北京旅行記3

 

1993年 4月29日

【さぁっ!! 万里の長城へ行くのだ!】

 朝8時に予約しておいた車で北京飯店へ向かう。今日は“万里の長城”へ行くのだ!車は朝の“自転車”ラッシュの中を走り抜け、北京飯店に着きました。しかし、この自転車のラッシュはすごい!!!!!!! みんな命知らずというか、堂々と道の真ん中を走るもんなぁ。とにかく凄まじい数です。その洪水のように流れる自転車の河を車がクラクション鳴らしまくりで突っ走るわけですから・・・。

 北京飯店は1915年創立という名門ホテルで、東楼、中楼、西楼、貴賓楼の4つの建物からなっています。場所はと言うと、天安門と天安門広場の間を通っている北京でもっとも広い通りである“東長安街”(場所によって同じ通りでも名前が変わるようですが・・・)に面しています。そして昨日行った“王府井”の入り口にあたるのです。最近は新しいホテルに押され気味のようですが、それでも格式はいまだに衰えを見せていないようです。建物がいくつも繋がっているので迷ってしまいましたが、なんとかCITSのカウンターを見つけることができました。まだちょっと早くて、カウンターがあいていなかったので、中の郵便局で切手を買い絵葉書を出したりしました。


【現地ツアーの始まり! 謎の「金属壷」加工工場】

 時間になり、小型バスの方へ案内されました。今日のツアーは我々二人と、中年のマレーシア人夫婦、アメリカ人のおばちゃん三人組(うるさそう!)、若い日本人の男二人、それにガイドの中国人のおばちゃんの計10名でした。バスは、ブロロロローーーッと発進しました。ミニツアーの始まりです。

 中国人ガイドのおばちゃんは、バスが走り出すとそれこそマシンガンのように喋りだしました。非常に早口なのと中国語訛の英語なので、慣れるまでは何を言っているのかよくわかりませんでした。それと困ったのは固有名詞です。僕たちは地名にしろ人物の名前にしろ漢字で覚えています。英語の文脈の中に中国語読みの(当然ですが)固有名詞が突然入ってくるので、内容はだいたいわかるけど『ところで、誰の話?』って感じになるのです。“明十三陵”という基本的な単語でさえ中国語読みされていましたので、気付くのに時間がかかってしまいました。

 8時50分頃出発し、10時頃までひたすら走りました。そして、なにか金属の壷をつくってる工場に案内されました。

 『こんなのが、ツアーに含まれていたのか!』

 全然知らなかったのでした。工場を見学した後、隣接しているお土産物売り場に連れて行かれました。今つくっていた壷の即売会といった趣です。しかし、驚いたことに、

 『はっ白人がこんなにたくさん、いてはる〜〜。』

 店の中は、白人で埋め尽くされていました。中国に来て、こんなに白人ばかりなのは初めてです。それにしても、我々同じ東洋人にとっては、そんなに珍しい物でもなく、“日本でも十分安く手にはいるなぁ”という感じの物でも、欧米人にとっては珍しいのか、結構売れていました。(壷買ってどうすんねん?)さすが中国人は商売上手です。


【明十三陵】

明十三陵 再びバスに乗り、明十三陵へ向かう。着いたのは11時40分ごろです。明十三陵は、明(みん)の13人の皇帝の墓があるのだそうです。案内されるままに中に入る。すると早速物売りの洗礼を受けました。それを無視してガイドの中国人のおばちゃんはすたすたと林の中を歩いて行きました。僕たちはあわててその後を追っていきました。僕たちはちゃんとついていくのに、アメリカ人3人組みはどうも団体行動が苦手のようでした。物売りにつかまっては

『オウッ』

などと言いながら立ち止まってしまう。ま、おばちゃんは万国共通の独特の価値観があるのかもしれないし、致し方ないですね。

 しばらく歩くと墓の入り口に着きました。墓は地下深くにあるようです。階段をどんどん降りて行き、底に着きました。大理石で出来たりっぱなものでした。しかし、コンクリート? みたいな気もするぐらい“つるつる”でした。

 再びバスに乗り出発。昼飯だそうだ。そーか、飯付きやったんか。ということで名も知らぬ街に入り、食堂に案内されました。1時をまわって、腹がへっていたこともあり、おいしくいただきました。皿がいっぱい出てきて、丸テーブルで食うという“中華料理”でした。良く考えると、このパターンのいわゆるステレオタイプ型中華料理はこれが最初で最後でした。他の場面で、いかに僕たちが屋台やらなんやらで食事をすませてしまっていたかが、分かろうというものです。


