これから掲載するメッセージは、2000年夏に日本心霊科学協会の講演に於いてお話した内容です。 ですから中身に6、7年のズレがありますが、わかりやすいように、○○年前‥などという表記は、現在から換算した数字に置き換えました。また6、7回に分けて掲載しますので、そのつもりでお読みいただければと思います。 |
心と身体を癒すナチュラル・ヒーリング(1) 2006.12.28 |
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心霊科学協会での講演と伺ったとき、古い記憶の中によく聞いたことのある名前が蘇ってきました。親戚筋に数年前に92歳で亡くなった小田秀人という者がおります。私の叔母が嫁いだ先が小田家で、小田家は代々医者の家系で今日も従兄弟が5代目の医者になっています。一家系から5代の医者が出るのは希なことだそうです。 その小田秀人のことを少しお話させて頂きたいと思います。 生前の小田秀人に直接聞いた話や、貰った本や資料などを見ますと、日本心霊科学協会や創立者の浅野和三郎さんは、こんなに凄いことをしていたのかと思うほどの記述が多々ありました。 また神の6部作を書かれた芹沢光治良という著名な作家をご存知だと思いますが、小田は旧制一校の英文哲学科で芹沢さんの2年先輩にあたり、とても親しくしていたようです。芹沢さんは旧制一高時代から神について感じることがあり、晩年になって文学として神や心霊について言及しはじめたことがわかりました。 心霊の研究では、小田秀人の創設した菊花会の活動や、浅野和三郎さんが行っていた、心霊実験が克明に記録されています。 若い頃読んで知識はありましたが、今回改めて調べてみて大変驚くことが多々ありました。 浅野和三郎さんと小田秀人との間には非常に親しい交流がありました。と言うのは、出口王仁三郎の大本教の3代目教主補、出口日出麿氏が小田秀人の資金的な後援者だったということと、浅野和三郎さんが浅野の大本教か出口の大本教かと言われるほど大本教に深く関わっていたからです。 後に浅野先生は大本教をやめ、心霊科学協会を設立され、霊が物理化現象を起こすという研究をされ、小田は菊花会を創設し、芹沢さんは文学の道で大成しながらも心霊研究にかかわっていました。 日本心霊科学協会の機関紙「心霊研究」を見ますと、浅野さんと小田秀人は「審神者」と表記されています。 当時、霊媒、例えば日本で最初の物理現象霊媒といわれる亀井三郎氏その他と審神者の共同作業によって、物理的心霊現象の実験が行われています。 浅野先生が亡くなられたのは昭和12年2月2日で、その二日後に行われた小田秀人の降霊実験会に出てこられ、「とうとうこちらに来ました。あの世に行ったらちゃんと出てくると皆さんと約束したから、僕は約束を果たしました。妻や娘達は今お通夜の最中だから今日はこれで帰るけど、今度降霊実験を行って、妻や娘を呼んでくれないか」とおっしゃったそうです。 小田はびっくりして「ありがとうございます」と応え、同23日に慰霊交霊会を開き、浅野さんと親交のある方々が集まり、奥様と令嬢が参会されたようです。 亀井霊媒はいつものように身体を縛られ、黒布で覆われた暗室に入り、統一して霊を降ろします。 しばらくすると空中から「ミチ、ミチ!」という声が響きました。お嬢さんの名前は美智子さんといいます。 お嬢さんをミチと呼ぶのは浅野先生しかおられないので「間違いなくお父さんだ」となって皆がすすり泣いたといいます。 「ミチ、しっかり生きなさい。わたしは大丈夫だ。お母様を宜しく頼む」そのときに、エクトプラズムというのでしょうか、白いものが出てきてその中に浅野和三郎さんの顔が空中に浮かび上がったといいます。参会者は感動し涙が絶えなかったという話が残っています。 しかし今日ではそこまで降霊物理実験を見せてくれる人はいないようです。日本心霊科学協会は定期的に降霊実験をやられているかと思いましたが、そういう実験は常時されておらず、最近イギリスの方を招いて物理実験会を行い注目すべき結果が得られたと伺いました。 |
