2002年2月22日の日記

2002年2月22日の日記       これは2002年に読み直して下 さい

2002年2月22日の日記  側島文夫(提案者)
グループ参加者:飯牟礼成則、徳田容子、有田益堆、佐藤重行、野内アサ子、 M佳奈子、矢田敏雄、王子全主

1.テーマ提案の趣旨
 私たちは5年後どうなっているのでしょう。変化の度合いが激しい現代では 1年後すら将来を予想するのは困難な気がします。世の中の流れのままに生きて 行くしかないのでしょうか。 この学級では学級生が輪番で日記を書く「日記当番」をやっていますが、ここ から発想を得て、5年後の自分の回りの社会について、できるだけ具体的なイメ ージを描いて日記を書いて見ることも面白いのではないかと、提案しました。本 日からちょうど5年後は2002年2月22日で、2が並ぶ日付です。
 このテーマはささやかな近未来学ですが、それに止まらず、5年後の自分の回 りの生活を予想することで、やや大げさに申し上げれば、これからの積極的な人 生設計の一助にもなるのではないかと思います。今後5年間に発生することには 、個人の今の努力で少しはコントロールできることもあると思うからです。

2.日記の対象となる内容 書く内容は自由ですが、5年後必ず到来するのが既に分かっていることがあり ます。まず、必ずみんな5歳ずつ年をとります。そして家族は様々な過程を経て それぞれの生活をしているはずです。また、ご承知の通り、2002年には横浜でワールドサッカーが開催されます。それら以外の殆どのことは、まったく未知のことなのでどんな予想も出来ます。
 ただ言えることは、インターネットやパソコン通信による情報ネットワークが 進展し社会のコミュニケーションの中心になっていることでしょう。 

3.学習の進め方
 みんなで一つの日記を書くというのではなく、学級生がそれぞれ自分の日記 を書くわけですから、他の研究テーマの場合と異なり学級で意見を交換したりと いうこともなく、このテーマをお選びの学級生の個性的で多様な内容の日記を書 いていただきました。私自身は、インターネットの将来についての参考書を少し 読みました。

4.出来上がった日記

 学級生の「2002年2月22日の日記」そのものは、横浜市のホームページ をご覧いただきたいと思います。それぞれユニークな日記になりましたが、共通 していることは、5年後の明るい未来が描かれていることです。

5.5年後の検証

 みなさんの描いた5年後の未来は、はたして、どれだけ現実のものになって いるのでしょう。その正解は5年というの時間の経過が与えてくれます。そして 、予想日記と実際がどう合致して、どう乖離していたか、またその原因は何であったか等がその時の研究テーマになります。もっとも、5年後もこの学級が続いているということが前提になりますが。

                                       以上

公開! 私たちの2002年2月22日(金)の日記
側島文夫

 緑区オンライン生涯学級の学習テーマの一つとして、5年後の1日の日記を書 いてみることを提案しました。この学級の2回目の閉講式が、1997年の2月 22日でしたので5年後は2002年2月22日と2の並ぶ珍しい日になります 。

 2002年の日記をお書き下さった学級生は、最終的に予期以上の8人となり ました。みなさんの日記は、それぞれユニークでいずれも大変興味深い内容で、 5年後を彷彿とさせます。私の余計なコメントは不要です。UPされた順に掲載 しますので、学級生みなさんの「近未来学」をお楽しみ下さい。もちろん、5年後にはどうなったかの検証を行う予定ですので、お楽しみにお 待ち下さい。
 なお、本文以外で一部カットさせていただいたところがあります。
 では、お読み下さい。

飯牟礼です。
「2001年の日記に代えて」

2002年2月22日付毎朝新聞朝刊より
「在宅勤務でお困りの方へ、サテライトオフィス貸します。」

 企業の在宅勤務化が進む中、自宅のマンションで、子ども部屋はあるけれど 書斎がなかったり、昼間の冷暖房費で困っているサラリーマンのために緑区内の カラオケボックスが空いている昼間の時間帯をオフィスとして貸し出すことにな った。
 もともと通信カラオケのための設備をイントラネットとして利用するもので 部屋の大きさによって、個室、相部屋と料金に応じて貸し出すもので、事務に必 要なOA機器は、すべて整っており、通信費も中央のカラオケ通信センターから インそターネットを通じて世界中と仕事のやり取りができるようになっている。
 家庭で仕事をする場合、生活のための光熱費と仕事のための必要経費の算出 が難しく、在宅勤務でかかる経費を結局、サラリーマンが負担していた現状から 、サテライトオフィスの使用料は、企業からの必要経費で支出すことが容易であ るという。
 また、ホストコンピューターに登録されいる各種のデーターベースも利用で きようになっている。自宅での事務作業のうち整った設備を必要とするときだけ 利用することもできる。料金は、カラオケの利用料と同じ。グループでの利用や 打合せなどにも利用できる。

