こちらは、読むくすりのコーナーです。
ねっぷちゃんの心に残ったチョットいい話し、ほんのり暖かく、チカラが出るお話しを
載せていきたいと思います。
 みなさんからの心暖まるエピソード、お便りもお待ちしています。(^_^)/
平成15年如月 おといねっぷ  拝
 
   

もくじ
第15話 工事予定
第14話 「謙虚であるということ」
第13話 「甲子夜話」
第12話 「お寺のしおりから」
第11話 「初心忘レルコトナカラレ・・・」
第10話 「祖霊祭にて」
第9話  「父との会話」
第8話  「新しく奉職の道へ進まれるかたへのメッセージ」
第7話  「おかげさまの気持ち」
第6話  「ほんもののつよさ」
第5話  「雑務ってなんだろう」
第4話  「巫女さん体験記」編集室から
第3話  「仕事、とは」
第2話  「清兵衛とひょうたん」
第1話  「グレイマターについて」


「狐愁の岸」


「謙虚であるということ」

 ある企業の経営者の方から直接伺った話です。

 「権力と腐敗は無二の親友」とはよく言ったもので、古今東西、大なり小なりそういった例にはいとまがない。
人間、偉くなったり恵まれすぎるとだんだんボケてきて、それが当たり前になってくるものだ。
 人が頭を下げるのは、その人の肩書きに対して頭を下げるのであって、その人個人に対して頭を下げているのでは決してない。
当人は、当人なりの苦労と努力を重ねてその地位についたのだから、自負もあろうし自信を持つことは大事だが、肩書きはあくまでも
「たまたま任されているだけの、預かりものである」という事をよっぽど肝に銘じなければならない。

 苦労を知らない者はいざしらず、若い頃はあれだけ苦労をして相手の事も推し量れた人間が、トップになったとたんに頑迷になり、
周囲はイエスマンばかりになって人柄が豹変してしまったのを見ると、見るに忍びない。
権力というのはそれだけ魔力が潜んでいるということだ。

 技術屋というのは自分自身の腕に覚えがあるため、とかくプライドが高くなるものである。どこででもやっていける、自分にしかできない
というプライドがあるからだが。技術屋で鼻っ柱が高い者がいたら、こう叱責している。

「おまえはアインシュタインや、エジソンのように、ノーベル賞が取れるような発明をしたのか?彼らは、全く前人未踏の世界で、
 ゼロから作り上げている。彼らと同じレベルであれば、私は何も言わない。そうではないだろう?
 技術屋というのは、過去にそういった偉大な天才や秀才たちが発明したり、試行錯誤の末に改良に改良を重ねてきた
『知恵の集積や結晶』を使わせてもらっているにすぎない。美味しいところだけを、ほんの上澄みを使わせてもらっているだけだ。
だからこそ、「ありがたく使わせてもらっている」と自分に対して謙虚でなければならない。

 
〜管理人ねっぷより〜
 その世界ではかなり有名な方でしたので、とても緊張しましたが、大変人当たりの柔らかい方でこちらが恐縮してしまいました(^^;)
特に、エンジニアに対するメッセージは目からウロコでした・・・・。伝統芸能であったり、特技であったり、何でもそうですが
自分の身についていると、「苦労して身につけた」というプライドがでてしまいがちなものですが(私はそうでした)、そういったものは
すべて先人たちの試行錯誤の集積で、たまたま「上澄み」を使わせてもらっているだけなんですよね・・・。
自分に対して、もっと謙虚であらねば、と思ったひとことでした。


「甲子夜話 第十六巻」(注)より。

 徳川第八代将軍、吉宗公の頃の話、というから、今からおよそ280年ほど前の話である。
当時、すでに戦国の世は遠いとおい昔ばなしのこと。武士といえども武術ではなく、
算術で身をたてていく、太平の世の中であった。

 吉宗公は歴代将軍の中でも、とくに武道を奨励した将軍である。

 ある日、吉宗公は、将軍の身近で警護にあたる武士の馬術を見たいといい、将軍の御前で、
乗馬のお披露目がなされることとなった。
 ところが、ある武士はそれまで一度も馬に乗ったことが無かったが、御前で乗馬を披露する羽目と
なってしまった。

 結果は散々なもので、乗ったはいいが、降りるに降りられず、周囲の助けを借りてようやく馬から
降りられる状態であったという。
面目まるつぶれで、土下座をしてひれふす武士に、吉宗公は、このような事を言った。
 「その方は、馬術は初めてのようだが、稽古にはげんで上達したら、また披露せよ」と。

 その武士は、思いやりのある、将軍のその言葉に発奮した。
その後、自ら進んで警護の役を降り、馬術の師匠のもとに弟子入りをした。
3年間、馬術の修行に励み、免許皆伝となってふたたび警護役に志願してもどってきた。

