北京旅行記4

1993年 4月30日

【宿探し・・・没有!(^^;】

 北京に着いて四日目の朝を迎えた我々は、朝からあわただしく荷物をまとめました。別に帰国するわけじゃないんですが、やっぱり同じ旅館に何泊もするより、いろんな所に泊まりたいでしょ。というわけで、我々は竹園賓館をチェックアウトすることにしました。チェックアウトしようとフロントに行くと賓館の女支配人から

 “なんで、宿を変えるのか?”

 “私たちのサービスが悪かったのか?”

 などと、質問攻めにあいました。別にサービスが悪かったわけじゃないし、気にいらなかったわけでもないので困ってしまいました。ちょっと値段が高かったのは事実ですけどね。いやぁ〜などと日本人独特の曖昧さで誤魔化し、竹園賓館をあとにしました。

そして地下鉄(中国では地鉄と言う)鼓樓駅へ向かう。今日の目的は、

1.

宿を探す。出来れば、昨日夜ぶらぶらした“前門”界隈を狙う。具体的には前門飯店、恵中飯店、遠東飯店、天橋飯店などです。

2.

北京ダックを食べる。それも、世界的に有名な“全聚徳”で食う。

 以上の至上命令を帯びた我々は、和平門駅に降りたちました。10時20分のことでした。

 和平門駅は前門駅の一つ西にある駅です。そこから、南新華街を南に下って行く。まずは遠東飯店を目指しました。観光ガイドであらかじめチェックしていたホテルです。安くていいらしい。しかし自分の目で実際に確かめないと最終決定はできません。荷物は重いけど、えっちらおっちらかついでそのホテルまで歩いて行くことにしました。

 ところで、北京は清の時代の街並みがところどころに残っているらしいのですが、このあたりはそうなんじゃないかなぁ。古い塀や屋根が続く。崩れかかったように思える建物もありました。そう思える路地をくねくねと進む。家の前に椅子を出してボーッとしている老人や、屋台で野菜や果物を売っている人、走り回る子供たち。なにか、言葉にはならないが、訴えるものがあります。そこをぶらぶらしていると、街の人に結構じろじろ見られました。珍しいのか。

 そうこうしているうちに、遠東飯店に着きました。さっそく中に入って部屋の有無を尋ねました。すると、

 『没有!』(メイヨウ)

という言葉が返ってきました。つっ、つっ、ついにでたっ。これが有名な中国名物の“没有”かぁ〜っ。没有(メイヨウ)とは、中国語で“ありません”の意味。いままでこの言葉にあわなかったのは奇跡だったのか!

 中国は共産圏なので資本主義の国と違い、万事効率が悪い。本当は部屋があっても“没有”と言われることは、よくある。(らしい)儲けに貪欲じゃないみたいです。個人経営の店は全く別ですけどね。

 いろいろ言って食い下がってみましたが、だめ。仕方ないので他をあたることにしました。

 前にも書きましたけど、地図では大したことなさそうな距離に見えて、実はえらい遠い。いいかげん疲れてきたところ、目の前に大きなビルが見えました。

 『あれ、ホテルとちゃうか』

 『たぶん』

 『あれにしよ、あれに』

 行ってみると“東方飯店”と書いてありました。中に入って部屋の有無を聞いたところ、あるとのことで、ここに決めました。238元でした。(約4760円)既に時刻は11時20分になっていました。

 部屋は思ったより快適でした。バスルームは竹園賓館より狭め。お茶を入れて休憩しました。中国のホテルは(といっても竹園賓館、東方飯店、この後泊まることになる首都機場賓館の三つですが)部屋のなかに蓋付きのカップが置いてあり、ティーバッグでウーロン茶が飲めるようになっています。これがほっとするんですよ!荷物を置いて、これで一安心ですね。

