書名:埋み火 全集六巻
著者:杉本苑子
発行所:中央公論社
発行年月日:1998/6/7
定価:4000円+税
それぞ辞世さる程に さてもそののちに
残るさくらの花 し匂はば
残るとは思ふも愚か 埋み火の
消ぬま仇なる 朽木書きして
憂しやこの 深山がくれの 朽木垣
さても心の花 し匂はば
近松門左衛門という鋤瑠璃作家の半生を描いた作品です。近松の辞世からとった「埋み火」という名前の作品。当時武士の下級階層出身の近松が、誰もが毛嫌いしていた下流階層の河原者(役者、芸人)の世界に飛び込んで浄瑠璃、歌舞伎の脚本を書くという役者以下の仕事を行っている。近松以前は芝居は役者が主人公であり、語り、芸は全て役者が行うもの、話の筋なんかは誰でも簡単に出来るものと思われていた。また役者の頭領が脚本を片手間に作っていた時代。そんな時代に脚本に名前を付けて、座付き作家にならずに、脚本、読本の原稿を売って生活が出来る仕組みを作った最初の世代。もっとも時代も版木屋、出版する人、そんな本を読む人など揃わないとできないことですが、先駆的な活動をしている。また時世の句でも自分の作品などあっという間に忘れられてれ無くなってしまうと言っているが。現代でも十分通用する素晴らしい描写、人の心理を格調の高い文章で書いている。それも口語で判りやすい、またリズミカルな流暢さである。近松門左衛門をもう一度読んでみたいと思わせるような良書です。作者は近松の作品が今の時代でも忘れないのは彼には愛人に産ませた子供が重度の身体障害者を持ったことによって、曽根崎心中、心中天網島、女殺油地獄など最高峰の作品が生まれてきたのではないか?
作家は第三者的にしっかり見る目を持っているだけではダメ、自分の体験それも重い重い体験を乗り越えて来てはじめて良い作品が生まれると言っている。反面教師で杉本苑子の作家姿勢なのかもしれない。読み応えのある本です。それにしても近松も過去の良く分かっていない作家。それをさも実際にこの物語のように生きたと思わせる筆の力は見事です。他の作品もそうですが、杉本苑子と言う作家もう少し詳しく知りたくなってしまいました。