【長城へ・・・】

 今度こそ、万里の長城へ向かって出発しました。バスは山道にさしかかる。するとあちこちに、崩れかけた長城の残骸がありました。あっ、あそこにも、あっちにもという感じです。

 しばらくして、バスの駐車場が見えてきました。きれいに修復されて、人で鈴なりになっている長城も見えてきました。しかし、その小型バスは、そのバス用駐車場を通り過ぎて、さらに登って行く。あれれ〜〜と思っていると、道端に止まりました。ガイドがクイックリーで降りてくれ、と言ってドアーが開く。どうも駐車場代をけちっているようです。う〜む、あなどれない。

 バスを降り、ゆるい坂道を歩き出しました。前方に大きな門が見えてくる。門には昔の中国の扮装をした衛兵が立っていました。

『人形?』

かと思って近づくと人間でした。その大きな門をくぐって中に入る。しばらく舗装された道路を登って行くと、左手に広場が見えてきました。そこに万里の長城の入り口があるようです。広場といってもそんなに大きなものでもない。ま、山の中ですし、知れてますわなぁ。

 広場はわぁわぁと人でごったがえしていました。そして、お土産物屋が、広場の周りを取り囲んでいました。端の方では、アトラクションの準備をやっていました。パレードか、日本でいう御神輿、獅子舞のようなもののようです。“つめたいのみもの”など日本語の文字も見えます。山の中といっても、日本のように林になっているのではなく、低い木が、まばらに生えているといった雰囲気でした。

 その広場の一角に、長城への入り口がありました。ガイドが集合時間をアナウンスする。時間は思ったほどありませんでした。よしっ!行くぞ!我々はさっそく中に入りました。


【万里の長城に登っていく】

 ここで、とりあえず“万里の長城”の解説をしておきましょう。

 我々が行ったのは“八達嶺(パダレー)”という所にある、いわゆる観光客用に整備し直したものです。万里の長城と言って普通皆さんが思い浮かべるのは、ここの風景だと思います。低い木が生えていて、山の尾根沿いにうねうねと、どこまでも続いているといった感じ。明(ミン)時代のものだそうです。

 八達嶺の長城は、入り口が一番低い所にあり、左右に登れる様になっています。時間があれば、両方に上がって行けるのですが、今回は時間の関係で、どちらかを選択しなければなりません。

入り口から左側に行くと

急で登りにくいが、うねうねと続く長城が見えて、景色が良いらしい。

右側に行くと

坂は楽らしいが、景色が今一とのこと。

 

我々は迷わず左側を選んだ!!!!!

 

 まず、階段を登って城の上部へでる。ご存じの通り、長城は細長い城の上部を歩いて行けるようになっています。そのまま、ずんずんずんずん登って行く。最初はスロープというか、階段ではなく斜めになった通路を登って行く感じです。床は黒い石で出来ていて、どうも滑りやすい材質のようです。今日は晴れて良い天気なので大丈夫ですが、もし雨が降っていたら大変だなぁと思いました。ナチュラルにブレークダンスが踊れることでしょう。

 長城の上や周辺には、昔の格好をしたエキストラがたくさんいて、雰囲気をかもしだしていました。また、長城の横には、なぜかラクダが繋がれていました。これはお金を出すと、一緒に写真を撮れるといったものらしいです。

 しかし、今日は天気は良いけど風が強い。旗が長城の端のぎざぎざした所にいっぱい立っているのですが、これが、ばぁ〜たばたなって、髪の毛が乱れマクリング状態になってしまいました。さらにさらに登って行くと、すごい急な階段に出くわしました。

 長城は尾根沿いに無理やり建てているので、所によって異常に急な坂になっているのです。もちろんこういう所は階段になっているのですが、それにしても無理やり造っています。直角に登ってんじゃないんかぁ?と思われるくらいです。

 『手すりにつかまらないと、ちょっと危ないかもしれんなぁ』
 『ほんまに』

 僕等みたいに若い奴はいいが、お年寄りには厳しいんじゃないかと思う。そう言えば、あのいっしょのツアーにいたアメリカ人のおばちゃん3人組は、こっち側に来たような気がするが、大丈夫やろか。 

 

   
        

 さらに登って、一番高い所まで来ました。必死になって登ったので、結構息が切れてしまいました。軽いめまいなど・・・。日頃の運動不足を反省する。その一番高い所は物見やぐらのような感じになっていました。いや〜さすが、万里の長城、すごいです。我々が登ってきたのと反対の方、つまり、右側のほうの長城が、目の前にその雄大な姿をあらわしていました。尾根沿いに、うねうねと続く、見える限り続く、山に張り付くように続く。そしてその先はかすんで定かではありませんでした。こんなものを建設しようと考えた昔の人のスケールの大きさというか、強引さというか、クレイジーなところは僕らの常識をはるかに超えていますね。そして下のほうへ目を投じると、今自分たちが登ってきた長城が人で鈴なりにっているのが見えました。