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富士山と赤い月 2006.10.12 |
かなり間が開いてしまいましたね。 このコーナーで書くと言ったことも、中々書けなくてすみませんでした。 この連休中に、富士山の五合目にある小富士に行ってきました。山小屋は結構風が強かったにもかかわらず、大勢の人たちで賑わっていました。 しかしその方達は山小屋の辺りにしか行けなかったらしく、私達が小富士に向かって歩いていくときに出会ったのは一組のカップルだけでした。 小富士に行く道は林の中ですが、そこを歩くと必ず感じる感覚があります。それはドンドン身体が軽くなっていくことです。 きっと都会で身に付いた(憑いた)様々なものが剥がれ落ちていくのでしょう。 ある時は宙を飛んでいるかのような感覚を得たこともあります。 そして夜の小富士には様々な奇跡のような光景が訪れます。 星が降ってくる・・・星と思っていたものがドンドン動き出す。まるでこちらの思いの全て知っているような、そんな動きを見せてくれる・・・・ この10数年小富士に行く度に、今生、生きるうえで必要のないものが剥がれ落ち、心の底から感謝の念が・・・歓びがこみ上げてくる・・・・ そんな感じですかね。 今回は小富士に着いて、正面を見ると真っ赤に染まった大きな月が浮かび上がって見えました。ある意味禍々しい感じの月でした。 しかし強風が吹き荒れ、なかなかいつも行く場所にいけません。 入り口近くで、富士の大精霊と富士を守る白龍に祈りを捧げながら、風が収まるのを待ちました。 暫くすると少し風が収まったので、そろそろと身体を低くして前に進みました。 しかし私の行きたい場所は、富士山からポコーンと突き出た瘤のようなところで、遮蔽するものが何もありません。 ですから大きな石を探してはそれにつかまりながらまるで匍匐(ほふく)前進のよう・・・・立って歩ける状態ではありません。 ところがそんな状況にも関わらず、不思議に恐れよりも笑いが込み上げてくるのです。 風に煽られキャァーという悲鳴と同時に、ケラケラという笑い声が入り混じり結構、私楽しんでおりました。 「もしかしたら此処からあの月に吹き飛ばされて、行方不明になったりしてね・・・」 そんな冗談を言いながら、大きな石にしがみ付いて最後には大笑いをしていました。 素晴らしい雲の流れの中に星星が煌めき始める。 飛行機とは思えない動きをする未確認飛行物体・・・・ 今日この場にいたら、想像を超える体験をするだろうな!・・・ 頭の隅にそんな思考が掠めます。 反面「でもこのまま此処に居ては危険だな・・・・」人間としてのあたり前の思いも強くなってくる。 「一度山小屋に帰ろうか・・・風が弱くなったらまた来てもいいしね」 そう言うと同行者からホッとしたような溜息が漏れてくる。かなり緊張していたようです。 しかし結局のところ再び小富士には行けませんでした。 更に危険度が増してきたのです。でもその後、山小屋の前で見た星の乱舞は素晴らしかった。それはそれで大満足です。 ただ小富士の正面に姿を現した、禍々しい赤い月の姿が残像のように心に重くのしかかりました。 そして翌日のことです・・・・・北朝鮮の核実験の報道があったのは。 核は人類を滅ぼす最大のものです。 自然災害よりも、はるかに脅威です。 赤い月が鳴らす警鐘・・・・ もっともっと私達は真摯に生きなければなりませんね。 話は変わりますが、先日、熊野の奥玉置で40年間修行をし続けた仙人が上京してきました。 その方の見るビジョンと話しは、私たちにとってかなり深刻なものでした。 だからこその上京なのでしょう。 「お互いに繋がって協力しあっていきましょう。」 そんなことを言いながらお見送りしましたが、思いは同じです。 私の当面の思いは「2006年、今年を恙無く(つつがなく)おくりたい・・・・災害を回避したい」このことです。 1996年未曾有の災害を延期した日本とイスラエル・・・・その延期が解除される今年・・・・ わたしは更なる延期を望んでいます。 その為に、今年はアチラこちらを祈り歩いているのです。 それが四国であり・・・富士山であり・・・出雲なのです。 