菅原智之 の インド紀行 ページ 4


 

 


  

インド仏跡参拝記 その4
〜 涅槃の地 クシナガラ 〜
 
 
  仏教の開祖『お釈迦さま』ゆかりの地を訪ねて、1997年2月12〜20日のインド仏跡参拝記の第4回です。




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 我々一行はベナレスを後に、お釈迦さまのお亡くなりになった場所、クシナガラへ向かいました。
 お釈迦さまがお亡くなりになったことを『涅槃(ねはん)に入られた』と申します。肉体の死をもって、完全な悟りに入られたということです。肉体は生きる限度があります。ですがお釈迦さまの説かれたみ教えは、その肉体が滅びた後も滅することがありません。現に二千五百年もの間、脈々と人から人へ語り伝えられ、『生老病死(しょうろうびょうし)』に“四苦八苦”するいのちを温かく支えてきたのです。

悟った方は穏やかです。


 この事実の前では、まさにお釈迦さまは、永遠のいのちを生きられていると言っても過言ではありません。ですから『涅槃』とは、肉体という限界を離れて永遠の悟りを得られたことを言います。




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 途中の小さな村の、壁の白い色が印象的なホテルに立ち寄り、昼食です。メニューは当然カレー。野菜もカレー味。うれしー。美味しー。郷に入らば郷に従えとの諺があるように、インドに来たのだからとことんまでカレーとつきあうのが王道でしょう。ですが、慣れないスパイスに少々胃が疲労気味。お腹一杯いただきましたが、食後はぐったりしてしまいました。落ち着いてからは村を散歩してみました。露店では『チャイ』という飲み物を売っています。


 屋台はいいもんです。 

 チャイは紅茶とミルクと生姜(シナモンか?)を混ぜたような、不思議な味がします。それを素焼きのコップで頂きます。素焼きなのですぐに飲まないとコップに染み込んでしまいます。最初は生姜の様な香りが強いのでちょっと戸惑いますが、慣れてしまえばGOOD! 結構いけます。値段はナント七円程。飲み終えたコップは地面に叩きつけてハイッご馳走さま。素焼きなだけにあっという間に土に帰ります。インドはとっても地球に優しい国なのです。必要にして十分なモノと余計なモノ。文明先進国といわれる我々は、今一度、考え直す必要がありそうです。



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 太陽が大分傾いた頃、クシナガラに到着。沙羅双樹に守られるように、涅槃堂はひっそりとたたずんでいました。お堂の中に横たわる、金色に輝くお釈迦さまの“涅槃像”の尊前で、インドの古典言語パーリ語の音楽法要をしました。

♪ブッダーン サラナーン ガッチャーミ♪
       ♪ダンマーン サラナーン ガッチャーミ♪
              ♪サンガーン サラナーン ガッチャーミ♪


 『三帰依文』が小さなお堂に響き渡りました。折しもちょうど二月十五日、お釈迦さま涅槃の日です。インドやチベット・タイ・ミャンマー(ビルマ)・韓国、そして日本。各国の仏教徒が途切れることなくお参りにくるその中で、お釈迦さまのお顔は、お堂の入り口から射し込む夕日にますます金色に輝き、永遠の微笑みを浮かべられていました。

ブッダは微笑む



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 日が暮れる前に荼毘塚も訪れました。


 こんもりとした丘は、お釈迦さまが火葬にされたところを表しています。お供えされていたお花とローソクが、お参りが絶えないことを示していました。
 “生と死”は決して分けては考えられません。表裏一体。そればかりか死が生を支えていました。死あっての生であり、生あっての死でした。真っ赤に燃え上がってインドの大地に落ちていく太陽は、何億年という途方もない時を刻み続けてきました。人間の一生は長くてもせいぜい百年ちょっと。宇宙の時間の中では瞬きほどの時間です。しかし一瞬でも、確実に光り輝いている存在でした。あの太陽のように。しかし自らが光り輝く存在だということに気がつく人は稀です。世間の価値観に縛られ、埋もれもがいているのが落ちでした。お釈迦さまのみ教えは、そんな私をあの太陽のように照らし続けて下さいます。

日は沈み、そしてまた昇る。




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  『仏(ブッダ=覚者)に帰依したてまつる。法(ホウ=真理)に帰依したてまつる。僧伽(サンガ=仏と法を帰依したてまつる仲間)に帰依したてまつる』 《三帰依文 意訳》



  次はいよいよ国境を越えネパールに入り、お釈迦さま生誕の地、ルンビニーへ向かいます。

                  (つづく)



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