北京東方飯店(Beijing Dong Fang Hotel)
北京萬明路11號

【全聚徳本店で北京ダックを堪能!】

 とりあえず、前門に出て行こうということで、ホテルの前からタクシーに乗る。前門に“全聚徳本店”があるのです。前門大街に着き、その店を探しながら歩いて行くと以外に簡単に見つけることができました。早速中にはいることにしました。

 店は二階建で、真ん中が吹き抜けになっていました。四角い4人がけのテーブルが、ずら〜っと並べられています。入り口に立っていると案内人が現われ、そのテーブルの一つに案内されました。

 英語のしゃべれるウェイトレスがついてくれましが、結構頼むのに苦労しました。初めてで勝手も分からないので、無難なコース料理にしました。

 前菜から始まり、次々に料理が運ばれてくる。ここで腹一杯になったらまずいので、セーブしながら食う。店の端のほうでは北京ダックを作っているのが見えるようになっていました。それを見ながら早く来んかな〜と待っていました。

 出来上がった北京ダックは、まるのまま、キャスター付の台に乗ってガラガラと運ばれて来ます。そして目の前でコックが切り分けてくれるのです。(写真)

 あっ、来たっ。と思ったら別のテーブルのやつやった。というのがかなりあった後、我々のが来ました。

 食う食う食う食う食う食う。ものすごくうまかった。丸い薄い餅(チャパティの様なもの)に、特製味噌と薬味を乗せて、北京ダックをさらに乗せてくるんで食う。美味っ。手が汚れるのも気にせず、次から次へと食べてしまいました。

 我々はすっかり満足してしまったのでした。次は毛沢東のミイラか、天壇公園ですね。


【公衆の面前で人民と並んで、うんこをする】

 北京ダックを食べてお腹が満足した我々は、天安門広場の真ん中にある毛主席紀念堂へ行くため広場へ向かって歩き出しました。堂の中央の部屋に国旗にくるまれた毛沢東の遺体があるらしいのです。しかし、遺体を一般公開するとは、なんというか相変わらず大胆な国ですなぁ。時刻は昼の1時50分を過ぎたころのことでした。

 広場に着いたとき、突然腹具合が悪くなってきました。いやな予感・・・・。食中毒?ただの下痢?それとももっと変なやつぅ?とにかくトイレはどこだっ、と探すと、前門の前にバス型の公衆トイレがありました。いやバス型というよりバスそのものをトイレに改造しているようでした。移動式なのか?私は迷わず駆けこみました。

 ここで、北京市のトイレ事情について解説しておきましょう。北京は公衆トイレ天国というか、街の至る所に公衆トイレがあります。人の数が多いからか、それとも腹具合の悪い奴が多いのか分かりませんが、とにかくたくさんあります。ヨーロッパと同じで、入り口に便所おばさん(あるいはおじさん)がいてお金を徴収します。だいたい1角か2角(2円〜4円)です。お金を払うと、おばさんがビシッとちり紙の束を“ひと掴み”くれます。それで、お尻を拭くという按配です。ピンク色のゴワゴワした紙でした。

 話は元に戻って・・・バスに普通に乗るように階段をトントントンと上がっていくと中がトイレになっていました。バス後部が大用、前部が小用のようでした。大用のほうは皆さんご想像のとおり、横に“ついたて状の仕切”があるだけで、前には何もありません。その横の仕切も腰ぐらいの高さで、しゃがめば何とか隠れるといった感じ。これが、バスの真ん中を走る通路の両側に並んでいました。すでに“お客さん”が数人しゃがんでいました。

 その“ブース?”は通路の方に向かってしゃがむ様になっていました。しかし、これでは正面にいる“お客さん”と近距離で目があってしまう。もっと暗ければいいのに。う〜ん困った。とりあえず私もそのブースの一つに入る。前に人のいない所があり助かりました。

 それに問題がもう一つ残されています。私はパスポートを腹巻の様にしてズボンの中にしまいこんでいるのです。こりゃ見られてしまうなぁ、まぬけだなぁと思いましたが仕方ありません。