ところで今年は、本の出版を通していろんな方々とお会いできました。 今でも大勢の方々から、様々な問い掛けを頂いています。 人々の思いが変わってきている・・・・ 人々の目覚めが急速に起こりつつある。 本当にそう実感しています。 其々がそれぞれの地で、大きく動き始めているのでしょう。 宗教ではなく、個々が上と繋がり始めることが必要なことだと思っています。 ここでひとつ提案があります。 人間にとって良いも悪いも様々なことが起こるでしょう。 しかし全てを「これもまた必要なことだった」と陽気で捉えていきませんか! このところ、陰の氣が充満しています。歓びが少なく、しかめっ面が多すぎます。大地にマイナスのエネルギーが溢れているように感じます。 そのことが氣になって仕方がありませんでした。 陽気でいきましょう・・・・ 昔、阿蘇の中岳で「火のかんさん(神?)」と名乗るお方様に言われたことが思い出されます。 『今の人々はあまりにも陰の氣に侵されて、陽の氣がたりん・・・・ この世は陰陽によって成り立っている。陽の氣は祭り、祀り、祭りの真の意味を解せよ。大地から火山から陽の氣を吸い込め。弾ける程の歓びを感じよ・・・ 生きることに歓びがたりん・・・・・』 2000年9月23日のメッセージ(その4)に書いてあります。 日々を鬱々と過ごすのではなく楽々と、笑いながら過ごしたいものですね。 弾けるほどの歓び・・・・・本当にそうありたいと思います。 どうか平安の中で、他のための祈りもお忘れなく・・・・・ 皆様の幸せを祈ります。 |
合掌 刑部恵都子 |
「しの神行」四国編 2006.8.20 |
暑いですね。久しぶりにメッセージを書いております。 私はこのお盆休みは珍しく家に居りました。 しかし8月の初旬は暑い最中、四国神行のため四国を駆け回っておりました。 四国神行を「しの神行」と名づけているのですが、それには理由があります。 勿論これも夢見から始まりました。 1999年、一見釣り針に見えるような「し」という真っ白な文字を見たことからこの旅が始まったのです。 その年の9月、立て続けの夢見に今度は「宮津」「忌部」「引佐」と言う字が顕われました。 この二つの夢見から始まったこの神行は、かれこれ7年目に入っています。 宮津は京都・・・・丹後の籠の神社 忌部は四国阿波徳島や出雲にある忌部一族・・・・忌部神社 引佐は浜松及び出雲にもあり、そこは国譲りの会見場所 調べてみますとこの3つの文字は、全て皇室(天皇)に関係のある文字であることが解かりました。 それ以来、宮津と引佐の旅も含めて、忌部一族の夢見の意味を追いかけ続けておりました。 この旅では追えば追うほど様々なことが捲き起こり、困惑をしたり逆に感涙に咽んだりと、それもまた様々なのです。 日の本日本の成り立ちと真実・・・・真実の歴史を求めて(記、紀を含めて) 旅をすればするほど、それは日本人のルーツを追いかけるための旅であったことが解かってきたのです。 ところが今回の四国行きはその完結を目指していたのですが、各地で起きたことはそれに非ず・・・・じつに思いもかけないことが起こり始めました。 そのひとつは長い間封じ込められていた怨念の、解き放ちでありました。 謀略の限りを尽くして、相手を滅ぼし権力を握った側が一番恐れることは、滅ぼした者たちの怨念・・・・・ 古代からその怨念を封じ込めることに、権力者たちが如何に知恵を絞ったことか・・・・・ 引き寄せられるようにして行ったある八幡神社での出来事は、こうしたことを私に示唆するための大事な事象であったようです。 そこで起きたことは、800年にわたり封じ込められた怨念の封印を破ることだったのです。 そのこと全てをここに書きつづけることは出来ませんが、日本各地にある寺社仏閣には時の権力側が、怨念封じのために創建したものが多々あると言うことを改めて気づかされました。 今まで語り継がれている代表的なものは法隆寺や、神田明神、天神さんなどなのでしょう。 しかし今回呼び寄せられるように足を運んだ八幡(はちまん)さんが、よもや怨念を封じるために、この地にかんせいされた神社だとは知る由もありませんでした。 