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イタリアンMARZO
日本料理 虹(こう)


「ミシュランガイド横浜、川崎、湘南2015」

 
タイヤメーカーが星をつけてレストランなどを紹介しているガイド本ですが、星はつかないがいいお店ということで、

鎌倉稲村ケ崎の日本料理「虹」と小田原MARZOが掲載されました。

小田原MARZOのオーナーシェフは星を目指すそうです。今回の掲載では納得できないようです。

アウルファームも微力ながら応援したいと思います。

日本料理「虹」のシェフはFACEBOOKに、星はつかなくても少し嬉しいと書き込んでいました



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以下の記事は、特定非営利活動法人 八ヶ岳有機農業者協会会報 2003年 秋号に掲載された農場レポートです。


農場レポート

新規就農して3年、しかも新規参入とのことで農家出身でもない。にもかかわらずわずか3年で農業で喰う目処をたてた男がいる。どんなヤツだ!? 79日、興味津々・やっかみ半分 さっそく出かけてみた。

 

北巨摩では超有名な国道20号沿いの道の駅「はくしゅう」の交差点を曲がり、白州中学校がある部落から少し北に入ったところにお宅があった。別荘風の新築一戸建てで、とても農家には見えない。小雨の中、迎えてくれたのがアウルファームを営む喜多経男(きたみちお 53歳)さんだ。穏やかな普通のおじさんで意外だった。

さて、早速畑に案内していただくことにした。「近くなので歩いていけますが、雨なので車で行きましょう」とワンボックスカーをだしてくれた。1分も経たないうちに畑に到着。育苗ハウスがある作業拠点だ。露地野菜栽培の専業で、耕作面積は約3町歩とのこと。3町歩といえばあたり前だけど1反の30倍(=300坪×30倍)で、家族の労働力を結集して担うにしてもかなりシンドイ規模だ。

3町歩! いったい何人で担っているのですか」との質問に「ええ、私ひとりですよ」との落ち着いたお答え。

どうやってひとりで3町歩もの耕作面積を担えるのだ?

まず言えるのは1枚当たりの畑の面積が大きいことだろう。3町歩に及ぶ耕作面積も畑の数としてはわずか3枚だ。畑一枚あたりの単純平均面積は1町歩だ。この規模なら喜多さんのあの馬鹿でかいトラクター(60馬力)が充分活かせる。しかも3枚の畑と言っても、あっちこっちに点在しているのではなく、せいぜい農道を隔てているか、1〜2枚他人の農地が挟まれている程度に過ぎない。そういう意味では畑1枚で3町歩と言ってもいいくらいだ。

さらに畑の隅に水道の蛇口が立ち上がっているのが見えるではないか。水源は井戸水とのことであるが、畑の隅に蛇口さえひねればいつでも使える水が準備されているのだ。

驚くことはまだ続く。有機農業を営む喜多さんにとって有機質肥料を欠くことは出来ないのであるが、その堆厩肥が畑の脇にあるのだ。甲州牛の肥育をしている牧場が彼が作業拠点としている畑に隣接しているのだ。事もなげに彼は言う。「堆厩肥はいつもそこで分けてもらっています」 なるほどこれならあの馬鹿でかいマニュアスプレッダーを使えば、肥料撒きにも大した労力はかからないだろう。

必要なものが畑にあり、大型機械が生かせる畑、作業効率の良さがアウルファームの大きな特徴だ。

そして販売先となると先に通ってきた道の駅「はくしゅう」だ。車でわずか5分足らずの距離だ。観光スポットとしてスタートし、今では地元の人の買い物の場ともなっている。この道の駅での野菜販売額のトップは、個人部門では喜多さんであるという。

羨ましい! 率直な感想だ。

そこで改めて訊いてみた。「この農地が借りられるから、そして道の駅が近いから、ここで農業をはじめようとしたのですか?」 意外にも答えはノーだった。住居が一番最初だったと言う。ここに家を建て、ここに住み、ここで農業をやろうというスタートだった。それなら尚のことラッキーだ。ついている。強運の持ち主だ。

ところで、そもそも今まで農業の経験もないものが農業で生計を立てていけるようになるには、何かしらの幸運は絶対に必要な条件だ。でも喜多さんはその幸運を棚ぼた式で手にしたのではない。喜多さんの来たるべき幸運はすでに喜多さんの計画の中に組み込まれていたと思えるのだ。というのは先の恵まれた畑は、白州町が音頭をとって、県の農業公社が個々の畑の所有者との賃借の仲立ちをすることで集約した農地なのだ。そして実際に17町歩もの畑が一箇所に集約されたという農地保有事業だ。喜多さんはこの事業にのることで3町歩もの農地を一箇所で借りることができたのであるが、このチャンスを逃さなかったのは、耕作面積はスタート時から2町歩以上と決めていたからに他ならない。新規就農者でスタート時の耕作面積を2町歩以上とする計画を立てることは異例であろう。農業改良普及センターの職員なら必ず計画修正を迫るであろうことは想像に難くない。もし、新規就農者らしく習熟の向上に合わせて耕地面積を広げたり、農業機械を大型化していくという計画であったなら、少なくとも一箇所の農地に集約することはできず、作業効率は今よりダウンしたに違いない。

そういえば、喜多さんの農家らしく見えない家には、軽トラが横付けできる作業場が部屋として用意されていたし、またその作業部屋は野菜の保管庫として兼用できるよう空調設備も整ってた。すべて計画として織り込み済みなのだ。

つまり、作業効率の良い畑と販売先が近くにあったことが喜多さんを幸運に導いたのではないのだ。喜多さんが、あらかじめ思い描いていた理念や目標に基づいてひとつ一つ瞬時に選択をし、チャンスを逃さなかったから幸運に導かれたのだ。そうして手にしたこれらの好条件が、結果として新規参入でありながら就農3年という短期間で自立の目処を立てたのだ。どんなに農業を続けていきたいという強固な意思があろうとも、漫然としている限り農業で喰うことは難しい。

<あっと最後に一言。独りでやっている理由は就農離婚では決してありません。奥さんは東京で仕事をしています。週末には白州にきて農場を手伝っています。念のため>