以下の文章は、全国協同出版の依頼をうけ、同出版社の媒体『経営実務9月号』に
執筆した記事の、ノーカット版です。雑誌記事はページの制約があるため、筆者の考
えを概説することもなかなか難しいというやむ得ない事情がありますので、自らのホー
ムページに参照資料としてアップし、掲載記事を補完することにしました。●●●●●
【雑誌掲載記事補完資料】
【は じ め に】
研修といえば、誰もが自分の新人研修を思い起こすことが多いのではないでしょうか。私が就職に奔走した頃は、東京オリンピックを経て自信をつけ始めた日本が列島改造論を基軸としたバブル経済への道筋へ突入する前夜のような時期でしたから、新人研修も若者達に気合を入れる単純明快なものが多かったようです。そうした典型が、自衛隊への入隊体験や富士登山をプログラムに組み入れた合宿研修であり、根性やシゴキという刺激的言葉に象徴される意識改革への取り組みであったように記憶しています。
日本の国全体を概観すれば、今日でも、そうした研修へのこだわりは少なくありませんが、それだけでは地球規模での戦略的活動が求められる現代のビジネス業務へ対応できる人材育成は望めないということも、多くの人々の共通認識になってきているようです。それはちょうど、根性とシゴキを主体としたトレーニングだけでは、国際競技で勝利できなくなってしまった日本のスポーツ界が選手やコーチの育成に論理的かつ科学的手法を積極的に取り入れ始めている現状に酷似しています。
もちろん、一人ひとりの社会人の根性(その人の根本的な心の在り様)を問い質すことは、時代によって色あせるこがない研修の本質であることに変わりはありませんが、価値観の多様性や人心の変化等も含め『今という時代』が内在する各種の課題をファクターとして、企業や組織で働く人々の研修の基礎基本の図式を構造化してみることも一つの手法ではないかと考えます。
というわけで、本稿では、各業種に特化された研修へと作業を進化させる前提になる基礎基本、いいかえれば、どのような企業および組織においても共通に使用できる研修の土台を、筆者自身が社会人研修に取り組んできた経験から、提案してみることにします。
【1】たかがコミュニケーション、されどコミュニケーション
さて、筆者の場合、研修の潜在的テーマは常にコミュニケーションです。その理由は『人』がいかなる存在かを如実に示す『人間』という言葉に注目するからです。人は自らを人の間の存在として捉えています。つまり、支え合う人々の間に存在して始めて人間なのです。これは人間が本質において社会的存在であることを明示しています。また、人間の『間』という文字は『ま』とも読みます。つまり人は『間合い』の存在でもあるということです。例えば、武道の試合をしている二人の人間がいるとします。この二人の間には身体から発する言葉の形をとらない緊張したコミュニケーションが行き来し、その間合いをはかって、次の行動に出ようとしています。まさに、人間存在としての生活行動の重要な一典型がそこには凝縮されているといってもよいでしょう。
このように、『人間』という漢字の表記から、我々は人が社会性を根本とする生き物であり、人と人との関係には適切な間合いが必要なことを読み取ることができます。そして、このことはとりもなおさず、人間にとって言葉(心が語りかける言葉も含む)を交し合う生活行動(つまり、コミュニケーション活動)が大変に重要であることを示唆しているのです。しかし、コンピュータを活用するデジタル情報重視の時代に入ってから今日まで、コミュニケーションという言葉が機械的に乱発・乱用された結果、言葉あるいは言葉の形をとらない意志や意識の伝達を交し合う生活行動そのものを深く問いなおすことがない生活が常態化し、そのことがより若い世代の生活能力を脆弱にしているのは間違いありません。本稿では、そのような認識に立脚して、真の意味でのコミュニケーション能力の向上がどのようにしたら実現できるかを論ずることにします。
【2】コミュニケーション能力の育成に役立つ三本の柱