 徳田です。
    「2002年の日記」
  <はじめに>
 半年前に、私は自分のホームページでバーチャル家族を募集した。結果私は 父2人に母2人と息子2人、娘3人を得た。残念ながら夫は一人いるので、募集 するのは控えた。
 パソコンは年々進歩し、ホームページはテレビ感覚で見ることが出来るし、 音声または、書いた文字を認識して電子メールにしてくれるので、高齢者もどん どん使うようになってきた。
 私のバーチャル家族は、「タビタビファミリー」とネーミングした。由来は 、夫が定年になって自由の身になってから、ワンボックスカーを改造して、日本 中を旅していることが多いからである。
 もちろん、今はテレビ電話は大変な普及率であるが、あまり顔を見ない方が 、わずらわしくなくて良いと若者たちが言うので、原則として電子メールだけと した。

  2002年2月22日
 (この日、私と夫は湯村温泉にいる。昔、「夢千代日記」というドラマで有 名になったが、近年また寂れてひっそりしている。寒い時期は宿を利用すること にしている。「夢千代日記」では、日本海の波の音が聞こえることになっていた が、この温泉は山の中である。海に近いのは浜坂温泉である。
 5年前、ソ連のタンカーが座礁して、この辺りまで重油が流れついた。あの 裁判はいまだに続いているが、海を離れていった漁民も多かった。)

 M子(19才・高校2年生)より
  (2年前に学校制度が変わり、義務教育は小学校だけになり、中高一貫教 育になった。M子は2年間学業を離れ、北海道で牧場の仕事をした後、再び学校 に戻ったのである)
  お母さん、お誕生日昨日でしたね。いよいよ還暦ですか。腰の方は大丈夫 ですか。学校に戻って半年経ちました。去年は雪との戦いでしたが、懐かしい思 い出です。タイの病院で働いていたメグちゃんは、やっぱり看護婦になるそうで す。私は、近頃歴史に興味があって、歴史の勉強ばかりしています。5年前の中 学時代には、考えられないけれど、図書館から好きな勉強のCDを借り、半分く らいはパソコンを使って独習しています。では、気をつけてね。

 K男(30才・寺にいる)より
  (4年前、会社員を辞め僧侶になった。去年めでたく修行を終え、東北の 荒れ寺にいる)
  外は吹雪です。今日は湯村温泉ですね。雪は降っていますか。都会の閉塞 状態に息苦しくなって、やみくもに寺に入ってしまいました。実の父母はいまだ に許してくれません。とっくに説得は諦めています。血の繋がりってなんでしょ うか。両親は私に無私の愛情で接してくれていると思ったのは幻想でした。春に なったら、モンゴルに行きます。
  親のない子を連れ帰って日本で育ててみようと思っています。お母さんに は、孫が出来ることになりそうですよ。
 S夫(82才・医師・老人施設で働く)より
  元気ですか。岡山に来て3年、私財をなげうって老人施設を作った。新・ ゴールドプランはホームヘルパーのなり手が激減で今や形骸化してしまった。私 の施設は、職員は少ない。お互いが自分に出来ることをしながら、助けあってい る。建物はプレハブに近いが、食べ物は新鮮だし、拘束するものがいないから、 痴呆もひどくならない。  それぞれ自分の責任で、ここに来たから過度の医療 は望まない人たちだ。君たちも、いつまでも放浪していないで、はやくここに来 て働きなさい。
A子(75才・有料老人ホームにいる)より
  5年前、このホームに入った時は、まだ皆さん元気でしたが、人間関係で ごたごたしてから、部屋に閉じこもる人ばかりです。S夫さんの所に、はやく行 きたいので、電子メールで手続きをしてください。実の息子は、「もったいない 」といって、昨日も電話で怒鳴り散らしていました。私は、この家族が出来てか ら、少しも不安じゃなく寂しくもありません。
  キーボードは使えないので、音声でメールを作っていますが、さっきパリ のパン屋さんにもメール送りました。
  (日本語の音声で入れたメールが、ちゃんとフランス語になって送信され る)

