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鹿島鉄道 鉾田駅周辺 (茨城県鉾田市) 注釈ないものはすべて2007年3月撮影(一部2006年8月撮影)

 鹿島鉄道鉾田駅(2007年3月の廃止直前に撮影)。昭和4年の開業時からの建物。
駅舎を保存する案もあったものの、老朽化激しく残念ながら取り壊されてしまいました。
 廃止の日ということもあり、普段は静かな駅舎も多くの人でにぎわっています
小さな駅ですが、立ち食いそばやタイヤキもあります。タイヤキ屋は向かいに移転して今も営業しているとのこと。 (2007年3月 鹿島鉄道最終日に撮影)
駅構内にあった駅長室の看板。戦前のものらしく右書き(この写真は2006年8月撮影)
地元の高校生徒会が作成した垂れ幕。(この写真は2006年8月撮影) 駅前にある、すこし懐かしい感の漂う「ひよこハウス」(関鉄プラザ)。日曜日は定休日との事ですが、この日は土曜日でにぎわっていました。(この写真は2006年8月撮影)
駅から徒歩で散策を開始。ここでも「銀座」は健在であります。
いったい日本にどのくらいの「銀座」があるんでしょうか??
 九州では「銀天街」という名称の商店街が多かったです。
角のRと窓枠が特徴的な洋品店。カラフルなテントとよく似合っています。
ナシュナル坊やのいるシャッター。 歯科医院の洋館。千葉でもそうでしたが、医院の古い建物は、モダンハイカラな洋館が
結構多いようです。土地の名士としてのステイタスと進取の気風が現れてるのかなあと思ったりしていますが。
右半分が履物屋さん、左半分が八百屋さん。 青果とはきもの!同じお店のようですが、どういった経緯ではきものと青果という組み合わせになったのか、ちょっと気になります。
現役の薬屋さん。特に2階の窓枠がレトロを感じます。 散策中にたまたま見つけた、浪花千栄子の看板。浪花千栄子さんは昭和ヒトケタから昭和40年代にかけて活躍された女優さん。

 オロナインのホーロー看板による宣伝は昭和40年頃(1965以降)から盛んになったそうです。 オロナイン軟膏から、オロナインD軟膏への名称変更は昭和44年(1969)、D軟膏からオロナインH軟膏に名称が変わったのは昭和47(1972)年のことであるので、この看板はおそらくは、昭和40年代前半のものでしょう。
 浪花千栄子さんは昭和48年になくなられているそうです。
東芝のお店。TOSHIBAの旧ロゴ(通称傘マークというらしいです)が懐かしい。

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