の里・高千穂の青い鳥
 その日車に戻って車の中に入り、順番で、着ているものを全て着替えて、びしょびしょになった衣服を後部座席に干しながら、そのまま奇妙な旅を続け、その日の午後に宮崎の高千穂に入りました。

 宮崎に入るとさすがに台風の影響も少なくなり、雨は降っていても風はたいしたこともなくなりました。

 町のいたるところで『ようこそ神の里、高千穂に』等という張り紙や看板が目に付きます。が、さりとて特別な何かがあるわけでもなく、何処にでもある素朴な田舎の景色が続いています。

 そんな景色の中を天の岩戸神社を目指して車を走らせていると、左に大きな鳥居が見えてきました。
「止めて!その神社何という神社なの?」
「何と言う神社なのですかね。天の岩戸神社ではないようです、が・・・この神社にも行きますか?」
「素適な氣の良い神社じゃない。行ってみましょうよ」
「この地図を見てみると、どうもこの神社は櫛古神社と言う神社らしいですよ」
 車を降りて鳥居の前に立つと、とても由緒正しい古くからある神社のようでした。

 小雨の中を大きな鳥居をくぐって階段を上がっていくと、左側に社務所がありましたが、人のいる気配はありませんでした。
 その横を通り過ぎようとしてフトその社務所に目がいきました。すると社務所の横に綺麗な青い鳥がうずくまっていました。

「あっ!鳥が・・・青い鳥が・・・」
「怪我でもしているのかな?あっ動いている。」
「この台風で羽でも痛めたのかも知れませんね」
「どうします」
 そう言いながら何人かが駆け寄っていくと、その小さな鳥は必死に逃げようとしている。

「ほうっておいて、先にお参りしましょう」
 小鳥をそのままにして更に階段を上がっていくと神社の正面に着きました。
 私たち以外に人一人いない静謐な拝殿の前に額ずいたとき、何気なく寄ってお参りしようという安易な思いが不意に打ち消されました。
 そして心の底からお詫びの思いが噴き上げてきたのです。
「ここに誘っていただいたこと心より感謝いたします。高千穂におわします神々よ。人々の犯した罪穢れを・・・地球上において犯した罪穢れをどうぞお許しください」と地面に額を擦りつけて謝罪し続けたその思いは、その後行った天の岩戸神社ではまったく起こらなかったのです。

 この神社こそ高千穂の神々を祀る神社の本体であったのでしょうね。
 ということは、天の岩戸神社はあまりにも観光化され尽くし神の鎮座まします場所ではなくなってしまったということです。

 それは天岩戸神社に限らず、その後高千穂の何処に行こうと何を見ようと、私にはなんの神氣も感じられませんでした。
 そんな中でこの櫛古神社だけが唯一神氣を感じたことの意味、その神社に小さな青い鳥がうずくまっていたこと等が心に引っかかったのはいうまでもありませんでした。

 祈り終わって社務所の側まで降りてくると、相変わらず小さな青い鳥はその場にうずくまっています。
 側によっていっても歩くこともせず、うずくまったままなのが痛々しくて、手に乗せようとしたら、突然大きく羽ばたいてすぐ側の大きな木の枝に留まりました。
 それを見てホット安堵し「なんだ、元気だったのね。それなら安心、ガンバッテね」
「ガンバレや」
 口々にそう声をかけ階段を下りて車まで戻ると、木の上に留まっていた青い鳥が突然飛んできて車の下に入り込みました。

「こらこら、そんなところに入ったら轢かれちゃうよ。危ないから出ておいで」

 車の下に手を入れて鳥を追おうとすると、その鳥は車の下から飛び出して、空けたままにしていたドアから車の中に飛び込んでしまいました。そして澄ました顔をして座席の背も垂れに鎮座ましましたのでした。

 その鳥はセキセイインコのようで、どこかの家で大切に飼われていたらしく、少し怪我をしていましたが、水やパンクズを与えるとすぐに元気になり、ぺちゃくちゃとおしゃべりをし始めました。
 その様子がとても愛らしく私たちを笑わせてくれます。
 が、しかしそれから先が困ったもので、このまま旅に連れ歩くことも出来ないし、と思いながら、ひとまず怪我の治療をして、天の岩戸神社では、手や肩にその鳥を乗せて連れ歩きました。
 というのも、飼われていた家から飛び出してしまった小鳥で、その家がこの近辺ならば、家に帰れるのではと思ってのことでした。
 しかしその思惑は外れてしまい、小鳥は何時までも私たちの体にまとわりつき、決して離れようとはしません。
 宿でも部屋に入れていると私の掌で寝てしまい、私の方が身動きとれず寝不足になる始末・・・・・・とうとう仕方なく鳥籠まで買う羽目になりました。