 やがて、めったに無い、馬術披露の日がやってきた。見事な手綱さばきが吉宗公の目にとまった。
将軍は、その上達ぶりを大変ほめ、その武士の上司にこういったと伝えられている。

「3年前の馬術披露の際は、こうこうであったが、このたびはあっぱれで見上げた志である。
 きっと、役にたつ人間に違いないから、そのように目をかけてやりなさい」と。

 その上司が武士に、将軍の言葉を伝えたところ、自分のことを3年間ものあいだ、忘れずに
覚えてくれていたと、たいへん感激した。
 その武士はその後も馬術につとめ、ついには三千人もの弟子を抱える名人となったという。


(注)甲子夜話 「こうしやわ」もしくは「かっしやわ」と読む。
 平戸(長崎)藩主 松浦清 公が書いた随筆。1821年の甲子の夜から書き始め、1841年に没するまでの間、
正編100巻・続編100巻。後編80巻を書きあらわしている。大名・旗本の逸話などの見聞録。(広辞苑第3版より)

〜管理人ねっぷより〜

 名君とうたわれる吉宗公ですが、こういった逸話からも、下の者に目をかけ、育てる
リーダーとしての人柄がうかがい知れます。

「使えない」と切り捨てることは簡単ですが、ひたむきな人間を見捨てることなく、その隠れた
素質を見抜いて発奮させ、育てるところにすごさを感じます。

 人を使う立場のものにとって、この話のなかには大切なヒントが含まれているように思います。
また、使われる立場のものも、素直な気持ちで、その期待にこたえる努力ももちろん必要でしょう。

 人間、基本的な能力に差はほとんど無いようです。しかし、その後の本人の努力や、その努力を
引き出す周囲のきっかけによって、その能力を大きく引き出せるかどうかが変わってくるようです。
 どんな人間でも、必ずひとつは優れた面があります。それに気づいて、うまく伸ばせる人間で
ありたいなあと、この話を聞いて、あらためて思いました。


以前・あるお寺が出している栞に、はっとする一言があった。

『つとめは、苦しい。でも、我慢しているだけではつぶれてしまう。たいせつなのは、何か、
楽しみを見つけることだ』と。

わたしは、おもう。
「どんな人間でも、必ず優れた面はある。たいせつなのは、それを見つけて伸ばすこと。
 そして、それを誇りに思うこと」と。

 別に、仕事に限らず、趣味の世界、スポーツ、なんでも良いと思う。なにかひとつでも、
やっていて楽しいこと、人に喜んでもらえること。そういったことが、人生のやりがいにも
通じるのではないだろうか。
 やりがいからは自信が、そして他人への優しさと、思いやるゆとりが生まれる。

テニスの世界的チャンピオン、マルチナ・ヒンギス選手は、小さな頃から母親からテニスを教えられたが、
失敗しても責められる事はなく、むしろ、上手くいったときに「よくできたね!あなたは最高よ!」と
褒められて、嬉しくて、ついには世界的チャンピオンになった。

 叱られてばかりでは、失敗を怖れ、やがては萎縮し、苦痛となってしまう。もちろん、厳しさも必要
だが、大切なのは、感情にまかせて言うのではなく、本当に本人の為を思っていっているか、
だろうと思う。

あさま山荘事件で指揮をとった、佐々淳行氏は、若い下積みのころはやはり、理不尽に感じる事や
「自分ならこうするのだが・・・」と感じながら、出来なかった事が多々あったという。
 しかし、そこで腐ったり、諦めるのではなく「メモを残しておき、自分がいつかそういった立場に
なったときのために、実践するため、他日を期して準備しておこう」と。
 後に、彼は名指揮官となり、数々の要職を歴任することになる。

 私の高校の時の校長先生は、常々言っていた。「どんな生徒でも、必ず優れた面があるはず。
 彼らの良い面を見つけ出し、伸ばすことが大切なのだ、と」
  中退していった生徒に対しても、決して落こぼれ扱いすることなく、就職の世話もしていた。
 彼らが辞めてだいぶたってからも 「彼らがうまく、やっているだろうか」と、本気で身を案じていた。
  私の卒業と同時に、定年で退職されたが、いまでも心に残っている。
 


「初心、忘レルコトナカレ・・・」

 夢と希望に燃えていた子がいた。

人一倍の努力と、熱意と、運で、周囲がうらやむ中、思う道にすすんだ。

しばらくして、直面する、「夢と現実のギャップ」

失望は、期待の2乗に等しい。

辞めようか、続けるべきか、真剣に悩んだ。

夢は、夢のままで終わった方がよかったのかとさえ思った。

そんなとき、ある友人は言った。

「どんな仕事でも、プロである以上嫌なこと、理不尽な事は必ずついてまわる。
 だが、自分が納得して選んだ道だから、私は自分の道を歩む。
  あなたは、今の仕事で人から”ありがとう”感謝されるのと、まったく別の
  業種で、”ありがとう”と言われるのと、どっちがいいのだ?」と。

