学校教育を考える ページ3
 


宗教育すべき宗教の歴史と役割
岡崎 照幸

99/09/01
  
 朝日新聞の『批評の広場』に「教育すべき宗教の歴史・役割―文部省訓令12号から100年」という菅原伸郎さんの批評が出ていました。この記事を読んで、次のことを思い出しました。
 ある米国の公園当局者は、その公園を鹿の楽園にするべく、オオカミ、ピューマ等の肉食獣を退治しました。その効が秦し公園内至る所で鹿を目にするようになりました。そんな一見鹿にとって平和な時が過ぎたある冬に公園内の鹿は全滅したという話があります。それは、人は肉食獣が鹿の敵であり、それらの肉食献を退治することが鹿の楽園ができ、鹿の幸せになることと人間は思ったのです。でも、それは鹿の固体教が増え過ぎ公園内の鹿の食料供給限界を越え、いっきに食料難がおとずれ、それが原因で公園内の鹿は共倒れになり全滅したとのことです。
 このお話は人間が良いと思うことが全ては正解にならないことがあり、教訓として心掛けて学んで行かなければならないことを教えてくれます。
 昔こんなSF映画を見ました。大変便利な機械ができ、所有者の意の如く作動する、暑いと思うと涼しい風が、寒いと思うと温かい風が出てくる。勿論スイッチなどありません。またその機械は、空気調整だけでなく蚊やゴキブリ等をも退治するスグレモノです。そんな便利な機械ができて、しばらくして気づくと生き物の姿がないというのでありました。
 私はその映画を見てゾッとするやらホットとするやらした経験があります。まことに、そんな便利な機械が無くてよかったと思いました。いつも穏やかな心持ちでいられればよいが、時として心荒だつ時があります。そんな時この便利な機械があったなら生き物のいない世界を本当に作り出すことでしょう。すでに今日、全人類を何回殺してもありあまる爆弾があり、いつでも稼働できる時代です。
 良いと思うことがすべて正解にならないことの、先の教訓として学ぶ努力をしなければなりません。
 水が低いところから高きところに流れることがないように、己を良いと思ったとき学ぶ事のできない人間になっていきます。
 研修会などに『こころ豊かな云々』といったテーマがあげられことがありますが、どうしたら心豊かな人間になるか、また、心豊かとはどんな状態を指すのでしょうか。
 宗教教育の空白の百年は、この問いに答えるものを育ててこなかったのではないだろうか。宗教的情操を豊に育てる教育を真剣に考えねばならない時期にきているとつくづく感じます。




朝日新聞 1999.7.24 学芸欄「批評の広場」

「探究」記者の目

  教育すべき宗教の歴史・役割
    文部省訓令12号から100年

 一八九九年(明治三十二年)八月三日、文部省は訓令十二号という文書を出した。国公立はもちろん、私立学校の授業や課外活動にも適用する宗教教育の禁止令である。
 《一般ノ教育ヲシテ宗教ノ外ニ特立セシムルハ学政上最必要トス依テ官立公立学校及学科課程ニ関シ法令ノ規定アル学校に於テハ課程外タリトモ宗教上ノ教育ヲ施シ又ハ宗教上ノ儀式ヲ行フコトヲ許ササルヘシ》
 その百周年にあたって、六月下旬に東京で「文部省訓令十二号とキリスト教学校」という講演があった。キリスト教教育研究会の例会で、気賀健生青山学院大学名誉教授が背景などを話した。
 明治政府のねらいはキリスト教の布教阻止だった、という。欧米列強との不平等条約は改正にこぎつけたが、代わりに外国人の居住地自由化を認めた。居留地にいた宣教師がどこででも布教できるようになる。自由化を翌八月四日に控えて、学校での布教を妨害したかったわけだ。
 認可された「法令ノ規定アル学校」には、上級学校の受験資格と在学中の徴兵延期という特典を与えられていた。認可を返上して各種学校になればいいのだが、それでは生徒が集まらない。といって、宗教を教えなくては何のたの建学か、となる。
 宗教教育に力を入れていたキリスト教系の学校には痛手だった。すぐに抗議するが、方針は変わらない。宗教教育をやめたり、宗教色を薄めたりする学校が相次いだ。
 聖公会系の立教は宗教教育断念を表明したが、近くの教会を借りて礼拝を続けた。プロテスタント系の青山学院、明治学院、同志社はいったん各種学校になったうえで、運動と交渉を重ねて受験資格と徴兵延期を回復させる。
 一九四○年に青山学院中学部に入学した気賀さんは振り返った。「どんな裏工作や工夫があったか知らないが、戦時中も礼拝や聖書の授業をやっていました。先生たちのご苦労を改めて思います」
 といって、本当に信仰の自由があったのではない。教育勅語を通じて天皇神格化が推進され、戦時中には、キリスト教系も、仏教系も、すべての学校で神社参拝が強制された。「神社は宗教にあらず」という理屈だった。
 敗戦で訓令は廃止され、私立学校の宗教教育は解禁された。問題はなくなったはずだが、教育界への影響はまだまだ残っている。日本仏教教育学会会長の斎藤昭俊大正大学教授はこう話した。
 「明治の仏教界にはキリスト教の進出を苦々しく思う空気が強く、訓令を歓迎した向きもありました。しかし、仏教も教えられなくなり、学校で宗教に触れることすべてが悪いかのような空気が定着してしまいました」
 日本国憲法と教育基本法は、国公立学校での「宗教教育」を禁じている。特定宗派のための「宗派教育」はいけないと思うが、といって、宗教の歴史や役割を知識として教えることまで禁止したのではない。五○年代の社会科教科書にはしばらく載っていたのだ。迷信や狂信への注意、あるいは宗教的寛容を教えることも必要なはずだ。
 しかし、その後は文部省からも組合からも忘れられ、国公立学校ではほとんど何も教えなくなる。その遠因は訓令十二号にあるように思う。宗教は時代遅れの迷信だとか、面倒な分野に手を出さないほうがいいとか、そんな空気が戦後の教育界にまで持ち越されていたのだ。
 百年の空白は何を生んだだろう。たとえば、日の丸・君が代の問題だ。神社参拝を無神経に強制された側の心の傷に、いま、どれだけ思いが至っているのか。法制化された先の先に信仰がまた脅かされないか、という心配は至極当然である。それよりも、他人の信仰を思いやる宗教的寛容を、大人も子どももしっかり身につけることが先と思うのだが。(菅原伸郎)





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