本論への導入部分がいささか長くなりましたが、読む側の気持ちになって、これからは手短に要点を解説していくことにします。
社会人研修を通じて、脆弱化したコミュニケーション能力を改善もしくは改革するために、筆者が採用している手法には、
○情報活用能力の育成
○レポート作成能力の育成
○表現能力の育成
という、三本の柱があります。これらの研修目標はいずれも現代の若者達が社会人へと脱皮するために必要不可欠であるばかりでなく、すでに、企業や組織の中核を担うと自負し、若者を職場で直接指導する立場にある先輩諸氏の現職教育にも実践的に役立ちます。
◆現職研修の要点
ここで、職場で行われる現職研修について、留意すべき点を指摘しておきたいと考えます。筆者の研修現場での体験から、研修を受ける人々の意識には二つの大別があると推測しています。それはビジネスマンの研修と学校教師の研修に顕著なものです。ちなみに、ビジネスマンの社員研修は英語ではInservice
Training、教員の研修はInservice Educationと表記されるのが一般的ですが、この場合、一般の日本人ビジネスマン、そして日本人教員は、
Training → 訓練あるいは鍛錬
Education → 知識の吸収
という感覚での理解が多いようです。つまり、ビジネスマンは研修といえば、訓練(技能の向上)を強くイメージし、教員は知識の吸収を強くイメージするということです。しかし、このような研修に関する考えでは必要条件を満たしても、十分条件を満たしているとは言えません。教員であれビジネスマンであれ、研修の必要十分条件を満たすには、TrainingとEducationが表裏一体になっていなければならないのです。つまり、これからの世の中では、Inservice
Education and Trainingこそが現職教育の共通コンセプトになるべきでしょう。それは、来るべきコミュニケーション社会が従来にもまして、『知ること』と『実践すること』がリンクする行為あるいは行動を求めるようになると考えられるからです。
(1)情報活用能力の育成
社会人としてのコミュニケーション能力をアップするには、まず、情報活用能力に磨きをかけなければなりません。ところで、最近では情報活用能力というと、すぐに、パソコンの操作を連想する人が多いようですが、パソコンを操作することは情報活用のほんの一部に過ぎません。パソコンやワープロソフトの取り扱い説明書を隅から隅まで読んで、パソコンやワープロが使えるようになったとしても、それは包丁を研いだらよく切れるようになったという事実とたいして変わりません。包丁は道具ですから、それを用いて料理を作り上げたときに初めて、その人物は包丁を活用する能力があると認められるのです。パソコンも道具ですから、同様に、パソコンを使って手紙を書いたり、インターネットをしたり、出納帳をつけたりできてこそ、パソコンの活用能力が認められることになります。しかし、それだけのことで、情報活用能力があることにはならないという点に注目して欲しいのです。つまり、筆者は『情報活用能力とは、パソコンを活用する能力と単純にイコールではない』ということを述べたいわけです。
◆人間の情報活用能力が生かされているさまざまな場面
ではそのことを、いくつかの事例を挙げて証明してみましょう。
【例1:情報活用能力が試される典型的な壁新聞づくり】
ある町内会で壁新聞の企画会議を開いたとします。次号のテーマ(課題)を『リサイクル』に決め取材活動を開始します。Aさんは燃えるゴミや燃えないゴミの分別が町内でどのように行われているかを取材しました。また、Bさんは自分の家のゴミ分別について調べました。C子さんは町会長さんと一緒に市役所へ出掛けて、資源再利用に市全体がどのような取り組みをしているかを見学してきました。さらにDさんは、たまたまテレビ番組で扱っていたドイツの徹底したゴミの分別収集と資源再利用の取り組みをビデオに収録しました。その結果を持ち寄り、編集会議を行い町民に訴えたいテーマに沿った色々な記事を書き、紙面のレイアウトに工夫を凝らします。もちろん出来上がった壁新聞は町内会館の掲示板に貼り出して、住民の皆さんのさまざまな批評を受けることになります。町民の様々な意見は、次からの新聞づくりに生かされていきます。