さまざまな事情から、自分の思う道にすすめなくて、不本意ながら違った職業を選択
していかざるを得ない人々も、大勢いる。

 つとめは、厳しい。だが、耐えてばかりでは、いつかはつぶれてしまう。

大切なのは、仕事の中にわずかでも楽しみ、誇りをみつけること。

 自分がされて嫌だったことは他人にせず、されて嬉しかったことは他人にする。

いつか、上にたつ立場になったとき、そう、心がけることで、周囲も自分も、少しずつ

良くなっていくのだ、と思う。


「祖霊祭にて」  〜とある神職さんから伺ったお話です〜  
 (祖霊祭・・亡くなられたかたを偲び、供養する神道でのお祭りです。法事の神道版でしょうか)

 あるご家庭で祖霊祭を執り行ったときのこと、そこの、娘さん(小学校低学年)が積極的に祭りの準備を
手伝ってくれたそうです。
 お祭が終わって説話を話すときに、そのお嬢ちゃんに「御手伝いしてくれてありがとう。」と
御礼を言ったところ、母親がこう、言ったそうです。

「この子、将来は巫女さんになりたいそうです。」

「巫女さんのどんな所に憧れたのかな?」と尋ねたところ、その子は
「着物と、従姉妹のお姉ちゃんの結婚式で見た踊り(神前舞のことでしょうか)が、美しくて。」と
照れながら答えたそうです。

 心なしか、故人(その子の祖母)の方が天国で笑ってくれた様な気を、その場に居た皆で
感じたたのこと。

後日、社務所に一本の電話がその母親からあり、
 
「あの晩、夢に(故人である)母が出てきて笑顔で笑っていました。」

と話されたそうです。


「父との会話」

 先日、実家に帰りまして、父と酒を酌み交わしながら「人生って何だろう」って
話をしていました。
 父が言うには、「人生は、いかに面白おかしく、楽しく過ごせるか。そのために
仕事に命をかけたり、趣味をもったり、人とのつき合いをもったりするのではないか」
と言っていました。
 父も、非常に積極性のある人ですから、定年退職後も、砲術の研究や奉納演武、
講演会に呼ばれたり、家庭菜園(家では青物野菜は買わないほど)、リフォームまで
やって楽しんでいます。
 すべて、サラリーマン時代に、仕事も一所懸命しながら、わずかな時間をみつけて
独学で学んできたことなんです。
 「これまでの人生で、いろいろやりたいことはやってきた。もう人生では悔いはない」と
きっぱり言うほどです。
 
 私が思うに、忙しい人ほど、限られた時間を上手く活用して余暇を楽しんでいるように
思います。

 ある出版社が毎年、夏休み時期に文庫のキャンペーンをやっていて、そのキャッチフレーズが
「心に残る文章は、教科書には載っていない。想像力と数百円」
というもので、「なるほど」としみじみ思ったことを覚えています。

 ですが、教科書のなかでも、ひとつだけはっきりと覚えている文章があります。
今回はそのお話をしたいと思います。

著者の名は忘れてしまいましたが、日本人の評論家のかたで、チェーホフの「燈火」という
小説の解説をした文章でした。(記憶なのでこまかいところはあやふやですが。。。)

「ああ君!そんな考え方はよくない!危険だよ。捨てなさい!」
シベリア鉄道敷設当時のロシアで、一人の年老いた測量技師と、見習いの学生が
線路工事の現場で、休憩をしています。
 そこで、2人が会話しているのですが、冒頭の言葉が、老人である測量技師が、
若い学生・・・どちらかというと小難しい顔で、ちょっとインテリなのですが・・・・に
説教をしているところで、冒頭のせりふは、測量技師が言ったものです。
 若い学生は「また年寄りの説教が始まった」とばかり、顔をしかめて聞いていない
ふりをしています。

 ここまでなら、よく酒場などで先輩が若者に説教をして、若者は迷惑そうな顔をする、
といったありがちな光景ですが、その話している内容は、ちょっとそこらでは聞けるような
内容ではありません。

 年老いた技師はいいます。「どうだい!この広い大地を!我々が設計し、
 敷設した線路や駅のそばに、やがて町ができ、にぎわっていくんだよ!
 いまは荒涼たる大地だけれども、やがて100年もしたら、ここも立派な
 都市になっているだろうよ!我々はその、記念すべき第一歩を踏み出したのだ!
 どうだい?素晴らしいことと思わないか?」

すると、学生は、人生に疲れたような口調で言いました。
「たしかに、あなたのおっしゃるとおり、やがては家がたち、街となり、賑わうでしょう。
ですが、1000年もたてば、それらはみんな遺跡となって荒野に帰り、僕らのやったこと
なんて結果的に徒労で終わってしまいますよ。あれほど栄華を誇ったローマ帝国や
インカ帝国であっても、今では廃墟となったり、その痕跡すら失われてるじゃありませんか。
 僕らのやってることなんて、いずれは徒労に帰すのだから、無駄ですよ」