 
中国の懐の深さに脱帽といった感じでしょうか。

 

 それから長城から北京の外の方角に目を投じると、山の向こうの方に、荒涼とした大地が続いていました。あの先にはモンゴルがあり、ロシアがあり、ヨーロッパがあるのだ。やっぱり、来て良かった。

 しばらく景色を堪能して、降り始める。ちなみに、壁には落書きがびっしりと書き込まれていました。もちろん“漢字”で。

 下まで降りてくると、さっきの広場でアトラクションをやっていました。中国というよりは、韓国といったような感じの色彩でした。

 それを横で見ながら売店でお土産の品などを買う。とりあえず悪趣味かもしれませんが、長城の“置き物”を買いました。それに絵葉書と写真集。そして午後4時、我々は長城を離れました。

 帰りの道沿いで、またまたお土産物店に寄る。そして、北京飯店に戻りました。ツアーは終わったのです。堪能しました。


【今回のツアーで一緒になった人々について】

 最後に今日参加したツアーの人々についてコメントしておきます。まずアメリカ人3人組ですが、まさに大中小コンビで、向かうところ敵なしといった感じ。仕事を持っている方々で旦那を放っておいて中国に来たらしい。この中国旅行を通じて唯一とも言える英語のネイティブスピーカーでしたので、いろいろ話ができました。中国のあちこちを見て回るとのことだったので、日本にも来たらいいのにともちかけると『またいつかね』と言っていました。恐らく、日本人にはほとんど会ったことが無いはずなので、これをきっかけに日本にも興味を持ってもらえればと思いました。そして日本に来ないかと外国人に誘ったとき、かなりの確率で言われる『日本は物価が高いらしいし』というやつをこのおばちゃんも言いました。でも、こればっかりはしょうがない。

 それから道端で売っている食べ物を、割と平気で食っていたのに驚きました。『これはさすがに下痢するやろなぁ』という水につかった(きたならしい水だ!)くだものなどを物売りから買ったりして、身体が丈夫なのかどうだか知りませんがやはり恐いものなしです。

 マレーシア人中年夫婦ですが、いかにもお金持ちといった感じ。二人ともスリムでなかなかかっこいい。概して物静かでアメリカ人とは対照的でした。あまり話はできませんでしたが、いい雰囲気でああいう風な夫婦像が理想的ですね。

 最後に日本人2人組ですが、実はこの方々も関西から来た自由旅行組でした。旅先で日本人に会うのはなにか変な感じです。恐らくむこうもそう思っていたのではないでしょうか。でもこれではいけないですよね。アメリカ人などは旅先で同じアメリカ人に会うとお互い自分のことを紹介しあって、旅先の情報を交換したりしているようです。気が会えば一緒に行動したり泊まったりもします。シェアすれば、部屋代が半分になりますもんね。その点日本人は旅先で日本人に会うことを嫌う傾向にあるようです。これはまだまだ日本人が旅慣れていない証拠で、旅先で同胞に会ったらお互い情報交換をし、これまでのお互いの健闘を賛え、そして無事を祈るいうようにならなきゃね。そう思えるよう、僕も含めてみんなのレベルアップが期待されます。

 『外国で大阪弁を聞くとがっかりする』と思っているあなた! 心を入れ替えてくださいね!!! お願いします。少なくとも僕はそのようなことを目指しています。でもパックツアーで超短期間市中引き回しの旅をやっているうちは無理かなぁ。なるべく日本人に会わないようにしてるし・・・。それが悪いこととは言いませんが、ちょっと悲しいです。


【天安門広場で見た国旗を下ろす式典】

天安門広場に翻る旗 さて、バスを降りてみんなに別れを告げた後、その足で天安門広場に行く。6時半過ぎになっていました。すでに日は大きく傾いていました。

 広場に着いてみると何故か分からないが、かなりの人が集まっていました。何かがあるようです。白人の青年がいたので、英語で何があるのか聞いてみました。すると、どうも広場に立っている国旗があるのですが、それを回収しに天安門から兵隊が出てきて道路(そう、あの広い道路です)を渡り、式典みたいなのをやって、また天安門へ帰っていくらしい。それを見るために、人が十重二十重に取り囲んでいたのでした。こんなのガイドブックには載ってなかったぞ!