 その後行った宇佐神宮や国東半島では小鳥連れで様々なメッセージやビジョンを見せていただくことになりましたがそれもまた「ヤマタイカ」の一場面と重なっていったのです。

 行く前から楽しみにしていた宇佐神宮では珍しく息苦しいような感覚を味わい、久し振りに地面に足が引っ張られ、歩くこともままならない状態になりました。
 すると、「大元(おおもと)にお出でなさい」とのお言葉がかかり「大元ですか!?解りました、そちらに行かせて頂きます」とお返事をしますと、自然に足が地面から離れます。
 起きたことを同行者に話し「ねえ!この神社の大元って何?何処?」
 皆で調べてみるとそれは古代の宇佐神宮が祀られていた、御許山のことではないかということになり、その山を目指すことになりました。
 この頃には同行の人数も減っていたので、車の座席にも余裕があり、わりとノンビリしていましたが、御許山への道は困難を極めました。

 慣れない民家の狭い路地のような・・・崖のようなところを登っていくのです。
 その道無き道は私の運転技術では、到底その日のうちに現地には行き着かなかったか、事故を引き起こしていたかもしれません。
 しかし同行の杉ちゃんの運転能力が抜群だった為に、ようやく夕闇が迫ってきた頃にその山にたどり着くことが出来ました。

 その頂上に行って見ると、不思議なほどの静寂感と神氣が漂っていました。そこにひっそりとふたつの神社が佇んでいます。まるで異次元の様です。
 そのひとつの神社には何故か「スサノー神」が祀られていました。もうひとつは元の八幡(ヤハタ)の神さまの神社でした。

 スサノー神の神社の前に額ずく頃には日も落ちていて、薄闇の中で長い間座り続けていたのです。

 古代にこの地に祀られていた神さまは、今の八幡の神さまではなかったようでした。大陸からの侵略者の暴虐な行為によって、宇佐の神々や神官たちの長い戦いの惨さが巨大なビジョンによって暗闇の中に映し出されてきました。
 流れる涙が拝殿の床を汚します。
 嗚咽がでて止まらなくなりました。
「スサノーよ。この戦いのビジョンを見せるためにここに誘ってくださったのですか?」
「どれだけの神官と神女、そして崇敬者の方々がこの戦いで亡くなったのでしょう。惨いことを・・・しかしこれが日本の本当の歴史なのですね」
「真実を知りたいのであろう。それが貴女の叫びゆえに」
「御許山のスサノーよ。私は今何をしたらよいか、どうお返事をしたらよいか解りません。ただここにしばらく置いていただくことをお許しください。スサノー神よ人々をお許しください。」
 星明りもない暗闇に全てを包み込んでいただいて、ただただ泣き続けておりました。

 この宇佐の旅で、今までの私の神や神社に対する考え方が一変したことは言うまでもありません。

 神社に祀られる神とは、その時代時代の権力者によって都合の良い神に祀りかえられてきたのです。超自然の神々を祀り、その神たちと共に生きてきた古代の民族は、必ず残虐な形で排除される。

「ヤマタイカ」の卑弥呼の場面がまた彷彿されました。
 日本中の神々の歴史もまた、時の権力者の都合の良いように改竄されてきたのです。
 宇佐での為政者や神官たちの戦いと同じようなことは、日本中いたるところで起こっていたのだと思います。

 この旅は漫画「ヤマタイカ」で卑弥呼と沖縄の神女が時空を超えて結ばれたように、最後にこの宇佐の御許山で私の魂と古代の神々が繋がりました。
 そしてこの旅は終わりを告げたのです。

 共に旅の終りまで一緒に過ごした「青い鳥」は、最後には誰も引き取り手がないまま私と共に飛行機に乗り、東京の我が家まで更に長い旅をすることになりました。
 いったいどんなの縁なのでしょうか!?
 そんな訳で神の里・高千穂では飛んだお土産を頂いてしまいました。そのお土産は我が家の愛犬たちの目を丸くさせながら、一番古くからいる古参のような顔をして威張っています。

 この旅では思った以上に様々な出来事が起こりました。それから13年ほど経った今でもこの旅の出来事を思い出すと深い感銘を抱きます。

 またその当時感じていた世界の状況の変化は、感じていた通りにマイナスに動き続けているようです。
 世界は良い意味でも悪い意味でもひとつになりました。ひとつの国の存亡が世界中の国々に影響を与える。
 強国が滅びる寸前まで追いやられ、そのために世界中に不況の嵐が巻き起こっています。
 そんな中、例外なく日本も荒波に浮かぶ船のように揺れ続けています。

 これからも世界中が揺れ続け、大波を受けて転覆する国も出てくることでしょう。しかしヤマタイカではありませんが、トコトン破壊されたら、その後には真の意味での再生が起きてくるように思います。