そこに、冒頭の技師の言葉が出てくるのです。「ああ君!そういった考え方は危険だ!やめなさい」と。
若者は、また年寄りの説教が始まったと思っていましたが、じつはこの老人は
もっと大事な事を言おうとしていたのです。

 たしかに、人生ではすべてやってきたことが報われるとは限らないし、時には徒労に帰したりすることもある。
そうやって、自分の人生を振り返ってみたときに、結果的に自分の人生は徒労であったかどうかを
見て感慨にふけるのは、もう、死を目前にした自分のような老人がすることであって
若いあいだはそういったことは考えるべきではない、むしろ有害だ、というわけです。
 たとえ、ギリシャ神話にあるシーシュポスのように、一見、徒労となるであろう事であったとしても
自分に課せられた使命を黙々と全うする、人生の階段を一歩一歩上っていかなければならない、と。
年老いて、死ぬまぎわになって、登ってきた階段を振り返るのならばまだわかるが、
君のように階段をのぼりはじめて間もない者が、ちょっとふりかえって虚無感に陥るのは、
ダメだ、というわけです。人類の歴史や文明というものは、このようにして多くの人々の
積み重ねがあって、今日の我々が成り立っているのだ、とも。

 最後に、老人はこういっています。
『もし、人類が君のいうように、虚無感にとらわれて進歩をすることを諦めていたら、文明や文化、
 芸術も含め、まったく進化していなかったんだよ』と。

※シーシュポス
 ギリシャ神話の神で、神々の怒りを買い地獄へ落とされてしまう。
そこでは、罰として、巨大な岩を山の頂上まで運ぶという作業を課せられる。
だが、耐え難い苦労の末、岩を山頂に運び上げたのもつかの間、岩はすぐに転げ落ちてしまい、
シーシュポスは、永遠に罰から逃れられない−−

*****
 いまでこそ平均寿命は大幅に延びましたが、つい200年くらい前までは人生50〜60年だったわけです。
そのような中でも、人は限られた人生を、有意義に過ごそう、と仕事のみならず、教養や趣味に励んだのですね。
 「いずれ死ぬのだから、何をやっても無駄だ」と思うのではなく、「限られた人生だからこそ、思うようにいきたい」
と思うわけで、なればこそ、文化や技術の発展があり得たのでしょう。
プロジェクトxでもそうですが、「あきらめの思想」からは決してでてこないことです。
 また、たしかに、社会的地位に関係なく、世の中いつも、思うようににはいかないものですが、
それでもやはり、目標を持って頑張っていれば、必ず道は開けるし、それを正統に評価してくださる
人は必ずいると思います。
 「一生に一度くらいは、子孫に自慢できることをしたい」
 「思いは、かなう。運はひたむきな人をけして見放さない」
プロジェクトXを率いたリーダーたちの言葉です。私も、その言葉を胸に、日々社会という
大海を泳ぎ切っていこうと思っています。
 長文を拝読して頂いて、ありがとうございました!感謝致します。


「新しく奉職の道にすすまれた人たちへのメッセージ」

正規の職員となると、助勤の頃と違い、責任や期待が大変大きくなる
ので 厳しくしごかれていると思います。どんな企業でもそうですが、
きちんとした職場ほど
 将来、上に立っても耐えられるように猛烈にしごかれます。これは、
「学生気分という垢」を落とす意味でもとくに新人の間は厳しくしこまれます。

「これはおかしい」「こうしたほうがいいのでは」「なにか手柄をたてたい」
といった気持ち(気負い)を持つこともあるかもしれません
(新人ならではなので、持っていることはごく自然なことです)

 が、それぞれの職場には長い歳月をかけ「これが合理的、最適だ」という方法、
流儀で仕事をすすめていますので、まずはその職場の流儀になれ、知り尽くしてからでしょうね。
 勇み足、ということもありますし、一見不合理なようなことでも、
実は一番最適な方法だった、ということもよくあります。コレを判断できるようには、
現場での修行が必要です
(業種によりますが、5〜10年はかかるでしょう)。
まずは、現場で修行せよ!と私は新人のころ教えられました。

 また、「上司は責任をとるためにいる」存在でもあります(そうでないひともいま
すが(^^ゞ、一般的、対外的にはそうです)
上と意見が対立したとき、組織の論理からいっても責任をとる上司の判断が
優先します。そういったとき、実現しなかったアイディアなどは、メモしておき、いづれ自分が
責任者となったときに見て判断し、実行して「自分らしさ」を出してゆけばいいのではと思います。

 これは、多くの企業のトップが若かりしころにやっていたそうです(日経新聞の
「私の履歴書」などにたまに出ますね)
誰でも、初めから偉いさんではありませんでしたから、、、小僧、丁稚からスタート
してるんですね