 こんな調子で、私のバーチャル家族から次々にメールが入る。私の実の娘た ちも、それぞれにバーチャル家族を持っている。別に私たちは、実の娘たちと仲 が悪いわけではない。たまに会うとお互いの家族のことも話したりするのである 。結局、どこまでが本当の家族で、どこからがバーチャルか、あまりこだわらな くなっている。
 心が温かい時もあれば、喧嘩する時もある。喧嘩してメールが来ないかと思 うと、二、三日するとまた来るのである。それは、本当の親子と同じように・・・ ・。         

                以上、荒唐無稽の日記でした。  徳田容 子

 2002(平成14)年2月22日(金) 快晴 側島文夫 

 今日、書棚の整理をしていたら5年前まで使っていたシステム手帳が目に止 まったので、ちょっと拾い読みした。そしてちょうど5年前の今日、2月22日 に、鴨居駅近くで「緑区オンライン生涯学級」の第2次閉講式が行われ、その時 の学習テーマは、「2002年の日記を書く」であった旨のメモがあった。
 詳細な内容はもはや覚えていないが、自分なりの近未来社会を自由な予想に基 づきまとめた記憶が残っている。
 5年前の手帳に項目のメモもあったので、その時触れたと思われることが今 どうなっているかを、箇条書きで記しておくことにしよう。いわば、5年前の予 想の解答編である。
 なお、今では文章を書く上での漢字等は数年前に中国の簡体字との調整もされ 、いくらか変更され、また、文体も現在は、殆ど「です」「ます」調になってし まっているが、PCに残っている今は懐かしい5年前の旧漢字を使い、「である 」調で書いてみる。

1.「海外滞在ブーム」−私と家族
 私自身は一昨年9月に定年で40年に近い長い勤めを終えたのだった。その 後は、妻を伴って念願だったドイツでの半年間の生活を体験した。現地の人々と のコミュニケーションもでき、知人も多くできた。わが人生で最も心豊かに過ご した半年間であったと思う。今でもインターネットによって頻繁にメールのやり 取りをしている。
 現在は、数年前までのの海外旅行ブームに代わって「海外滞在」の大流行であ る。これには、1ヶ月コースから始まり、長いもので3年コースなどというもの もある。でも、多いのは半年コースとのこと。海外生活でネックと考えられてい た言葉の問題も、今では高度の翻訳ソフトが組み込まれ、発声する携帯PCによ って殆ど支障がなくなった。
 外国人も日本に多く訪れ、海外との行き来が増大するにつれ、かえって各国の 個性のある文化が尊重され盛んになった。歌舞伎、文楽等も多くの若い後継者が 育ち安泰だという。
 2人の娘は相次いで結婚し、我が家は15歳の老犬になった花子とわれわれ夫 婦のみとなった。

2.「高齢社会のサービス業」−私の仕事
 勤めから解放され、あるオーケストラとアドヴァイザー契約をしている。こ れはインターネットを介して、聴衆の立場からオーケストラ演奏会の企画に意見 を具申する仕事で、いくらかの助言報酬と演奏会招待の特典がある。また、いく つかの劇場、ホールとパートタイム・スタッフ契約をしている。公演があるとe-mail によってスケジュールを調整してホールの係員になる。チケットのもぎりとか 、座席案内係りなどである。もちろん公演そのものも隅っこの座席で観賞できる 特典付きだ。高齢社会でこういったサービス業種にも高齢者の進出が最近目立っ ている。昔のように若い人を集めようにも絶対数が足らなくなってきており、む しろこういったサービス業には経験豊富な高齢者に向いているのだ。そう言えば 、美術館の監視係も高齢者が目立つ。