 いずれにしても、何が起ころうとも全てを喜びと捉えることだ。その心でいれば何が起ころうと、恐れることは何もない。

 漫画「ヤマタイカ」ではないけれど、中途半端な破壊なら意味もなしか・・・
 なにが人々にとって本当の幸せなのか!?
 人々の価値観が根本的に変わらねば、どんな世の中になろうとも幸せを感じることは出来ないだろう。
 更に云えば世の中の流れも変わらない。
 政治家の付け焼刃のような変革なら、しないほうがましかもしれない。

 そういえばインドのシバ神は破壊の神ときく。
 その背中合わせにビシュヌ神という神がおわします。
 その神は再生の神。
 破壊も再生も表裏一体。
 ひとつの時代が次から々へと変化していく。宇宙も時代も常に流転していき、停止することはあり得ない。

 膨張し収縮し常に両極の力が何か根源の力を生み出す。

 破壊あるからこそ、新しい再生の道が開かれる。
 破壊の神が悪で、再生の神が善であろう筈もない。破壊なければ再生もなし。
 後は捉える側の意識のみ。

「もしも中途半端な破壊しか出来ないならば、溢れる本能のまま『大いなる祭り』の火蓋を切って、踊りまくりますか!」そう教室の面々に言ったら「望むところです。いつでも結構ですよ」と弾けるような笑いが起こりました。
おわり
 この原稿は1997年8月、どなたか様に誘われて行った九州の旅での出来事を原稿にしたものです。(一部加筆したところもありますが)
 1993年ごろから10年間程は途切れることがないほど、こうした旅に誘われていました。
 本に掲載しなかった原稿は、この他にもあります。

 今後時代に応じて随時掲載していきたいと思います。
ゾロ目の数字に誘われた旅2  2010.03.05
 しかしこれを読んで、数字のゾロ目を見ることがいったい何の意味があるのか?と思われる方もおられるでしょう。
 福岡空港から熊本の阿蘇までの3時間足らずの行程で、1から9までの4桁のゾロ目の数字に、それも車のナンバーに行き会う偶然の確立は低いでしょう。
 さらにはこの旅の2週間前にも同じようなことがあったと言うことも不可思議なことです。
 このことは偶然などではなく、数字を私に見せることによって、何かを知らせてきていたのです。
 つまりゾロ目の数字そのものに意味があったのです。

 じつは私がこうした数字のゾロ目に意識を持ち出したのは、5年ほど前(つまり今から20年ほど前)のことでした。
 当時はどこに行くにも車を使うことが多かったので、人に会うときや教室の行き帰りの移動時にフト時計に目がいきました。すると11時11分とか1時11分、つまり1111や111のゾロ目の数字を目にすることが多かったのです。

 時間を気にすることのない時でもスーッと時計に目が吸い寄せられてしまうことが多々あって、目にするのがいつもデジタルの時計の数字。

“おかしいな!なぜ時計を見ると11時11分なのだろう? 他の数字を見ることがないのはどうして?”
 次第にその111という数字が気になり始めました。
 そんなある日のこと、車を運転しながら、あることを実行するかどうか迷っている時ふと、時計に目がいきました。
 すると3時33分が目に入りました。
“今日は333か今日は1111ではないのね。それなら対面する車が3333だったらそのことを実行してみようかな”と思った途端、前から来た車が3333だった時の驚き。
 しかしそれでもそのことを実行する決心がつかず、“それならば1111のナンバーをつけた車に出会ったら決心します”と終わりまで言うか言わないかのうちに、後ろから追い抜いていく車のナンバーが1111だったのです。

「解りました。ここまでくればもう言うことなし。よね!」と半ば苦笑しながらその迷いをフッキッたことを思い出します。
 このように、この道しかないかもしれない」と半ば判っていても、躊躇っているときなど、不可視の何方か様に、数字それも車のナンバーや時計の数字を見せられることで、背中を押していただいたことも何度もありました。
 しかし迷うことが少なくなってくると暫くはそのことが間遠くなってきたのですが、逆にある意味数字での会話が成り立ってきてもいました。

 ただ「神行」という祈りの旅をする時はガラッと様相が変わります。
 先に書いたように、その地その地の地主神からの歓迎のゾロ目のラッシュに出会ったりはしますが、そのあと間違いなく起こることが出てきました。それは、全ての行程が終わっての帰り道、必ず1111のナンバーの車に出会うことです。
 この1111を見ることで、このことを以って「これでよい!これは神行です。ご苦労さまでした」と云って下さっているように感じ、ホッとし、肩の力が抜けるのです。
 それを以ってその旅「神行」は終わります。