以上のような壁新聞づくりのプロセスは、図1に示すようにトライアングルの構図に集約できます。また、この構図は情報を軸にした作業プロセスの循環、すなわち@→A→B→@の流れと見ることもできます。
そして、この流れを壁新聞発行作業という特定の事例にこだわらない、普遍的な情報活用のプロセスとして捉え直してみると、まず、@の企画・取材作業とは、常日頃からの問題意識を発端として、課題を見つけだし、その課題に四方八方から光を当てるために、調査等も含めた情報収集を行い、その過程で自らの理解を深める作業です(つまり、@企画・情報収集の作業)。次に、Aの執筆・編集作業とは、調査・収集したデータや情報を分析あるいは解釈し、そこから抽出したエッセンスをよく咀嚼しつつ、課題に沿った自己の思考展開に役立て、社会へ情報発信する新たなコンテンツやコンセプトを用意する作業です(つまり、A収集データの分析・解釈を経て新しいアイデアを樹立する作業)、さらにBの発行・掲示作業は、新たなコンセプトを一定の形に具現して社会へ手渡し、世間の評価を問う作業です(つまり、B新しいアイデアを具体化・実現し、普及させる作業)。事実上ここで、コンセプトの製品化/商品化あるいはプレゼンテーションが行われます。そして、社会へ公表された製品やプレゼンテーションに対する評価は、@のプロセスへとフィードバックされます。
以上のような三角形の構図で表される情報活用の主たるプロセスおよび@→A→B→@と循環するプロセスの流れは、実は単なる壁新聞の事例にとどまらず、企業や組織が、新しいアイデアを生み出したり、有形無形の新製品を開発したりする際に共通するものです。読者の皆さんもさまざまな開発作業をイメージして、こうした作業の流れを頭で追いかけてみてください。情報活用能力の基礎基本は始めにコンピュータありきではないことがわかるはずです。研修では、こうした視点での理解を十分に促します。
【例2:新製品開発】
@企画・情報収集
*女性用の新しい洗顔石鹸を開発することになり、まず最近使用されている化粧品の素材やその成分の分析結果や女性に好まれる香り成分のデータ、および皮膚に関する自社開発部門の研究成果、あるいは競合他社の洗顔石鹸開発情報等々が収集される。
A収集データの分析・解釈を経て新しいアイデアを樹立
*収集した成分データや競合他社の開発情報、および自社研究成果を評価したり、比較検討したりして、新しい商品開発のコンセプトを集約し、新製品のイメージを具体的な製品設計に展開する。
B新しいアイデアを具体的に実行
*最終決定した製品設計のディテールに基づいて新しい女性用洗顔石鹸を開発し、完成した新製品に関する売れ行きや市場の反応をモニタする。
B→@実行した結果(あるいは評価)を次の企画・情報収集に活かす
*市場調査も含め、新製品に関するさまざまなモニタ情報を評価し、次の製品開発に関するフィードバック・データとして役立てる。
いかがでしょうか。情報活用の本質がコンピュータの有無と直接関係しないということは、以上の事例でも明かになったことと確信します。
【例3:戦国時代】
理解を徹底するため、さらに戦国時代を例にあげてみましょう。
例えば、戦国時代の領主は、事を起こす前に、
@企画・情報収集
*自国の経済や軍備の実態をデータとして正確に把握すると一方、自国を取り囲く隣国の状況や友好国や敵国の現状について、スパイ(忍者)等を暗躍させることで、さまざまな関連情報収集に努める。そして、
B新しいアイデアを具体的に実行
*スパイ等を駆使して収集した情報を軍略会議で分析すると同時に、議論の中で、さまざまなシュミレーションを行い、国益にかなう新しい戦略を打ち出す。(A収集データの分析・解釈を経て新しいアイデアを樹立)。こうして、