・・・・
ここからは、自分に言い聞かすことでもありますが、、、

ご奉仕をしていると、初宮(出産)、七五三(成長)、お正月(年月の節目)、
厄年(人生の節目)、厄払い(人生の逆境を振り払う)、葬祭、、と
喜びや悲しみに直面することも多々あります。
 喜ばしいことならば、それはそれで良いのですが、悲しい出来事に直面したとき、
どうすればよいのでしょうか。

ご奉仕する立場の者は
何かに肩入れしたり、動揺したり、まどわされてはいけない、と思うのです。
 亡くなられてご遺族の方々が悲痛にくれているとき、ご奉仕する立場の者が同じく
悲痛な表情や態度をしていたり、
自信なさげな態度ですと、不安がりますし、余計悲しみも増幅されてしまうでしょ
う。

 たとえば、重傷で病院にかつぎこまれたとき、担当する医師が動揺していたりした
ら、不安を与えるのはもちろん、
おそらく「100%の力を出した、いい仕事」はおそらくできないでしょう。
 むしろ、落ちついて淡々と対処する医師のほうが、一見冷徹ですが間違いはなく、
冷静に仕事をすすめるので
結果として良い仕事になり、患者の助かる度合いも高くなるでしょう。
 どんなことでも、あわててると絶対いい仕事はできませんから。。。
医師の本分が患者を救うことであれば、一見冷たそうでも、後者の医師の方が「ほん
とうのプロ」ということになりますし、
そうあるべきだと思います。


あくまでも中立、ニュートラルな立場で、つとめて明るくしたり、悲しんだりせず、
淡々と仕事を着実に全うすること、
これがプロとしてあるべき姿でしょうし、亡くなられた方や喪主の方に対する、最大
の責務であるとも思います。
 もちろん、心を空っぽにして無感情で、作業として流し、接すればいい、という意
味ではなくって、心の奥底で悲しみ、
いいしごとをしようという意識、心の奥にはいつも春の風が吹いている、という意識
を持ち続けてほしい、と思います。
 人は、苦労や苦しみを経験すればするほど、人に優しくなれる、と思います。(厳
しさと優しさは両輪です)
そういった経験を積むことで、人の心の痛みがわかるようになれるのでしょうね。


「おかげさま」の気持ち

ある企業では、執務中に着用する名札にひとこと、「誓いのことば」を
手書きで書くことになっているのだそうです。

「誠意をもって仕事をします」とか、「元気いっぱい挨拶します!」とか。。。
そのなかで、心に残っているのが、
「常に”おかげさま”の気持ちを持って応対します」というものです。
 たいていの仕事というのは、相手があって、相手に動いてもらって成し遂げられる
事が
多いですから、ちょっとしたことでも「ありがとう」という気持ちと行動、思いや
りって
大事なんだなあと、最近とくに思います。
 
 古来、日本人は自然のモノを神としてあがめる精神が根付いていたのだと思いま
す。
海には海の神、山には山の神、家、かまど、その他諸々。。。すべてのものに
神さまがやどっておられる。アニミズムというのでしょうか。
 畏怖し、感謝の気持ちを持つことで、結果として乱開発をまぬがれる事ができたの
でしょう。
私の父は、学生時代に北海道の大雪山系を、アイヌのまたぎさんたちとともに登山し
ていたのですが、
彼らから学んだことがいろいろあったそうです。
 ”山にはいるときは、山の神さまの領域に入るのであるから、山の神さまに挨拶と
お供え物を
してから山にはいる” ”アイヌの人々は、かつて鮭をとるとき、3匹いたら1匹だ
けしかとらなかった”
そうです。(1匹は神さまのもの、1匹は森の動物たちのためのもの、ということで
す)

 結果として、山をゴミで汚したり、自然を破壊したり、乱獲をすることを戒め、自
然を守って
きたのですね。特に日本は、国土の狭い国ですから、ひとりひとりがエゴをむき出し
にして
乱開発や乱獲をしたら、あっという間に干上がってしまいますから。。。。
 山を神としてあがめるのは迷信である、と片づけるのは簡単なことです。山の樹木

すべて伐採して建材にすれば莫大な利益があがるでしょうし、宅地にしてしまえば
何百、何千という住宅を建てて利益をあがることができます。
 そう、目先の利益で開発した結果、ちょっとした集中豪雨で崖崩れが起こったり、
田畑や建物が
押し流されたりという大災害を引き起こします。こういったのは昔の人にいわせる
と、
神さまのたたり、ということになるのでしょうか。
 古人は、このようなことを直感的に把握していたのでしょう。人間も動物の一種で
すから、
自らに迫るであろう危険の予知能力というのは、持っていますから(最近動物の生態
に興味をもっていますが、
野生の動物というのは、非常に優れた、合理的な生存能力をもっているのです)


 神社の敷地にしても、大昔から神さまがおわす、ということで開発を免れ、結果と
して
今では非常に貴重となった原生林や貴重な動植物が残っている例も非常におおいとの
こと。

