菅原智之 の インド紀行


  

インド仏跡参拝記 その 6
〜 祇園精舎にて 〜
 
 
  仏教の開祖『お釈迦さま』ゆかりの地を訪ねて、1997年2月12〜20日のインド仏跡参拝記の第6回です。




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  『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり』の平家物語で有名な『祇園精舎』は、インド北部のネパールに近い所にあります。ルンビニーからはバスで4〜5時間位の距離です。舎衛城という城壁都市遺跡の中にあります。そこを目指し我々一行は、早朝にルンビニーを出発し、再びインドへと戻ってきました。


インド北部はこんなにのどか。


  ルンビニーから腹痛の私は、バスの揺れが苦痛でなりません。途中でガイドさんが「インドの腹痛にはインドの薬しか効かない」と、薬を買ってきてくれたのですが、やや収まったものの、下ったお腹には焼け石に水。そんな身でありながら、お昼のカレーはしっかりと頂きました。「インドに負けてたまるかっ!」。

お昼のカレーと戦ったホテルです。

  今回まわった所って、日本のように道路沿いにトイレが整備されていないんですよ。私は下痢。トイレはない。「…」。大地に足(?)跡を残してきましたー!。

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  『祇園精舎』とは、祇樹給孤独園精舎(ぎじゅきっこどくおんしょうじゃ)の略です。その昔、コーサラ国のこの辺りに、スダッタ長者がおりました。彼は貧しい孤独な人々に食べ物を施こす徳の高い方だったので「給孤独長者」と呼ばれていました。お釈迦さまの熱心な帰依者であった彼は、招待を申し出て、立派なお寺をお布施したいと思い立ったのですが、目星をつけた園はジェータ(漢訳=祇陀)太子のものでした。長者の申し出に対し、太子は「園にいっぱいの金貨を敷き詰める事が出来れば、その金貨と引き替えに譲ってもいい」と答えました。長者は太子からそれを買い取り、お釈迦さまに寄進し、そこにお寺を建てたのでした。

今も信仰を集めていることを、
真新しい金箔が物語ります。


  お釈迦さまはここもで数々の説法をされ、お経として残されています。浄土真宗で拝読する『仏説阿弥陀経』はここで説かれました。序文に『舎衛国祇樹給孤独園』と説法の場所が記されています。祇樹給孤独園という名前の由来は、「給孤独長者」がお金を敷き詰めて買い取った園に祇陀太子が樹木を寄進したということから、『祇樹給孤独園』というのだそうです。
〔中村元先生著『ゴータマ・ブッダ』参考〕

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  祇園精舎跡は、大きな木々が強い日差しを遮り、心地よい空間を作り上げていました。野生のインコやオウムが飛び交うそこは、まさにオアシス。この場所を是非施したいと願ったスダッタ長者の気持ちがよく分かります。赤いレンガ積みの僧院跡で読経したのですが、まるでお釈迦さまの説法を直接に聞かせてもらっている感じがしました。

  黄色い袈裟をつけた少年が、しきりに話しかけてきます。言葉はよく分からなかったのですが、持っているチラシを見ると日本語が書いてあります。なるほど、この近くにお寺を建てたいということでした。国や宗派は違えども、お釈迦さまを慕う気持ちは一緒なんだということに感動してしまいました。思わず募金しました。今頃どこまで建設が進んでいるのかな?。



  強い日差しの下、僧院跡の赤いレンガと青い空、緑の木々にチベット僧の黄色い袈裟の極彩色コントラストがとても印象的でした。

  しかし、残念ながら“鐘”はありませんでした。

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 『青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、
赤い花は赤い光を、白い花は白い光を放ち、
いずれもがそれぞれに美しい』

《ブッダの言葉 仏説阿弥陀経より》




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  次回は、タージマハールへ向かいます。

                  (つづく)



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