POSTEIOS カンボジア紀行


  

カンボジア紀行
 〜 第3章 〜
内戦の爪痕
  カンボジア内戦によって、国内には膨大な数の地雷が埋められました。特にプノンペンからプルサット、バッダンバン、パイリン、バンテイミンチェイ、オーダーミンチェイ、プレビヘールの各州にわたって「K5」と称される地雷原(対人地雷)がありました。
対人地雷

  地雷除去作業は1992年から始められました。しかし地雷の位置を示す地図の紛失や、雨期の増水によって地雷が流される事などにより、その作業は困難を極めています。囲った区画を金属探知器や棒で調べ、1つずつ撤去します。まさに人海戦術です。地雷除去用の大型の重機もありますが、確かに「平地」では有効ですが、ジャングルや凹凸がある地形では使用できません。地形というモノは平坦であることは少ないですから、結局手作業なのだそうです。

  因みにCMAC(Cambodia Mine Action Center=カンボジア最大の地雷除去団体)による除去を例に挙げます。1部隊の構成は部隊長・通信・記録・医療・運転手・その他・除去員の33人です。1部隊が月平均1.5ヘクタール除去しています。膨大な国土を思うと気が遠くなるような作業に思われます。除去費用は1uあたり1ドルと言われています。


地雷によって手足を失った子ども達
  対人地雷。それは手や足を吹き飛ばすには十分な威力はあるのですが、命を奪うことを目的としていません。敵兵に傷をおわせ、部隊の足手まといにすることを目的とした兵器なのです。ですから、悪魔の兵器といわれます。対人地雷禁止を求めたNGO「地雷廃絶キャンペーン」の成果により、2000年にオタワ条約(対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約)が発効し、一定の歯止めは出来たようです。しかし今度はクラスター爆弾(自衛隊も所持)という子爆弾を大量にばらまく対人地雷に似た新兵器も出てきています。

  戦争は政府が終戦を宣言したからといって終わってしまうような簡単なモノではありません。歴史上はそうなのでしょうが、市民は苦しみ続けます。それは不発弾による被害もありますし(地雷もこの類でしょう)、兵器による後遺症もあります(例えば原爆は60年経っても被爆症にて苦しめ続けます)。そして家族や友人を失った事による絶望感や、殺されかけた・傷つけられた事実がもたらす精神障害。破壊されたインフラ。失業率の高さ。貧困。失われた日常。忌まわしい記憶。カンボジアは今、その大きなツケを払わされているのです。

カンボジアでの被害状況
死亡 切断 損傷
2004.11 地 雷 27名 20
不発弾 40名 10 24
2003.11 地 雷 23名 15
不発弾 30名 19



参考資料:アジアの地雷・不発弾被害を伝える会編「2005年 カンボジアの地雷」


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