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「名所・旧跡こぼれ話」

このコーナーは、東京教区内の隠れた名所や御旧跡にまつわる
こぼれ話など、あまり知られていないものを紹介していくものです。

名所・旧跡こぼれ話
第5話

<常葉(ときわ)の一向堂>
 

 鎌倉市の常盤(ときわ)に一向堂という地名があります。
 『新編相模國風土記稿』巻百五深沢庄常葉村の小名に「一向堂」という名が見え、

 「僧唯善草庵蹟 村東山麓にあり、今陸田を開く。唯善は覚信尼の息なり。
 延慶二年(1309)密に大谷本廟に安置せる如信の彫刻せし親鸞の真影及び遺骨を取て関東に下着す、当村に安置して念仏を弘通す、故に世の人これを常葉の真影と称せり、(中略)戦国の際、兵火にかかりて廃蹟となり、今このへんの小名を一向堂と呼ぶもこの廃蹟によれるなり」

とあり、『存覚一期記』にも同様の記述が見えることから、覚信尼公の息子唯善がこの地で念仏をひろめていたことは確かなようです。
 また、前回鎌倉七太子候補として紹介した同じ『風土記稿』の巻九十八山ノ内庄小袋谷村の成福寺の項に「聖徳太子木像一躰 親鸞、鎌倉常葉の坊舎にて午刻し、云々」とあることから、すでに親鸞聖人が常葉に拠点を持っていたことが伺われます。
 この地が宗祖以来の重要な地であったからこそ、唯善が京都をのがれた後、ここを居所としたのでしょう。

 更に、この地は当時鎌倉での浄土教の拠点であった「鎌倉大仏」から切通しを越えた場所に位置し、鎌倉幕府第7代執権北條政村(1264〜1268 在位)の屋敷跡(国指定史跡「北條氏常盤亭跡」)など幕府の要職を勤めた人物の邸宅と至近距離にあるということも非常に興味深いことです。 
 現在、この一向堂の草庵蹟が失われてしまっていることは非常に残念ですが、「一向堂」という地名はこの地区のバス停、公園、通りの名称にその名残を見ることができます。




一向堂公園




バス停
 

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