 阿蘇神社に着き車を降りると、その一帯はお祭りの真っ只中で神輿を担ぐ粋な衣装の人や子供達で溢れかえっていてとても華やいだ雰囲気です。
 阿蘇神社の大門の前まで来ると、神社の反対側の空に大きな虹が架かっているのに気がつきました。
「今日二つ目の虹ね。祭りの最中に、大きな虹を背負って阿蘇神社の神様にお参りできるなんて、なんてラッキーなの!」
 言葉では軽い調子で言いましたが、その実内心では涙ぐみそうな思いに襲われていました。
 大門の中央を潜り、神社の正面に立つと、突然神社の真上の雲だけがドーッと音を立てんばかりの勢いで開いていきます。
「先生、神社が開いていく!神社の上の雲だけが開いていって他の雲はピクリとも動いていません」
「こんなことって!信じられません・・・・」
 口々に叫んでいる。
 それは見る者をしてあたかも神社の大屋根が開くが如く、それどころか神社全体が開いていくかのように見えたのです。

 後ろに大きな虹を背負って、阿蘇神社が開いていく様を見ながら、内心はともかく表面は冷静を装って、その前に額ずき・・・
「阿蘇の大神、ありがとうございます。お呼び下さったのは貴方様でしょうか。仰せのままにこの地に参りました。これで宜しいのでしょうか」真剣な面持ちでそうお尋ねしますと、「よう参った!阿蘇中岳に・・・」と響いてきたのです。

「またいい加減なことを・・・?」とお思いでしょうが、ほんとにそう脳裏に鮮明に響いてきたのです。
「中岳!?やはりそうか。「ヤマタイカ」と同じ中岳なのか?」
 そういえば、漫画「ヤマタイカ」のテーマのひとつは『祭』だった。アブサン古墳の辺りも祭りだったし、この阿蘇神社も祭りか。
 私はまた「ヤマタイカ」と連動するように動いているのか?
 と言うことは、8月16日に来ることは偶然などではなく、それすら仕組まれていたということだ。
 そんな思いが去来する。

「ヤマタイカ」という漫画は星野之宣さんが書かれた漫画で、現代の神女が古代の邪馬台国の卑弥呼と連携し、日本を祭と共に歓喜の中で再生の為の破壊へと導いていくというとても感慨深い話です。
 縄文・一万年前の、火の民族の血と、弥生・日の民族(2000年前)の血が激しくせめぎあう。
 この時、この旅の行方がその漫画の場面と重なっていく予感を感じ始めました。

 神社の前に額ずきながら、私の深いところで何かが動き始めたのです。
「神よ!阿蘇の神よ。人々の霊(ひ)をお守りください。導いてください。そしていつか起こるであろう破壊と再生にお力をお貸しください。導いてください」
 こう祈っていくうちに、私の中の遠い記憶が蘇えっていく・・・そうか!そうだったのか・・・と」

 すると突然涙とともに深いところの魂の塊のようなものが噴上げてきたのです。
 命の根源のような塊が・・・・

 祈り終わって立ち上がり、後ろを振り向くと、それまで大きな虹が架かっていたはずの空は、真っ黒な黒雲に覆われていました。

「・・・・・?・・・・・」皆、無言で空を見上げていました。

 この日大型の台風16号が九州に近づいてきている為に、刻々と風雨が激しくなり、中岳への道が封鎖になり、とうとう中岳には行けませんでした。
 翌17日早朝、宿のテレビで台風情報を見ていると、気象衛星からの映像で九州の西側を動いていく巨大な台風の渦が映し出されました。
 その台風が日本海側に廻っていくと、日本は冷夏になり作物にも影響を及ぼすと淡々とアナウンサーが語っています。

 しかし宿の外を見ると、その辺りは風雨も差ほど強くなさそうなので「今のうちに中岳に行こう!」と急いで宿を発ちました。
 昨日は封鎖されていた道路がその日その時間は開いていたので、ホット顔を見合わせながら、その道路を上がっていきます。
 頂上に着くとそこが中岳、つまり世界一巨大な噴火口があり、暴風雨のなかを白い煙を吐き上げています。
 そんな中を傘を差してもなんの役にもたたず、更に強まる風雨をまともに受け、全身ずぶぬれになりながら噴火口の淵に立ちました。

「中岳に参りました。台風のため全員がずぶぬれになり禊を致しました。今にも吹き飛ばされそうになっても、なぜか皆の心は歓びで一杯です」
「神さま、いえ火のかんさん、人々の心が元の元・・・根源の魂に戻っていきますように、どうぞお力をお貸しください」
 そう祈る言葉に、待っていた!とばかりに響き渡る、荘厳な「言霊」