3.「インターネットの浸透」−日常生活
 5年前に比べて大きく変わった点は、予想されていた通り通常の連絡手段は 、Eメールが中心になり、今や単にメールと言えばこれを指す。いつも持ち運べ る手帳サイズのPCは今や必需品になった。これは無線で電話回線につなげ、イ ンターネットによっていつでも世界中とコミュニケーション出来る。
 また、PCへの入力方法は、一時音声入力も試みられたが、声を出すのは意外 に疲れるということで、また、従来のキーボード入力が主流になった。学校教育 の早い時点で、キーボード入力の授業があり、今や殆どがこれに習熟している。 そして、以前は電車の中などで、携帯電話で声高に話す人を見かけたものだが、 今は静かに携帯PCに何やらインプットしている人が多い。インターネットの普 及には、諸外国に比べ割高だった電話料金が急速に値下がりしたという事実も見 逃せない。
 インターネットの普及に伴い、個人の情報発信が盛んになりいわゆるゴミ情報 も増大した。このため、簡潔で的確な表現の文章の発信が求められている。最近 の短歌・俳句ブームもこれと関係がある。長文の文章は、今では小説や一部の学 術論文の世界に限られている。
 私もいつもの日記はもっと簡潔だが、今日のは昔のようについ冗長になってし まうようだ。

4.「インターネットの効用」−地域社会への住民の意向反映
 町内の自治会の組織は今でも残っているが、会合を開いて住民の意見を聞くほ かに、会合に出られない住民はインターネットであらかじめ意見を表明しておく 方法も採用された。これによって従来集約できなかった多くの住民の意見が反映 されるようになった。
 この成果として、市バスは鉄道の最寄り駅と職場・住宅地間の交通手段と位置 づけされ、一定間隔で運行するので利便性も高まった。すでに、武蔵野市で採用 されていた方式にならったのだった。以前は、交通局側の事情で時刻表が組まれ ていたようなのが、「一定の間隔で運行して欲しい」という住民の意見が、イン ターネットにより集約され交通局を動かしたのだ。マイカーを使う度合いが相当 減り、その分道路の混雑緩和になったという相乗効果もある。
 便利になった市バスのような例はほかにも多い。一例をあげれば、街の騒音 が少なくなり環境が良くなったことがある。昔、当然のことのように聞かされて いた、エスカレーターのテープによる注意があった。確か、「エスカレーターを ご利用の際は、ベルトにつかまり、黄色い線の内側に云々」とかいうやつだ。事 故防止に全く役立っていなく、うるさいだけというのが一般市民の考えだという のが確認され、すぐ廃止された。同時期に駅のホーム、公共の場所でのスピーカ ーの放送やチャイム音も、緊急時を除いてはなくなった。
 社会環境の先進国の欧米生活経験者が増加したことがこういう改善を促進した ことも見逃せない。

5.「オフラインセンターの出現」−人の交流
 ネットワーク社会の進展により、多くの人々との間で情報のやり取りが頻度・ 内容の両面で充実した結果、勤務先、学校など所属団体単位での交流のほかに、 同じ趣味、問題意識を持った人たちの交流も盛んになった。この新しい交流は、 物理的な距離を超え、全国各地、中には外国の人々を含む。もちろん、趣味や関 心の対象が共通すれば年代の違いは問題ではなく、むしろ世代間の考え方の違い をお互い理解する上で有効と考えられている。
 ネットワークを通じてのオンラインの交流は、直接会って話し合いたいという 欲求につながり、オフラインミーティングが盛んになった。これに伴い、街のあ ちこちに、気軽に利用できる「オフラインセンター」が出来た。以前郊外のファ ミリーレストランだったところが模様替えしたところが多く、ここはアルコール を含む飲物と軽食を手頃な値段で提供してくれる。しかし、これらはあくまでも 付随的なもので、利用する人々の主目的は、楽しい話題と交流である。このよう な交流は世代を超えるので、数年前まで目にした、いわゆる「老人会」の活動は 低調になった。

6.「インターネット公聴会、情報保護法」−プライヴァシー保護
 いつの時代も他人のことに異常な関心を持つ人はなくならないが、ネットワー ク社会も例外ではない。むしろ、情報化が進み、情報の入手・伝達が容易になっ た分、プライヴァシー侵害の危険性が高まった。暗証等の技術面も進歩する一方 、各個人の他人のプライヴァシーに対する意識も変わり、お互いに尊重し合う風 潮が広がりつつある。「インターネット公聴会」(5年ほど前まではいわゆる学 識経験者を集め特定の場所で開かれていたが、今では、希望者は一定の手続きを 経てインターネットで参加できる)により、広く吸い上げた意見を反映して、情 報保護法という法律が2年前に施行され、法的にも整備されている。