 7時になって兵隊がざっくざっくと出てきて道路を渡り、なにやらいろいろやって旗をポールからするすると降ろし、回収して行きました。

 そうこうしているうちにあたりはかなり暗くなってきました。

   さぁ、夜の街に繰り出すぞ〜〜〜〜〜〜。


【あの「刀削面」を食す】

 夜の街に繰り出していったパイザくん達。北京の夜は予想通り暗かった。我々は天安門広場の南に隣接している前門の商店街へ向かいました。

 天安門広場の南の端に“正陽門”という馬鹿でっかい門が建っています。道を隔ててまた別の大きな門が建っています。“箭楼”です。その箭楼の周りを囲むようにバス停が連なっています。そのあたりから南の一帯が、前門大街になります。

 前門大街はバスのターミナルでもあり、人でごった返していました。バス停の裏は、屋台が立ち並び、いろいろなものを売っていました。屋台の食い物のにおい、雑踏、呼び込みの声、街を歩く人々の話声、バスのクラクションの音、濃密な濃い空気、前日の夜にに引き続き、またまたこれぞアジアといった雰囲気でした。裏路地に入ると、劇安の服飾店、飲み屋、“公衆電話屋”などがところせましと立ち並でいました。 

 しばらくぶらぶらしていましたが、腹がへったので、どこか飯屋に入ろうということになりました。

 『あっ、あれは』
 『刀削面と書いてあるなぁ』
 『あのナイフで削ってやる、あれか?』
 『せやろ。……………食ってみたいなぁ』
 『入ろか!』

 ということで、行きずりの“こぎたない”刀削面の店に入ったのでした。とりあえず刀削面を注文し、ビールとその他勧められるままに何皿か注文しました。

 すると驚いたことに、店のおやじは店の端に積み上げていたビールケース(プラスチックの箱のことね)の中からビールを2本ひょいひょいと取り出し、シュポッと蓋を開けて、デンと机の上に置きました。

 『もしかして、全然冷えてないんとちゃう』
 『・・・・・・・』

 ま、こんなことで驚いてたら中国旅行は出来んなぁ、ということで気を取り直し、“気の抜けた”“ぬるい”ビールで乾杯しました。

 ところで、刀削面(刀削麺)を皆さんはご存じでしょうか?『世界まる見え!テレビ**部』などの番組で紹介されているので、知ってる人も多いと思いますが、どうでしょう。麺を作るのに、打ってのばして包丁で切るのではなく、生地の塊を手に持ち、包丁で鉛筆を削るようにペンペンと削り飛ばして、そのまま直接鍋の中に入れて湯がくのです。(わかる?)

 厨房の方をそっと覗いて見ると、おじさんが一生懸命削っているのが見えました。

 『お〜、削っとる、削っとる』
 『ほんまや』

刀削面 ところで肝心の“味”ですが、塩からくてあまり美味しくありませんでした。これだけならまるっきり悲惨なんですが、一緒に頼んだ料理は、美味、美味、美味っ。中国の家庭料理といった感じで、とても美味しかったです。木の実と野菜の炒めもの、チンゲンサイの炒めものなどです。これだけで、満足!!ですね。ちなみに、二人でたらふく飲んで食って、12元でした。300円弱ですか、またまた劇安です。あ〜満腹。

 食い終わってからまたしばらくぶらぶらとしましたが、時間も遅くなってきたので地下鉄で戻ることにしました。

 北京の地下鉄は、いわゆる環状線になっています。我々の泊まっている竹園賓館は、故宮(紫禁城)を間にはさんで前門のちょうど真北になります。つまり、地下鉄で南から北へ半周すれば良いのです。

 と言う訳で、地下鉄に揺られて地下鉄環状線の真北、その真ん中の駅である鼓楼駅に着きました。そこから、ほとんど真っ暗な道を歩いて帰りました。しかし北京の夜は本当に暗い。さすがに天安門は電気が煌々とついているんですが、その他はあまり電気がついていません。舗装されていないところ(あるいは工事中なのかも知れないけど)が結構残っていたりするので、路地などでは目が慣れないと水たまりにはまったりします。私ですか?はまりましたよ。その水たまりの水が“雨水”であることを祈りました。

 途中、真っ暗な路地で、抱きあってキスをしている中国人カップルを目撃。うんうん、中国もやるじゃん。

 と言う訳で、次回につづく。

 明日は、宿を替えようと思っています。出来れば、前門の近くがいいなぁ。何故かって? やはり便利ですからね。天安門広場へは歩いていけるし商店街や屋台もあります。それにバスターミナルになっているので足をのばすのにも便利ですし。

 がんばって朝から探そうっと。そして“北京ダック”をなんとかして食うぞ〜! 

 明日は宿探しとグルメですな。北京も四日目に突入です。