八幡神社、やはたの神さん、秦氏の神社? 大陸から渡ってきた神様? 八幡神社は私にとって実はとても不可解であり、でも懐かしい神社のひとつでもありました。 ところで今回の八幡神社には一つ不思議な文字が書かれておりました。それは裏という一文字です。 裏? 裏八幡? 「なるほど!そうだったのか・・・・!」 そこで始めて解かりました。 神社には表と裏があるのだということが・・・・・ 呪術の世界・・・・怨念、もしくは怨念封じの世界が、厳然としてあることをこの旅で知りました。 この時以来あちらコチラから、こうした要請がきているようです。(勿論目に見えない方々からですが) 「こうした事象をどう捉えればいいのか?」わたしの問いかけに対し、上の方から 「真実をこの世に顕現させること・・・・、怨念の封印を解くこと、踏みにじられた聖地を本の聖地に戻すこと・・・こうしたことが新しい次の時代を迎えるためにとても重要なことである」というメッセージが送られてきたのです。 しかしわたしの旅の目的はこのことではありません。 忌部一族「天の太玉の命」と「天の日鷲の命」を追う旅も、日本人のルーツ、及び大和朝廷の創建の真実とともに明らかになりつつあります。 「しの神行」は完結すれば、また一冊の本になることでしょう。 それまでもう少しこの旅を続けねばならないのでしょう。 今回の旅の最終は高知の室戸岬でした。 空海上人が室戸岬で修行していたことは有名ですが、その岬の先端で起きた感動的な出来事は、この章では書ききれないので、この次のメッセージで書かせていただこうと思っています。 憎しみの連鎖の輪が解かれて、世界中の人々に幸あれ・・・と、心から祈らずにはいられません。 |
合掌 刑部恵都子 |
コパビ 2006.5.23 |
変な天候が続いていますね。皆様にはいかがお過ごしですか。 掲示板にも書きました位山顛末記と、最近懸念されていること等を書くことに致します。 今年に入り(2006年)新刊の出版後、様々な出来事がまきおこりました。そのひとつは様々に寄せられる地震の情報です。 先のメッセージにも書きました人工地震の情報もそのひとつでした。 その時は有り難いことに天の意志が動き、大きな大きな火球が地球を横切り警告がなされました。 しかしその後もあちらコチラから地震情報が寄せられ続けています。 それを見るにつけ、聞くにつけ、どうも南関東に地震が起きなければ、こうした情報が収まりそうにない状況のようです。 そしてそうしたこととは別に、私個人にも思ってもいなかった報せが舞い込んできました。 じつはそのことは私にとってけっこう衝撃的で、珍しく私を悩ませることでもありました。 ある時ボーっとしている私に、あるお弟子さんがこう言いました。 「そんなことはトウに解かっていたことではないんですか?」と。 『解かっていた・・・・・???』 解かってなどいない・・・思ってもいなかった?? まさかこうしたこととは・・・ そんな言葉が脳裏に浮んでは消え、消えては浮ぶ・・・・久しぶりに惑いましたね。 (この年になって惑うとはねぇ・・・・・・)しかし、しまいには笑ってしまいました。 多くの存在に導かれて祈り歩いた旅が「聖書の暗号」とのシンクロニシティに繋がり、その内容を本に書いた。 であるならばその「聖書の暗号」に、私のことが組み込まれていたとしても・・・不思議ではないのかもしれない。 いえ、じつはその暗号に組み込まれているのではないかと思ったこともありました。 送られてきた報せとは、正にこのことです。 ですから、お弟子さんにそう言われてみれば、その通りかもしれない・・・・しかし・・・だからと言って組み込まれ方にもよりますよね。 それはつまり、わたしの思っていたこととは、チョッピリ違っていたということです。 このことはいずれ、皆さまにお会いできた時(セミナーや話しの会等)にお話ししたいと思っております。 ある時、そんな問答にチョッピリ疲れ果てた私に、私の(魂の故郷)位山からお呼びがかかったような氣がしました。 位山に行きたい! 位山の神霊にお会いしたい! 