白川 淳敬 の インド仏跡小旅行 ページ


インド仏跡小旅行
ケサリヤ大ストゥーパを訪ねて

  
  去る3/26〜3/30、ケサリヤ大ストゥーパを訪ねて、
インド仏跡小旅行に行ってまいりました。



主な参拝訪問地
パトナ
 クムラハール  パータリプトラ宮殿ホールの遺構
         (アショカ王のマガダ国の首都)

 パトナ博物館
 ブッダガート
 シーク教寺院

バイシャリ
 バイシャリ城遺構
 リチャビー族の池
 仏舎利ストゥーパ跡
 アショカピラー

 
 バイシャリの町(遠望)
 振り返った丘(遠望)
 ヒンズー寺院
 
ケサリヤ
 ケサリヤストゥーパ
 王宮跡(遠望)
 仏舎利が出たというマウンド(遠望)

カルカッタ
 マザーテレサ本部(お墓)
 マザーテレサの病院
 カーリー寺院
 インド博物館
 ジャイナ教寺院
 おみやげ買い(クルタとサリー)



☆☆☆☆☆☆
パトナ
 

パトナはインド仏跡旅行に行かれた方は必ず通ると言っても良い町ですが、通過してしまうことが多い町です。
パトナはもとパータリプトラと言い(もっと前はパータリ村)、マガダ国の王舎城の次の首都です。パータリプトラでマウリヤ王朝第3代の有名なアショカ王が即位し(BC3世紀初頭)、仏教の教えの元、国を統治し、全国にアショカピラーを建てました。しかし現在、パータリプトラの遺構はほとんどありません。日本で言えば京都や奈良と同じで、旧宮城の遺構うえに、現市街地が建っています。遺構は町の下です。それと南伝北伝に違いが見られますが第3結集がパータリプトラで開かれたのはまちがいないようです。


クムラハール

パトナ市内のクムラハールに宮殿ホール跡の列柱が保存されています。
低いところにあるので水がたまっていて、長い柱だけが水面から顔を出しています。静かなところなので、現地の若者のデートの場所になっています。倒れたアショカピラーが囲いの中に保存してありますが、小さい破片が囲いの外に散らばっています。持って帰れそうです。

パトナ博物館

ビハール州等で発掘された仏像が展示されています。ガンダーラの黒い仏像もあります。日本の本に載っているような有名な仏像はあまりありません。

ブッダガート

パトナ市内を流れるガンジス河の沐浴場。大般涅槃経で示された「釈尊最後の旅」で王舎城を出た釈尊がパータリ村からガンジスを渡り対岸に行っています。パータリ村を出た門を「ゴータマ門」、ガンジスに漕ぎ出したところを「ゴータマの渡し」と言いますが、それがどこかわかりませんが、名前からしてここかもしれません。それと、ガンジス河は現在地球温暖化により水量が減っているとガイドが言いました。実際、パトナを流れるガンジスは川幅こそとても広くなっていますが、水が流れる部分はとても狭く、このガートにも水が届いていません。

シーク教寺院

名前はわかりません。ガイドに聞きましたが発音が微妙で、カタカナに出来ないというのが本当のところです。インドでNO.2のシーク教寺院だそうです。大理石で出来た真っ白の大寺院です。突然訪れたわれわれにも丁寧に説明してくれました。いつでも誰でもウエルカム状態のようです。拙寺も見習いたいところでした。



☆☆☆☆☆☆
バイシャリ

釈尊が大好きだった町。何度かインドに行ってましたがここだけ抜けていました。今回の旅行はバイシャリに来るのが目的でした。バイシャリはインドのほかの仏跡と違ってほとんど手が入っていません。本当の田舎町と言った感じで、ひょっとすると釈尊がいらした頃とほとんど変わっていないのではと思うくらいです。


バイシャリ城遺構


リチャヴィー族の宮城遺構と言ってもなんにもされていません。一部掘ったところがあって、建物の基礎が出ていますが、ほんの一部で、ガイドは広大な原っぱを指さして、この下にバイシャリ城が埋まっていると言いました。誰か掘るのでしょうか。


バイシャリ城遺構


リチャビー族の池
(カラウナーポーカル)

リチャヴィー族の貴族が身を清めるのに使った池。とても広い池です。この回りに、ツーリストバンガロー、小さな博物館、日本山妙法寺、仏舎利のストゥーパ跡があります。

カラウナーポーカル


仏舎利ストゥーパ跡

このストゥーパから仏舎利容器に入った灰が出土しました。丸いドーム型の屋根に覆われて保護ざれていますが、回りから水がはいってしまいます。
 


アショカピラー

有名なバイシャリのアショカピラー。完全な形のまま建っているのはここと、もう少し北にあるラウリヤナンダンガルだけだと思います。2300年前から建っています。インド仏跡のアショカピラーは頭がなかったり、倒れていたり、博物館に入っていたりするので、オリジナルのまま建っているのを目の当たりにしたのは感激でした。
おそらくこの辺に釈尊が法を説かれた重閣講堂があったと思われます。誰か掘ってくれ。

アショカピラー


アショカピラーのすぐ隣にある池。猿が釈尊のために掘った池と言われています。いまは護岸整備され四角くなっています。またバイシャリは、猿が釈尊に蜜を捧げた物語の故地にもなっています。


バイシャリの町(遠望)

猿池の畔から、バイシャリの町が見えます。祇園精舎も竹林精舎もバイシャリの精舎も町や宮殿から遠すぎず近すぎないところに作られています。現地に行くと本で読んだ釈尊の教えの通りに作られていることがわかります。

