記事一覧

本に出会う

教育の正体

書名:教育の正体・・・国家戦略としての教育改革とは?
著者:日下公人
出版社:KKベストセラーズ
発行年月日:2008.11.3
価格:1560円+税
------------------------------
教育を終えた人は生きていくのに必要なプライドが備わっている。それが教育の効用である。
プライドの第一は、親の厄介にならずに自分の収入で食えることである(=職業教育)
第二は、日本という共同体の一員として周りの他人に面倒をかけずに暮らしてゆくのに必要な知識や心がけが身についているということである。(=社会教育)
第三は、周囲の雑音に惑わされることなく自分を保って生きていくための教養は哲学の持ち主になっていること。(=精神教育)
第四は、自分は世のため人のためになってみせるという積極的な志の持ち主になっていることである(=人格教育)
第五は、それらの教育を受けたことを証明する卒業証書の持ち主になっていることである(=社会的承認)
・・・・略・・・・
第五のプライドが相当程度、空洞化していることに絞って論じてみた。穏やかにいえば、卒業証書や資格のありがたみがないことで、厳しくいえば教育関係者が自分の利害のために資格を乱発していることが、教育全体の尊厳を破壊していることへの警鐘である。
それから国民の多くが、第五の外面的なプライドを求めるようになった結果、教育は虚の世界と実の世界に二分され虚の世界に発生したインフレが教育全体を劣化させていることの指摘である。
・・・・略・・・・
教育改革とは、人々に自信とプライドを持たせる教育のあり方について考えることだと思う。
  (本書本文より)
------------------------------
 日下公人さんの本はいつもユニークで面白く拝見しています。今回の本も教育の歴史(江戸時代から明治、大正、昭和)戦後を振り返りながらの説明。特に戦後は戦前はすべて悪かった式の戦前真っ黒史観に染まって、文部省も日教組も悪平等(先生と生徒は平等)、尊敬されるはずがない。(子供と平等な存在の先生、親、特に高学歴化した母親)に尊敬されるはずがない。日教組も教師は聖職ではなく、労働者と盛んに宣伝してしまった。したがって地に落ちた教師になってしまった。

 追いつけ追い越せの時代はそれでも教育は成功した(成果があった)このときは知(知識を詰め込む)の教育だけで何とかなった。しかし見本のない時代自分から進むべき道を探して行かなくなってしまったときの教育方針、教育は分からなくなってしまった。これからは情の教育、情の教育すべく「ゆとり教育」を進めて来たが、諸外国ランキングで「学力が低下」というアナウンス(マスコミ)に腰砕け。学力テストは何をどのようなメンバーが受けているのか。しっかりと分析しないと「学力が低下」と言っても何がどう低下しているのか?分からない。知識が少なくなっているのであればそんなに気にすることはない。等々をしっかりと判断する必要がある。

 ところが、文部科学省も日教組も教育産業をになう業者(教育業者)お客のこと(子どもたち)を考える前に世間の評判、自分たちの組織を維持することに熱中している。こんなところに教育改革なんて任せることは出来ない。ヨーロッパでも沢山の国には「子供の教育は親が行ってもいい」という条文がついているとか?その代わり小学校であれば親はその小学校を卒業していることが教える資格になっているとか。
 途中に将棋の米長邦雄さん(東京都教委員会の委員も務めたことがある)との教育改革について対談も載っています。この2人の対談はなかなか面白い。

コメント一覧

コメント投稿

  • コメントを入力して投稿ボタンを押してください。
投稿フォーム
名前
Eメール
URL
コメント
削除キー