真向かいたい! この時ほど嬉しかったことはありませんでしたね。 この頃からやっと元気が出てきました。 そしてセミナーを終えた後、飛騨の位山に向かったのです。 ところが5月の連休中にもかかわらず、位山はかなりの雪に覆われていました。 それは私が今まで見たこともない位山の姿でした。 夜遅く宿に着いた途端、宿のオヤジさん曰く「一昨日バカな教授一家が午後3時から位山に登って遭難して、救助隊やヘリコプターが出る騒ぎがあったばかりだ。まぁ、あんた達は大丈夫だと思うけど・・・氣をつけろよ」と。 「へぇ〜そうですか」としか言えませんでしたね。 翌日、雪の中で足をとられながらの片道3時間の登山は、正直身体は苦しかったのですが、結構心はウキウキしていましたね。 同行の人と位山の神名を唱えながら、やっとのことで天の岩戸に辿り着きました。 しかし岩戸の前で見せられたのは、思いもしなかった人間の欲の姿でした。 そこにはあろう筈のない真新しい賽銭箱が置いてあったのです。 そしてそこで感じたのは人を寄せ付けない、天なるものの怒りの波動でした。 じつは私またまた絶叫してしまいました。 そして泣きながら位山の神霊に謝り続けました。泪が水平に飛び出していたようです。 でもその後の、同行者たちの泣声の凄まじさ・・・・・・私の着衣は彼らの泪と鼻水でグショグショ・・・・(どうも私の着衣で拭いていたようで・・・・) 勿論その場で様々な事が起こってのことでしたが・・・・ しかし、わたしにとって有りがたいことが起きたことも事実です。 なにせ私の魂の故郷ですものね。 久しぶりにメッセージもいただきました。ありがたい!ありがたい! ところで、今年になって予想通り様々なことが起こっています。 まだ水面下にあることが、次々と浮上してくるでしょう。 つねに冷静に対応するために、もっと直感(第6感)を働かせませんか。 直感こそが天なるもののメッセージです。それを信じるか否かでは天と地ほどの差がでてしまいます。 少し前、直接お会いできる方々にはホピの神話に書かれている、頭頂に置かれた「コパビ」という柔らかな開き戸のことをお話ししましたが、それはそこを通して生命を受け、創造主と交わることができるということでした。 今の人類はその「コパビ」を自ら閉ざしてしまったと云われていますが、自ら閉ざした開き戸なら、自ら開きましょうよ・・・・そして真実を見つめましょう。 また最近この本を出したご縁で、あり難いことにいろいろなご本を送って下さる方々がいらっしゃいます。 その中に明治、大正、昭和の始めに、ある地域で「生き神」と敬われたお方のことを書いた大変古い本がありました。じつはそのお方のお名前は不思議なことに、どこかで聞き覚えておりましたので、大変興味深く読ませていただきました。 じつはその中に、このホピの神話と同じようなことが記されていたのです。 「コパビ」のことを「ギリギリ」と記されていますが、まさに同じことです。 人は母胎から産まれでた瞬間に宇宙から分魂をいただき、同時に特定の星をもいただく。 その星と頭部の「ギリギリ」が繋がっていて、天の氣が通じているのである。と。 嬉しくなっちゃいました。ほんとに。 いつの時代もどこにでも真実を教えられている人間がいる。アリゾナであろうが・・・日本であろうが・・・数千年前であろうが・・・・百年前であろうとも。 しかし殆んどの人間は真実(実相を)知ることもなく、知ろうとすることもなく、ただ己我(おのれが)・・・・・勝手に生き勝手に死ぬだけとばかりに、ただただ欲深く生を貪って死んでいくだけ・・・・・ ある意味哀れな存在なのですね。 私のメッセージは、最後にいつも同じことを言っていると思いませんか。 じつはそれしかないと思っているのです。 自らが真実を知ろうとしなければ何も起こらないのです。あなたは何を知り何をしたいのか・・・・ ここにも書きましたように、私もまだまだ未熟です。全てを知るものではありません。 しかし私は導かれる者です。 そして私が言い続けているこのことだけは、天なるもののメッセージです。 ・・・・・・・・あなたは何者なのか・・・・・・・ 何処からきて、何をしたいのか。そして何処へ行くのか・・・・ それを知るべき時に至ったのです。 真実に目覚める人の数が増えなければ、この世の大きな変動、変革を正しく乗り越えられません。 生きとし生けるもの全ての平安を心から祈って・・・・・ |