*打ち出された戦略をベースにある国とは同盟関係を結び、ある国とは戦争に突入するという具体的な作戦行動を実行する。その後、
B→@実行した結果−あるいは評価−を次の企画・情報収集に活かす
*戦闘が終結あるいは中断した段階で、反省の軍略会議を開き、実行した作戦行動の経過や結果を細かく分析することにより、次の作戦に備える。
◆創造のトライアングルを研修の中で徹底学習
戦国時代にはコンピュータはありませんから、情報活用の本質がコンピュータ利用とイコールでないことは疑う余地がありません。つまり、@→A→B→@と展開するこうした情報活用のプロセスは、コンピュータが出現する以前から人々の営みの中にあったということです。考え方によっては、波乱に飛んだ歴史を生きた時代の人々は、現代の我々よりも遥かに情報活用能力があったとさえいえるのです。そうした世の中では、情報活用能力を発揮するものだけが、生存や安心や覇権を確保できたのだともいえるでしょう。
本稿では、こうした情報活用のプロセスを仮に『創造のトライアングル・プロセス』と名付けておきます。そして、現職研修においては、この創造のトライアングルプロセスをさまざまな確度からきめ細かく理解していく必要があります。
------具体的なプログラム------
ただし、現在は科学技術の発達した20世紀末であり、今日の社会では、情報活用能力を身につけた人々による情報活用のさまざまなプロセスにおいて、コンピュータがサポートツールとして大きな威力を発揮する事実を、我々はしっかり認識しなければなりません。その上で、筆者の研修では、こうした思考回路を学習・訓練するために、
@情報活用の本質
A知識の体系化による知恵の活性化
Bマルチメディアの意味と活用
C情報活用能力を補強する英語との付き合い方
Dホワイトカラーの生産性向上
Eビジネスにおける地域活性化の視点
といった流れで、情報活用能力の体系的学習項目を設け、徹底的に学習することにしています。
(2)レポート作成能力の育成
情報活用能力の徹底学習を受けて、次には取り組む課題は、レポート作成能力の育成です。
情報社会では、従来にもまして、自ら情報を発信できることが大切ですが、情報発信能力は一夜にして習得できるものではありません。そこで、情報発信能力の育成に大きな役割を果たすレポートの作成について基本的な理解を促し、レポート作成のキーポイントについて実践・体得する必要があるわけです。
【レポート作成の学習はなぜ必要か】
レポートを書くのは、小学生が作文を書くのとは異なります。しかし、最近の大学生や大学を卒業したての新入社員を対象としたセミナーを開き、終了後にレポートを提出するよう促すと、講義の一部に感想文をつけたしたような『レポートなるもの』を提出してきます。つまり、青年諸君は小学生時代の作文からあまり進歩していないわけです。それは、レポート作成の基礎・基本についての学習が学びの場で十分に学習・実践されていないか、全く学習されていないためとしか思えません。
例えば、あるセミナーの講師を務めたとしましょう。その講師が講義終了後に、受講生に「本日の講座について、レポートを書いてください」と言ったら、求めているのはレポートであって、単なる感想文ではありません。そして、受講した講座について、レポートとを書くということはコンテンツとしての文章に、実践に結びつく必要最小限の体系化が必要であるということです。そうしたコンテンツの体系化に不可欠な柱は以下のような自らへの問いかけです。
@私(受講生自身)は何を聴いたのか
A私が受講した講座では何が要点だったのか
B私は何を考えたのか
C私は何を実践すべきなのか
D私は何が実行できるのか
これら5項目を別の言葉に収斂すると、以下のようになります。
@情報の収集・把握
A情報の分析
B課題の絞込み
C計画の立案
D計画の実践