 地鎮祭のお祭りもそうですが、たとえ自分の土地であっても「使わせていただく」
という
気持ちを忘れてはいけないのだと思います。
 そういった気持ちを持つことで、土地や地域への愛着が出たり、不法投棄や土壌汚
染など
環境破壊的な事を意図的にしなくなりますから。。。これらは、結果として環境をま
もる事にも
なるのだと思います。先程述べたように、非常に限られた国土の環境を守るための、
先人の偉大な知恵ともいえるのかもしれませんね。

これらの事をもっと詳しく研究するならば、皇學館大學の教授をされたいた、真弓常
忠先生が書かれた、
朱鷺(とき)書房の「神道の世界」という本がおすすめです。


「ほんものの強さ」

 最近、こちらのページによくいらしている神職さんの影響で、古典文学に手を出し始めました(^^ゞ
もちろん、研究というほどたいそうなものではなくって(笑)、せめて知識として、話の概要だけでも
つかんでおこう、と読み始めたのです。ただいま、「古事記」と「今昔物語」を読んでいます。
 今昔物語は、お話しとしても面白いのですが、当時の人々の風俗や考え方、習慣などに
触れられるようで、とっても興味ふかいのです。

ところで、今昔物語の中に、陰陽師「安倍晴明」が師匠の忠行と出かけていたところ百鬼夜行と出会い、
それをいち早く察知して難を逃れた話や、播磨の僧形の陰陽師が晴明に挑みにきて、まんまと追い返されて
しまう話などが出ていました。
 それを見て、「はた!」と思ったのは、夢枕莫さんの小説「陰陽師」や、岡野玲子さんの漫画に同じ話が
でていたんですね。今昔物語が下敷の一部となっていたのです(熱心なファンの方はすでにご存じでしょうが)
 夢枕さんや岡野さんは私もファンなのですが、あれだけの支持を多くの方からうけているのは、やはり
このように古典や時代考証がしっかりしておられるからでしょう。

 アメリカでは、ハリウッド映画で職業モノを扱うときは、俳優さんたちはその仕事を実際に数週間体験するそうです。
たとえば、消防士が主人公の映画をするときは、実際に消防署で本物の消防士と行動を共にするそうです。
 また、非常に人気を博した「ER 救急救命室」も、原作者は総合病院に勤務経験のあるお医者さまだったとのこと。

日本では、「マルサの女」や「スーパーの女」などは本職さんが研修ビデオとして活用するという話を良く聞きますし、
実際、非常によく取材され、考証もしっかりしていたそうです。それほどの出来だからこそ、「業界外」の人々にもうけ、
ヒットしたのでしょう。

専門用語や業界事情など、(わかる人にはわかるのでしょうが)たいていの人は、未知の世界でもあります。でも、本物のもつ強さが不思議と、そういった人々をも引きつけるのでしょう。
有名なところでは、ハリーポッターもそうですね。こういったご時世だからこそ、夢のあるモノを、ということもありますが、
ハリーポッターは、よく見るとイギリスの文化がぎっちり詰まっています。イギリスでは、ハリーの通った魔法学校の
ような建物は、良くあるごく一般的な光景です。
 イギリス人に言わせると、「ごく普通の街角の、路地裏のドアをあけたら、いかにもありそう」なほど、親近感があるものだそうです。ハリーのような少年も、超人的なスーパーヒーローってわけではなくって(魔法使いではありますが)、風貌は、イギリスの
中流家庭によくいそうな子供さんですね。くわえて、イギリスには魔法使いの伝説も古来からあります。
それほど、イギリスの歴史や文化、リアリティもきっちりと考証されていたのでしょう。
なればこそ、リアリティにうるさいイギリス人が、あそこまで熱烈に支持したのでしょうね。
そういった世情や話のおもしろさはもとより、本物の持つ強さ、に引かれたからでしょう。
なんだか映画の話ばかりで、まとまりませんが、このへんで。(^^ゞ


「雑務って何だろう」

 時折、「雑用なんか・・・」という言葉を耳にします。
とくに、新人の間や若い間は、下積み生活が待っています。
不況の影響で、新人もなかなか入ってこず、なかなか先輩に
なれないかたも多いことでしょう。
 掃除、コピー取り、お茶くみ、雑務一般。。。。
仕事に対する期待や希望が多ければ多いほど、また、大きければ
大きいほど、ときには「こんな雑用なんかやってられない」と、
感じることもあるかもしれません。
 ですが、雑用は「雑」ではないと思います。
どんな仕事であっても、無駄なこと、不必要な事はない、と思います。
たとえ、雑務と感じる事が会っても、誰かがやらなければならないのです。

 もし、その雑務を誰もやらなければどうなるのでしょうか。
誰かがやらねばならない仕事ですから、上の立場の人がやらねば
ならないことでしょう。そうすると、その人本来の仕事ができなくなってしまいます。
 たとえば、極端な話、社長がコピー取りに忙殺されてしまったらどうなるのでしょう?
おそらく、会社全体としては、仕事全体が上手く流れなくなってしまいます。
どうかしたら、会社も傾くかもしれません。それは、社長には社長にしかできない
仕事があるからです。

