菅原智之 の インド紀行


  

インド仏跡参拝記 その 9
〜 インドを振り返って 〜
 
 
  仏教の開祖『お釈迦さま』ゆかりの地を訪ねて、1997年2月12〜20日のインド仏跡参拝記の第9回(最終回)です。




☆☆☆☆☆☆

     月日の流れは早いもので、インドを駆けめぐった日々から、もう2年が経ちました。


コブラ使い、本当におりました。


     お釈迦さま悟りの地ブッタガヤや涅槃の地クシナガラでの感動も、大地に染みついたあの独特な匂いも、お腹を壊しながらも食べたカレーの味も、全てが記憶の彼方へと消え去りつつあります。すべてははかなく、光陰矢のごとしです。私もまたしかりでありました。


人力車でも結構速い!


     東京にいると、人々のせわしなさに疲れることがあります。インドから帰ってきた頃は、それを傍観している自分がいたのですが、今となっては、せわしなく過ごすことに何の抵抗も感じない私。また、その流れに乗っていないと生きることすら難しいような世の中。私は時々、息苦しさと共に言い様のないやるせなさに襲われます。何となく流れに流されているだけの毎日、はたしてこのままでいいのだろうかと。


土産売りの彼は、断り続ける私にあきらめ、結局品物をくれました。


     あまりに効率的すぎるシステムは、無駄を極度に嫌います。ですがそれには、“余裕”がありません。日本は無駄を排除してきたつもりが、余裕まで排除してしまい、失敗を許さない偏狭さを生み出してしまったような気がします。

あー楽しそう。



☆☆☆☆☆☆
     でも、今の私はインドの人々の生き方を知ってしまいました。『ノープロブレム』という生き方。例え飛行機が何時間遅れようが気にしない。いつか着けばいいじゃない。例え自分の部屋が汚れていても気にしない(オットこれは片付けなきゃマズイかな?)。例え人が自分を追い抜いていっても気にしない。人は人、自分は自分、自分のペースで歩もう。当たり前だけども、忘れていたこと。忘れていたけれども、大切なこと。インドを旅して、その大切なことを取り戻したような気がします。


気持ちよさそう。


     
インドは大らかな国です。無駄だらけのようでもあり、その実、余裕がたっぷりとある。ただ、大らか過ぎるのも考えものですが…。反面日本には無駄がなさ過ぎます。息苦しいなぁ。何事も程々が丁度いい。両極端はいけません。程々にホドホドに。



ネ、素敵な笑顔でしょ。





『相反する二つの中の一つを取って執着すれば、たとえ、それが善であっても正であっても、誤ったものになる』

               
(ブッダのことばより)




☆☆☆

生も死も、聖も俗も、本来区別なし。ガンジス川にて一味となる。


     日本と価値観が全く違う国として、インドはお薦めです。皆さんも人生に疲れたら、一度行ってみてはどうですか。きっと何かが見つかるはずです。  あー、息苦しい日本を脱出して深呼吸でもして来ようっと。


「ブッダはすべてを包み込み微笑む。」



《終》



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