満足度:★★★★☆
舞台は筑豊、石炭が宝の石と言われた明治の時代。「句狂」こと大和田稔は小さい頃から、手の付けられない腕白坊主で勉強よりも遊びに明け暮れていた。それは性癖は「おゆき」という妻をめとった後も変わらず、毎晩遊び歩くしまつであった。この放蕩ぶりに、両親は将来を心配したあげくに稔を炭坑に勤めさせた。しかし、これが稔の一生を変えてしまうことになる。坑内での作業中、ハッパの爆風に目をやられ、一生日の光を失ってしまったのである。このことで、稔は絶望のどん底にと追いやられ、人を恨み、世をのろうようになってしまい、ついには悲観したあげく、自殺未遂をくり返してしまう。
しかし、その後、ふとしたきっかけで俳句の道と出逢った稔はたちまちの内に、俳句へとのめり込む。その死にものぐるいの姿から「句狂」という俳名をさずかった稔は、盲人ならではの鋭い感性元に、活動の場を広げていく。後年、「ホトトギス」という俳句の会に所属し、各地の俳句グループを指導していたが、46歳という若さでガンのためにその生涯を閉じるのであった・・・。そしてその句狂のそばには常に献身的に句狂を支えた妻おゆきの姿があったのである。
炭坑という生と死とが隣り合わせの過酷な環境、そして、夫を愛し、子供を愛し、すべての人を愛したおゆきという女性を通して、生きることの大切さ、愛することの大切さが語られました。印象に残っているのは、稔が炭鉱事故で、生死不明となり、おゆきと子供達がその連絡を受けて心配しているシーン。その後命は助かったが、両目とも失明してしまったという連絡で、今までのばちが当たったのだと悲しむ子供達とは逆に、命が助かっただけで十分だと喜ぶおゆきの姿でした。あとは、おゆきと炭坑婦の千代の会話のシーン。千代が炭坑で働いていたとき、ふとした事で採掘作業を変わってもらった青年が、その数瞬後の落石事故で生き埋めとなり、そのまま命を落としてしまったという昔話。自分の代わりに命を落とした青年の分まで、どんなことがあってもしっかりと生き続けるという千代の言葉に胸を打たれました。
他にも、舞台中では歌と踊りの歌劇ショーなどもあって、いろいろと楽しめました。その時に、おひねりが飛び交ったのは圧巻でしたが、ちょっとやりすぎかも(^_^;そうそう、舞台が九州の筑豊地方だったので、台詞のほとんどが九州弁でした。私はほとんどの言葉、言い回しがわかりましたが、普通の人だったら、わかりにくい部分があったのじゃないでしょうか。まあ、ちょっとばかり不自然な台詞もありましたが(笑)
私自身、場所はちょっと違いますが、昔は炭坑で栄えた筑後の町の出身なので、非常に身近に感じました。実際に小学校の時、友人のお父さんが三池炭坑の事故で亡くなられたことがあります。私の叔父も既に引退しましたが、元炭坑マンであり、考えると、今まで無事に生きてこられたことは運がいいことなのかもしれません。村下孝蔵さんが亡くなられた直後だったこともあり、人の死というものについて、いろいろと考えさせられました。やはり、今を一生懸命生きることが大切なのだと再認識しました。