釈尊が振り返った丘(遠望)

釈尊が最後の旅でこの丘で、象のようにゆっくり振り返り、「バイシャリの町を見るのはこれが最後だろう。バイシャリの町は美しい」と言ったところです。
そういえば、私の祖母が病気で入院するとき、玄関で象のようにゆっくりした動作で寺をみまわしてから寺を出た事を思い出します。そして祖母はそのまま病院で亡くなりました。

ヒンズー寺院

バイシャリは釈尊滅後100年に第二結集が行われた場所と言っているのは正しいけれど、バイシャリのどこかに立って、ここが第二結集の地というのはいささか正確性に欠ける。本当の第二結集の地というのはどうやら、バイシャリの南4キロくらいの所にあり、小さな奉献ストゥーパがあるという。ガイドにのその旨を伝えると、ここがそうだといって連れて行ってくれた。小さなストゥーパのようなものがあったので、てっきりここだと思いましたが、日本に帰って冷静に写真を見ると、どう見てもヒンズーのリンガで奉献ストゥーパではありませんでした。後で考えると南4qにしてはずいぶん近かった感がありました。もう少し考察を加えたいと思います。




☆☆☆☆☆☆
ケサリヤ


バイシャリからアンバサダーがやっと通れるくらいの道を約2時間くらい行くと、ケサリヤに着きます。大平原の真ん中です。近くに煉瓦工場があります。

ケサリヤストゥーパ

ケサリヤストゥーパ

ケサリヤストゥーパ

ケサリヤストゥーパは釈尊が最後の旅で、バイシャリのリチャヴィ族の見送りの信者に托鉢の鉢を渡し、分かれたところと言われる所に建つ大ストゥーパです。以前はただのマウンドで、本によっては「これが玄奘三蔵の見たストゥーパの跡か・・」と紹介されていますが、昨年ころから発掘が開始されると、高さ150フィート(約45b)の大ストゥーパが出てきました。
 9層の円形ストゥーパで、形はボルボドールに似ています、と言ってもこちらの方が年代的に古く、ケサリヤがボルボドールのデザインの基本になっているようです。下段2層が円形ですが、中段はギザギザになっていて、上から見ると蓮の花びらのようになっています。インドの考古学者はボルボドールより大きいと発表していますが、これは高さだけで、横の広がりはボルボドールの方がはるかに大きいと思います。といってもかなり大きいです。このストゥーパは最初は小さかったそうで、アショカ王がこのように作ったそうです。
 各層には「がん」があって、そこに釈尊の座像(高さ1mくらい)があります。スタイルは、瞑想、成道などがありました。ずれも8c〜12c頃のイスラム教の侵攻により、頭部、または上半身から破壊されています。残念です。何しろ大きいので、遠くからも「がん」に入った仏像か確認でき、ストゥーパ各層、全周に仏像があった当時はさぞ壮観であったろうと思います。
 発掘は、北側半分しか進んでおらず、南側から見ると、手つかずのようです。現在北側の発掘保存が進んでいて、と言ってもインド人がやることでとても遅いし、オリジナルのサイズの煉瓦を焼きながらやっている上、何でもノープロブレムです。現場で一部崩れかけているところがあったので、どうしたと尋ねたら、失敗したと言っていました。
 計画ではストゥーパ頂部を煉瓦をドーム状にしてオリジナルを覆うそうです。オリジナルを見るなら今のうちです。しかし、インド政府はまだこのストゥーパを正式発表していないようで、今は発掘のニュースを聞きつけた人が訪れるくらいだそうです。私もその一人。
 
 中村元先生はこの地を訪れたとき、「見送りにしては遠すぎる」と書かれてここがそうであることに疑問符を付けておられますが、インド人の距離感、時間の長さ、釈尊を慕う気持ちなどを考えるとまちがいないと思います。親鸞聖人も関東から京都に向かわれたとき、箱根まで性信房が同行し、そこで別れていますし。
 

ケサリヤ王宮跡と仏舎利が出たというマウンド(遠望)

 ストゥーパの頂上からは、当時のこの辺の王宮跡、仏舎利が出たというマウンドなどがみえます。仏舎利は出たがさわったら粉になったとガイドが言っていました。



☆☆☆☆☆☆
カルカッタ


この後、カルカッタに入って、翌日1日中カルカッタでぶらぶらしていました。カルカッタではクルタ、サリーをおみやげに買い、マザーテレサの病院を訪問し、お墓にもお参りしました。ヒンズーのカーリー寺院では子やぎの生け贄シーンに出くわし驚愕でした。インド博物館では、バールフートの欄楯に驚き、ピプラハワ出土の仏舎利をお参りさせていただきました。またジャイナ教寺院に参拝し開祖のマハーヴィーラ(釈尊と同年代の生まれで六師外道の一人、出生地はバイシャリ)の像を買いました。
 昼食はチャイナタウンでインディアンチャイニーズを食べ、昼下がりにカルカッタの五つ星ホテル、オベロイグランドでオイルマッサージ(これは極楽至極で安い!)、夕食は町のレストランでシークカバブ、タンドリーチキンをたべました。いずれも美味でした。

インド博物館の仏舎利



今回も楽しい充実した旅行でした。一緒に行ってくれたPE会員の成田氏には篤く御礼申し上げます。(彼は初めての海外旅行でインドに行ってしまいました)





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