渡邉 元綱の中国西安
西安(中国) 兵馬俑、善導塔、大雁塔 2005-02-28 〜 03-03 |
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二月二十八日、午前十時五十五分成田発の便に近在の寺の若手(といっても皆三十代)計四名で乗り、三泊四日の西安見聞参拝旅行に出発しました。飛行機は北京で一時間待ちのトランジット。直行便で四時間の所、六時間かけて西安に到着。日本との時差一時間で現地は四時過ぎで夕方。迎えのガイドさんとチャーターしたバンに乗り市外へ。途中、何も無さそうな野原の脇で車が止まり、ガイドさんが、「長安の跡です。」と。野原を背に街道脇に石碑がポツンと建ててあり、その荒涼とした風景に、一同旅行の行く末に不安を感じました。 ホテルにチェックインして、夕食を食べに街中へ。参加者の地元の知人の勧めでイスラム料理に決定。焼き鳥のような、羊や牛のケバブとイスラムなのに何故かビールとやたらに甘い焼酎がテーブルに並びました。少々脂っこいものの味はナカナカで、「カンペイ」を繰り返しながら、盛り上がりました。ガイドさん曰く、「日本のオボーサン肉も酒も大丈夫、中国のオボーサン肉も酒もダメです。」と我々の姿を見ながら笑っていました。 西安は佛教史跡が多く、日本から色んな宗派のオボーサンが来ているので、ガイドさんも訳知りの様です。 カンペイの嵐の中でしたたかに酔っ払いホテルに帰りました。同室の某君がバスタブで眠りコケ、溺れそうになるという珍事も有りながら、一日目は終了。 二日目、前日の夕食時に概ね決定した、兵馬俑・草堂寺・香積寺・大雁堂と巡る本旅行メインの日です。
兵馬俑(写真1)は西安市外の東にある秦の始皇帝の陵墓に埋葬された等身大の精巧な埴輪で、人馬併せておよそ千体が発掘され、埋葬された当時の、軍隊が進軍する様に並べられており、その様は壮観のひと言です。 ただ、我々の眼にする兵馬俑は素焼きの燻色をしていますが、本来は彩色も精巧に成されていたのですが、発掘され空気に触れると、瞬く間に色が飛んでしまったそうです。その為、現在は調査が進められているものの、発掘はされていない様です。 この兵馬俑は三十年ほど前にたまたま井戸を掘っているときに発見されたそうで、それ迄はこれほどの規模のものが人知れず畑の下に埋まっていたそうで、写真に残る精巧な彩色と共に、世の儚さを感じてしまいました。 その後、西安郊外を大回りして、南にある草堂寺に向いました。ここは『仏説阿弥陀経』を漢語に訳した鳩摩羅什のお寺です。今から千五百年以上前の人で、さすがに当時の建物は残っていませんが、再建され鳩摩羅什堂が建っています。当時と同じ姿なのかは判りませんが、まさにこの場所で、日頃、拝読している『仏説阿弥陀経』が漢訳されたのかと思うと感慨に耽ってしまいます。境内は鳩摩羅什が『 法華経』を漢訳したこともあり、日蓮宗の有志の方々によって整備されているようです。 ここは観光地というわけではないので、境内はいたって静かで、人影も疎ら、周囲も農村風景が広がるばかりです。結果、昼食は近所の食事を出してくれる普通の農家にお世話になりました。一般的な家庭料理なのでしょうが、今回の旅行で一番おいしい食事でした。 続く香積寺は中国に浄土教を広めた善導大師の遺徳を偲んで、ご往生の後に建てられお寺です。中国の人がお参りに訪れており、善導大師のお徳を今に伝えています。 日本の浄土宗の有志の方々によって境内は整備され立派な山門を構えていますが、建立当時の建物は善導大師の遺徳を讃えた善導塔(写真2)のみです。先端は崩れていますが、全長三十三メートルの姿には圧倒されます。中には、浄土宗の法然上人が善導大師から法脈を受けるの図が安置されています。
本堂で読経すると地元の僧侶に「そのお経は何か?」とたずねられ、答えると「ああそうか」といった顔をされました。当たり前ですが、今の中国と日本では、漢字の読み方が違うのです。 その後、『西遊記』でお馴染みの三蔵法師玄奘がインドより持ち帰ったお経や仏像を納めた大雁塔(写真3)やシルクロードの出発点、安定門と巡りました。どちらも西安の有名な観光地ですが、中国の人は造るものがイチイチ大きいなァと思いました。
夕食は、西安名物の餃子各種でしたが、味は賛否両論でした。 ホテルに戻り、同室の某君が散歩に出て迷子になり、午前二時過ぎまで帰ってこないという珍事も有りながら二日目も無事修了。 三日目は昼前の飛行機で上海に向う予定でしたが、午前の便が無くなり、陜西歴史博物館へ。展示品の多さもさる事ながら、時代別のコーナーの多さに中国の歴史の深さを感じます。 「この千年前の瓦は、近代まで農家で月餅の型に使われていたのを、歴史学者が偶然発見した。」などのガイドさんによる解説を聞きながら昼前まで見学。昼食はドライバーさんお勧めの麺料理屋できしめんの3倍はあろうかという幅の美味しい牛肉麺を食べて、空港へ。夕方の便は無事に飛び、午後6時頃上海へ。夕食で久々の魚を食べ、お土産を買いに繁華街に出たのですが、日本とアメリカ資本の商品が多く、少々ガッカリ。町並みも大阪の難波と東京の浅草をゴチャ混ぜにした感じでした。 ホテルに戻る途中で同室の某君がコンビニで買ったキュウリ味のポテトチップが意外に美味しいという珍事が有りながら三日目も無事修了。 四日目は早々に空港に向かい、残った中国元でありがちな中国土産を買い、午前十一時三十五分発の便で無事帰路に着きました。 (おしまい) |
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