合掌 刑部恵都子 |
宇宙から届いた火球 2006.4.4 |
今の時の流れの凄まじさに驚きを隠せません。 例えれば今の一時間に、以前の一週間分の現象が盛り込まれている。そんな感じですかね。 そしてその現象に宇宙的な現象(この世的でない)までが同一化している。 昔の人でなくても、信じ難いことの連続でしょう。 明治の初めに生きていた人々が今の時代にタイムスリップをしたとしたら、別な次元の世界を見ているというかもしれません。それほどの変化が今世界中に起こっているということです。 つまりこの100年あまりの急激な変化こそ、実は大変おかしな(不可思議な)事なのです。 それが天の仕掛けた(天の意志?)ことならば、わたしはその真実、意味を知りたいと思い続けていました。 ところで人というものは何故、最終的には破滅の道を歩んでしまうのですかね。長いスパンで物事を考えられない。目先にあることのみに心を奪われてしまう。 最近は前世なるものに興味をしめし、そうした番組が高視聴率を獲得しているというのに、面白半分にしか捉えようとしない・・・・・・そうした不可思議なことに興味を示しながらも真実を見極めようとしない。 危ないですよ・・・・本当に用心しなければ様々な謀略にのみ込まれてしまいますよ。 天災だと思っていることもが、実は人災であることのほうが多いのです。 はるか前から、巨大な地震も津波も台風も人の力で引き起こすことが出来るのです。 それほど科学(科学と言っていいかどうか?)は未知の力を得てしまったのでしょう。 (勿論ある一握りの一派のみでしょうが・・・) しかしそれを引き起こすのも人の力なら、それを阻止することが出来るのも人の力です。 今アチラコチラから、謀略によって関東地方に地震が引き起こされるという情報が伝わってきています。 ありうる話しだと思って、意識をそちらに向けてみましたら、宇宙が動き始めました。 3月29日、大きな火球がオリオン座の上から悠々と空を横切っていきました。(大勢の方が目撃されたようですし動画でも見られます) 実はその前夜辺りから、UFOが関東の空に集結してきました。そうした天なるものの介入を強く感じはじめている昨今です。 しかし甘えてばかりはいられません。 人類が危機的な状況であることに変わりはないのです。 人類はもっと真剣に、真実と向き合わねばならないと思います。 特に今年からは大きな峠にさしかかっています。 この峠の何処をどう越えるかで、明暗が分かれてしまうのでは・・・・・ だからこそ一瞬一瞬を用心し、自分の中にある真実を見極めながら越えることが大切なことだと思っています。 じつは先週から今週にかけて岐阜行き以外は、久しぶりに家に篭り続けて、天と相対して宇宙(天なるものに)意識を向け続けてみました。 このことは私にとっては得がたい刻を戴いたのかもしれないと、内心、様々な情報に感謝しています。 こんなことでもなければ・・・・私のことだからサボリ続けてしまったかもしれませんから。 だからと言ってこうした危機が起こりうる可能性を、楽観視はしていません。 いつでも起こる可能性は大なのです。 大きな祈りの輪を広げていきましょう。 これからの未来を生きる子供達のために。そして生きとし生ける全ての生き物たちのために。 愛の祈り、想いは、現実の大きなバリアーになって広がっていくことでしょう。 先にも書いたように、刻の流れは急速に動いています。 私たち自身が知らず知らずに変化をしているのです。 最近アセンション(次元上昇)という言葉をよく耳にしますが、人によってはアセンションはもう起こっているのです。 そんなものは滅亡の時に起こるものではありません。起こらなければならないのは今この時だと思うのです。 火球のことは、ホピの長老からもお聞きしていました。 火球こそ天からの警告なのだ・・・・・長老はそうおっしゃっていました。 目に見える現実の世界に、宇宙からの警告が届いているのです。 本当の意味で心しなければならない刻に至ったと言うことです。 追 何にも負けない大きな愛の輪を広げていきたいと思っています。 その輪に加わっていただける方や、ご意見のある方はどうぞご連絡ください。このホームページのお問い合わせ欄にご連絡をいただければ有り難いことです。 |