本稿を読み進めて下さっている読者諸氏はすでに気付かれるはずですが、これは『情報活用能力の育成』で解説した『創造のトライアングルプロセス』に登場した思考や作業の流れそのものです。
このように、レポートを書くという作業は、課題の設定から実践へと作業を進めるための情報の橋渡しであり、合理的に課題を追及するための科学的な修練と位置付けることができます。さらに具体的にいえば、集団で作業しているような場合、我々はレポートを書くことによって、必要な情報をタイムリーに仲間へ発信すると同時に、その時点における自己の点検および確認をも行うわけです。ですから、あるプロジェクトが完了した時、そのプロジェクトの中で提出されたレポートの束を読めば、そのプロジェクトがどのような経緯をたどり、どのような思考錯誤と取り組みながら結果を出すに至ったのかをことこまかに知ることができ、次に行うプロジェクトの基盤づくりにも役立ちます。
-レポート作成能力の育成に役立つホームページ作り-
なお、レポート作成の意味を無理なく理解し、レポート作成能力を効率的に育成する上で、ホームページ作りの体験が大いに役立ちます。
筆者の研修では、各自が書いた400字から800字程度の『作文』を構想の素材として、キーワードを拾い出し、キーワードに構造を与えていくというシンプルなやり方で、小規模ながら、体系化されたホームページを実現できるように指導します。
単純な演習ですが、しっかりとした準備をして演習場を用意すれば、この作業を通じて、受講者はレポート作成の本質をより深く理解することができます。
(3)表現能力の育成
筆者が行ってきた現職研修の中で、あらゆる研修のバックボーンとなると考えてきたのが表現能力の育成であり、その具体的な取り組みが演劇的手法を導入した『表現ワークショップ』です。ではなぜこのような研修をするに至ったかを手短に説明しましょう。
それは、1995年頃からのことでした。当時、筆者は情報教育関連の取材で小・中・高を訪問したり、教師の方々に一般社会が求めている情報リテラシーの基本を話したり、中小企業の人材教育に携わる機会が多くなってきていましたが、取材現場や招請された教育講座の現場で遭遇する若者達やその若者を指導する役割の教師および大人達の少なからぬ部分が、対面してもエネルギーをあまり感じることができない表情の乏しい人々だったのです。教育の現場がこのような状況であるかぎり、インフォメーション・テクノロジー(IT技術)の自在な活用ばかりを日本政府が声高に叫んでも、それを可能にする人材は育つわけがありません。ましてや、企業や組織が熱望する人材像は、IT技術の自在な活用ができ、なおかつ『創造性溢れる若者達』ですから、エネルギー不足の無表情な教育現場にその実現を期待しても、文字通り、ないものねだりになるだけです。
そうであるならば、無表情を生み出している環境、すなわち休耕田のようなささくれた小石混じりの野っ原になってしまった教育の現場を、里山文化に囲まれた実り豊かな水田のごとき生産の場に再生する作業を、なんらかの形で直ちに開始しなければなりません。そこで、『心』と『身体』の解放をテーマにワークショップを地道に行っていた専門家・福島康氏との交流の中で、具体的なプログラムの開発へと結びつけていきました。当初は、演劇業界も、『なぜ我々が民間の社会人教育のためにそんなことをしなければならないのか』といった抵抗も根強かったのですが、演劇的手法が人材開発に役立つという実践的成果をあげるにつれて、むしろ積極的な協力を得られるようになり、今日に至っています。
一方、福島康氏は演劇を指導する現場で最近の若者達の心や身体の硬さ、そして表情の乏しさ、言葉の表現の貧しさに心を痛めていましたから、最初の段階から、社会人研修に表現指導を組み込みたいという私の提案に積極的に応じてくれました。