 周りの人達も日本人らしい私が気になると見えて、ちらちらと様子をうかがっています。その事実上、衆人監視体制の中、太陽の光が燦々とふりそそぐ窓にお尻を向け、私はおもむろにズボンを下げました。(もちろん腹巻を隠しながら!)そして下半身丸だし状態になりながらしゃがみ、目的を達成したのでした。便所はいわゆるポットン式なので、パスポートを落としはしないかとハラハラしました。

 ところで、ここで不思議ことを目撃してしまいました。その大用の便所に何故か“水がちょろちょろと流れていた”のです。あの便所バスは、広場の中にポツンと置いてあったはず。水はどこから来て、どこに行ったのか?今回の旅行の最大のナゾになってしまいました。


【天壇公園へ向かう】

 気を取り直して、毛主席紀念堂へ行く。しかし、理由は分からないが閉まっていました。残念! しかし、休みならしょうがない。

 『どうしよう』
 『天壇公園にでも行くか』
 『そうしよか』

 因みに天壇公園とは、天壇という明、清代の皇帝が天に五穀豊穰を祈った所があるところです。特に3層の屋根を持つ円形の木造建築である“祈年殿”が有名です。北京の見所の一つになっています。

 さて、天壇公園へ行くのにあたって、バスに乗ってみようかという事になりました。あの蛇腹で二台をくっつけた“蛇腹バス”にです。地図によると、前門から一本で行けるようなので、挑戦してみることになりました。

 ということで、バス停を探したのですが、無い!!“地球の歩き方”によると同じ駅名でも路線によって結構離れているので良く探すこと、となっている。しかし良く探しているのだが見つからない。さんざん探して歩いて、やっと見つかりました。もう2時40分になろうとしていました。

 しかし、バス停のある通りは人、自転車、車、バスで大混乱状態でした。バスはバス停“付近”に来るだけ。道端に停車なんて出来るような状態ではありませんでした。バスの番号を見ながら待ち受け、目的の番号のバスが来たら3箇所ある入り口にダッシュで駆け寄る。しかしすでにバスは満員状態で、ちょっとでもひるむともうバスには乗れません。自分の前で乗ろうとしている人を引きずりおろしてでも、乗ろうというぐらいの気持ちが必要です。

 結局、3時ごろまで待ちました。目的のバスは来るには来たのですが、満員だったのか、車掌の女の人がマイクで何か怒鳴りながら通過して行きました。車掌がマイクを使って何か言うとき、日本の場合などでは普通車内向けですが、中国の場合、どうも車外向けの様です。

『おらおら、おまえらじゃまなんじゃどけどけ!』とか
『残念ですが、満員のため通過ですあしからず』

とか言っているのでしょうか?中国語ですのでさっぱり分かりませんが、語調は前者の様な印象でした。それを女の人が言ってるんですから・・・。違うと思いますけどね、本当は。しかしあんなに自転車やら荷車やら歩行者が交通法規無視で、無茶苦茶なことをやっていますから、私が車掌ならあのように叫びたくなると思います、ホント。

 とにかく我々はバスに乗れませんでした。

 しょうがないので少し歩き、交通量が少なくなったところでタクシーを拾いました。そしてなんとか天壇公園に着くことができました。さあ、中に入るぞ〜!


【天壇公園へ入る】

 天壇公園には入り口が何箇所かありますが、我々が着いたのは東の入り口でした。時刻は3時25分になっていました。結構時間がかかってしまったなぁ。いそいで入らなきゃ! という訳で、入り口の入場料金を見てみると、

