先日、インドを訪問した際、様々な光景に出会いました。特に感じたのは、都市と郊外では時間の流れ方がちがうということです。都市は速く、郊外はゆっくり流れていると感じました。原理主義とは様々な問題が背景に存在するが故に、結論を速くだそうと速くだそうとしていると思えてなりません。時が速く流れているのです。車でもそうですが、速さを求めると視野が狭くなります。速さを求めるあまり、「今」を見失うのです。「今」はそれどころじゃないと・・・。しかし、この「今」は二度と繰り返すことのできない「今」なのです。明日のために「今」を削ることが当たり前のようになっている社会を準備社会といいます。結論を急ぐあまり「今」を犠牲にしている社会です。
インドの郊外にてお釈迦さまの仏跡でお経を頂いたとき、「今」ここにお釈迦さまが語りかけてくださっていると思わずにはおれませんでした。「ゆっくり」とは、なにも怠けているとか文明が劣っていると言うことを申し上げているのではありません。「時熟」という言葉があります。「時が熟する」それは「今」を丁寧に生きるということでありましょう。「今」はそれどころじゃない。と切り捨てた「今」をやり直すことはできません。しかし、切り捨てた「今」をもう一度見直すことはできると思うのです。そして、そこから明日の一歩を踏み出すこと、そのとき、「今」が熟するのではないでしょうか。
インドはむしろ私に「今」を大事に生きることを教えてくれたと思っています。人が生きるという現実。そして、何もかも受け止めている大地の存在に、圧倒されました。「今」を削り、「未来」を見失っているのが私達ではないかと思うのです。 |
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