 野球でも、バッターがやピッチャーが華やかで、人目を惹きますが、
それだけでチームは運営できるものではありません。キャッチャーのように、
きつい割に目立つことのほとんどないポジションもあります。
 又、2軍のようにほとんど表に出ることのないところもあります。
ですが、それらは不必要、無駄だ、いてもいなくても同じでしょうか?
人は、それぞれの持ち分を精一杯守り抜いて、「私が支えることで、組織全体も上手くまわってる」
と誇りを持って、「いい仕事」をすることが、プロとしての心意気、と思います。

一時、アメリカではベールボールキャップを後ろ向きにかぶるのがはやったそうです。
これは、きつい割に認められる事がすくない、キャッチャーを意識したものである、と
言われています。(キャッチャーは後ろ向きに帽子をかぶってますね)
 もちろん、上に立つ者も、雑務を軽く見ずに、立派なひとつの業務として
見守ってあげる配慮も必要です。時には暖かい言葉と、激励のことばもいるでしょう。

 さらに、雑務も経験することで、下積みの気持ちもわかる、と思うのです。
苦労を知った人は、他人や部下の苦労も共感できる、と思っています。

 もうひとつ、大事なことは、「雑務を雑務と思って、粗末な仕事をする人は、決して
 責任ある仕事を任せてもらえない」という現実です。
  上司の立場からみると、「雑務もきちんと出来ない人間が、より難易度の高い、責任ある仕事など
 危なくてまかせられない」と思うからです。これは、当然のことでしょう。
雑務を誠心誠意、りっぱな仕事として、誇りをもってこなしていくことで、上司からも認められ、
より責任のある(自分の裁量が広がる=仕事のおもしろみが増える)
部下の苦労もわかる、と、道が広がるとも思います。

 ある禅寺にて、みかけたことばを記したいと思います。

 『つとめは、きびしい。だが、つらいだけでは、いつかはつぶれてしまう。
  大切なのは、なにかひとつでもよいから、なにかたのしみを見つけることである。』

また、なにかひとつでも良いので、これだけは負けない、これなら任せろ!といった
得意技を身につけてしまうのも、仕事を楽しくするコツでしょう。
 職人さんや技術者さんは、仕事を楽しんでいる人が多いですが、その人たちは、
『俺がやらなければ、これは動かない(完成しない)』というプライドが、支えになっている
そうです。そこまでの技量をもたづとも、ひそかに仕事へのプライドを持つことって
大事だなあと思います。


「巫女さん体験記」を編集室から

「舞ちゃんの巫女さん体験記」には、
ちょうど1年前にカキコ&お寄せいただいた体験談が掲載されていますが、
みなさんの真剣な姿勢や、暖かいアドバイスを読み返してして、
HPやってて良かったな〜と思うこともしきり・・・。
 私自身、学生時代のときから(今もですけど)周囲の方々から暖かい
心遣いを受けてきたので、そうやって今まで受けてきた心遣いを
自分のできる範囲で還元できれば、と思っています。
 メールでも時折ご相談をお受けしますが、奉職に限らず社会に出ると
大変な事がたくさんあります。でも、若いうちに苦労したり、しんどい経験を
した人ほど、相手の気持ちがわかったり、暖かい気持ちをもった方が多いのも
事実です。強くなければ生きていけませんが、優しくなければ生きている資格はない、
これまた私の好きな言葉です。このバランスが難しいんですねえ。。。

 すでに社会人経験のある方には、釈迦に説法で申し訳ありませんが・・・・
正職員・社員として、社会にでると、大変な事がたくさんあります。また、理不尽な
事に遭遇することもまま有ること、と思います。
(あるいは多すぎるくらいあるかも・) また、たいていの事象は、相手のあること
ですから、
いつも思うようにいかない事もあるかもしれません。
 ですが、それに負けたり、くさったりしないように、初心を忘れず、社会という大
波を泳ぎ切って頂きたいな、と心から思います。 

 私の師匠は、二葉亭四迷先生の言葉を引用して、こう言っておられます。

「筋を通せば嫌われて、人に合わせれば流されて、かくも人生は難しきものかな」
と。

 私の尊敬する斉藤茂吉先生は、こう言っています。

「まっすぐに生きてゆけば、どうしても超えられない壁に必ず突き当たる。
 かといって、壁を避けてゆけば、やがては人の道からはずれてしまう。
 いま、私にできるのは、いかに最小限に壁をよけていくことではないだろうか」

紆余曲折はあるにせよ、目標や信念を見失ってはいけないって解釈しています


「仕事、とは」

最近は皆さんからの真摯なアドバイス&お返事を頂き
まして、頭の下がる思いです。
 皆さんの、厳しくも暖かいアドバイス、ありがとうございます。
みなさんの事を本気で心配されてこそのことと、私もひしひしと感じます。
 今日はちょっと固いお話しをしますね。