(雨の中、皆で必死に身体を寄せ合って、テープレコーダーを回しながら録音した言霊です)
 それを要約すると次のようなものでした。


『今人々は陰の気に侵されて、陽の気がたりん。
 この世は陰陽の気によって成り立っている。

 陽の気は「祭、祀り、奉り・・・」
 祭りの本当の意味を解せよ。

 大地から、火山から、陽の気を吸い込め。
 弾けるような喜びを感ぜよ。今生きることに喜びがたらん。
 奪い合ってはならん。互いに捧げあえ。

 見よ、ここは火山だ。だが地底には水がある。湖もある。
 火あるところには水がある。

 陽だけを捉えてはならん。陰だけを捉えてもならん。

 水もまた陽なり・・・火もまた陰なり。逆もまた真なり。

 地球はバランスを失ってきている。
 人々の心もバランスを失ってきている。

 この惑星は火の惑星であり、水の惑星である。
 日本は日の元であり、火の元でもある。

 四方を海に囲まれた水の国であり、火山帯の上にのっている火の国でもある。
 世界一バランスの取れた、聖なる国であった。
 しかしその国に生きる人々の心のバランスが狂ってきている。
 それでは人々の身を滅ぼす。国を滅ぼす。

 火山は弾ける歓びをもたらす。
 古代、人々は火山を神と敬い、喜びと共に生きてきた。
 破壊こそ再生である。ならば破壊もまた喜びであろう。
「ヤマタイカ」をもってここに誘導したことの意を解せよ。
 陰陽のバランスを取れ。起こること全てを喜びと成せ。

 神と共に喜ぶのが祭よ。神と共に楽しむのが神楽ぞ。
 全てが弥栄ぞ・・・。歓喜ぞ・・・・と教えてあろうが・・・』

 こんな言葉が私の口を通してながれていく。
 激しい風雨の中、同行者の身体に付けたテープレコーダーがゆっくり廻る。

 中岳に向かって大地を踏みしめて激しい風雨に立ち向かってみると、朝テレビに映っていた巨大な台風の渦が見えてきた。
 周辺のエネルギーを左渦に巻き込むように巨大化する台風・・・

 左渦・・・右渦、これも陰陽。どう捉えるかは捉える側の意識次第。
 そう思った途端、その台風の渦が反対の流れに変わり、その進路も変わっていく。
 頬に痛いほどに突き刺さる風雨を受け、ふと後ろを振り返ると、身体ごと台風に対峙していた4人の同行者が、大笑いし、絶叫を上げながら全身で歓びを顕わし火のかんさんに真向かっていました。

 その姿が「ヤマタイカ」の火の民と重なる。
 火山は歓喜のエネルギー・・・
 火のかんさんの云われるように今の日本の人々には歓びがない。
 それはそのとおりのことです。
 今の子供たちには、夢も希望も弾けるような歓びもない。
 私たちが子供の頃感じたメルヘンもなく。無我夢中で遊べる遊び場もない。

 ナイナイ尽くしの子供たち。哀れとは思いませんか。
 そんな世の中にしたのは私たちの責任です。

「まいた種は刈り取らねばならぬ。」
 竜頭山で火の神さまに云われた言葉が蘇えり胸に刺さる。

 あの時「待って下さい・・・もう少し時間を下さい。目覚める為の時間を・・・」と絶叫した私でしたが、果たしてその時間があるのだろうか。
 もしかしたら、日本も世界も破滅の道を歩んでいくのだろうか?
 しかし、それもまた良しか・・・
 それが再生の道に繋がっていくのであるならば・・・

 その全てを喜びの道と捉える人々が大勢いるならば・・・
 そうであれば、それは喜びの道になるだろう。

 しかし破壊を歓びと成すことが出来ないならば、その道は滅びの道になっていってしまう。
 全ては捉える意識。
 自らの強い意志によって未来は決まる。

 ならば私たちは起きてくる全ての事象を喜びと捉えよう。神と共に祭らおう。
3へつづく
ゾロ目の数字に誘われた旅   2010.02.28
 平成22年2月22日のニュースで最寄の駅で大量に切符を買う人たちの行列があったり、この日に合わせて子供を産みたいと頑張っている人がいたり・・・このゾロ目に合わせた催しがあったりとテレビの様々な映像が流されていました。

 そのニュースを見ていて、「へぇ!ゾロ目の数字にこんなに関心を持つ人たちがいるのか」と妙に感心しました。そういえば私の友人にも車に7777とか1111、8888などの番号を特別に取って付けている人が何人もいますね。

 そこでふと思い出したのはゾロ目の数字に誘われてきた私の旅の話でした。
 調べてみると2冊の著書の中には書かれてはありませんが、書き溜めた原稿の中に、ある旅の出来事を書いてある文章を見つけました。

 思えばこの10数年来ゾロ目の数字には何度も驚かされてきました。その事を原稿にすればキリがないほどの量の出来事に襲われましたが、その中でも特別面白く思い出深い原稿が出てきたのでそれを今回メッセージの中に掲載しようと思いました。

 その前に、どうしても皆さんに知って頂きたいことがありますので、そちらの方を先に書くことにします。

 掲示板にも書きましたが、今年は元旦から大きく月が関わってきています。
 ひふみ神示でも日と月と地球(星)が大きなテーマでした。
 私は十数年来、日と月と星に誘われて旅をし、今また月に誘われています。
 それを象徴するのが数字の{2}です。

