学校教育を考える ページ5
 


「少年法」と「教育改革」
小林 泰善

01/01/16

   昨年は、教育の荒廃について多くの論議がなされた年でありました。いじめや不登校、校内暴力、学級崩壊から凶悪な少年犯罪について、社会の関心が高まりました。

   その関心の高まりを、政治的な思惑で利用をする動きも始まりました。自らの「神の国」発言について、宗教的見地や教育的見地で適切な処理をすることが全くできなかった方々が押し進めているのですから心配でなりません。

   なかでも、少年法については、その社会の関心を政治家が利用し、現場の声を無視した形で厳罰化の法改正を決行してしまいました。また、首相の私的諮問機関である「教育改革国民会議」では、教育基本法という教育の理念にまで政治的な手を加えていくという方向が示されました。現場で努力していることは現場に任せ、より効果が上げられるように政治的バックアップをするのが政治家の役割だと思うのですが、何かがずれているような気がしてなりません。

   ところが、12月26日大分家庭裁判所は、8月に起きた一家6人殺傷事件の犯人の15歳の少年に重度の行為障害をを認定し医療少年院送致の保護処分を決定しました。また同じ日、名古屋家裁では豊川市の夫婦殺傷事件の犯人の17歳の少年に対し心身耗弱の状況と判断し、やはり医療少年院送致を決定しました。改正少年法の施行は4月からですが、世にもまれな少年による凶悪事件の審判の結果は保護処分でした。世情に流されなることのない妥当な判断だったと思います。

   現場の少年審判は、犯罪少年に厳罰を求めることよりも、保護処分が相当であると判断したのです。このことは私たちに、未熟な少年をこのような状況に追い詰め罪を犯させてしまったことに注目し、同様の犯罪を起こさせないことに関心を向けなければならないことを示唆しているのではないかと思います。少年事件に関しては、改正少年法施行後も逆送(家庭裁判所から検察側へ送致すること)ではなく、医療少年院送致という保護措置が定着していくのかもしれません。

   「教育改革国民会議」の最終報告を読みましても、現行法でできることがほとんどであり、教育基本法に手を着けることには、政治的意図を感じざるを得ません。

   森首相は今年は教育改革の年にするのだそうです。いずれにしましても、現場からの意見が尊重される政治を求めていかなければ、教育改革が、改善の方向に向かうのではなく改悪になってしまいます。

   最終報告では宗教教育についても意見が述べられていますが、「神の国」発言の次元では困ります。宗教界からも宗教教育はもちろんのこと教育全般に関して積極的に発言をしていかなければならないと思います。






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