7.「電子公証センター」−著作権の保護
 世の中の情報が殆ど電子化され、ネットワークを通じて活発に送受信されるに 連れ、コピーが常にオリジナルと同一であるというデジタル情報の特殊性も加わ り、ある著作物の独創性を模倣から守ることが極めて難しくなった。
 そこで、特許権、商標権と同じように公的な登録制度が出来た。すなわち、あ る思想または感情を創作的に表現した場合、文化庁の「電子公証センター」に登 録すればその登録のタイムスタンプが公的時間とされ、同一または類似の創作物 間ではこれが先の方に権利が与えられる。この電子公証センターへの登録は、も ちろんインターネットによってである。一定のPC通信もこの公証センターとみ なされているので、フォーラムなどでの発言も何かのときには、その時間を示し 、自分の著作権を主張することが出来る。
 今日の出来事が殆ど書かれていない妙な日記になってしまった。明日の日記に は、次の5年後の世の中を予想して、書き留めておくことにでもしようか。さて、2007年はどうなっているのであろうか。

(2002.2.22,22:22 記)

佐藤です。
2002年2月22日(金)の日記をUPします。
   ☆☆☆☆☆   ☆☆☆☆☆   
2002年2月22日(金)  快晴、終日春の如く温暖
 6時半起床。東の窓を開けると、今朝も快晴の空にモルゲン・ロートが美しい 。
 朝のコーヒーを楽しんだ後、庭にでると、さすが2月の冷気に身が引き締まる 思いだが、どこからとなく梅の香りが漂い来る。それはわが庭の白梅からのもの だ。
 5年前に作り直したささやかな庭に、樹木草花もそれなりに育ち、数個の庭石 と白砂によく調和して目を楽しませてくれているが、今は冬枯れの季節、白梅一 樹、独り咲いている。
 ふと北宗の詩人、王安石の五言絶句「梅花」を想い起こし、口ずさんだ。

    塀の角の 梅 数枝

    寒さを凌いで 独り開く

    遥かに 雪にあらざると知るは

    ほのかな香りの 漂い来たるが 為なり

 この漢詩は、5年前に出会った「中国の名詩を詩う会」で覚えて以来、折に触 れ愛唱しているものだ。 この会は、鎌倉市に本拠を置き、「陶淵明・李白・杜牧・白居易等の中国の漢 詩を朗詠して楽しむ会」として、10年近い歴史を持ち、多数の会員が世代・ジ ェンダーをこえて詩の心とリズムを楽しんでいる。 今週は、練習のため鎌倉に出かける予定だ。

 世紀の変わり目の頃から、週休3日制が実現し、今日はすでにウィークエンド だ。朝食後、CSテレビのニュース番組をゆっくり見る。好きな時、オーダーす れば関心のあるジャンル別の内外のニュースが見られるので、大変便利だ。
 午後は、JARP(日本退職者協会)横浜支部に行き、高齢者生活相談のボラ ンティア・カウンセラーとして、夕方まで問題解決のお手伝いをした。
 JARPは、米国のAARP(American Association of Retired Persons)を 模して数年前に呱々の声をあげたものだ。 AARPが1996年当時、既に3000万人の会員数を誇っていたのに対し JARPは、これからだ。しかし、高齢化の急激な進展に応じて、シニアの連携 と共助を目的とするJARPへの期待は高まっている。
 会社が従業員福祉の一環として取り入れたライフプラン・セミナーの企画運営 に携った経験が、役に立っているようだ。帰宅後は、高iARPのデータベース に接続し、蓄積した。
 夕食時の話し合いで、4月上旬の富士山麓行きが決まった。娘達とその家族の 3世代が集まる。7年前、人々を震撼させる大事件が世界の耳目を集めた舞台に 近いが、そこの小さな山小屋も今は元の自然の静寂の中に戻り、残雪の富士の姿 を堪能させてくれるだろう。
 就寝までの時間は、つぎのように過ごした。
 昨夜上演された、ニューヨーク・メトロポリタン・オペラの「トゥーランドッ ト」をインターネット経由でダウンロード。これをBGMにして、明日のJ大学 大学院法科のゼミの予習を行う。
 テーマは、高齢者福祉に関する日米法制比較研究。
 そう言えば、ISRP(International Society for Retirement Planning)の 知人の C. Smith氏に照会していた資料が届く頃なので、Mailを開けてみたとこ ろ期待どおり大部の資料がファイル転送されて来ていた。
 氏のMailには、この他もう一つの返事と、さらにもう一つの楽しいニュースが 入っていた。
 一つは、最近の彼の地でのベストセラー小説についての質問に対する答えで、 読んで感動した二冊の本のあらすじが、印象深い文章で綴られていた。
 早速、横浜市立図書館の情報システムにアクセスして、蔵書があるかどうか照 会したところ、最寄りの図書館には無いが、中央の図書館に新着図書として有り 、取り寄せてもらえることとなった。
 この情報システムは、私が市立図書館のサービスの良さを改めて発見した19 97年時点で、既に18か所ある市立図書館の200万冊の蔵書が検索出来、貸 出し管理に活用されていたが、その頃は、端末機は図書館に設置され、そこまで 出向かなければ利用出来なかった。現在ではインターネット経由で自宅から検索 と予約が出来るようになったことは嬉しい。
 もう一つの楽しいニュースは、Smith夫妻は、この夏は愛用のヨットで、自宅 のあるシアトル郊外から出帆、カナダ・ヴァンクーバー島沿いに北上し、アラス カ州まで遠征の計画とか。
 私達としては、ミシガン湖畔シカゴから運河を南下、ミシシッピ河に出て、こ の大陸縦断の大河を下る計画を暖めているが、そろそろ実現したいものと思う。
 ミズーリ、アーカンサスなどの諸州を左右に見ながら、河口のニュー・オーリ ンズを目指す。ファックルベリー・フィンの冒険を夢見ながら眠りにつくことと しよう。 (了)

