久しぶりに振り返ってみる
●開設当時を思い返した

このホームページを開設した時期(1997/06/08)はASDLという高速通信が普及し始めた頃です。地元ではまだASDLが普及しておらず、諸事情を含め一人暮らしを始めるにあたりASDLが使えるところを選んで引越して、ホームページを作ったのは懐かしい思い出です。

この数年前から企業にインターネットが普及し始めて、職場でインターネットやネットゲームを行う社会人が続出した時期でもあります。まだブラウザが有料だった頃ですよ。インターネットからダウンロードした画像をフロッピーに保存して自宅に持ち帰ったりしてたかな。

「納得のいかない物 − 不便な物」でリンクしている『左利きの小部屋』と『全国サウスポーからの報告!』を久しぶりに見て、2001年で更新が終わっていることと、左利きネットワークのリンクがことごとく『404 Not Found』になっているのを確認していた。すでに終わった事象であることを確認して涙が出るかと思ったが、何も感じることはなかった。左利きだからだろう。


今では左利きは身体障害者、邪魔者、子供であろうと無条件に暴力を振るって構わない(特に中高年の思想)存在という定義が変わってきたことを感じる。

左利きはただのステータスの一つに成り下がって、取り上げるほどのことでもない位置づけになったと思いたい。だから過去のサイトが消え去ったことも役目を終えただけと考えているだけなのかもしれない。

情報伝達をする方法は時代と共に変化するもので、個人サイトで展開する必要がなくなっただけのことだと理解している。今では今時点の流行の方法で情報を発信して、流行が廃れたら別の方法で情報を発信するのだろう。自ら発信した情報は消し去って価値を持たせないやり方はどうかと思うが、発信する側が人間として存在する価値がないからそういうやり方しか出来ないのかな。価値がないことを理解出来た時点で満足しちゃってたりして。

なんかね、テレビの番組で情報伝達を揶揄しているのがあって、各メディアの寿命を比較していたのがあったんですよ。CD-ROMとかDVD-ROMとか情報量は膨大だが、100年後は全てゴミだって。紙はもっと耐用年数が高くてそれに負ける近代技術って過去の遺物に勝ててないよね、バーカ、バーカな内容。新しいものを重用する無知な人間(なのかな?)を終始小馬鹿にしていたが、その番組も近代技術の恩恵で放送されている皮肉も込めているのだろうか。

オチは石版の寿命な数千年でそれに優るメディアを今だに人類は創造・開発・生産することが出来ていないという内容でした。

そういえば、東日本大震災で津波被害にあった地域は石碑で同じ被害に合わないように後世に伝えられていましたね。同級生を震災被害で失った中学生や高校生は「ふざんけんな、石碑の内容をtwitterで拡散していればこんなことにはならなかったんだ」と怒りまくっていることでしょう。大切なのは思いやりを持った人間の行動(石碑に刻む)ではなく、子供目線中心に合わせた矮小な世界観なのです。

でも「あーれー? 避難所でダンボール生活を送っている被災者にtwitterのメッセージが届かないよ〜。なんで見ないかなー」と理解できない輩を畜産したのはtwitterの運営と思っていけません。どの時代でもツールを悪者にして逃げおおせる悪人がいるのです。親とか大人とか。

うーん、今までの内容を振り返るのと途中で何か言いたいことが変わっているが、まぁいいか。

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