 
中国人料金   0.5元
外国人料金    1 5元

となっていました。ひっ、ひどい! 30倍ですよ、30倍。どない思います?我々の怒りは爆発しました。

 『やるか?』
 『やらな!』

 悪友のほうが中国人料金に挑戦しました。しゃべらない、あせらない、そして人民元を十分に持っていく。ただ金を置く。これで行くことにしました。

 結果、大成功! まんまと中国人料金で入ることに成功しました。

 中に入ると中国人達がぶらぶらと散歩をしていました。のどかな風景です。我々も中国人達と一緒にしばらくぶらぶらと歩いて行きました。すると前方に屋根付の“回廊”が見えてきました。どうも土産物売り場のようです。長い回廊に延々とお土産物売り場が続いていました。地方から来たと思われる中国人達が喜々として買い物をしていました。

 ところでこの北京にいる田舎から出てきたと思われる中国人について少し触れておきましょう。北京はとにかくものすごい人の数で、うんざりするほどだというのは前に書きました。その中に明らかに田舎から出てきたと思われる集団がかなり見られます。北京の(恐らく地元の)人は想像以上におしゃれな格好をしていますが、人民服をきちっと着て集団でうろうろきょろきょろしている人もいてそういう人はたいてい田舎からの観光客のようです。確認したわけではないですけど、まず間違いないと思います。『北京』と書いてあるバッグを買って喜んだり(地元の人は普通買わないでしょう)、盛んに記念写真を撮ったりしています。とにかくそういった人々で、北京の街は平日であろうがどこへ行っても大混雑なのです。そして、貪欲に楽しんでいるようです。一生に一度の大旅行なんでしょうねぇ。

 話は元に戻って・・・土産物屋を物色してみて天安門の置物を探したんですが、いいのがありませんでした。残念!

 その土産物屋のある回廊沿いにさらに歩いて行くと、有名な“祈念殿”(左写真)の入り口に出ました。円形の三重の塔です。天壇といってイメージするのは、恐らくこの塔だと思います。そう言えば、最近何かのコマーシャルにでていましたよね。塔の広場の前で、集団で踊りながら旗を振るというやつです。

 ここから先は、別料金らしい。もちろん中国人料金で潜り込む。3元でした。中に入ると早速、ビデオ撮影、記念写真へと移る。工事中らしく、なにかビニールの様なものをかけてたのがすこし残念でしたが、やはり美しい塔でした。

 土台の石造りの階段を上り、塔の近くへ行ってみる。カメラに入らない大きさ でした。中に入ると正面に祭壇の様なものがありました。そして上を見るとなんと吹き抜けになっていました。随分広く感じました。

 

 しばらく祈念殿を見学した後、回音壁のある“皇穹宇”へ向かいました。円形の内壁が声を反射するので有名なのだそうです。ここも別料金で3元でした。

 “円形の壁の左右に別れてそれぞれ小声で壁に向かってささやくと、180度反対の所にその声が伝わる”

とガイドブックに書いてある回音壁なのですが、やり方がさっぱり分からず、やはりよく分かっていない人が、大声でどなったりあったりしているので、訳が分からないままに終わってしまいました。恐らく中国人自身も分かってない人が多かったのでは?正確なやり方知ってる人います?いたら、教えて下さい。

 その皇穹宇には、他に三音石という石がありました。中庭の中心にある長方形の三つの石で、

 

 堂から数えて一つ目の石の上で手をたたくと、こだまが一回返り、

       二つ目の石の上で手をたたくと、こだまが二回返り、

       三つ目の石の上で手をたたくと、こだまが三回聞こえるのだそうです。

 

 これはなんとなく分かりました。中国人は不思議なものを作りますねぇ。

 皇穹宇の外には土産物屋があり、寄ってみると、凧をたくさん売っていました。鳥の形をしたものや連凧など、中国伝統の凧ばかりです。そういえば北京では凧上げをする人をあちこちで見かけます。天安門広場などもそうですが、広い場所があれば必ずといっていいほど凧上げをしている人に出会います。この公園は結構広いので、例に漏れずあちこちで凧上げをやっていました。それにしても良く上がるもんだ。ゲイラカイトにも負けませんね。高く高く上がった鳥型の凧などは『はたしてほんとに凧なんだろうか?』と目をこらして見てしまうほど精巧に出来ています。