 ひぃふぅみぃのふぅ(ふ)です。

 元旦に自宅の天窓に顔を覗かせた月食(欠ける)の満月・・・その後に吉祥寺に事務所を移しましたら見事に{2}の数字に囲まれてしまいました。

 そして事務所の目と鼻の先に「月窓寺」と言うお寺があり、それを見た時は苦笑を禁じ得ませんでした。

 と言うことで今年私はまた月と深い関わりを持つことでしょう。

 月といえば岩手の五葉山にも誘われました。五葉山は月と深い関わりを持つ神秘の山です。(というか五葉山は「月読の命の山」です。)
 初めてこの山に行った時、何故か12月3日の(日)曜日に現地(遠野)に行き4日の(月曜日)に登山することになりました。
 つまり12月3日(ひふみ4(よ)です。

 その山で「霊夢で見た飛翔する鶴の群生」を見させられました。(詳しくはジパング・黄金の太陽)に書いてあります。
 その五葉山の「月の塔」に封印されていたエネルギーが開かれて、そのエネルギーと月が繋がった。それが1999年12月3日と4日ですから、早いものでかれこれ11年ほど経ったのですね。

 ところで今年また月に誘われるとしても、以前とはまったく違う意味合い(感覚)で捉えねばならないと思っています。
 今回は月そのものが更なる大変化を起こすのかもしれません。

 昨年来、太陽が劇的に変化を起こしています。次に月もまた変化を起こすとしたら当然のようにうに星(地球)も変化せざるを得なくなるでしょう。
 そして更に言えば月と地球はある意味一体であると思っています。
 月読命とスサノーが同一であるように・・・

 しかし今回は星(地球)そのもの変化ではなく、そこに生きる人びと(人類)の変化であると私は思っています。

 月は地球に生息する全ての動植物(生物)に直接関わっています。僅かでも月の位置(距離)が変化すれば、地球に生きる動植物にとって劇的な変化をもたらしかねないのです。

 まず海の満ち潮が変化し、生物の生き死に関しても変化が起こってくるでしょう。
 となれば、もう地球上に生物が生まれることすら出来なくなる可能性がでてくる・・・
 ・・・しかし逆にそのことによって人も他の動植物達も、その肉体そのものが変化(進化)していくのかもしれません。
 地上を這い回る芋虫が蛹(さなぎ)になり、その蛹が殻を脱ぎ捨てて空中を飛び回る華麗な蝶になるように・・・・
 そのための準備が長い時間をかけて密かに行なわれていたのではないか!?
 私にはそうとしか考えられません。

 とまぁこのような大きなテーマを書くと、先に書いた原稿をここに掲載することが出来なくなりますので、その話の続きは「千夜一夜トークの会」で話すことにして、話を元に戻すことにします。

 私の日常はゾロ目の数字を見ることで、その日、起こることが何と無く判ってきています。例えば対面する車の番号や追い越していく車の番号、さらに時計の数字や看板等、日常茶飯的に数字の羅列に出会いますが、それが聖地への旅や神行となると仰天するほどそれが頻繁に起こってきます。

 ここに著書には載せきれなかった、ゾロメの旅の話を掲載することにします。
 但し全てを掲載しますと少し長過ぎるので、3回に分けて掲載することにします。

 阿蘇神行 @

『1997年8月、久し振りに夏休みを15日間ほど取ることにしました。私のように定期的に行う教室を持っていると、なかなかまとまった休みはとれないものです。
久し振りに娘たちと旅行にでも行こうか、それとも愛犬たちとゴロゴロ寝て過ごそうか、とか、どちらにしても休みのことを考えるだけで、とても気持ちがウキウキしていました。
と言うことは自分でも気が付かないだけで、よほど心身が疲れていたのかも知れません。

 しかし相変わらず、あぁもしたい、こうもしたいと口で言っているだけでなんの具体的なアクションも起こさずいつものように事務所で仕事をこなしていると、突然「あそ!」という言葉が浮かびました。

“あそ?九州の阿蘇山のことかな?阿蘇山が噴火でもするのかな?”一瞬そう思いましたが,その時はそれ以上の思考は動かず、そのままにしていました。
 それから数日たったある日、氣功の教室を行っている時、唐突に「あそ」と脳裏に響きました。
“また、あそ?・・・まさか阿蘇に来いなんて言われるのではないでしょうね“
 と苦笑してしまいました。
 しかしそのまさかが現実になるのにさほどの時間は掛からなかったのです。

 その日の夜、家に帰るなり娘が私の顔を見て「あぁお母さん、お母さんの為にこの漫画5巻買っておいたわよ!必要だと思って」と言うではないですか。
 その言葉と共にテーブルの上に五巻の漫画が積み上げられました。

