左手利きから見た右手利き
●左手利きから見て右手利きはどう見えるか

別になんとも思わないですね。世の中に多く溢れていますし、左手利きから見ても左手利きが奇異に見えてしまうのは右手利きの人と同じ。

個人的な感情を例えて述べると右手利きが白色人種で左手利きが有色人種に見えます。人種差別について自分が得た情報からだと本質的に多少差異はあると思いますが、例えるとかなりしっくりきます。

「左手利きは差別されて当然。社会的にも右手利きと同じ待遇(サービスの恩恵というべきか)を受けられない。」

挙げていけば色々ありますが、書いている本人も辟易してくるのでこんな感じでわかってもらえるでしょうか?

右手利きというのは平たく言えば、社会から様々な恩恵を受けているのに、それが当然(実際その通りだが)だと思っており、その輪に加われない、もしくは順応できない人種を奇異な目で見ることを許されている存在と表現できます。

生まれつき特権を持った人間とそうでない人間との間に鬱積がたまるのは当然でしょう。その鬱積がどういう形で具現するかはその人次第。人を殺めるまではいかないと思うが、酷いことはするかもね。「お前等がしてきたことよりかはマシだ」とか言いながら。

右手利きを普段どう見ているかと言うと、自分の中では「左手利きの人間」と「右手利きの人間」というカテゴリーに分かれています。別の表現だと「仲間」か「敵」か。
「右手利きの人間」に接するときと「左手利きの人間」に接するときとでは態度が全然違います。初対面でも「左手利き」というだけで和めるが「右手利きの人間」に対しては簡単に心を開くことができない。「敵」でも悪人ばかりじゃないのでそれを見極めようとして時間がかかる。
いい加減オトナなんで社会的付き合いもあるため、そんな我が侭も言っていられないのが現状だが、自然と距離を置くことは忘れない。社会に出れば表面上の付き合いばかりなので学生の時に比べて随分楽になった。

事故のニュースが報道されたときにふと「被害者が全員右手利きだったら」なんて思うことが多い。もしも左手利きの人間がいたら悲しい想いをすると思う。でも「全員右手利きだったら?」と想像したとき、なんの感慨もわかなかった。人の命は尊い、と頭の中でも分かっていてもそういう想像をすると何も感じなくなる。

精神分析をされたらなんて言われるのだろう。「自分を卑下した人間達の存在を無視することで心の平穏を保っている」とでも言われるのだろうか。とりあえず無視することは有り得ないかな。脅えながらいつも監視しているつもりだから。

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