 元々“天壇”は読んで字のごとく、皇帝が天帝に今年あったことなどを報告する“壇”なのです。ということで、祈念殿の近くに建物のない壇だけの場所があります。“圜丘”と呼ばれているところで、石造りの三重の壇になってます。ここでも記念写真を撮ったりする。

 圜丘を離れ、公園内のベンチでしばらく休憩しました。そこで公園内を行く人を眺めていると、実にさまざまな人々が利用しているのが分かります。市民の憩の場になっているんですね。

 『これからどうする?』
 『中途半端やなぁ』
 『今から行って、あいてる所ってあんまり無いしな』
 『北海公園は、結構遅くまでやってんで』
 『じゃ、そこにしよう』


【北海公園】

 という訳で、今回はワゴン車タイプのタクシーに乗り、北海公園に向かいました。ワゴン車タイプのタクシーは、普通の車のタクシーに比べてかなり安いのです。しかし乗り心地は・・・軽トラックの荷台に乗ってる感じかなぁ。ま、ひどいもんです。

 北海公園に着いて、またまた中国人料金に挑戦する。難無く成功して、中に入りました。もう中国人化は完璧と言えましょう。

 ところでここで北海公園について簡単に説明しておきましょう。場所は故宮の西北、景山公園の西にあります。要するに北京のど真ん中にある公園なのです。元代の都である大都はここを中心にして建設されたそうです。チベット式の白塔がある丘を中心に、北海という池がかこんでいるといったロケーションです。池?いや日本の感覚でいうと湖ですね。昼間はボートが出てにぎわうようです。

 有名な“九龍壁”の一つがここにあるとのこと。そしてこの公園の南には中海、南海、いわゆる中南海があります。前にも書きましたが政府要人のいるところですね。北海公園の北海とつながっているようです。

 話は元に戻って・・・あたりは薄暗くなっていました。しかし!驚くなかれ!!

 

人影がまばら、いや、ほとんどいないのだっ!!

 

 中国に来て一番感じることが“人が多いっっっ”ということなのですが、この北海公園には、中国にあっては異常といえるほど人影がありませんでした。

 『何かある!』私はそう直感しました。

 とりあえず、丘の上の白塔を目指すことになりました。池にかかる橋を渡る。渡ってみると、何か暗がりのなかに一際煌々と光っている建物がありました。近づいてみると、なんとケンタッキーフライドチキンでした。

 なぜこんな時間に?人影がほとんど無いというのに、不思議だ! 疑惑が頭をよぎる。 

 気を取り直して丘を上り始める。すると、中国人カップルに出くわしました。やけに親しそうです。いや、じゃれあっとると言った方がいいかも知れない。

 

もしかして!!!!

 

 私にはもう、ある確信めいた考えが心を支配していました。たぶん悪友も同じだと思います。しばらくして、二人目の中国人カップルに出会う。やはりいちゃいちゃしている。

 『ここは、そういう場所やったんやね』
 『そうみたいやなぁ』

 さらに、上っていく。角を曲がって、うおっと〜〜、カップルが!!!男の上に女の人が×××××って×××××としながら××××××××××××っっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!

 その場を足早に去り、頂上に着いた我々は、景色をビデオを撮ったりしました。白塔は工事中でした、残念。しかし景山公園の山の上にある東屋が電飾で飾られているのが見えて、とてもきれいでした。北京の街は全体的に暗いので、よけいに目立つのです。天安門も光っているようです。

 丘から降りると、あたりはもうすっかり暮れていました。ケンタッキーで休憩したあと、夕食をとるべく夜の街に出ていくのでした。ちなみにケンタッキーはカップルだらけでした。我々は、ホモと思われてたりして。


【名もない個人営業の食堂で・・・】

 お腹もへってきたので夕食をとろうということになりました。さて、どこに行こうか? 北京ダックは食べたし、ワンタンも食いました。ん〜ん、そう言えば点心を食べてないなぁ。

