左手利きの扱われかた
●左手利きの扱われかた

 自分は幸運なことに理解ある両親に恵まれ、物心がついてから矯正をうけたことはありません。親曰く、「2〜3歳の頃、大きいオモチャを左手で投げて壊してから『これは直らないな』と思った」らしい。直るも直らないも左手を使うのが正しいのだから直すのはオモチャの方だろうと思っているんですが...。

 ただ、幼児期の虐待(レイプ、折檻等)は表面意識、特に記憶にはまったく残らないことが多いそうなので、今イチ自信はありません。

 さて、本題の左手利きの扱われ方なんですが、読んでいてあまりいい気分になるもんじゃないと思うので、読みたくない人はここから戻ってください。


 まず、ご年配の方々から人間として扱ってもらえませんでした。なんていうんですかね、いかがわしい物でも見るような目つき、犯罪者、鬼畜米兵と変わらなかったんでしょう。

 食事の時はひどいもんでした。幼稚園に通っている頃、親戚の家でお昼を頂く状況になったんですが、その時、箸を左手で持っているのを、祖父に見咎められ「行儀がわるい。だらしがない。」と激しく罵られたことを覚えています。その時は、何がなんだかまったくわからず、他人の家で食事をすることを叱られたと思い込み(物心もつき、薄々左手を使う自分がおかしいと感じ始めていたが、それを肯定したくなかったんだと思う)ものすごいショックを受けました。

 その後、他人の家で食事をしようとすると吐き気に襲われるようになり、今でも治っていません。ただ、年配者がいないところ(小学校の給食、駄菓子屋)では、なんとか食事できたのが救いでした。
社会に出てから、一人でなければ他人の家で食事しても大丈夫になったと思いますが、外食となると一人では吐き気に襲われるため、出張に出たときお昼は缶コーヒーの一気飲みで済ましています。
同僚と食事する場合でも、普段の3分の2以上食べることができず、それ以上食べようとすると、やはり吐き気に襲われます。原因は上記の幼児体験からくるものと思いますが、トラウマというのは、原因が解っていても決して治るものではないのですね。

 やはり、どこへ言っても年配の方に「左手利き」ということがわかると、途端に目つきが変わりました。生ゴミを見るような目つきです。その目には、感情というものは一切ありません。あるとしたら、蔑みだけでしょう。

 大概、最後の捨てセリフとして、「親のしつけがなっていないねぇ」、「だらしがない親だねぇ」でした。子供にとって、最大の存在である両親を罵倒されるということは堪え難いことでした。その時の悔しさは最近思い出しました。(堪えきれなかったので、親を愛さないことで精神の安定を図っていたようだ)

 だから、友人の家の近くで遊んでいる時などに、主婦の方々が井戸端会議をしている場合、極力「左手利き」であることが判明しないように振る舞っていました。判ったら最後、珍獣扱いか哀れに思われるのがオチですから。

 常に人の目を気にしていなければならない。左手を使うのを見られてはいけない。そんな、強迫観念に囚われて自閉症気味になっていた。

 ドッチボールで遊んでいても、ボールから常に逃げていた。投げられたボールを受け取ったら投げなければいけない。

「左手で投げるところを他の人(年配の人)に見られたらどうしよう」

 そんな訳で、ドッチボールでボールを進んで受け取ったことは一度もありません。(本来、受け取って勝負するのが普通だったんですよ)当てられて、外野にまわったとき仕方なく投げたことはあります。

 そのうち、みんなから「ヘタクソ」扱いされて、仲間にいれてもらえなくなったおかげで脅威は減りました。ただ、担任がそんな自分を見ておせっかいにも「仲間にいれてやれ」なんていうもんだから、そのときは非常に困りました。ただの厄介者なのに〜。

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