Laos ページ 16
歴史的、文化的遺跡保護の観点から、1995年ユネスコによって世界遺産に登録されました。
とてものどかな感じのするルアン・パバンは、その昔ムアン・サワー、後にシエン・トーンと呼ばれ、
8世紀半ばにはすでにラーオ族の中心地になっていました。
そして1353年にファーグム王がランーンサーン王国を建て、1556年にビエンチャンに遷都するまで、
政治の中心舞台でありました。また遷都後も3王朝のひとつとして、
1975年に王制が廃止されるまで王都として、ラオス文化の中心として栄えました。
1975年に共産革命が起こると、王朝は滅亡してしまいました。
しかし、ルアン・パバンは歴史に残る町として大切にされ、ラオスの最も大事な観光地となっています。
ルアンパバンの町は、カーン(Khan)川とメコン(Mekong)川の合流地点に位置し、
町は小高い丘(プーシー(Phou Si)の丘)から一望できます。
丘のすそには寺院が並び、自然の山々に囲まれた町でした。
ラオスの寺院のお堂の中の奥には、古くなって壊れた、
自分の身の丈ほどの木造の仏像が、壊れたマネキン人形のようにたくさん無造作にまとめられていたのを思い出します。
大切に保存すればよいのにと思ったのですが、ラオスは経済的に決して豊ではありません。
古い町並みも古い仏像も保存するにはお金がかかります。ラオスの国の経済では、保存ができないのでしょう。
ユネスコによって世界遺産に登録され、この国の文化が残されるようになったことは、とても大きな意味があることでしょう。
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