 『この近くに、包子のおいしい店があるので、そこにせえへん?』
 『なんちゅー店?』
 『狗不理包子』
 『ふーん、じゃそこにしよ!』

 ということで、その店に向かって歩き出しました。北海公園を出て、景山公園の周りをぐるっと廻る感じで進みます。しかしこの辺りは暗い。人通りも少なくて強盗でも出そうな感じでした。例によって歩いて歩いて歩いて歩いてやっとその店のある辺りに来ました。地安門大街の交差点です。景山公園の真北になるのかな。しかし、店が見つからない。

 『おかしいなぁ』
 『この辺のはずなんやけど』

 さんざん探し回りましたが、どうも工事中のようでした。工事中でふられちゃったのは全聚徳北京ダック店に続いて二度目です。しかし、仕方ないので近くの名もない店に入りました。

 店に入り、麻婆豆腐、焼飯、スープ、チンゲン菜の煮たもの、何かわからない炒めもの、ビールなどを注文する。しかしこれが結構うまい。ついつい食ってしまう。店はあまりきれいではありませんが、うまければそれでいいのだ。

 たらふく食って休憩していると、店の主人が出て来て話しかけてきました。主人は中国語しかしゃべれないので、筆談になりました。中国は略字化が進んでいるのと、字の意味自体が日本語と違うのもあるので苦労しましたが、何とか意思疎通ができました。

 どうもこの店は今流行の“個人経営の店”らしいのです。ご主人の才覚で、店を切り盛りしているらしい。結構はやっていて、かなりの収入になっているようです。自慢そうに札束をみせてくれました。よほど自信があると見えます。俺は頑張っているんだぞ!そう言って(書いて)たばこを勧めてくれました。我々日本人とその中国人のご主人は、三人でたばこをふかしながら、へへーと笑ったりしていました。言葉はあんまり通じないけど、同じ人間同士、結構分かりあえるもんだなあと思いました。それにしても、漢字は偉大な文字ですね。


【幻想的な蛇腹バス】

 腹一杯になった我々は、バスでホテルの“東方飯店”に帰ることにしました。さすがにこの時間になると、バスもすいているからです。

 北京のバスはたいへん便利にできています。番号で行き先が判断でき、その番号の書いているバス停で待っていればいいのです。バス停のボードにはその路線の停留所がすべて“漢字で”書かれているので、それを確認すれば間違えることもありません。ターミナルなどでは、目的の番号のバス停を探すのが結構大変なのですが、(前門では苦労しました)地安門の様な普通の場所なら問題ありません。タダみたいな値段で(2〜4円)街の至る所へ行けるのです。しかも、バスマップを持っていれば乗り換えも自在にできますし、まさにバス様様です。

 我々は5番のバスに乗るべく待っていました。しばらくして、目的の蛇腹バスが登場しました。

 バスに乗り込む。驚いたことに車内には電気がついていませんでした。当然バスの中は真っ暗です。北京のバスはそういう習慣らしい。切符を買おうと車掌に近づくと、車掌は手元の小さなライトを、カチッとつけました。我々が金を払うと、その車掌は小さな紙切れに赤鉛筆でマークをつけ、渡してくれました。チケットのようです。また、カチッと電気を消す。再び車内は真っ暗になりました。バスは唸り声をあげながら疾走する。

 蛇腹の部分に腰掛け、周りを見てみる。暗い街の中を真っ暗なバスが走っていく。時折明るい建物の前を通ると、さっと明りがバスの中をなめていく。実に不思議な感触です。

 しばらく走り、天安門の前にさしかかる。天安門は全体的に暗い北京市街の中で、ひときわ明るく、異彩をはなっていました。そうこうしているうちに前門に着きました。ここでバスを乗り換え、ホテルに戻りました。

 さあ、明日は“メーデー”。共産国のメーデーとは?