2002年2月22日  野内アサ子(Nouchi Asako)

 2月20日で母が90歳の誕生日を迎えた。90になったとはいえ、まだまだ かくしゃくとしている。彼女は、昨年から始まった健康な高齢者の為のデイサー ビス゛りんりん゛に参加している。今までは一人暮らしの高齢者だけが対象だっ たが、家族と同居している人にも範囲を広げてからは、参加者は100名になっ た。
 外出の機会の少ない高齢者が、出来るだけ他の人とふれあいを持つことは大切 で、゛りんりん゛が出来てからは、いきいきとした表情のお年寄りが町の中に増 えてきたようだ。町の福祉委員と地区の民生委員が一組になり、戸別訪問でお年 寄りと話し合い、積極的にデイサービスへの参加を勧めたのが成功したようだ。
 週三回のサービスを楽しみにしているお年寄りは多く、施設のバス(電気自動 車)が各家庭を回って送迎してくれる。場所は町立保育園の隣、みずいろ公園の すぐ近くだし、元気な人なら歩いていける距離にある。遊歩道があるから、一寸 した運動にもなるだろう。木造平屋建て、南に面して庭が広く取られ、お年寄り が丹精した花や植木が心を和ませてくれる。
 町民が主体となって作り上げた「福祉マップ」を基にして、人に優しい町作り が行われ、足の弱いお年寄りや障害を持つ人にも外出しやすくなった。私も地区 のグループのメンバーとして、色々な調査に携わり、バリアフリー実現に向けて 一生懸命取り組んだ頃が懐かしい。
 ここでは、趣味の講座が20と、健康相談室、食堂、テイールーム、そして温 泉にプール、仮眠室も完備している。すぐ近くには大きなスーパーマーケットが あり、デイサービスに来たついでに、スーパーに行けるのを楽しみにしている人 も結構いるらしい。また銀行も数軒先にあって、施設の受付には専門のヘルパー が待機していて、スーパーや銀行の用事に同行してくれる。スケジュールはラン チタイム以外は自由、それぞれ好きなことをして良いことになっている。
 私はここでボランティアで週二回英会話を教えている。幼なじみのK君はドイ ツ語、M君は中国語の講座を持っている。教材はインターネット経由で送られて くる。レーザー・プリンターの性能が良くなり、カラーのテキストがきれいに印 刷できる。教室のワイド画面のTV電話を通して、ネイティブ・スピーカーのき れいな発音を学ぶことが出来るのも最近の傾向で、私のすることはあまりない。
 野内アサ子(Nouchi Asako)

