◆大阪 地名の由来



大阪 大江(現在の大江橋界隈かな)から上町台地にかけての坂を「大江の坂」と称し、それが起源といわれる。
ただ、オイラの想像だが、その上町台地の高津神社に逢坂の階段がある。左右2本の石段があり、男女が双方から登り頂点の踊り場で出会えたらラブラブになれるというオシャレな坂だ。
こんな逢坂がそこらじゅうにあった大阪は古来より恋の町だったと思う。
梅田 別に梅の田んぼが在ったわけではない。
浅海だったこの周辺を埋めてできた地。「埋めた」から梅田になった。
埋田だったらどーもカッコよくないと思った浪花人のオシャレな言葉遊びだと思う。
難波 淀川と大和川(河口は現在の位置ではなく、もっと北にあった)が流れ込む古来の大阪湾は潮が複雑で速く、航行難航の海であった。
この「波が速い」→「なみはや」→「なにわ」「なんば」となった。
オイラが子供の頃、風向きによっては難波で海のにおいがしたんだぜ。
京橋 大阪城から京都に向う(京街道の起点)橋が架かっていた。これが京橋。シンプルやなぁ。
この大川と寝屋川の合流点より西に伏見への三十石船の船宿が8軒あったので、その辺り今も八軒屋という地名が残っています。
十三 摂津に入った淀川の上流から数えて13番目の渡し場であった。しかし「じゅうそう」とは読み辛い。
小路
森小路
内環にも外環にもある地名で京阪沿線にも森小路があり、小さな道がいっぱいある処という意味。今も狭い道が多くオイラたちドライバーにとっては難所である。
布施 曲瀬(クセ):浅い川が曲がりくねった処という意味で、この辺りは旧大和川が流れていて、この川の地形を意味すると考えられる。
八戸ノ里 8という数字はいっぱいという意味で「うそ八百」「八百八橋」と同意。
古来に、いっぱいの戸(家)がある里だったのだろう。
今宮戎 えべっさんは鯛を抱いております。
この近所敷津東には現在も木津卸売市場があり海産物が各地から集まって来ます。
宮中に鮮魚を奉納する役をにんじられた町で、海人たちの神、商売繁盛の神エビス神にちなんで付けられた地名。今宮は本家西宮のえべっさんに対して新しい今の宮という意味です。
天下茶屋 豊臣秀吉がこの地の茶店で休憩したので殿下茶屋とよばれた。それが地名として今に至っているのは有名。
岸里 渡来系氏族の難波吉士が住んでいた処で「吉士」が「岸」と転じた。
阿倍野 「陰陽師」で有名な阿部晴明、阿部一族が居を構えていた地域である。
喜連瓜破 難解な読み方をする地名やけど、めちゃ歴史のある地名で、喜連は呉(高句麗)からきたもので、瓜破は百済から渡ってきた道昭が産地の瓜を割って天神尊像に奉じたことに由来すると言われ、ともに朝鮮半島と深いつながりを意味する地名です。
野江内代 続けて難解地名パート2。野江の江は水辺(海岸)で、その野(どこにもあるような野原)を意味し、内代はうちの代(シロ)つまり田を表している。のどかな風景画目に浮かぶんやけどね。
四貫島 江戸時代からの地名で、寛永年間開発された島。でもってその当時開発時に、この辺りを価四貫文で買収されたと言う伝承がある。
蒲生 オイラは蒲生氏郷に関する地名かと思っていたんだけど、この辺りもご多分にもれず、低湿地帯で、がもが多く自生していたということらしい。
道修町 北山道修というお医者さんがいてまして、その門前に薬屋が集まって町ができてきた。らしい・・・?
農人橋 名前のとおり、農民が東横堀川両岸の田畑を行ったり来たりしていた橋が、この名の由来です。
博労町 博労とは馬や牛の仲買業のことで、伝馬に関する地名なんでしょう。また旧地名で伝馬町や馬屋町など、馬に関する町名がありました。そう言えば天満も伝馬と同じ音ですね。
千里丘 佐井寺北の小山を千里山(ちさとやま)と呼んでました。これが「せんり」になったわけで〜す。
吹田 古来より水気の多い湿田やったこの辺り、水田から吹田となったらしい?
玉造 古墳時代に玉造郡がおかれていて、勾玉を作っていたとか・・・
高麗橋
心斎橋
久太郎町
1300年前、名前のとおり朝鮮(高句麗)国司来朝のために掛けられた橋の名前です。
『心斎橋』も新羅橋がなまったものだと言われています。
『久太郎町』は百済町だし、この大阪は朝鮮半島とは縁の深い町なのです。
久宝寺町
伏見町
こちらは久宝寺(八尾市)から移り住んで来た人々が住んでいた町。
安土町も備後町も伏見町も同じで、商売の上手い各地の有力者が集まったのだ。
生玉町 玉とは魂・霊の意味で、魂が生まれる町なのだ。玉津、玉出、玉造もそれに準じて想像してみると納得できる。生國魂神社は、生島・足島神が祭られています。周辺にラブホが多いのは近松門左衛門の曽根崎心中の舞台となったからで、昔より男と女が密会するポイントなのです。
立売堀 大阪夏の陣の際、伊達氏の陣所となったことから伊達堀と言われるようになった。
その後、木材の立売がおこなわれるようになり、立売堀と書くようになったとさ。
船場 お馴染みの地名で、ご想像のとおり舟が各地から集まる商業地帯だったのです。天下の台所の中心地やったのです。
道頓堀
宗右衛門町
相合橋
戎橋
安井道頓が氾濫する川を改修するため、運河を通してできた町としてあまりにも有名。
川を挟んだ北側が宗右衛門町でこちらも町年寄・山ノ口宗右衛門の名前から由来しています。
二つの町を結ぶ橋に『相合橋』というタクシーが渡れない橋があります。
橋の北側が遊女町(今もそうですよネ)南側が芝居町。この2町が相合う橋という意味です。
ついでに、阪神優勝で飛び込みの舞台として有名な『戎橋』は商売繁盛のえべっさんを由来としていて、平成の世では『ひっかけ橋』が通称となっています。そう言えば先週「サミー戎プラザ/道頓堀人情商店街」が出来ました。ちょっと気になるアミューズメントです。
         
              まだまだ続く・・・・     

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・・・・・・大阪の「地名」それは遠い昔から語り継げられてきた物語。知っておいて損はなし!?