そのT









長男が右足の膝の近くに直径3センチ程度のデキモノがあり、近くの病院(外科)に母親がつれて行ったときの話しです。

早速、レントゲンを取り、それを見ながら医者が説明してくれた様子です。

(医者)

「レントゲンには、特に何も異常は見当たりません。」

(母親)

「軟骨もレントゲンに写るのですか?」

(医者)

レントゲンの下の方を差しながら

「こんな風に写るんですよ。でもこれは、場所が違いますから。」

その時、横にいた看護婦さんが、黙ってレントゲンのフィルムを180度回転させたそうです。

結局、専門外との事で大きな病院へ紹介状を書いて頂きました。

大きな病院での診察の結果は 骨軟骨腫。

(ほとんどのものは 良性とのことですが、いつかは手術で切除することになるようです。)

そのU




私が大きな病院の待合室で診察を受けるために、1時間程待っていた時の話です。
かなりお年寄りのおばあさんが受付に診察券を出して、しばらくして看護婦さんから名前を呼ばれました。

お年寄りの方は、他の人より早く診察してもらえるのかな と思っていましたら、看護婦さんが その方に「今日は、ご本人は来ているのですか?」と尋ねられました。

おばあさんは 「最近、おじいさんは調子が悪くって病院には来れないのですよ。今日は薬だけをもらいに来たのです。」と答えられました。

私はその後、1時間以上待って診察を受けました。

そのV







私が扁桃腺炎で40度以上の熱が3日程続き入院したときの話しです。

私の隣のベッドに70才を超えたご老人が糖尿病のため視力が落ち、目の手術のために入院されてこられました。

 ご老人夫婦は元教育者とのことで、俳句を愛され、入院されているお爺さんは 見るからに厳格そうな方でした。
 お婆さんは 気さくな方でよく話しかけてこられました。
お爺さんの病気のため海外旅行にはいけないこと、カロリー計算をして毎日の献立を考えていることなど話されました。
 お爺さんは毎日運動しなければいけないと、入院されても看護婦さんから許可を得て病院の廊下を早足で散歩されていました。

私は、しばらくノドが痛くて眠れない夜が続いていました。夜になると隣のベッドからカーテンごしにアメをなめている音がするような気がしていたのですが、私は食事を満足に取れず空腹の状態でしたので、私の勘違いだと考えていました。

ある日の午後、お婆さんが「病院の売店で買ってきた」と言ってお爺さんにアメの袋を渡しましたので、私は糖尿病でも少しだったらアメを食べてもいいのかと思ってしまいました。

しかし、看護婦さんにアメの袋を見つけられ、こんな事では目の手術を受けられないとかなり厳しい注意をされてました。

この手術を受けるために半年以上 順番を待っていたそうです。

手術は無事成功し、視力が回復したと大喜びで退院されました。

そのW  上のできごとから、10年後、私がまた扁桃腺炎で入院した時の話です。
今回は溶連菌が確認されました。幼児がかかりやすい病気です。

 先生の回診の時に、同じ病室の方が、お腹が痛いと言われ、盲腸かもしれないということで、レントゲンを撮ることになりました。
 その方は、歩くのが不自由のために移動式の装置を持ってきて、病室のベッドで撮ることになりました。

 やがて、レントゲン技師がひとりで装置を押してやってきました。
最近は便利な装置があるのだなと感心してましたが、私はこの部屋に居て放射線は大丈夫なのかなと不安になってきました。私はまだ点滴をしていまいした。
 レントゲン技師は、タンタンと準備をされ、セッティングが完了された時に私のベッドに来られて、
「この装置の放射線の線量は微量ですから、ここで寝てられても大丈夫ですよ。ご心配なら、少しの間、部屋の外に行かれてもいいですが」
 私はまだ熱も下がっていなかったので、「微量の線量」を信じてベッドに寝ていることにしました。「ベッドに寝てます。」の返事を聞かれたレントゲン技師は、装置の方へ戻られ、装置の横にあった少し厚くて、重そうなエプロンをつけられてから、装置のスイッチを押されました。エプロンを外されて、「終わりました。」とつげられて、部屋を出て行かれました。

あのレントゲン技師を信じて、大丈夫だったのかなと不安になってしまいました。


 あのエプロンは、間違いなく放射線を遮断する鉛入りエプロンだったと思います。