2002年の日記
 31歳になった私は、結婚して1歳の息子と3人暮らし。
 20代はいろいろと迷いが多く、でも30代になればきっと落ち着くと思っていた が、迷いの種類が変化しただけで、量はちっとも変わらない。
 5年前、緑区オンライン学級で「家族」がテ−マになった時は、自分が家族 を築いていなかったので、何を述べても無責任な発言になりそうで、結局眺める だけだったが、これからはそんな訳にはいかない。
 子供ができるまでピアノを教えていたが、同業の友人によると、最近の様子 は前世紀と別に変わりはないとか。96年に発売された、ピアノとアンサンブルす るためのフロッピ−を再生する「伴奏くん」という機械はやはり浸透しない。こ の世界は頭の固い人が多いのと、生のピアノの音にはかなわないのとが理由。
 今は仕事はしていないが、いつか自分のメソ−ドを本にするための勉強は続け ている。CDもよく聴く。息子がおなかにいる時には武満 徹やロシアの変わり者 ・スクリャ−ビンの曲で胎教をしてしまったのでどんな子になるやら。早く大き くなって、「クレヨンしんちゃん」みたいに毎日バトルを繰りひろげたいと思う 今日この頃。
                                 M  佳奈子

有田です。
西暦2002年2月22日(金) くもり
 5年前、私はあと16年でこの世を去る、と考えていた。しかしまだまだ若く 体力、気力共青年のようだ。この分だと、もうあと16年位生きられそうだ。
 この5年間で詩吟は少壮の部の人たちに負けない程上達し、コンクールでたび たび優勝した。合気道の方はまだ五段のままだ。
 さて、5年前に比べると世の中も変ったものだ。自衛隊は国連警察軍の主要な 部隊として世界各地で活躍している。規律厳正で、能力が高く平和維持軍として 高い評価を得ている。しかし、残念ながら犠牲者もでた。自衛隊の活動ぶりは、 衛星インターネットによる政府広報のホームページで誰でもライブで見ることが できるようになった。国民も安心だ。
 インターネットやマルチメディアの著しい発展で、離島、僻地に住んでいても 大学、大学院の勉強ができるようになった。最近、沖縄の石垣島で漁業を営むA 氏(59才)が、漁業資源と食料問題をテーマに研究し、愛知県の○○大学から 修士号を授与され話題になった。A氏は同じ研究科の指導教授や仲間とは、この 2年間、お互いに行き来して3、4回会ったきりで、後は公民館の衛星通信装置 と自宅のインターネット端末を通じて授業に参加したとのことである。 また、離島、僻地の分校から子どもたちがホームページを自由につくり、世界 中に向けて情報発信ができるようになった。最近、北海道○○村○○○小学校の 子どもたちが、都立○○小学校の子どもたちとインターネットを通じて共同作業 でバーチャル○○国を作り、英語で世界中の子どもたちにその国への参加を呼び かけ大変話題になっている。
 インターネットテレビ電話が普及しはじめ、横浜の老人ホームのおばあちゃん が福岡の老人ホームのおじいちゃんと語り合ったり、ボランティアの若い人たち とインターネットテレビ画面を通じてコーラスに参加したりしている。
 この5年間、自分自身を採点すれば合格だ。この分だと棺桶に片足突っ込む時 、満足の微笑みを浮かべながら妻や子や孫達に「有り難う」、と言うことができ ると思う。タローの動きが急に鈍くなった。タローは人間の歳で92才になる。
 以上、有田でした。

王子です。
2002年2月22日(金曜日)大安
(メモ)
・平成14年 
・旧暦 1月11日
・九星 四緑木星
・干支 辛酉(かのととり)
 1995年頃から普及しはじめたPHS、携帯電話の加入者数も3000万台 を超え、パソコン普及率も50%に迫ろうという勢いである。 ISDNの加入者数も2000万台を超え、電話の利用時間とデータ通信の 利用時間比率も完全にデータ通信の利用時間の方が多くなってきた。
 小学校でも一人一台のパソコン、学校内イントラネットの普及と外部とのイ ンターネット接続も出来るようになって、学習形態が変わってきた。また各家庭 にもインターネットが普及したことによって、学校の完全週休3日制を実施する 学校も出てきた。 また、学区内の学校ばかりではなく、学区外の学校でも学べ る  事ができるようになったことで、人気のある学校、人気のない学校の選別 も行われるようになってきた。
 今までのように、集合制教育ばかりではなく、オンラインによる教育も併用 されるようになったため、学校の教室(物理的)の制約が無くなったことで、あ る学校では今までの人数よりは多くの生徒を集めることが出来る事が可能となっ た。
 大学でも定員制は無くなって、入学したい人は誰でも入学できるまた大学相 互間でも単位の相互認定を行い、色々な大学の講義講座の単位を取ることで終了 することの出来る制度が出来た。
 また、一度社会に出て働いていた人についても再入学することが出来ると共 にオンライン、衛星放送大学、学校の講座等を併用することで、学習の仕方の選 択幅を持った、教育形態がとれるようになったため、人口の2割の人が何らかの 形で大学教育に参加している状況となって今まで以上にレベルの高いアカデミッ クな大学、一般教養的な大学、趣味を生かすことの出来る大学等多様性に富んだ 大学課程も設置されるようになってきた。
 また、これらの大学の教授、助教授、講師については実社会経験の豊富な社 会人の方、専門の研究の第一線で活躍されている方等の方々も選ばれるようにな ってきたため、机上の学問よりは実践的な学問も学習できる様になった。
 会社においても会社に勤務するという形態とは別に、在宅勤務という形態の 業務が市民権を得て、段々増えつつある状況である。 内容的にも以前会社で行 っていたような企画、提案、営業、経理、法務、勤労、開発等については自宅か ら会社、その他の契約してあるデータベースにアクセスする事で業務がこなせる 状況になってきている。学校と同じで完全週休3日制を実施するところも出てき た。
 本も電子本(CD−ROM)の形態で提供されるものも出てきてCD−ROM をパソコンに入れてマウスでページをクリックしながら読むことが出来る。また 百科事典などはテキスト形式だけではなく、音声、画像、音楽なども楽しめるよ うになってきており、コンピュータの特徴である検索が容易になったいるので簡 単に知識を得ることが出来る。
                      以上
王子全主(ouji masayuki)