 それを見て嫌な予感がし始めました。
“まさか、開いたら阿蘇の絵がでてくる・・・なんてことはないでしょうね”
 そう思いながら“そういえばと、飛騨の位山のことが思い出されました。
 あの時も娘は身内すずえさんの書いた漫画「アマテラス」を執拗に読めと迫っていました。

 その時は時間がなかなか取れなかったことと、今何故漫画なんかを?との思いが重なってしばらく、その漫画を読む機会がありませんでした。
 ところが飛騨の位山に登る前日の夜にまた娘に促され、その漫画「アマテラス」を見ることになりました。
 見て驚きました。ほんとうに驚きました。
 何故かと言いますと、その漫画にはその頃私が体験していたことと、あまりも瓜二つの事象が書かれていたからでした。

 そして更にその翌日に登った位山の全ての出来事がまた漫画「アマテラス」と重なってしまったのです。

 そんなことを思い出しながら、一番上の本を手にとって、パッとページを開いて見ると、そのページに阿蘇山を含むその一帯の地図が書かれていたのです。

「うあぁーー!」おもわず本を持ったまま大きな声を上げて床にひっくり返ってしまいました。
「どうしたのよ。そんなに大きな声を出して・・・」
「決まりよ・・・決まり!この休みの過し方が決まったわ!」
「それは良かった!おめでとう」娘は訳もわからずそう言います。
「それで何処に決まったの?九州それとも沖縄かな?」
「アッタリ!九州よ。貴女のお陰で九州に決まりました」

 こつまりこの漫画はこの時点では何も判りませんでしたが、その後読んでみると『ヤマタイカ』という題名の漫画で、沖縄を舞台に始まってそれが九州、阿蘇〜本州へと広がっていく話なのです。

「この漫画、一度に読むのは大変だろうけど、沖縄の神女(かみめ)の話よ。だから沖縄に行くのかと思ったら、行くのは九州の方なんだ・・・」
「何がなんだかよく解らないけれど、また起きているのよ。「アマテラス」の時と同じようなことが・・・」
アマテラスの時と同じ?」
「そうよ、貴女はいつもこうした時に限って漫画を読め読めって、しつこく言うのよね。今度はどなた様のお使いなの?」と言うと「知らないわよ、そんなこと。でもこの漫画何故か、お母さんに必要だと思ってね。ただそれだけよ・・・でもこの漫画の主人公はお母さんと正反対のこと言ってるわよ!」とこれまた訳のわからないことを言います。

「まあいいわ!折角買ってきてくれたのだから、ゆっくり読んでみるわ」そう言いながら内心は「この漫画にはキットこれから行かねばならないだろう阿蘇での全行程が載っているのだろうな」と思っていました。そして「いったいこの娘はなんだろう!?」・・・とも思っていたのです。

 数日後事務所に行って、カレンダーに書いてある自分の休みの日程を見ながら、何故か8月16日から九州に入り、帰る日を決めずに九州一帯を廻ることに決めました。
 九州一帯といっても漫画「ヤマタイカ」を読んだ後なので、おおよそ行く場所は決めていたのですが。

 まずは熊本の阿蘇中岳、宮崎、高千穂、大分、宇佐神宮、国東半島、鹿児島、霧島など等。
 その全行程をどれ程の日程で廻れるものか・・・・私には見当も付かなかったので、九州の知人に電話をして詳しくこの行程を説明して、場所場所の地図等を送ってもらうことになりました。

 ここまで来てふと思ったのです。
 私一人でこの真夏に九州を廻るのはあまりにもしんど過ぎる・・・と言っていつものように回りに声をかけるのは?お金は勿論、日程のこともどれだけ掛かるか判らない・・・・
 さりとて、安易に声をかければどれ程の大人数になるか判らない・・・それならば、今回の旅は九州の人か、その縁の人に声を掛けてみようかと思いました。が、蓋を開けてみればいつもとさして変わらぬ顔ぶれが「良かったらお供させてください」と付いて来ること相成ったのです。

 16日11時過ぎに同行の栖原君と福岡空港に着くと、もう先に着いていた関西の連中が出迎えてくれて、現地福岡からも3人ほどがニコニコと集まって来ていました。
 そしてそのまま2台の車に分乗して、熊本の阿蘇山へと車を走らせることになりました。

 阿蘇への道は周りの景色が壮大で心がウキウキとして、車の中でも冗談を言い合って楽しく目的地に向かいました。
 途中山鹿市にある「アブサン古墳」に寄って貰いました。ここは前から行きたかった処です。
 洞窟の中の「朱塗りの絵は」なにか懐かしさを感じる絵で、南米のペルーにも同じような絵がありますが、色の使い方や三角の文様がとても鮮やかです。
 この古墳に入る時係りの人に「今日はこの一帯はお祭なのでこの古墳は一日中ご開帳しています。いつもは博物館に申し込まなければ見ることが出来ないのですよ。皆さんいいときに御出でになったのですよ」と言われ「今日お祭なのでこの古墳見ることが出来たのだね!」と妙に納得して顔を見合わせました。
 それからはいかにも火の国らしい炎天下の中を汗だくになって歩き回り、蒸し暑い洞窟の中に描かれている絵をガラスの中を覗きこむように何度も見学をして、ようやく車に戻りました。

