ザ・スズナリ 6/28〜7/5
7/2(土)マチネ観劇
作・演出 赤掘雅秋申し訳ありません。まだ書けていません。
作 サジキドウジ
演出 東憲司舞台は、いつかどこかの博多の外れ。彼岸花に囲まれた墓陰長屋。そこには船底を洗ったり、河に落ちた積荷を拾ったり、川底のゴミを拾うことを生業としている人々“ガタロウ(語源は河太郎=河童”)が、長屋の元締めの茶山(鈴木めぐみ)の元、助け合って暮らしていた。その一人、雑魚部倉雄(池下重大)は、いつかどん底から抜け出そうと、拾った新聞を読み漁っていた。ある日、新聞に『アイスキャンディ製造用壱馬力冷凍機』の売り広告が出ているのを発見し、目を輝かせる。雑魚部は冷凍機を買う為に、茶山に金を借りようとするが、「お前のようなものが商売をしても誰も相手にしない」と耳を貸さない。しかし、その言葉には、そのくらいで諦めるようでは駄目だ、という愛情が隠されていた。そんなところへ、過酷な労働を強いられ、マッチ工場(築港相台社)を逃げ出した、左半身に火傷の痕が残る女工のほいだらべ(板垣桃子)達が現れる。生きる為には関わっては駄目だという信条の茶山(茶山の夫は、工場を逃げて来た女工を逃がしてやったのが原因で殺されてしまった、という過去を持つ)を尻目に、雑魚部は、かすめたイモをこっそりと与えていた。そこへ、逃げた女工を連れ戻す“戻し屋”の土井垣(川田涼一)達が現れる。ほいだらべは、工場長を刺して逃げた女なので、意地でも捕まえると豪語する。そんな土井垣も、この墓陰長屋の出身者であった・・・。幼い頃(小林ちさと)姉(川原洋子)が工場から逃げ、彼岸花を食べ自殺した過去を持つ雑魚部は、複雑な思いであった・・・。それぞれの思いが複雑に絡み合い、夢、希望、そして破滅など、様々な人間模様を形成していく・・・。
理由もなく「面白かった!!」と叫びたい。そのくらいに感激してしまったのである。案内をくれたヨネクラカオリさん(純真無垢な少年の瞳はさすが!)に大感謝。物語は今では考えられない(ただ、18時間労働は今でもあるので除外)借金の形に売られる・・・って感じの古い時代背景の物語なので、何故今?という疑問を持たなくはない。しかし、それを超越した面白さであった。加えて、ラストシーン(台風)の舞台装置は圧巻。スズナリであそこまで見せてくれるとは思ってもみなかった!!
“生きる”って事のたいへんさに涙ボロボロ。その上、満員の熱気で汗だく。もぉグッシャグッシャ状態で劇場を後にした。こんな事は久々。
唐組やらルナパークミラージュやらアングラ色の強い劇団に魅力を感じる自分が、今まで観てなかった事に大いに反省し、“馬鹿者”と自分を叱咤。本当に“後悔先にたたず”である。次回は大好きなテント芝居らしい(それも近所の飛鳥山)。これは見逃すわけには行かない!
申し訳ありません。まだ書けていません。
作・演出 池里ユースケ申し訳ありません。まだ書けていません。
作・演出 清水宏どこかの町にあるスナック『ロコモーション』。ママのロコ(藤田記子)とホステスのしのぶ(栗田かおり)の二人で営業しているような小さなスナック。客は常連のグレさん(山崎竜介)、ナカジー(長谷川達之)、もっちゃん(泉陽二)。スナックを取材(と言っても寒そーな個人的なホームページ)に訪れたやっちん(和泉みか)も、いつの間にか店を手伝うようになり、知った顔ばかりで、全てがなぁなぁな“スナック”という一般社会とは隔離された別世界で、夜を過ごしていた。そんな『ロコモーション』に新顔のデラさん(清水宏)がやってきた。自称ライターのパワフルなデラさんの登場で、変化の乏しかった空間に歪みが出来始めていた。その歪みが徐々に大きくなり、全ての人々に影響を及ぼしていく・・・。そんなスナックを舞台に、その店に出入りする人々の人間模様を描いた作品。
この作品で表現したかった事は、チラシに書かれたものが一番的確だと思うので、ところどころ省略しつつ勝手に拝借させてもらいます・・・。
「スナックってどうしてあんなに入りづらいんだろう。大体の客が顔なじみだ。顔なじみ以外の人間には何であんなに敷居が高いのだろう。馴染みの無いスナックに入ったときの、あのアウェイな空気はなんなのだろう。そしてスナックってなんであんなにいっぱいあるんだろう。限られた客の奪い合い。というか囲み込み。スナックには何があるのか。お客とお店の間には何があるのか。
スナックと客の間には罪の意識がある。なんらかの共犯関係があると仮定し、そこにとぐろ巻く人間関係のどうしようもなさと過酷さをブラックでシュールなコメディとして描き出す。」
とコメントが書かれてあったが、その通〜りな芝居。芝居自体はそこそこに面白かったが、清水宏が出演している場面とそうでない場面の温度の差が激し過ぎた。藤田記子のママはむちゃくちゃ良かった(女優というより怪優のイキに達しているように感じる)が、他の役者のテンションの低さが気になって仕方が無い。まぁ清水宏のテンションは異常過ぎるんだけど・・・。余談だが、そのテンション、熱く語るところは清水宏そのもののように感じる。飲んでいる時と一緒じゃん、って思ってしまった。それに反して藤田記子は、舞台と普段話す時との差がひらき過ぎてて、自分の中で消化できない。根っからの演技者なのか、普段は猫被ってんのか。で、藤田記子は別格として省くとして、清水宏のテンションを舞台に上げられるのは、そうそういないのではないだろうか。今回の作品だって、一人芝居にしたなら、もっと人物像がデフォルメされ、さらに面白かったのでないだろうか・・・そう感じてしまった。やっぱ清水宏はピンでやってこそ素晴らしいと改めて感じてしまった次第である。