 「 2002年の日記」    矢田敏雄
 2002年 2月22日
 昨年の正月は、21世紀の始まりというわけで、南太平洋の島、フィジーへ 、世界中から、人々が集まって来て、21世紀をいち早く迎えたいと言う人々で 、にぎわったが、今年の正月は、非常に、静かに始まったことをふと思い出した 。
 今年は、サッカー・ワールドカップ杯が新横浜の国際競技場で行われるので 、世界中から人々が集まって来て, 大変なにぎわいになりそうである。
 チケットを早く手に入れておこう。長男の裕樹は、6歳になり、昨年から入 った地元の少年サーカークラブで、サッカーを楽しんでいるので、W杯には、ぜ ひとも友達と行きたいと言っている。
 一方、長女の英美子は、6年前には、三沢の競技場によくJリーグを見に出 かけていたが、今は、ニュージーランドの大学でインテリア・デザインを専攻し ており、日本には今年は帰って来ないが、毎週、インターネット電話で、お互い に会 話を楽しんでいるので、安心している。国外に電話をかけても、料金が、 市内通話料金だけですむので、助かる。19歳の今は、ヨットやスキー等のアウ トスポーツで多忙なようなので、大いに自然を満喫してほしい。
 ニュージーランドの大学では、ボランティア活動を経験することが卒業に必 須なので、夏休みに入った今、大学図書館で働いている。ここでは、端末が10 0台設置されて、市民に無料で開放されており、誰でも、自由にインターネット を利用して必要な情報を検索出来るそうである。

 インフラ整備に遅れていた日本でも、最近では、自宅近くの小学校に導入さ れたパソコンを小学生が自由に使えるようになり、他校との交流に役立っている ようだ。
 また、学校と家庭を電話回線を結んだ電子会議室で、父母と先生とのフリー ・トーク室を設置しているので、学校と父母との距離を近づけるのに役立ってい ると思う。最近は、インターネットによる通信販売が盛んになり、たとえば、書 籍を買うにしても、わざわざ本屋に出かける機会が非常に少なくなってしまった 。
 ただ、人との対話や交流の場が逆に少なくなっているので、他人との「ふれ あい」が、ますます大切になってきているように思う。
 昨年は、マレーシアからの留学生のA君が自宅にホームステイしており、彼 との対話を通して、お互いの国や、文化、そして、考え方を理解するのに役立っ ていると思う。大いに日本での生活を楽しんでもらいたいと願っている。 また 、6年前に参加した緑区オンライン生涯学級では、今までの会社という閉じた世 界から、まったく新しい人々の出会いを体験し、人と人とのコミュニケーション の楽しさを知り、オンライン生涯学級の常連になってしまった。世代を超えて、 そして、地域を超えてのさまざまな人たちとの意見交換や感想を出し合うのは、 いつまでも若さを保つ秘訣のような気がする。
 この週末には、今年から入会した自宅近くにあるテニスクラブで妻の彩子と いっしょにテニスを楽しむことにしよう。

                    矢田敏雄でした。

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