POSTEIOS カンボジア紀行


  

カンボジア紀行
 〜 第1章 〜
トゥールスレイン虐殺博物館(プノンペン市内)

  とにかく空気の重い場所です。人はこんなにも残虐になれるのかという驚き。殺された人々の悲しみ。時々深く深呼吸しなければ、気分が滅入ってしまいます。しかしこれも、カンボジア人が、そして人類が犯してしまった歴史の事実。目をそらしてしまうわけにもいきません。悲しく辛く、歩を進めるのが嫌になる、そんな場所です。

ポル・ポト率いる最も過激な共産主義勢力クメール・ルージュは、1975年から僅か3年半の間に数百万人の人々を虐殺しました。彼らは密かに連れ去り、殺し埋めたので、未だに人数ははっきり分からないそうです。
  クメール・ルージュは、市民に教育は必要ないとしました。彼らが考える教育とは、共産思想を植え付けることであり、あとは労働あるのみです。子供も大人もみな重労働に従事させられた3年半でした。

  ここトゥールスレインは、かつて学校でした。しかし政治犯と称した教師や文化人、またプノンペン都市住民達がここに収監され、拷問を受け、無惨に殺されました。まさに地獄。収容され殺された人々の顔写真と、監視し殺害したクメール・ルージュの兵士達の顔写真が展示されています。クメールの兵士達は多くが10代の少年・少女。時代に翻弄されたとはいえ、加害者側の彼・彼女らの顔写真を公表してしまっては、今の社会で生きにくいのではないだろうかと心配になります。

  ベトナム軍がプノンペンを制圧したとき、クメール・ルージュは敗走します。彼らが去った後のこの場所には、殺されたままの政治犯とされた人々の遺体が多数、ベッドに鎖でつながれて、拷問の後も生々しく、血の池を作ったままで放置されていました。大人を殺した子ども達。この拷問部屋からは、今も人々の嘆き声が聞こえてくるような気がします。「なぜ君と僕が憎しみあわねばならないのか」と。

  カンボジアの悲惨さは、同じ民族が殺し合ったということ。今まで一緒に住んでいた隣人に殺された人々。そして洗脳されたとはいえ、子ども達が大人を殺したこと。この傷は大変に深く重いものです。決して殺戮を肯定するわけではありませんが、例えば殺し合った人々の民族や国が違えば、それらへの憎悪という形で消化できるのかも知れません。しかしこの国の加害者と被害者は、今も同じ土地に住む隣人です。かつてのクメール・ルージュは、今は一般人として暮らしているのです。家族を無惨にも殺されたという怨みは、忘れろといっても忘れられないに違いありません。そんなに人間割り切れない。怨憎会苦(おんぞうえく)。お釈迦様がお説きになった苦しみの一つ、憎い相手とも会わなければならない苦しみがそこにあります。

この子はクメール・ルージュではありません。
その服装を再現しているだけです。

  クメール・ルージュも「世論」の支持を受けたからこそ、国を支配することが出来ました。裕福な都市住民を貧しい農民が恨んでいたことが、クメール・ルージュを支持した世論へと繋がったといわれています。解放軍といわれていたそうです。ナチスやかつての日本もそうですが、市民の不満が世論を作り、権力者はその要求を上手く昇華し、すり替えをしていく。それを世論が後押しする。そして歯止めが利かない程に暴走していく。そこに民衆迎合政治(ポピュリズム)の恐ろしさがあります。取り返しのつかないところまで行き着き、全てを失って呆然と立ちつくす人々。どうしてこんなことになってしまったのかと。

  本当は全体責任なのでしょう。世論を作った方も、その流れを止めることが出来なかった方も。しかしそれでは全員が死んでお詫びをするしかない。そんなことは出来ない。主犯を捜さねばならない。そう、ポル・ポトです。確かに彼は弁護のしようもない人物です。しかし彼を後押しした世論があったのです。ですがそれは罰せない。彼に責任を取って貰うしかない。そうでもしないと、隣人への怨みが治安悪化を招き、この国は崩壊してしまいますから。これがカンボジアの悲しみです。

  かつて読んだコラムにこのような記述がありました。「カンボジアの人々の微笑みは、よそよそしい」と。それは心から微笑むことが出来ない程に傷つき、他人が信用できなくなってしまったからなのかも知れません。またツアーガイドはこういいました。「カンボジア人はポル・ポト時代のことを語らない」と。ここでは相手の素性を“知らない”ことが生きていく知恵なのでありましょう。

  深い悲しみを抱きながら、ブッダはそれでも微笑みます。


参考:『「色のない空」〜虐殺と差別を超えて〜』 久郷ポンナレット著 春秋社
菅原 智之