火球(動画) 2006.4.4 |
メッセージ 2006.3.10 |
弥生3月、今は梅が満開でうっとりと眺めています。そしてもうじき待ち望んだ桜の季節になりますね。 わたしは桜の花が妙に好きで、この時期になると、咲き誇る桜のエネルギーに酔いしれてしまいます。 満開の花を咲かせるために、桜の木は一年をかけて準備するのでしょうか・・・・ 散る花に世の無常を感じる人も多いようですが、私にはこの満開の花のエネルギーが何よりのご馳走なのかもしれません。 ところで、つい最近、ある方の近況が伝わってきました。 その方との出会いは、10年ほど前だったと思います。その方を一瞬見たとき「普通の人ではないな・・・・」と感じました。 わたしも普通ではないと言われるタイプですが(自分ではごく普通と思っている)その方の持っているエネルギーや、醸し出す雰囲気は普通ではないのです。 といって、くれぐれも誤解のないように。よくあるゴテゴテの霊能者や教祖さんを思い浮かべてもらっては困ります。 その方はいつ会っても白いワイシャツに黒いズボン、質素でいながら清潔な感じのする男性です。 しかしその人と出会うと、大概の人たちはその不思議な人柄に魅了されてしまうようです。そしてその周りに自然に集まっていく。まるで蜜をもとめて集まる蜂のように・・・・・ いつか私はその人にこんなことを言いました。 「あなた、宗教でも起こして、教祖にでもなればいいんじゃないの・・・」と。 すると「よく人に言われますよ。しかしそんなもんに興味はおまへん・・・・刑部さんこそどうですか・・・・」 「わたしもそんなもん興味おませんよ〜〜」 と二人で大笑いしたことを思い出します。 わたしは既存の宗教になんの興味もありません。 その人も同じだと思います。しかし彼はもっと大きなものを追い求め続けておりました。 「地球を救うために、自分と仲間たちの手で、あるもの(根源のもの)を出現させなくては・・・そのために自分はこの世に生まれてきた・・・・それ以外のことに興味はない」 それが彼の持論であり、生き様でした。 そして常に、この世的なものに背を向けて歩き続けていました。 私はたまにしかお会いすることはありませんでしたが、 「もしかしたら私がこの世で出会った人の中で、一番本物に近い人かもしれないな・・・・」内心そう思っていたように思います。 話しによると、その人が最近大勢の人々の前で「そろそろ命をかけてしなければならない時が迫ってきたようだ。その時、残していくかもしれない家族の為に、生まれて始めて保険に入ったよ」と笑いながら言ったそうです。 人々の為に命をかける・・・・・ 他の人ならいざ知らず、彼ならありうるな。 フトそう思いました。 自分以外の人々のために本氣になれる人・・・・私の知っている限り殆どいませんね。 私は自分の身近な者たちに「そろそろ本氣になったら・・・」と言い続けておりました。 しかし今まで、一人も本氣になるものはいませんでした。 本氣とは・・・・・もとの氣のことです。元の氣・・・・それこそが根源と繋がっている氣のことです。 真実の思い・・・・・魂の叫び・・・なのでしょうかね。 人とは全てを知っている者なのです。それを思い出すことが出来れば・・・・ ・・・・相変わらずの愚痴になってしまいそうなので、この辺でやめましょう。 ただ、本氣の人がいよいよ動き出したことを、皆さんに知っていただきたいと心から思ったのです。 わたしはその人を手助けできる者だと思っています。何故なら私もまた本氣だからです。 地球、生きとし生けるものの平安を心から祈って・・・・・合掌 |
刑部恵都子 |
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