菅原智之 の インド紀行


  

インド仏跡参拝記 その 7
〜 タージマハール 〜
 
 
  仏教の開祖『お釈迦さま』ゆかりの地を訪ねて、1997年2月12〜20日のインド仏跡参拝記の第7回です。




☆☆☆☆☆☆

   仏跡を一巡りした我々一行は、長らく苦楽を共にしたバスを降り、夜行列車で『タージマハール』のあるアグラへと向かいました。  ラクノー駅21:50発の【VAISHALI.EXPRESS】は、時間にルーズなこの国にしては珍しく、定刻にやってきました。停車時間が長く、発車までまだ時間があるので、荷物を積み込んでから夜の駅を探検してみました。


(本当は撮影禁止らしいんです)


  駅は夜だというのに人また人。まるで新宿駅の様な賑わいです。ホームの屋台ではサモサ(インド風揚げ餃子)が美味しそうに湯気を上げています。食べたい!、でもお腹が…。我慢がまん。  三等座席車は東京のラッシュ以上の混みようです。何しろドアから人がはみ出し、車内の荷物棚の上にまで人が乗っていました。凄すぎる!。この方達はこのまま夜を過ごすのでしょうか?。驚きです。それに比べて我々二等寝台車は、入り口を銃を持った兵隊がガードし、物々しい雰囲気です。聞けばインドの女優が乗っているとのこと。そばで銃を見るのはやはり恐ろしいものです。トイレはボットン式で、線路がよく見え乙なものです。


日本の寝台と似ています

  列車は定時に発車し、ゆっくりとひた走り、翌朝5時過ぎ、定刻にアグラ駅へ到着しました。早朝というのに駅前は人人人。この人達はいつ寝ているのでしょうか?。インドのパワーに圧倒されます。朝食後、バスでタージマハールへ向かいました。

☆☆☆☆☆☆

まずは象さんがお出迎え。


  『タージマハール』は、イスラム国家ムガル王朝の第五代シャージャハーン王(十六世紀)が、最愛のお后の死を悲しみ、22年の歳月と膨大なお金をかけて建設した“お墓”です。

定番のポイント、
タージを持ち上げる!の図


  塔の高さは65メートルもある大理石の純白なもので、壁面には宝石がはめ込んであり、それは見事なものです。

見事な細工でした。驚きました。


  王は近くの『アグラ城』に住みました。それは増築された時代により、赤砂岩や大理石で作られた大変雄大な城です。

☆☆☆☆☆☆

  シャージャハーンは権力を振りかざし、大変贅沢な暮らしをしていました。たくさんの側室を抱え、宴に興じていたそうです。しかしその宴の舞台の真下は、正妻以外で王様の子供を身籠もってしまった女性の処刑場でした。快楽と死が紙一重だったのです。それは、正妻の息子が権力争いに巻き込まれないように、という配慮だったのでしょう。しかし理由はどうあれ、彼は人の命を軽く見る王でした。やがて大人へと育った息子と王の位を巡って争い、お后の眠るタージマハールが見える部屋に幽閉され、最愛のお后と共にタージマハールに眠ることとなりました。何とも皮肉なものです。

この舞台の真下で、虐殺が行われていました。
舞台の下に見える窓は、 処刑場のそれです。
あー恐ろしい。


  人は権力を握るとなんて傲慢になってしまうのだろうかと、処刑場を目にしながら、その恐ろしさに震えました。そして子は親の後ろ姿を見て育つのだなと、子を育てるとは、親が自らの後ろ姿で歩む道を示すしかないと、しみじみ考えてしまいました。

☆☆☆☆☆☆

  一時栄えたイスラム王朝も、歴史の彼方へ消え去りました。まさにお釈迦さまのご説法通り、永遠なものは何もない『諸行無常』でありました。そしてそれを眺めている私自身の命も、必ずや終えていかなければならない命でありました。壮大な時間の流れの中では一瞬の輝きです。それは小さな小さな輝きかもしれません。ですが、確実に輝いている存在です。なかなかその事に気づくことは出来ませんが。イスラム王朝の壮大な歴史絵巻は、“人間”という存在を、深く考えさせられました。


人間の愚かさを眺めてきたアグラ城は、
静かにたたずみます。

☆☆☆☆☆☆




  ♪人生は決して立ち止まらない 

どんなに強い嵐が吹き荒れようとも 

進め進むんだ♪

《インドに伝わる歌より》




☆☆☆

  次回は、デリーへ向かいます。

                  (つづく)



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