さて、一口に無口とか無表情、あるいは能面のようなどといいますが、無表情の多くはその人の生活の積み重ねの中から生じてきているという事実を直視しなければなりません。最近、筆者と福島氏が共著で出版した書籍『子どもと親と先生のための表現能力育成法』では、まずそのことを課題として指摘しました。つまり、子ども達は家庭を軸にした『衣・食・住』とのかかわりから表現能力を身に着けてゆきます。さらに、地域社会の文化との接触の中で表現能力を発展させていきます。子ども時分の様々な『遊び』には表現能力開発のコンテンツがぎっしりつまっています。そして、一人前の社会人の役割とは、そうた背景を持って育った人々が、地域社会や職場社会で豊かな表現者として機能することなのです。このことを頭において、現状を振り返ると、あまたの無表情・無気力を生み出している背景には、我々がここ数十年来、生活の中で人間形成に必要な多くの生活動作をないがしろにしてきた事実が浮かび上がるのです。
そのいちいちについての記述は書籍にゆずるとして、筆者と福島康氏が協同で提供する情報教育と表現指導のプログラムは、現在すでに、無気力・無表情に陥りがちな生活スタイルに体系的かつ構造的な改善策(リハビリテーション)を実施する取り組みなのです。その具体的な解説は図解なども交えると、いくら紙面があってもたりないほどですので、本稿では、我々がまとめた【表現指導マニュアル】としての7日間のワークショップの中から、第一日目のメニューを紹介しましょう。
【表現指導マニュアル】
●一日目のワークショップ:心と身体の解放ともう一人の自分発見
[1]オリエンテーション
誰にでもできる基礎均な訓練としては、まず肉体訓練・身振り表情のための表情筋の訓練、心理的面から感情の解放、注意の集中、想像力の鼓舞、声と言葉のための呼吸・発声・発音の練習、創造力を高めるために情念動作の訓練などの基礎的なものを記していきますが、具体的には、例えば、以下のようなプログラムを用意します。
●心と身体の開放
@遊びを通して
A自分の身体の長所・短所の発見
・姿勢(立った姿勢・正座・あぐら)
・歩き方
・表情筋
・各種の体操を通して行う心身の開放
B動植物の表現
●呼吸法(肩式・胸式・腹式)
●発声
@自分の声の癖(発音と発声)
A五十音の発音(呼吸と一体化)
B発声の実際(通る声・きれいな声)
●いろいろなエチュード(訓練や研究を目的として作られる演劇作品等)
こうしたプログラムはもちろん、一人でもでき、グループでもできるものばかりです。
プログラムはこのような基本的指導から始め、7日間かけて、より高度な表現能力を引き出す取り組みへと展開していきますが、なによりもまず、具体的な取り組みに入る前に理解をうながしたいのが、解放とリラックッスについてです。最近、リラックスという場合、不必要な緊張をほぐすことで、人間の能動的な力を引き出すとの意味内容を備えるようになってきました。つまり揉みほぐしが、解きほぐしのきっかけとなり、心身を活性化できるという考えのもとで、リラックスなる言葉を使うようになってきています。
言うまでもなく、文化はほぐれたもので満たされるのであり、満たされた文化の中では、さらにものごとの解きほぐしが促進されます。また、『主体性』という言葉をよく耳にしますが、『主体性、主体性』と念仏のように唱えても、個の確立は生まれてはきません。本当に主体的に行動するには、心の働きによって成り立っ身体をほぐしていかなければなりません。自分自身を『解きほぐし』自分の身体の隅々までわかることで真の主体性が成り立つのです。ですから、ときほぐしができて始めて満足のいく表現ができると、筆者等は考えています。
なお、表現指導のセミナーは通常一講座2時間から3時間で、すでに概説した情報教育講座に引き続いて行われます。
以上、筆者が実践してきた社会人研修の三つの柱『情報活用能力の育成』『レポート作成能力の育成』『表現能力の育成』を中心に、大雑把な説明をさせていただきました。最後に、研修は企画する側の企業や各種組織の自己満足のためにのみおこなわれるのではなく、受講者の自己確認そして充実感に結びつく取り組みでなければならないということを指摘しておきたいと考えます。