 神社に限らず、本職(正社員)として就職すると、大変な事もたくさんあります。
正社員の責任の重さは、アルバイトとは比べ物にならないほど重いですから。。。
 特に、しっかりした職場ほど、将来上に立っても耐えられるように、猛烈にしごか

ます。時として、非常に苦労することもあるでしょう。
 ただ、そうやって苦労を重ねている人ほど、下づみの苦労も体験していることも
あって、
部下の気持ちが理解できたり、実力が身に付いているので業務をこなしたりと、
有為な人材として活躍しているのも事実です。
 厳しいことや辛い事もあるかもしれませんが、「若い間の苦労」は無駄になること

決してないと思います。また、叱られたり怒られたりするのも、その人間の将来に
期待しての事、と思います。(どうでもよかったら言っても無駄ですから・・・)
 また、どんな職場でも、必ず見ている上司(直属でなくても)はいます。一所懸命
仕事をしていれば、かならずいつかは評価されますから、そう萎縮することも無い、
と思いますよ。

 どんな仕事でも、辛いことや厳しいことはたくさんあります。ですが、好きなこと
だからこそ頑張れることや、上達することもあります。また、好きなことを
仕事に出来る人は幸せ者なのです。
「何か、他のサービス業で物を売って”ありがとう”と言われるのと、
 お札をおだししたりして”ありがとう”」と言われるのと、どちらが良いのか。
以前、私の友人が発した問いかけです。
 生活や、給料、仕事を選ぶ要素は様々です。が、後戻りできない人生ですし、
自分が、なぜこの仕事をやりたいのだろうか、その仕事についたら、どのような
人材でありたいのか、を自分なりにまとめてみてはいかがでしょうか。

 中国の故事で、赤ん坊が生まれると、甘味、酸味、旨味などを味あわせたあと、
最後に辛い味を(ちょっぴりですが)味あわせるそうです。
 当然、赤ん坊は泣き出すのですが、これは、これからの人生甘いことばかりでは
ないぞ、と、身を持って教え込むための儀式なんだそうです。
 もちろん、これは赤ん坊の将来、生涯において直面してゆくであろう逆境を
乗り越えられるように、との期待も込められているのですが、社会人、とくに
新人の間に直面する辛さ、厳しさもこれと同じことかな、と思います。


『清兵衛とひょうたん』

 以前、志賀直哉先生の小説、「清兵衛とひょうたん」を読んで、大笑いした事がある。
主人公の清兵衛は、小学生なのにヒョウタン作りが大好きで、授業中もこっそりとヒョウタンを磨いていて、
先生に見つかり、こっぴどく叱られた上、取り上げられてしまった。
 先生は、取り上げたヒョウタンを用務員のおじさんにあげた。そのおじさんがヒョウタンを骨董屋に
持ち込んだところ、結構な金額で売れた。
 その骨董屋は、おじさんから買い取った金額の30倍の値段で、田舎の大金持ちに売ったという話である。
 清兵衛は、大好きなヒョウタン作りで生計を立てられるはずだった。

こどもが、どのような才能を秘め、将来どのような才能を開花させるのか、それはたいていの場合、
本人も気づかないし、ましてや周囲の大人でもなかなか気づくものではないのかもしれない。

 だが、やはり「お前は何をやってもだめだ」という事は言わない方が良いと思う。
私の高校時代の校長先生は、卒業にあたってこのような言葉を言った。
「どんな人間にも、かならずひとつは良い面がある。大事なのは、それに気づいて磨くことと、
 自信を持つことだ」と。
私はその言葉を一生忘れない。


『グレイマターについて』

 アメリカが、まだ夢に満ちあふれていた頃、ウォール・ストリート・ジャーナルに掲載された
ひとつの新聞広告が目をひいた。
その広告は、多くの広告がそうであるように、企業のPRや商品の紹介などをいっさいせず、
豊かになりつつある時代の中で、ともすれば悩み、挫折し、落ち込んでいる人々を勇気づけ、
 ひとつの道筋をしめすメッセージを掲載し続けた。
その広告は、「グレイ・マター(グレイ氏の贈り物)」と呼ばれ、多くのアメリカ人の記憶に残った。

その中に、このような一節がある。
「君は、国語も、数学も、物理も絶望的な成績だ。さらに運動も苦手で、しかも手が不自由だ。
 残念ながら、君がこれから先の人生で身を立ててゆくのは、絶望的といわざるを得ない」

教師のその言葉は確かに事実だった。少年は意を決した。
「ぼくだって、、、ぼくだって、ひたむきに頑張れば、きっと何かできるはずだ」

その決意通り、少年は人生を歩み、そして成し遂げた。
少年の名は、トーマス・アルバ・エジソンといった。