 少し休んでから阿蘇に向かう途中、前方から6666のナンバーの車が走ってきたのを見て、「えっ!また6666のナンバーの車が・・・それではこの前と同じじゃないの」と驚きの声を上げると「何が同じなのですかと質問が返ってきました。
 それに答えるように8月3日に日に起こった事を話し出したのです。

                ゾロ目の数字のラッシュ

 それは8月3日、北軽井沢からの帰途での出来事でした。
 前日の8月2日、当時の「マハーサマーディ研究会」主催の、禅宗の高僧である松原泰道さんの坐禅会があり、その会に参加しての帰り道にまず対面の車のナンバーが6666だったことからこのことが始まりました。そしてその直後8888というナンバーの車が走ってきたのです。
「わーー、今度は8888だ」と驚いているうちに7777の車を見る。
「なんなの!このゾロ目のラッシュは。今日は何の日」と口々に言い合って喜んでいるうちに今度は5555の車に出会う。
「ええーっ」さすがにその頃には皆のけぞり始めました。
 それでもそのことは止まらなくて、その帰り道だけでその後、3333、1111、3333、9999、8888、5555と、これだけのゾロ目のナンバーをつけた車に出会ったのです。2と言う数字はゾロメではありませんが、2や22と言う数字には出会い、この日、不思議なことに4がらみのナンバーの車には行き会いませんでした。

 こうして、これでもか!これでもか!というほどの数字のラッシュに、日頃ゾロ目の数字には慣れている私でさえ「いったい今日は何が起こっているというの?それにしても今日ほどのことは珍しい・・・」という思考で一杯でした。

 更に言えばこの日、途中に立ち寄った妙義山でも不思議なことが起きました。
 それは妙義山神社に寄ってお参りしている最中のことです。太陽が燦燦と出ているのにもかかわらず、ドンドコドンドンとカミナリが鳴り続けているのです。

 あまりにも妙な現象なので思わず拝殿におられた宮司さんに訊きに行ってしまいました。
「この地域ではこんなに太陽が照っているのに、カミナリが鳴り響くことがよくあるのですか!」と。

 するとかなり年配の宮司さんが私の顔をまじまじと見て、「そんなことないよ。」と涼しい顔をしておっしゃる。
 そして「あんたがこんなところに来たからじゃないの」とも。
“人のせいかい”とちょっとむっとしながら皆の方に戻りましたが、そのことはさらに続きます。
 その夜、満天の星が輝いているにもかかわらず、カミナリが鳴り響いていたのです。
 それはあたかも、天空を巨人が駆け足で走っているかのような有様でした。

 後日談ですが、妙義山で話をした宮司さんは、知る人ぞ知る有名な大宮司だったようです。

 阿蘇に向かう車の中でそんな出来事を話していると、前から8888のナンバーの車が走ってきました。
「ウワーッ・・・」車の中の皆が一様に声を上げました。

 運転をしてくれている黒田さんは全身総毛立って、
「こんなことあるんですかね。今その話を聞いた途端ですよ」と運転しながら両腕を擦っています。
 その興奮が冷め遣らぬうちに今度は777の車が前から走ってきます。
 そして555、444、333、111。
「ヘェー今日はこの間と違って、数字は同じようだけど、三桁のゾロメが多いわね・・・何か意味があるのかな?」と話し出す頃には誰もがその出来事を冷静に受け止め始め、楠田さんが来る車のナンバーをメモリ始めました。

 広大な高原をひた走る車の窓から放牧されている牛や馬ののどかな光景が続いています。
 感慨深い思いでその景色を眺めていると後ろの席から、「先生、あれは虹ではありませんか?」と声がかかる。
 その声に反対の窓の方を見ると、七色の虹のような物が見えています、まだ空にかかっていないようです。
「まだ虹が空に架かっていないようね。なら架けようか」冗談のようにそう言って、手でその虹を架ける様な仕草をすると、その通りに虹が大空に綺麗に架かりました。

「虹は祝福なのよ。良かったわね。きっと皆がこの地の神々から祝福を受けたのよ。なんだかほんとに嬉しいね!」
「あっ!また8888の車が走ってきました」
「ほんと、8は開くという意味と同時に喜びの意味もあるものね。4桁でくると言うことは、余程私たちは阿蘇から歓迎されているのね」

 そしてその数字の羅列はその後も続いたのでした。

 その後私は、妙義山での出来事をも踏まえ、8月に2度もこうしたことが起こった意味を考えなければならなくなりました。
2へつづく


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